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Messenger Ⅱ~空際のホールムスク~  作者: kagonosuke
第七章 それぞれの正義
56/60

2)蜥蜴の尻尾


「だからぁ、違うっつってんだろう。何度いやぁ気が済むんだ? あ?」

 心底うんざりしたと言わんばかりの声が、石壁で囲まれた狭い室内にこだました。上方に開けられた明り取りの窓からは午後の日差しが差し込み、灰色に沈んだ壁の一部をぽっかりと眩しいくらいに白く染め、その反射が室内を照らしていた。部屋の中には男が三人。いずれも体格がよく、それだけで息苦しさを覚えるほどだ。殺風景な部屋の真ん中には申し訳なさ程度に古ぼけた木のテーブルと椅子が置かれ、その一つに大柄な男がどっかりと腰を下ろして管を巻いていた。残る二人のうち、白い袖なしシャツの肩に鮮やかな海の色を映した上着をかけた男が対面に座っていた。もう一人も同じ青色の上着姿で出入り口に近い壁にもたれつつ腕を組んで立っていた。

 大柄な男は山賊の親玉のようなむさ苦しい身なりだった。伸びた茶色の髪が柔らかくうねるのをそのままに顔の下半分は髭で覆われていて、男の年齢、表情を分からなくさせていた。ただ始終気だるげな雰囲気を身にまといながらも、それを裏切るように青灰色の瞳が時折ぎらぎらと男の感情を明滅させていた。

「なぁ、向こうでも同じだろう? ええ? 俺たちゃぁ、あん中に何が入ってたかなんて知らされてねぇんだよ。単なる運び屋さ。それ以下でもそれ以上でもねぇ」

 だからお前たちの質問には答えられない。いや、そもそも答える術を持たない。男はこれまでと同じ主張を再び繰り返した。

「口裏を合わせているんじゃないのか?」

 その正面、少しでも圧迫感を避けるようにか、斜交いに身体を開いて座った男は、相手の挑発に乗るまいとしつつも苛立たし気にテーブルを己が指の腹で叩いた。

「はぁ? 合わせるも何も、別に隠すこたぁねぇさ。何度も言うけどよ。俺らは口入屋で回された仕事をしただけだ。そいつがあの荷を運ぶってことだ。買い手が誰だの、売り手が誰だのなんて知る由もねぇ。港の人足と一緒だ。あいつらだっていちいち運ぶ荷がなんだとか、誰の荷だとか、どこへ売られるやつだなんてこたぁ把握しねぇだろ。つーか、それを知りてぇんなら、こんなとこで油を売ってねぇで、直に口入屋に聞いてくれ。ま、向こうさんがぁ口を割るかどうかはあんたら腕の見せ所だろうがよ」

 最後に付け足された意趣返しのような毒と不遜な態度。これにいちいち反応を返しては相手の思うつぼと分かっているものの、こちらの神経を逆なでるのだから腹立たしい。

 髭に埋もれた中から見えたにやりとした口元に事情を聴いていた男が眦を吊り上げた矢先、

「お前が言う口入屋というのは、どこのどいつだ?」

 それまで黙っていた壁際の男が口を開いた。

「あ~、名前はぁ…なんつったかなぁ、店構えは覚えてるんだがよ」

 男はそう言って長くなった茶色の髪をわしわしとかき乱した。ついでとばかりに面白みのない石造りの天井を睨んで見せるが、そういった仕草はいちいち芝居がかってみえた。

「なんでもいい。覚えていることを話せ」

 前の男が半ばせっつくように語気を荒げれば、

「それが人にものを頼む態度かねぇ」

 憚られずに漏れたぼやきを咎めるように荒っぽくテーブルの脚が蹴られて揺れた。本来なら手が出てもおかしくない状況なのだが、単純な暴力に屈するような相手ではないというのがこの一日で分かった。こちらの脅しもなんのその、始終人を食ったようなふてぶてしい態度で、男たちが知りたい肝心な情報には辿り着かなかった。昨日より形ばかりの小休止を挟んで繰り返される取り調べという名の意味をなさないおしゃべりに日頃から図太い神経の持ち主と言われる自警団の男たちも匙を投げたい気分になっていた。ただそれすらも向こうの戦法だと思うと余計に腹が立つのだから始末に負えない。

