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短編

お客様は神様です

作者: 今眠居

 「お客様は神様です」骨董品屋の老店主は口癖のように言っていた。それは正しくその通りなのだが、その事を理解している者は少ない。

 少女は常々不思議に思っていた。老店主は、その口癖を発するとき、なぜ笑っていないのだろうか。そしてそういう主義を貫いて、どうして店が経営できているのだろうか、と。

 今もまた、一人の男性が時計の修理代を払おうと財布を開いた時、老店主が無愛想に「お客様は神様ですから」と断った。それではこちらも気が済まない、と男性は千円札を二枚、カウンターの上に置いて出て行った。時計のちょっとした修理なんて千円でも高いくらいだろうに。なるほどこの老店主は商売上手なのだ。そう納得しかけたが、ここ数日、老店主を見張っている限りでは代金を払わない客の方が多かった。老店主は手先が器用で、時計の修理だけではなく色々な事をやっていたが、それでもマイナスかもしれない。やはり代金をその都度もらった方が良いだろう。もっと長い目で見れば老店主のやり方の方が儲かるのかもしれないけれど、いかにも不安定そうな儲け方だった。それに客の善意を利用するなら、愛想を振りまいた方が効果的ではないだろうか。いや、そうでもなくても客商売なのだから愛想は振りまいた方がいい。だけど老店主は決して笑顔を見せないのだ。もちろん他の感情も。

「君はまた閉店までここに居るつもりかね」

「ダメですか?」

 老店主が訊き、少女が小首をかしげながら答える。少女は店の一角を占めるアンティークチェアに座っていた。セットになっているテーブルには勉強道具が置かれ、開かれたノートには少女らしい丸文字が躍っている。いつも利用していた喫茶店が閉まっていて、他に良いところは無いだろうかと町をさまよい歩いた時以来の常連だった。骨董品には特に興味が無かったのだが、和物に満ちた店内に一揃えの西洋家具が置かれているのを見つけ、一目で気に入ったのだ。最初はただ見ているだけだったのだが「そんなに気に入ったのなら、そこで勉強していくといい」と老店主の方から奨めてきたのである。売り物ではないと知ったのは、その後の事だった。なぜ和物ばかりの店に西洋家具が置かれているのかと問うと「そういうのが好きなお客様もいるのでね」と老店主は答える。少女はそれから毎日通い詰めていた。店に来る客は一日に数人。喫茶店よりも人の出入りが少ないから勉強に集中出来るし、店内の物を見て気晴らしも出来る。店内には使い方すら分からない小物が沢山陳列されていて、見ているだけで楽しかった。

「珈琲が良いかね。それとも紅茶?」

 少女の勉強が一息ついたところで老店主が話しかけた。カウンターの向こうで二つの缶を持ち上げている。「じゃあ紅茶で」少女はそう言った後「すみません。何も買ったりしないのに、いつも飲み物まで出してもらって」と頭を下げた。お茶菓子は持ってきているが、だからといって店内の一角を占領していい事にはならない。それでも老店主は「構わないよ。お客様は神様だからね」と急須に紅茶の葉を入れる。迷惑をかけているのに嫌な顔一つしない。笑顔を見せたりもしないのだけど。紅茶を出して貰う時にかしこまっていると、老店主が呟くように言った。

「なに、気にする事は無い。実を言うと君のおかげでお客様がお越しになる機会が増えたんだよ。君は気に入られているからね」

「気に入られている……私がですか」

 少女は自分がそんな風に役立っていると思った事は一度も無かった。老店主と客が話している時は、邪魔をしてはならないと黙々と勉強に集中していた。話しかけられた事など一度もない。目が合って会釈くらいはした事があるかもしれないけれど稀な機会の出来事である。そんな自分が、いわゆる看板娘のようになっているとは考えもしなかった。本当に客が増えたのかどうかは自分が来る以前の事を知らない少女には判断がつかない。もしかしたらそれは老店主の気遣いだったのかもしれないが、ニコリともしないので真意は掴めなかった。

「なんだろう、これ」

 骨董品屋へ行く道すがらの事だった。大きな野良猫が何かを追いかけて草むらの中で暴れ回っていた。追われているのは兎のような白い生き物である。その生き物は正体が何であるか分からない内に側溝へと入り込んでしまった。猫が後を追い、側溝の蓋を押し上げながら追走していく。珍しいものを見たと思っていると、足下に何かが転がってきた。細かい紋様の入った真鍮製の玉である。なかなか高価そうだ。誰かの落とし物だろうか。警察に届けるべきだろうとは思ったが、その前に老店主に見せた方が早いかもしれないと少女は考えた。その玉は、いかにも骨董品屋に並べてありそうな外貌をしていたのである。

「おお、これは……」

 少女が真鍮製の玉を見せた時、老店主の顔に初めて表情らしい表情が浮かんだ。それは普通の人に比べると遙かに淡いものだったが、ここ連日、老店主の仏頂面を見続けていた少女には驚きと喜びの入り交じった顔である事がすぐに見て取れた。老店主は喉の奥で笑うと何度か合点がいったように頷き「ああ、これの持ち主なら知っているよ。すぐに連絡を入れよう」と店の奥に引っ込んだ。再び店先に出てくると「もし時間が空いていたら今夜、ここに来なさい。落とし主がお礼をしたいそうだから」と老店主は言った。なぜ夜なのだろうか、とチラと思ったものの、少女は招待を受けることにした。

「さぁ、こっちだよ」

 老店主に案内されて夜の店内へ入ると、そこは昼間とは違った雰囲気があった。照明のせいかもしれない。ぽつぽつと灯る小さな明かりが店内に深い色の影を作り、全てのものを曰くありげに見せている。しかし人影は老店主と少女の二人分だけだった。他に人の姿はなく、少女は訝しんで眉根を寄せた。すると老店主はカウンターを指差して言った。

「ほら、そこにいらっしゃるよ。見えるかな?」

 少女が視線を向けた先には、一匹の動物が居た。兎と見紛うほど大きな鼠である。白い毛に覆われ、紅玉のような瞳が薄闇に光っていた。それを認めた少女の喉から「ひっ」と声が漏れる。思わず後じさった少女を老店主は受け止めた。「大丈夫。怖がる事はないよ。彼はただお礼がしたいだけなんだからね」見れば白鼠の両手には昼間拾った真鍮製の玉が抱え込まれている。長いヒゲが手招きをするようにゆらゆらと揺れた。老店主は続ける。「彼は勉学の神様なんだ。彼の御利益はきっと今の君にぴったりだと思うよ」少女は老店主に促されながら、恐る恐る白鼠へと近づいていった。手を伸ばすと、その指先に白鼠が触れる。鼠がしたのは、たったそれだけだったが、もう用は済んだらしい。少女に背を向けて店の奥へと走り去ってしまった。「珈琲が良いかね。それとも紅茶?」老店主が二つの缶を持ち上げる。この骨董品屋には人ならざる存在が訪れるのだと老店主から聞いたのは、コーヒーを飲んで落ち着いてからだった。普通の人間には、その存在も、それらが用いる道具も見えはしない。「きっとあの神様に相当気に入られたのだろう」老店主は極々薄く笑いながら少女に言った。少女はその日、この骨董品屋の本当の顔を知ったのである。

「お客様は神様です」骨董品屋の老店主は口癖のように言っていた。それは正しくその通りなのだが、その事を理解している者は少ない。

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