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Messenger Ⅱ~空際のホールムスク~  作者: kagonosuke
第七章 それぞれの正義
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3)弁解の余地 

「一体なんの真似だ。なんの権利があって我々を拘束するのか。甚だ理解に苦しむ」

 不機嫌さを隠すことなく男が言った。立派な体躯を上等な衣服に包んだ男の顔には疲労の色が薄く膜のように張り付いていたが、相手を見据える両の(まなこ)には猛々しい光がちらちらと灯っていた。

 男が昨日から軟禁されている場所は応接室のような部屋だった。定宿にしている部屋に比べれば格段見劣りするが、普通の宿屋に毛の生えたようなものとでも思えば、どうにか我慢はできた。それよりも我慢ならないのはこの状態だ。今回のホールムスク滞在も商談は予定通りに進み、買い付けた積荷を運び終え、思わぬ掘り出し物に内心ほくそ笑んで後は国に帰るだけという出航間近に、船に上がっていた港湾検査官に横槍を入れられ、突然乗り込んできた男たちに船出を阻止された。先の大戦後兵士を辞めて商人に転身してから二十年、もう幾度となくこの街を船で行き来しているが、こんなことは初めてだった。

 乱入し男と配下の者を拘束した男たちは、港湾職員でもなく、青い上着が特徴のこの街の治安維持を任されている自警団でもなく、柿渋色の隊服に身を包んだ軍人だった。

 そう、その先頭を切ってやってきたのはこの男だ。テーブルを挟んで対面に座るこの男は昨日と同じ隊服に身を包み、柔和な面立ちの見るからに優男という風情だが、その後ろで腕を組む青い上着の筋骨隆々の男よりも厄介な相手という匂いがした。それはかつての軍人家業で培ってきた勘のようなものだ。

「おや、お心当たりはありませんか」

 鷹揚な問いかけの下で何を企んでいるのやら。郷里の貴族に通じる空気は軍人上がりの男の得意とするものではない。

「無論、あるはずがない」

 長椅子の背もたれにどっかと身体を預けて、男は自信満々に言い放った。その声音は昨日からほとんど変わらず力強いものだった。

「……そうですか」

 小さく溜息を吐いてから、長い脚を持て余すように組んで対面に座る男は薄く口元に笑みのようなものを刷いた。白々しい態度だ。昨日、これ見よがしに掲げた罪状についてもっと厳しい追及をされるのかと思ったが、どうも手温い。ミールが権勢を振るうこの地では繋がりの深いリリス商会に遠慮しているのだろうか。ただそれでもだらだらと留め置かれるいわれはない。

「ではお尋ねしますが、あの積荷は貴方が買い付けたものではないのですか?」

 青い上着から人を変えて、再び昨日と同じ問いが来た。拘束の理由の一つ、船に積まれていた禁輸の品には、偽造された荷札が付いていたという。荷主はリリス商会と明記され、内容品は未加工の鉱石類と表示されていた。世界を股にかけて交易を幅広く手がけるリリス商会はホールムスクでも大きな影響力を持っている。ミールにおいてもリリス商会は取引相手として重要な位置を占めていた。

「こんなことをしてただで済むと思っているのか」

 男の名はオルガ・ヘルソン、リリス商会所属の商人で、出身は隣国ノヴグラード。ホールムスクへは商談のために定期的に訪れている。ここでは主に珍しい骨董品や鉱石を求めている。昨日からの事情聴取で判明した断片は最低限の情報だ。

「穏やかではないですねぇ」

 はらりと手にした書類を一枚めくって、柿渋色の隊服に身を包んだ優男は薄く微笑んだ。一見柔和な面立ちに反して、細められた目の奥、穏やかな外見を裏切る男の本性が、良く研がれた刃物の切っ先のように冷たく光る。馴染み深い殺気の片鱗にかつての血がざわめいた。ヘルソンの口元が無意識に弧を描いた。

「老婆心というやつだ。昨日も言ったが、あの荷など預かり知らぬ。大方リリス商会の名を騙って不届き者が潜り込ませたのではないか。そもそも商会の札が付いていたとして、それがどうして私が扱う荷になるのか。それに札は紛い物だったんだろう? 見当違いも甚だしい。こんなことは馬鹿げている。そもそも不当な荷を紛れ込ませた輩、大方、船員だろうがね、そいつらを調べた方が早いだろう。昨日、船長も拘束されたんだろう? 彼はまだ留め置かれているのかね? そちらに聞いてくれ。私には関係がない。不当な拘束を受けていると我々が本部へ訴え出れば、困ったことになるのはおたくら、ミールではないかと思うが」