「あ? てめぇ、自分の立場、分かってんのか? てめぇにやぁ、抜荷の容疑がかかってんだぜ?」

 男が再び取り調べの理由を口にした。昨日、港で行われた大型商船アルバストル号に関する船荷検査の際、港湾検査員から怪しい荷があるとの報告を受けて、自警団員立ち合いの下、港湾組合で差し押さえた荷を調べてみれば、そこには禁制品の武器が入っていた。先だってのティーゼンハーロム号で発覚した抜荷の件やこの所頻発していた偽造札の件はいずれも未解決なままで、その背後にある組織を辿ることすらできていなかった。ミールの号令の下、自警団の中でも摘発に向けての情報収集及び捜査に一層警戒を強めていた矢先にこの件が発覚した。

 自警団にとってはこの一件を見逃すわけにはいかなかった。これ以上ミールのお膝元で好き勝手されるわけにもいかない。犯罪に加担する組織があるのならば、何としてでもその尻尾を掴んでみせなければならない。積荷に付いていた荷札も予想通り偽装されていた。まず手始めにそれを運んできた男二人を事情聴取の目的で港湾組合に留め置いていたが、その風体が傭兵崩れのようであったので、荒事に慣れた者をということですぐさま自警団に身柄が引き渡されたのだった。

 こうして昨日から夜通し自警団の留置所で取り調べを行ってきたが、何を聞いても知らぬ存ぜぬで一向に埒が明かない。ただ向こうの言い分を鵜呑みにしておいそれと放免するには男たちの目つきや雰囲気に引っかかるものを覚えた。ただの力自慢でも単なる気弱で人の良い男でもない。様々な訳ありの輩が各地から集まる坩堝のようなこの街で数多くの荒くれ者を相手にしてきた経験から見ても、この男たちが単なる流れの運び屋には見えなかった。この男は何かを隠している。それを暴かないうちには釈放などありえない。一晩経って取り調べをする方もそろそろ突破口となる手掛かりが欲しかった。

 腰掛けた男が海の男の証でもある腕の彫り物を見せつけるようにして凄んでみたが、取り調べを受けている輩は怯むどころか、その口元に薄っすらと笑みのようなものさえ刷いた。

「それこそ、お門違いの話だ。嵌められたんだって。あ~、チクショウ、忌々しい」

 嵌められたというのなら、その相手は誰だ。背後にどんな事情が絡んでいるのか。そこをきっちり吐かせてやろうとギリと奥歯を噛み締めた所で、

「ヴォーサ」

 窘めるように壁際の相棒が仲間を呼んだ。

「話を脱線させんな」

「…ッチ」

 同僚の指摘に頭に血が上っていたことが知れて男は忌々し気に舌打ちをした。

「あ~、ちょっと待て。今、思い出すから。まだここに来て日が浅くてよぉ、この辺の地名なんかはうろ覚えなんだよ。向こうの相棒にも話を聞いてんだろ? ならあいつの方が覚えてるかも」

 ぺらぺらと良く回る口に聞いている男たちの神経が更にすり減っていく。

「御託はいいからさっさと覚えていることを話せ」

 何度目かのやりとりでようやく本題に近づいた。

「ああと、あのでけぇ川、キレンチ川ってんだっけか、川沿いの道を歩いて、鐘がある塔の手前の道を一本、中に入ったとこだ」

 そこに男が今回の仕事を回された口入屋があると言う。話を聞いていた自警団の男たちは互いに顔を見交わせると肩をすくめた。どうやら今の話では脳内で場所の特定ができなかったらしい。

