10)酒場の夜
「よぉ、新入り。どうでぇ、調子は?」
「まぁ、ぼちぼちってとこか」
新しくやってきた客に気付くなりカウンター脇に落ち着ていた男が手にしていたグラスを傾けた。赤黒く焼けた肌に苦み走った笑みを浮かべた男はちょうど盛りを過ぎた頃だろうか。若さは少し遠のいたが、これまでの経験が自信の鎧となって胸から肩を覆っていた。
「来いよ。そっちの片割れも」
二人連れの客を男は鷹揚な態度で自分の所に呼んだ。懐が潤って機嫌がよいのだろうか。知らない顔ではない。誘われて否なはない。
「なんだ、奢りか?」
席に着くなり出てきたグラスには琥珀色の液体が踊っていた。鼻先を掠める香しい酒の香りに無精髭に囲まれた口元が笑みを象る。
「景気づけにな」
「おう、太っ腹じゃねぇか」
「ばっか、最初の一杯だけだ。おまんに付き合ってたら、飲み代ですっからかんになっちまう」
「ちぇ、けちくせぇ」
「そっくりそのまま返すぜ。人のお足でおまんま食おうなんざ百年はえぇ」
「しゃぁねぇなぁ」
気の置けない感じで軽口を叩きながら二人の男は席に着く。テーブルのグラスを小さく前に掲げ、
「お疲れさん」
男の音頭で小さく打ち鳴らされた。
「かぁ~、染み渡る」
美味そうに目を細めた男に、奢った男は満更でもないように笑った。
「うまい」
それまで口を開かなかったもう一人がぽつりと漏らした呟きに男が笑みを深くした。
「だろ。心して飲めよ。こいつはとっておきのがんだ」
無骨な手がテーブルの上に置かれた瓶を大事そうに撫でた。その手つきはまるで馴染みの女の肌を愛しむようでもあった。美味い酒を出すとこの界隈で知られたこの店でも中々お目にかかれない極上の一本だった。
やはり良いことがあったに違いない。実入りの良い仕事にありつけ報酬を貰ったのだろう。その祝杯を独りで上げるには寂しかったのか。良いところに出くわしたのかもしれない。
「ありがてぇ」
「ツイてるな」
二人の男たちは目を見交わせると口の端を上げた。
この酒場に集まる男たちはその多くが他所から流れてきた輩だ。その日暮らしの傭兵家業。用心棒が多いだろうか。腰には愛用の得物がぶら下がる。誰にも仕えず、縛られることなく自由気まま、金がなくなったら働いて、己が腕一本を頼みに渡り歩く。
ここは商いの街だ。国内外を問わず様々な地域との交易で栄えてきた。ホールムスクに来ればなんでも手に入ると言われていた。物が集まれば人も集う。この街には絶えず方々から、一獲千金を夢見て…という訳にはいかないが、一旗揚げようと男たちが流入する。国も習慣も話す言葉も違えば、頼りになるのは商品を見極める目、危険を嗅ぎ分ける鼻、そして何より金がモノを言う。
この酒場に集う三人もそういった連中だった。後から来た二人はここに来てまだ日が浅い。そういうのはすぐに分かる。匂いが違うのだ。二人が初めてこの酒場に来た時、その身体からは森を抜ける風の匂いがした。長い旅路だったのか見てくれはお世辞にも小ざっぱりとは言い難いものだったが、それでもここにいて潮の匂いを身体中に染み込ませた常連客とは違うものだった。寡黙な奴と見るからに図太そうな男。二人はどうやら相棒で、長いこと組んで仕事をしているようだ。どこにでもいるような風体だ。この二人はどの程度ここでやっていけるだろうか。最初は新参者を品定めするような心持ちで新顔に声をかけた。ほんの気まぐれだ。ここでの基本的なやり方を教えてやる代わりに新しい外の情報を得る。ホールムスクに留まっていてもやり方さえ間違えなければ世界中の情報を集められた。そのためにはそれなりの伝手が必要だが、そういう点でこの酒場は役立った。
「こんな上等の酒をポンと出すくれえだ。相当でかい仕事だったのかよ」
無精髭の探るような問いかけに男は薄く笑みを吐いただけだった。
「まぁ、似たようなもんだ」
「はぁ~景気がいいやつは言うことが違うねぇ。余裕じゃねぇか」
ツマミとして頼んだ小さな肉詰めのパイをひょいと口の中に入れて、指についた脂をぺろりと舐める。その青灰色の目が抜け目ないことを男は感じ取っていた。
「お前たちだって中々、随分と上手く立ち回っているようじゃねぇか」
最初はどうなるかと思ったが、この二人は程なくして水を得た魚のように伸び伸びと泳ぎ始めた。
―見所のある奴らがいる。二人組で腕も立つし、何より肝が据わっている。
仲介人や口入れ屋からはそんな噂話を耳にするようになった。仕事の依頼人の評判はその界隈で瞬く間に広がる。危ない橋を渡る連中ほど雇い人の人となりを重視する。この二人は着実にここに馴染み始めていた。
「ハハ、あんたの足下にゃぁ及ばねぇよ」