「さて、それはどうでしょうねぇ。船長の方は別途話を聞いておりますのでご心配には及びません。我々も任務の一環として関係者の方々に一通り話を聞く必要がありますので」

 脅し交じりの主張にもひるむことなく、そこで兵士は薄く微笑んだ。

「リリス商会の噂はかねてより聞き及んでいます。ですが、このような事態が明るみになった場合、かえって歴史あるその名に傷がつくのではありませんか」

「それこそ逆だ。第一、このような他国で危険を冒す意味がない。今更そのような危ない橋を渡らずとも通常の商いで十分やっていけるのでね」

 鼻息荒く吐き出したヘルソンの指には大ぶりの宝石がついた指輪がはまっていた。男が苛立たし気に手振りをするたびに貴石が日光を反射し火花のような残影を散らした。優男の目がその光を捕らえないはずがない。

「そうですか。これまでに随分と成功されたようですね。商いは手広く行っているのですか?」

 何気ない様子で隊服の男が聞いた。

「まぁ、そこそこ……というところか」

 当たり障りのない会話のどこに罠が隠されているか知れない。

「ご謙遜を。こちらのミールとも随分と懇意にしているようですね」

「まぁそれなりに。商いが長くなれば様々な取引先と付き合いができるものだ」

「なるほど。こちらで人を雇ったと聞きましたが、それもミールの仲介でしょうか」

 空気に変化が見えた。静かな声に潜んだ冷ややかさえある気配にヘルソンが動きを止めた。じっと相手の腹の内を探るように目を細めた。

「ああ、せっかくいい人材を紹介してもらったんだが、土壇場でもめてしまってね。このごたごたで白紙になってしまった。とんだ不始末だ」

「それは大変でしたねぇ。ちなみにその紹介先はどなたかお聞きしても?」

 二人の視線が交差した瞬間、青い火花のようなものが散った。

「なんだ、使用人に興味があるのか」

「ええ、こちらも万年人手不足なもので、名うての商人が国を超えてまで態々探し求める人材とその伝手は気になるところです」

 にっこり笑みを見せた優男にヘルソンも薄く微笑んだ。ただ二人ともその目の奥では別の思惑が蠢いていた。潮目が渦を巻く。舵を取られた小舟は瞬く間に水底へと引き摺り込まれるだろう。