「地図がいるな」

「ああ、ちょっと待て」

 そう言って壁際にいた男は一旦、部屋から出ると程なくして筒状に丸めた大きな紙を手に戻ってきた。それを粗末な机の上に開いて見せた。

 この街の地図だった。瘤のように突き出た半島をぐるりと海が囲む。唯一陸地と繋がっている場所には、余所者の侵入を阻むように険しい山が天然の要害としてそびえていた。山からは、大きな川が一本、生まれた高低差の上をのたうつ蛇のようにうねうねと曲がりながら走っていた。ヴァリャーグの末裔、誇り高き海の男マリャークが長きに渡り守ってきた土地。同じ伝統を受け継ぐ自警団の男たちにとっても自らが守るべき唯一無二の世界だ。

「ああとだな」

 地図を覗き込みながら、男が太い指を走らせる。ここに来てまだ日が浅いという新参者だ。自分がこれまで見聞きしてきた地形を平面の中に落とし込んでいるのだろうか。

「ここの場所は分かるか?」

「ああ。ここだろ」

 河口付近、港にほど近い大きな広場がある一角を男が差した。この街の中枢を担う商業組合ミールと港湾組合、自警団、騎士団の詰所が並ぶ街の中心地だ。男の薄汚れた指は、自警団の詰所を爪弾いていた。

 それくらいは分かる、馬鹿にするなと男が尊大に笑う。男の指はそのまま川沿いを上り、住人から親しみを込めて「リュクセンの鐘」と呼ばれている鐘楼のある中腹で止まった。

「たしか、この辺だ」

 人の往来の多い賑やかな表通りには面していない。そこから一本中に入った横町の路地裏にひっそりと埋もれるようにして入り口がある。看板の類はない。ややもすれば素通りしてしまいそうなほどだが、そこにそういう場所があると思って注視していれば、時折、影に紛れるように男たちが出入りしているのを見かけると言う。

「……レソトの所か」

 椅子に座った男、ヴォーサは息を吐き出すと腕組みをして顔をしかめた。

「てことは、やはりトゥーチ関連か」

 面倒なことになったと言わんばかりに同僚のセヴァートもこぼした。

「あ~、そーいや、知り合いがそんなこと言ってたか」

 険しい表情をした二人に対し、男がのんびりと言い放つ。どういうことだと視線だけで問うた相手に男が言った。

「この仕事もトゥーチ絡みだってさ」

 その言葉が出た途端、何故か自警団側の顔つきが変わった。二人は互いに緊張を孕んだ視線を合わせると浅く頷き、何らかの意見の一致をみたようだった。

「おい、札を寄越せ」

「は?」

 虚を突かれた声にヴォーサが顔を寄せた。

「口入屋から渡された札があるだろ」

「札って……依頼達成の証としてもらう木札とは…違うんか? それなら今回のやつは先に渡してあるだろ」

 昨日、早朝、積荷を船内に運び入れて、任務完了とばかりに札を交換しようと先から渡されていたものを差し出せば、受け取った船員は勿体ぶったように目を眇めて、そこから港湾組合の検査員の手に渡り、何故か事情を聞きたいと言われてここまでしょっ引かれた。おかげで代わりの札を貰い損ねている。業務完了にならなければ、今回の仕事にかかる契約の半金がもらえないのだが、あれは返してもらえるのだろうか。あの札に何らかの細工がしてあったのか。この街では荷札には通常、術師の認証が入る。専門の者が見れば違和感に気が付くかもしれないが、普通の素人―男たちにとっても―にはただの木札でしかなかった。だが、別の札だという。

「向こうの登録札だ」

「ああ、もしかして、コレか?」

 男は懐を探ると上着の内側にあるポケットから小さな円形の平たい硬貨のようなものを取り出した。ヴォーサそれをひったくるようにして取ると差し込む日光に裏、表と透かして見た。

 それは男が口入屋に出入りするようになって暫く、ある時、店主から渡されたものだった。詳しい話は聞かなかったが、その店の仕事を任すに値する人物であるという店主からのお墨付きのようなものだと勝手に理解していた。