「ハハ、そのような大げさなものではない。たまたまここでそのような縁があったまで」

「そうでしたか。ではご参考までにその取引相手の名をお聞きしても?」

 小さな渦が再び生まれた。ぐるぐると男の周りを回って絡めとろうとする。

「ミールの男だったはずだが、名は…何と言ったか」

「おや、名も知らぬ相手と商談をしたんですか」

「ふん、相手が名乗る名など、単なる記号に過ぎん、そうだろう?」

「まぁ、そういう面もありますが、時にその記号も相手を形作るひとつであることは確かです」

 渦を生み出す海流がヘルソンの足元を掬おうと腕を伸ばす。その波が届く前に逆側の流れに押し戻された。

「ああ、思い出した。オフリートと言ったか」

 その名前が出たことで潮目が変わった。

「…オフリート」

 舌先で転がすようにその名が繰り返された。文字を吟味して綴りに潜む匂いを味わおうとでもいうように。

「ああ、そうだ。偶々取引先から紹介されてな。私の扱う商品に興味があると言っていた」

「その男とは今回が初対面でしたか?」

「…ああ、そうだ」

 小さな間は真実の欠片を落とす。

「そうですか。人材の斡旋ということでオフリートと取引を? 男はそのような商いをしていたんですか」

「さぁ、詳しいことは知らんが、そういう伝手があるとは聞いた」

「その男には随分な額を支払ったようですね。単なる紹介料というには随分と破格です」

 渦が徐々に広がり威力を増した。再び男の足元へ絡みつこうとする。

「……何が言いたい?」

「どうもその男、ミール会員でありながら副業として人買いの真似事をしていたようでしてね。そちらの取引もよもやその筋の話ではないかとの疑念が生まれまして」

 冷たい沈黙が落ちた。

「……なんだね、我々が禁を犯しているとでも言いたいのか。失礼な」

 ヘルソンが苛立たしげに肘掛を掴む指で叩いた。

「おや、この国で人身売買は御法度というのはご存知でしたか」

 男の足元で波が大きく飛沫を上げた。

「馬鹿を言わんでくれ。たとえ私が他所の国の出だとしてもこの街、この国の掟は商人として心得ている」

 たとえ異邦人であろうともこの国の法を犯せば罰せられる。この街に出入りする商人ならば誰でもが知っている事柄だ。

「それは頼もしい」

 隊服の優男がゆっくりと立ち上がった。腰に履いた長剣の鞘が鈍く硬い音を立てる。男は窓辺に寄ると薄いカーテンを指先でめくり、外の様子を眺めた後、身体をヘルソンの方へと向けた。

「昨日、あの男の所有する屋敷、諸々の関係先に捜索が入りましてね。港の倉庫では留め置かれていた若い女子供が保護されました。皆、攫われたり売られたりしたと聞いています。あなたが雇ったと言う使用人たちも同じ境遇にあったという話が出ているのですが、その辺りのことはご存じでしたか」

 逆光の作る影の中で菫色の瞳が深い照りを返した。男の口元から形ばかりの薄い笑みが消えていた。

「なんだと? 私は後ろ暗いことは何もしていない。オフリートという男の口利きで下男を紹介されたが、その子らがどういう経緯でその男の下にいたかなど、私が関知するところではない。そもそもあの子らも働き口を探していたのだろう? 私が雇わなければ、他の雇い主が現れるまでだ」

 色を付けて紹介料を支払ったというのにこの騒動で雇ったはずの下男にも逃げられてしまった。探して取り戻そうにも、口利きをした男に文句をつけようにも、このような場所に留め置かれて身動きが取れず、業腹なのはこちらの方だ。自分は被害者であるという態度を終始ヘルソンは崩さなかった。

「そうですか。では、聞いてみましょうか、実際に」

 無表情から一転、艶やかに笑みを深めた優男にヘルソンは怪訝そうな顔を向けた。

「聞く……とは一体?」

「勿論、貴方が雇ったという下男とやらに、ですよ」

 優男がしなやかな指先で小さく合図を出すとそれまで側で傍観していた青い上着の男が頷き、退室した。

 程なくして扉が再び開いた。先程と同じ青い上着の男に促されるようにして入室したのは、ヘルソンの元より逃げた小鳥たちだった。


***


「やぁ、よく戻ってきた。兄弟揃って私が恋しくなったかね?」

 視線が絡んだ瞬間、喜色を浮かべて目を輝かせたヘルソンにリョウの肩が跳ねた。一瞬、止まりかけた足は、続くユリムの手に腰を軽く押されることでどうにか元の動きを取り戻した。

「そんなわけがあるか。寝言は寝てからにしろ」

 ユリムはリョウの前に出て背中で庇うように立った。ヘルソンはそんなよく似た顔立ちの二人を順繰りに見て、機嫌よく笑みを深めるとおどけたように言った。

「おやおやつれないことを。少しはしおらしくして見せたらどうだ? それでは貰い手がつくまい」

 一呼吸置いたことで自分を取り戻したのか、リョウは顔を引き締めて男に向き直った。

「勘違いしないでください。私たちは元より自由の身、貴方の奴隷ではありません。力づくで拐ってきた者を金に物言わせてどうこうしようだなんて、この国では許されないことです」

 怒りで冷静さを失わないように出来るだけ平坦な声を出すように心がけたが、語気が震える。

「何を言う。誤解があるようだ。君らは大方借金で首が回らなくなってあの男の下に行き着いたんだろう? 私が払った口利き料でそれがチャラになったはずだ。言うなれば私は恩人だ。違うか? その恩を少しは私の元で返してみる気はないかと言ってるんだ。国に帰ればここよりも自由にしてやろう。特に兄の方、お前は術師なのだろう? どうだ、私の元でその技を磨いてみないか? 知り合いに腕利きの男がいる。紹介してやろう」

 ヘルソンはまるで悪びれる様子もないばかりか、自分のやっていることが善行であるかのように振る舞っていた。商いの対価として金を払った以上、二人の身柄は男の支配下にあると信じて疑わない。この男は自分が禁を犯した、もしくは悪行に手を染めたという認識がないのだ。欲望と儲けを天秤にかけて、それが自分に有利に傾くならば、どんなことでもする。そういう相手に良心や倫理を説いたとて何の意味も無さない。巻き込まれた以上、ここで素直に男の言い分に屈するわけにはいかないが、話が通じないことに目眩がしそうだった。どうしたらこの男の主張を崩せるだろうか。焦燥ともどかしさをどうにか押し留めて、リョウは庇われた背から抜け出すように一歩、前に出た。

「ですから、そもそも根本的に違うんです!」

 借金で身を滅ぼし堕ちたのではない。自分たちは競売に参加していた所を突然乱入してきた男たちに捕らわれたのだ。そこではミールの皮を被った連中が人の売り買いをしていて、運悪くユリムを探していた男がそこに混じっていたのだ。

 自分たちは買われることをよしとしたことはない。苛立ちを抑えて相手の目を強く見つめ返せば、男の瞳に獰猛な光が灯った気がした。

「ほう? お前たちの来歴にいかなる理由があろうとも、それは私の知るところではないのだがな。あの男との取引は正当なものだった。仮にあの男に騙されたことが不運というのならば、まぁ少しは同情しないでもないが、それはお前たちの落ち度。ここは商いの街、ホールムスクだ。勉強になっただろう。ただ私も商人だ。取引を取り消せというのならば、こちらに相応の利がなくては話にならん。私と共に来るのが嫌ならば、あの男に払った代金に迷惑料を上乗せして払ってもらうことになるが、いいのか」

 転んでもただでは起きないということか。自由になりたいのならば金をよこせと言う。どこまでも強欲な男だ。

「それこそお門違いです。文句があるのならば、あの男に言うべきです。取引はあなたとあの男との問題で、そこで儲けようと損をしようとあなたの勝手。我々が関知することではありません」

 ぴしゃりと突き放したリョウの態度にゆらりと男が立ち上がった。昨日から渦巻き膨らんだ怒りが今にも弾け飛びそうな顔をして、人差し指を立てながら威圧するように一歩、二歩と踏み出してくる。

「小僧が、私に意見するのか。いいか? そもそもお前たちに取引を反故にする権利などない」

 瞳の奥に怒りの炎を燃やして迫る男にリョウも負けじと顔を上げた。

「いいえ。あれは取引ですらなかった」

「なんだと」


「……随分なことを言う」

 平行線をたどる言い合いが続くかと思われた中、ひやりと水を差すように冷たい声が響いた。

室内には新たな男たちが入り込んでいた。昨日から男を取り調べていた自警団員に今日新たに加わった隊服の優男はシーリスだ。そこにリョウ、ユリムの二人、自警団長のエンベルが加わり、そしてユルスナールが続いた。

「自分の立場が分かっていないようだな」

 突然差し挟まれた低い声にヘルソンが振り返った。声の主と思われるしんがりの男。腰に佩た長剣をちらと見てから視線をゆっくりと上げる。

「貴様は、港湾の小役人……ではなかったのだな。軍人か」

 ヘルソンはユルスナールの顔をじっと見て、遠く奥底に眠る記憶を探るように目を眇めた。

「その髪色……もしや、白金の悪魔の係累……か」

 それは意図せずして漏れた小さな呟きだった。

「シロカネのアクマ…?」

 自警団長エンベルが耳慣れない言葉を拾う。ユルスナールは無言でリョウの側までやってくると強張った細い肩を宥めるように摩ってからその腕に抱き込み、ヘルソンから離した。

「……昔、そう呼ばれた男がこの国にいたはずだ。まぁ、この街の連中は知らんかもしれんが。あの戦で西の砦にいた大将だ。手強い相手だった。何度煮湯を飲まされたか知れぬ」

 ヘルソンの口元がほろ苦さを味わうように小さく歪んだ。

 ユルスナールの父親、ファーガスが若かりし頃、そう呼ばれていたと聞いたことがある。だが、リョウは西の砦と聞いてすぐにそれはファーガスの弟、ラードゥガのことではないかと思った。この国でユルスナールの持つ色彩はシビリークスの一族特有のものだということを今なら知っている。