「へぇ~、噂には聞いていたが、こいつがそうか」

 ヴォーサはそう言って金属片を相方セヴァートに渡した。

「あ? んな御大層なもんかよ。ただの玩具みてぇなもんだろ」

 硬貨にすらならない、ただのくず鉄みたいなものだ。そう言い放った男にセヴァートは半ば呆れたような顔をした。

「無知とは恐ろしいな。よく能天気なことが言える」

「なんだよ、知ってんなら教えろよ。そいつはなんだ? ただの登録札じゃぁねぇのか?」

 だが、セヴァートはその問いに答えず、別のことを訊いた。

「お前、この街に来てどのくらいになる?」

「あ? ざっと三月(みつき)ってぇとこだな」

「向こうの奴は?」

 別室で事情聴取を受けている相棒のことを訊かれて。

「あいつも流れてきたって口だが、詳しくは知らねぇ」

 それでも自分と似たり寄ったりの所だろうと肩をすくめた。

「そうか。ならば向こうで聞いた方が早いな」

 セヴァートの言にヴォーサが椅子から立ち上がった。

「あ?」

 突然の変化に男は面食らった。

「事情が変わった」

 青い上着の男たちは示し合わせたように頷き、ヴォーサが先に取調室を出た。

「場所を移す」

「ええ~、つーか、腹減ったんだけど。なんか食いもんくれ。なぁ、今度はどこへ行くってんだよ」

 文句たらたらな男の愚痴をセヴァートは取り合わなかった。いちいち相手にするのも面倒だ。返事をすればまた男のペースに飲まれて話が進まなくなるのは昨日からのやりとりでよく分かった。これ以上無駄な時間を過ごしたくはない。

 ついてこいという風に顎をしゃくる。

「このまま解放してくれんじゃねぇのかよ?」

 のっそりと立ち上がった男をセヴァートは挑発するように見返した。口元には不適な笑みが浮かんだ。

「それは貴様次第だな。持っている情報を全て寄越せ。そうしたら解放に近ずくだろう。ま、こちらとしては別にこのまま貴様がここに留め置かれようが知ったこっちゃない。相棒共々豚箱に放り込んでやろうか」

「いけすかねぇ」

 睨みあうこと暫し、滔々と流れる脅しの―いや半分本音混じりの台詞に白旗をあげたのは男の方だった。

「わぁーったよ」

 男が観念したようにいう。形勢逆転にセヴァートの口元に浮かんだ笑みが深みを増した。


***


 促されるまま自警団の留置所兼取調べ室がある区画から出て、先を行く青い上着を目で追いながら廊下を進む。

「てか、ホント腹減ってんだけど。なんか食わせてくれよ〜」

 昨日からまともに食べていなかった。懐に忍ばせていた干し肉の切れ端をしゃぶったくらいだ。ブコバルは情けない声を出したが、移動中前後を挟む自警団の男たちは見向きもしない。先ほど同じように別室で取り調べを受けていた相棒ロッソが合流し、背後から諦めろというように朋輩の肩を叩いた。

 昨日、身に覚えのない容疑で捕われてから己の不運を呪ってみたが、こういうことも含めての報酬であったかと今ならば合点が行く。ヤバイ仕事だという割に順調に進んだことをもっと警戒すべきだったのかもしれないが、こうして罠に落ちてしまった以上過去のことをとやかく言ってもしかたがない。目下のところは、いかにしてここを出るかだ。手持ちの情報を相手に高く見せて身の潔白を示せるか。手っ取り早いのは騎士団員であることを告げることだ。それを向こうが信じるかどうかは別だが、第七の連中に繋ぎを取って証明してもらえば、抜荷の容疑はすぐ晴れるだろう。ただそうなったら今後同じような潜入調査はできなくなる。いや、それでも構わないのか。口入屋の方は捨て駒となった者など見向きもしまい。いや、きっと早々に仕事の失敗がばれて、別口で雇った刺客が口封じに動き出すだろう。ここは騎士団はもとより、自警団のやつらも巻き込んで、あちらさんに相応の礼を返す方がよい。ざっと頭の中で算段を付けた所で、さぁてどうしたもんかと思考を巡らせる。ただ幸運の女神リュークスはブコバルたちを見放さなかったようだ。

 半地下から階を上がり、角を一つ曲がって出入り口が見えるホールを抜けたところで思いがけない顔を見つけた。相変わらず警戒心の欠片もない能天気な様子でしかも手に何やら大ぶりの籠のようなものを抱えてこちらに向かってくる。髭に埋もれた口が笑みに象られた。飢えた獣が獲物を逃すまいとするように次の行動は素早かった。

 ちょうど男たちは二階へと上がるようだ。知り合いはこちらに気が付かない。同じように何食わぬ顔で階段を上がり、脇をすり抜けようとした小柄な体を掠め取った。

「いいとこに」

 猛獣が獲物の喉笛に噛みつくがごとく、伸ばした腕を腰に巻きつけ、そのまま小さな体を懐に引き入れた。空気が揺らいで籠の中から漏れ出た肉汁の匂いが空きっ腹を刺激する。食いもんだ。これは良いところに出くわしたとブコバルは笑みを深めた。

「……!?…」

 ひゅっと息を飲んで突然のことに驚きすぎて固まった阿呆面にうっそりと微笑みを返し、抵抗の隙を与える前に、緩く束ねられた黒髪が縁どる己とは違う色合いの青い貴石が輝く耳朶に囁きを吹き込んだ。

「つらぁ貸せ」

「…ブ…コバ…ル?」

 階段の途中、幼子のように腰を掬われほとんど攫われるような形で強制的に動きを封じられたリョウは、反射的に抗議の声を上げようとして、妙にぎらつく光を帯びた青灰色の瞳に気が付いた。至近距離に記憶の中にあるよりも一段とむさ苦しさが増した知り合いの顔が舌なめずりをしていた。騎士団の詰所ならまだしも、自警団の事務所で鉢合うとは思わなかったので驚いた。自由が利かないながらもどうにか身を捩れば、茶色い髪がうねる肩の向こうにこれまたいつもより五割増しは粗削りになったロッソもいて警戒が緩む。普通に声をかければよいものを。一体なんだというのか。口を開こうとした矢先、片腕でぐっと腰を持ち上げられ、浮いて高くなった視界に般若のように目を吊り上げた知り合い―セヴァートの顔が見えて、更に目を瞬かせた。

 リョウは咄嗟に辺りを見渡した。一緒に来たはずのユリムと付き添いの第七の兵士・アッカの姿に合図を送る。ユリムはすぐさまこちらに駆けようとして、アッカに制止されていた。ここには大事な用事があってきたのだが、どうやら先にこちらを片付けないといけないようだ。

 ブコバルはリョウを抱えたまま何事もなかったかのように階段を登り切り、すぐ前の青い上着を追い、そのままわらわらととある一室に連れ込まれた。

 扉が閉まるや否や、

「おい、貴様、何をしている!」

 耳元でぐわんと響いた怒声にリョウは肩を竦めた。

「人質を取ろうってのか、卑怯な真似はするな。その子を放せ!」

 青い上着の袖が、土埃でくすんだブコバルの腕を掴んだ。この時、リョウの身体ほとんど足がつかないくらいに抱きこまれていて、セヴァートとの間に挟まれた。同じく異変を感じ取ったヴォーサが開いた隙間から剥き出しの太い腕を伸ばしてリョウの腕を掴み、青い上着の方へ引っ張ろうとする。右から左から急に押し合い圧し合いの中で揉みくちゃにされ、必死で腕に抱えた籠を落とすまいとした。この中には朝から忙しく働いているユルスナールへの差し入れが入っていたからだ。