「あの男も、そう、今のお前のような目をしていた」

 この男はもしかして戦場でラードゥガとあいまみえることがあったのだろうか。

「あなたは…軍人だったんですか?」

 周囲が沈黙を守る中、思わず口にしたリョウにヘルソンはどこか遠くを見るような顔をした。

「ああ、遠い昔の話だ」

 室内にはいい知れぬ緊張感のようなものが漂い始めていた。肌を刺すようなひりひりとした気をリョウはすぐそばから感じた。

「まぁそれはいい」

 居心地の悪さを感じ取ったのか、ヘルソンは空気を入れ替えるように一つ咳払いをした。ぐるりと周囲を見渡して顔をしかめた。

「それよりもなんだ、今度はぞろぞろとまた大人数で、暑苦しいことこの上ない。一体、いつまで私をここに閉じ込めておく気だ? 話は終わっただろう?」

 苛立ちの矛先が今度はこの建物の主人である自警団長エンベルに向いた。

「君はミールの長の御子息だったな。お父上はこのことを承知しているのかね。そもそも君たち自警団はこんなことが仕事ではないだろう?」

「突然のことでご不便をお掛けして申し訳ないとは思っています。ですが問題解決のためにもご協力いただきたい」

 どんな力関係があるのか知れないが、エンベルの態度は腰の低いものだった。

「協力ならもう散々した。話した通り、私は科を受けるようなことはしていない。問題などどこにもない。そもそもそこの軍人も何なんだ。私を悪者のように扱って。いつからホールムスクでスタルゴラドの軍人が幅を利かせるようになった?」