「ちょ…わ、まっ………」

 ヴォーサに引っ張られて、浮いたまま上体が傾ぐが、下半身はブコバルの腕がしっかりと腰にはまりそれ以上はびくともしない。一体、なんなのだ。

「バカヤロウ、関係ねぇやつを巻き込むな!」

「いやいや十分関係者だから、問題ねぇ、な?」

 グッと腰に回った腕が更に締まって息が詰まった。思わず目を瞑って反応を返せないでいると、男たちがやっと異変に気付いてくれた。

「おい、リョウ? どうした?」

「……ぐ…るぅ…しい……」

「ああ、わりぃわりぃ」

 全く悪びれる素振りもなくブコバルがリョウを下ろした。足が床に着いたことでホッと息を吐き出すが、何故か太い腕は枷のように腰に回されたままで逃す気はないようだ。

「こいつが証人だ」

 ―俺たちの疑いを晴らしてくれ。

 文句を言う前に訳が分からないことを囁かれてリョウは面食らった。

「あれ…先生? まさか…知り合いなんか?」

 セヴァートがようやくリョウに気付いた。

「馬鹿言うな。脅してんじゃねぇだろな?」

 不信感をあらわにして自警団員の二人がブコバルの前に立ちはだかる。そしてまた頭上で始まりそうな睨み合いに、こんがらがったままの空気をどうにかしなくてはと手にした籠を上に持ち上げメンチを切り合う視界を塞いだ。

「ちょっと待って。ひとまず状況を把握させてください!」



 驚いたことにブコバルとロッソは昨日リョウたちが捕まっていた船・アルバストル号向けの荷を運ぶ途中で拘束されたという。二人の嫌疑は抜荷だという。着任からずっと二人が通常とは違う任務に就いていることは聞かされていたが、それが具体的にどんなことまでかは知らなかった。ただ随分危ない橋を渡っていたようだ。

「この二人の身元はわたしが証明します。二人とも第七の兵士です」

 自警団の二人はどこか胡乱気な顔をしてブコバル、ロッソとリョウの顔を見比べた。信じてもらえないのだろうか。シーリスの教育の賜物か、常日頃からこざっぱりと身綺麗にしている第七の兵士たちと見るからにむさ苦しい傭兵崩れもいいところの二人が同じ仲間だと思えないらしい。

「や、別に先生を信じてねぇわけじゃねぇぜ?」

 ヴォーサが身体を引いた隣で、

「でもよぉ」

 セヴァートが言葉を濁した。二人の言いたいことは分かる。

「わたしの言葉では不足だというのなら、エンベルさんに連絡してください。今日は朝から騎士団長がこちらを訪れていて、恐らく一緒に居るでしょうから」

「あ? ルスランがここにいんのか?」

 ブコバルの声に喜色が混じった。本来、潜入捜査で身分を偽っているのなら、バレない方がよいにこしたことはないのだろうが、ブコバルが助けろと言ってきたのだ。ユルスナールとシーリスの顔が脳裏にちらついたが、その後の面倒はブコバルに見てもらおうと考えることを放棄した。

 リョウが手に持っていた籠は早々にブコバルに奪われ、中に入っていた軽食(サンドイッチや果物)もその胃袋の中に消えてしまった。水筒のお茶もすっかり飲まれてしまったが、ブコバルが独り占めすることなくロッソにも分け与えていたので、目を瞑ることにした。