 ヘルソンがこれまでの不満をぶつけるように語気を強めれば、

「あくまでも抜け荷、人身売買の件には関わっていないというのですね?」

 それまで取調べを行なっていたシーリスは確認するように聞いた。

「そうだ。私に罪があると言うのなら、証拠を持ってこい」

「ではこの二人はあなたが金で買ったわけではないと?」

「そうだ。使用人として雇ったのだ」

 再び話が振り出しに戻ろうとした所で、それまで沈黙を貫いていたユルスナールが口を開いた。

「使用人、とは笑わせる。こんなものを用意して」

 ユルスナールが懐から取り出したのはひしゃげた腕輪だった。白金に優美な草花が描かれ所々輝石がはめこまれていたものが歪になって柔らかな光を吸う。

 掲げられたそれを見てヘルソンは皮肉げに片頬を歪めた。

「ああ、せっかくの贈り物を。見事なものだろう? ここで腕利きの細工職人に作らせた品だ。それを気に入らないだなんて…ひどい話だ」

「そうか」

 手の内にあったそれをユルスナールは握り潰した。開いた拳からポトリと落ちた残骸をリョウは屈んで手に取った。

「何をする」

 歪になった白金を複雑な思いで見つめた。これは証拠品だ。

「これは腕輪なんかじゃなかった。自由を奪う隷属の枷。術師の術がかかっていたんです。外そうとすると付けた者に害を成すように」

 リョウが腕輪の本当の役割を明かせば、ヘルソンは小馬鹿にしたように嗤った。

「何を馬鹿なことを。嘘を言うな。現にお前たちはそれをいとも簡単に外したじゃないか。苦しんでなどいない」

 腕輪の件でもシラを切るつもりのようだ。その厚かましさにリョウは呆れた。

「術は私が解きました」

「なん…だと?」

「嘘をついているのはあなたの方だ。あの時、実際にユリムに術が効いたのを見ていたじゃないですか。それにあなたの抱えている術師が、自ら技をかけたと証言しました」

 追い詰めるように真実を突きつけてもヘルソンはリョウの言い分を無視し、周りに自分の正当性を訴えかけた。

「お前たちはこいつらの言い分を信じるのか? でたらめを言って私を貶める気だろう。そんなことをして商会が黙っていると思うか」

「我々がどちらの言い分を信じるか……それはとても簡単なことです」

 やれやれというように大きな溜息をついた後、シーリスは静かに歩み寄るとリョウの手から腕輪だったものを受け取った。

「そうでしょう、ルスラン?」

「ああ」

「なぜだ? そんな見るからに外国人、流れてきたサリドの民をどうして信じる?」

「そんなのは簡単だ」

 訳が分からないという顔をしたヘルソンにユルスナールは凄みのある笑みを浮かべた。

「貴様が連れ去ろうとしたのは…………」

 おもむろに距離を詰めると握り拳を作ってゆっくりと男の左胸に触れた。まるでそこに息づく心の臓を握り潰そうとでもするかのように。

「私の妻だ」

「………は?……」

 ヘルソンの目が驚きに見開かれた。

「……妻……だと?」

 その視線が真っ直ぐにリョウへと向かった。

「見ての通り、異邦人ではあるが、サリド人ではない。そこのユリムとは赤の他人だ。貴様は兄弟と思っていたようだがな」

 予想外のことだったのか言葉を失ったヘルソンに、シーリスが追い討ちをかけるように微笑んだ。

「あなたはスタルゴラド第七騎士団長の細君をかどわかそうとしたんですよ」

「なっ………そんな……馬鹿な。あの男は……そんなこと一度も………」

「貴様が懇意にしていたオフリートとやらは、その辺りのことを知らなかったようだな」

「配置転換でこちらに赴任してから三月あまり。残念ながら我々の知名度もまだまだということですねぇ」

「あの男に与していたならば言い逃れはできまい。見苦しい言い訳はよせ」

 ―この落とし前はきっちりと付けてもらう。

 そう言って酷薄な面に冴え冴えとした笑みを浮かべた騎士団長を前にヘルソンは力が抜けたように長椅子に背中を預けた。片手で目の辺りを覆う。

「ハハ、私もあの男に一杯食わされたというわけか。なんてこった。私の負けだ。今回は……引こう」

 その言葉にリョウはようやく肩の力を抜いたのだった。



***



「リョウ、大丈夫か?」

 ―顔色が悪い。

 証人としての役目を終え、自警団の詰所から騎士団の詰所に戻ってきた所で、ユルスナールから気遣うような声をかけられた。大きな手でそっと頬を包まれると心地良く、たちまち安心感が広がって反射的に目を閉じてしまう。そのまま逞しい身体にもたれかかれば、柔らかく抱きしめられた。優しく背を撫で下ろされてようやく小さな息を一つ吐いた。

「もう少し普通にしていられるかと思ったんですけど、思いの外緊張しちゃって。でもあれで良かったのかしら。かえってかき回したというか、言いたいことだけ言って終わったって感じになっちゃいましたけど」

 役に立てたかは分からない。苦笑に象られた口元に宥めるような口づけが一つ。

「十分だ。あれは厄介な男だ。正面からまともにぶつかっては欲しい答えをくれるような玉ではない」

「ふふ、嘘でもあんなに堂々としていられると本当っぽく聞こえてしまうから厄介ですよねぇ」

 もし、自分がユルスナールの妻でもなく、知り合いですらない、ごく普通の一般人だったら。なんの伝手も、ましてや身寄りのない状態で、今回のような事態になったら、果たして、騎士団や自警団はどちらの言い分を取るだろうか。そう考えたら怖くなった。

「だが、のらりくらりと言い逃れを続けても、動かせない証拠はある。少なくとも、もう、お前やユリムに手出しはさせない」

 見上げた瑠璃が真摯な強い光を放って、リョウは笑みを浮かべた。

「はい。ルスラン、ありがとう」

 今度は自分から首に抱きついて夫に感謝の口づけを贈れば子供のように抱き上げられた。微笑み合って軽い戯れのようなキスを繰り返した所で、リョウは思い出したように声を上げた。

「あ、そうだ、ルスラン、お腹空いたでしょう? 差し入れはブコバルに食べられちゃったから、軽くつまめるものを作りますよ。それとも食堂でヒルデさんのご飯にしますか」

 少し考える素振りを見せながらも廊下を歩くユルスナールの腹積りは決まっていたようだ。

「そうだな。ひとまず食堂に行くか」

 ―シーリスもいるだろうし、と独りごちる。

 この所の激務でユルスナールの顔にも疲労の色が滲み始めていた。精のつくものを食べて、少しでも休めるときに休んで欲しいが、頭の中は、これからの算段で一杯なのだろう。リョウ自身も今回のことで心配、迷惑をかけた先々に報告とお詫び行脚をしなくてはならない。やらなければならないことは山積みだ。気を引き締めるように小さく拳を握りしめるとそれを見たユルスナールが微妙な顔をした。

「あまり気張りすぎるなよ?」

 抱き上げたままでちょうど目線の上にあった小さな拳を大きな手がやんわりと掴む。

「はい」

 能天気に笑った妻に夫は一瞬胡乱げに片方の眉をくいとあげたが、すぐにまぁよいかと思い直したのだった。


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― 新着の感想 ―
[一言] やっとブコバルが合流ですね! 相変わらず自由な人です。野生児かな(笑) ルスランとは違った頼もしさはあるんですけどね。 リョウとルスランが一緒にいると安心しますね。 本当にハラハラしてまし…
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