「てか、お前は何の用だ?」

 ―こんなところに。

 小腹が満たされてようやく落ち着いたのか、本当に今更のことを聞かれて脱力した。

「ルスランに差入れを持ってきたんですけど、わたしもここに証人として呼ばれているんです」

「証人?」

 ブコバルの眉が片方跳ね上がった。そちらも大変だったのかもしれないが、こちらも難儀したのだ。ここ数日の出来事をどうやって手短に話そうかと考えていると、

「ああ、やはりこちらでしたか」

 後方のドアにどこか急いたようなノックの音がして青い上着の自警団員が入ってきた。

「失礼、面通しをお願いしたいと団長がお呼びですが、よろしいか?」

 その後ろからユリムの姿が見えて、目が合うと真っすぐこちらに飛んで来た。

「リョウ、大事ないか? 胡乱な輩に攫われたかと思ったぞ」

 肩を掴まれさすられて真剣な面持ちに心配をかけたかと苦笑する。仕方がない、昨日の今日だ。ユリムはずっと外に出ていたブコバルたちとは面識がないのだ。

「大丈夫。ごめんね、びっくりさせちゃって」

 側に付き添いでアッカがいたから話は聞いているとは思う。

「いや、無事ならばよい」

「おうおう、随分懐かれてんじゃねぇか」

 親密な二人の様子に“胡乱な輩”が早速茶々を入れた。ユリムはニヤニヤとしたブコバルに視線を鋭くしたが、それ以上は取り合わなかった。

「リョウ、向こうで話を聞くと言っている」

「あ、そうでした」

 自警団の詰所では昨日捕らえられたアルバストル号の船長及びリョウとユリムを買った商人の取調べが行われているという。人身売買、人攫いの件で騎士団も調査協力を行なっていたので騎士団からも立会人が出て、合同で事情聴取を行う手筈になっていた。ユリムとリョウはその証拠品、当事者として話をすることになっていた。ユルスナール自らこちらに乗り込んでいるのだ。その意気込みは鬼気迫るものだった。こんなところで油を売っている暇はない。もたもたしているとまたユルスナールに心配をかけてしまう。

「セヴァートさん、ヴォーサさん、この二人の件は一旦こちらで預からせてもらってもいいですか? これからエンベルさんや騎士団長と合流するので話はそこで」

 自警団の二人は顔を見交わせてから頷いた。


 呼びに来た自警団員ハロムの先導で、再びぞろぞろと今度は大所帯で別室へと向かう。案内された部屋は団長室だった。大きな執務机の前にある広いテーブルを囲むようにして立つ複数の男たちの背中が見えた。青い上着は自警団長エンベルと配下の者、そして柿渋色の隊服は騎士団長ユルスナールだ。ここでもピリピリと緊張を孕んだ空気が満ちていた。テーブルの上には大きな地図と報告書の類だろうか、書類が乱雑に散っていた。

「団長、お連れしました」

 自警団員の報告に男たちが振り返る。予定よりも多い人数に自警団長エンベルの視線が鋭くなれば、事情を伝えようとセヴァートが報告に寄った。予定外の闖入者の顔触れを見た騎士団長は何かを察したようで、落胆にも似た溜息をついたが、すぐに表情を引き締めた。

「胡乱な輩に攫われたと聞いたが?」

 不機嫌さを隠さずにユルスナールが言い放った。

「わりぃ、はめられちまった」

「申し訳ございません、団長」

 ブコバルは相変わらず呑気にぼんのくぼの辺りをがしがしとかき、片やロッソは直立不動で己が上司に謝罪した。緊迫した空気を取りなすようにリョウが間に入った。

「ルスラン、二人も昨日は大変だったみたいなの。同じ船で仕事をしていて。抜荷の嫌疑がかかってるらしくて。任務に関係することだと思うから一緒にきてもらったんです」

 リョウはユルスナールの側まで行くと差し出された腕の中に飛び込んだ。抱き締められてそっと抱き締め返す。

「ごめんなさい。遅くなってしまって」

 心配をかけたことを囁くようにして詫びれば、額際に軽いキスが落ちた。

「無事でよかった。昨日の今日だからな。あの男の配下が手を回したかと肝を冷やした」

 軽い冗談めいた口ぶりだったが、そこには少なからず本心が隠れていただろう。

「シビリークス、ではこの二人はお前の部下で間違いないのか」

 事の経緯をセヴァートから耳打ちされたエンベルが確認を求めれば、ユルスナールが請け合った。

「ああ。市中に潜らせていた」

「そうか。ではその二人は釈放しよう。ただし」

「ああ。分かっている。情報は共有しよう」

 ブコバルとロッソへの嫌疑は一旦取り下げられた形となった。

「で、こっちではどうなってんだ? 俺たちの仕事絡みの話をするか?」

 ブコバルはテーブルの周りに置かれていたソファの一つにどっかと腰を下ろした。

「いや、抜荷の件は後だ。先に片を付ける件がある」

 武器の密輸よりも緊急性の高い案件とはなんだろうかとブコバルが片方の眉毛をくいと上げれば、ユルスナールが凄みのある笑みを浮かべた。

「人攫いの件だ。危うく妻を外国へ攫われるところだった」

 一瞬、訳が分からないと言う風に目を眇めたブコバルはいまだユルスナールの腕の中にいるリョウを半眼に流し見た。

「おい、リョウ、まさか、おめぇ売られたなんてこたぁ…ねぇだろうなぁ」

 呆れとも驚きとも取れる青灰色の瞳に見つめられてリョウは罰が悪そうに視線を彷徨わせた。

「……面目次第もございません」

「マジかよ。つーか、攫われてんのはガキばっかりって言ってたじゃねぇか。おめぇそこに引っかかんのかよ」

 二年前、初めて会った時は散々坊主扱いしていた癖にそんなことを言う。それはブコバルにとってリョウは今や普通の女に見えているということなのか。それともこんな年増女が子供に間違われたことが信じられないとでも言いたいのか。

 内心のもやもやには蓋をして。

「………事情がありまして…サリド人の少年に間違われたんです」

 仕方なく真実を口にすれば、

「リョウを責めるな」

 咎める声がしてアッカの隣にいたユリムが三人の方へやってきた。庇うようにリョウとブコバルの間に立つ。ユリムはブコバルを不信感たっぷりに見下ろした。

「あ? おうおうおっかねぇ顔して。なんでぇ、さっきからやけに突っかかるじゃねぇか。おめぇはリョウの子分かよ」

 面倒くさそうにぼやいて二人の顔を順繰りに見る。

「貴様…」

 口を開きかけたユリムをリョウが腕をそっと掴むことで制した。ブコバルにいちいち突っかかっていては時間の無駄だ。ここ十日(デシャータク)余りでユリムの喧嘩っ早さは身に染みた。余計に事態がややこしくなる。

「ああ、でもそうしてっと、兄弟みてぇに見えなくもねぇか。お前らあれか、二個一でさばかれたんか。暇を持て余したどっかの金持ち変態好事家あたりに」

 見てきたようなことを言う。こういう時ブコバルの生来の勘の鋭さが恨めしい。にやにやと下卑た笑みを浮かべたブコバルにリョウは開き直った。

「そうですよ。羽振りの良いノヴグラードの商人で……多分、男色家です」

 そう白状すれば、腰に回されたユルスナールの手に力が入った。

「ブコバル、いい加減にしろ」

 ユルスナールが底冷えするような声を出した。その後、エンベルを一瞥してから言葉を継いだ。

「問題はミールの中で裏で人身売買に手を染めている者がいることだ。今回はそのルートを炙り出し……潰す」

 商人への事情聴取は別室で続いているようだ。

「ハハ、おもしれぇ。滅茶苦茶私情挟みまくりじゃねぇか」

「ふん、妻を攫った男の顔ぐらい拝んでおかねばな」

 ブコバルとユルスナールの顔つきが好戦的なものに変わった。似たもの同士とも思える二人の様子を目の当たりにして自警団長エンベルはどっぷりと疲れたようなため息を吐いた。

「シビリークス、先ほども話したが、取り調べはうち主導で行う」

 余計な口出しはするなとばかりに釘を刺す。

「ああ、無論。邪魔だてはするつもりはない」

 白々しい台詞に取ってつけたような笑みを浮かべた騎士団長をエンベルは胡乱気に見た。


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