それでも無精髭は相手を立てるようなことを言った。押し出しの強い外見に反してこの男は世慣れていて、相手を喜ばす術を知っている。
そう言われて男も悪い気はしない。ついと伸びた手が上等な酒を空いたグラスに注いでやる。
「そういや、トゥーチから依頼を受けたんだって?」
口入れ屋に持ち込まれる仕事はそれこそ多岐に渡るが、中でも厄介だと言われているのがトゥーチからの依頼だった。報酬は良い。だがその分危険は跳ね上がる。仕事内容を当事者以外に明かすことも禁じられていた。うっかり口を滑らせようものならば文字通り首が飛ぶ。凄腕の殺し屋がその背後にいるからだと言われていた。突然姿を消した者も少なからずいた。依頼人はただ腕が立つだけでなく、口が固く信頼出来る者を選んでいる。それだけ動くブツがヤバいというのがもっぱらの噂だった。
ひょいと何気なく挟まれた符丁に男の真意を探ろうとしてか、相棒と小さく目を見交わしてから無精髭は曖昧に頷いた。
「じゃぁ現場で会うかもな」
「……あんたも受けたんか」
「ああ」
「その口ぶりじゃぁ初めてって訳でもねぇのか」
「そうだな。お前らみてぇなひよっこじゃぁねぇからな」
伊達に歳は食ってねぇと男らしい笑みを見せた。
「仕事はいつも同じなのか?」
「その時々によってばらつきはあるが、まぁ、基本やるこたぁ一緒だ」
積荷が無事目的地まで運ばれるまでの用心棒というやつだ。馬車や荷車の護衛もあるし、桟橋で船への積み込みが終わるのを無事見届けるというのもある。その辺りは臨機応変に対応する。敵が多い依頼人の場合、途中で品物を強奪しようとする一団に出くわすこともあった。そういう時は遠慮なく相手を斬り伏せ、荷を守る。戦闘になることも珍しくはなかった。その中で生命を落とした者、その時の怪我が元で仕事を続けられなかった者もいた。
珍しく突っ込んで仕事の話をする無精髭に男はからかうような目を向けた。
「なんだ、怖気付いたんか。それなら辞めとけ。一瞬でも迷うんだったら止した方がいい。そんな中途半端な気でいたんじゃぁ、命を落とすぞ」
皿に乗った煎り豆を無造作に掴んで口に放り込む。頬に薄っすらと残る刃傷痕が咀嚼に合わせて歪んだ。
「あ? そんなんじゃねぇよ」
どっかと背もたれに身体を預けた無精髭の隣で、上等な酒のふくよかな旨味の余韻を楽しむようにグラスをゆっくり手にした相棒が上体を前に傾けた。
「報酬の額がこれまでとは違ったからな。少し気になっただけだ」
「そりゃぁそうだろうよ。動かすブツがちげぇ」
男の声が更に低くなった。
賑わいを見せ始めた酒場は仕事終わりに一杯引っ掛けようと集まる男たちで混み合ってきた。大きな身体の男たちがひしめくそう広くはない店内、周りは酒も入って時折大きな声を出しながら気分良く飯を食っている。橙色の発光石の明かりが鈍く照らす影で鼻を寄せ合う三人に注視する者はいない。
「モノが何かは知らされるのか?」
「そいつぁきかねぇ約束だ」
―命が惜しけりゃな。
更に低くなった相方の問いかけに、男は片頬を歪めた。
「そうか」
「普通の護衛や見張りならいいんだがよぉ。途中、中身が腐ったとか言って罰金とかにゃぁならねぇよな」
炙った骨つき肉の塊に無精髭がかぶりつく。香ばしい肉の脂が髭に垂れるのもそのままに咀嚼をする。
「荷を扱うのは別のやつらだ。外から雇った用心棒なんぞにでぇじながんを預けたりはしねえだろ」
「それもそうか」
そこでその話は終いとなった。
「この後はどうすんだ? 相手が要るんならツテがねぇわけじゃぁねえし」
良い店があるから紹介してやると男の目に好色の炎がちらついた。
「あ? 下の方まであんた世話んなるなぁ勘弁してくれ」
すぐに食いついてくるかと思いきや無精髭は気だるそうに片手を振った。ただその口元は先ほどよりもだらしなく下がっているように見えた。
「おめぇさんはどうだ? 今ならいい娘がそろってるぜ。ここは他所と違っていろんな女がいる」
矛先を変えた男に寡黙な相棒も苦笑いした。
「いや、今回はやめておく。懐が寂しいもんでな」
「あんたの紹介なんて、どえらい店に連れてかれんのがオチだろ。俺たちにゃぁ敷居が高いってもんだ」
素直に頷いてホイホイついていったならば最後、身ぐるみ剥がされて素寒貧にされちまう。そう戯けた無精髭に男は笑った。
「ハハ、まぁ無理には言わねぇ。どこもとびきりの別嬪ぞろいじゃぁあるが」
「まぁ、今度の仕事が上手く行ったら…だな」
お楽しみにはまず先立つものが要る。
「そうそ、それを励みにな。いっちょやるとすっかぁ」
潮時だったのか、皿が空になったところで二人の男たちはおもむろに席を立った。
「ごっそさん」
カウンターの奥に居る店主に代金を払うと無精髭は独りまだ居座るつもりの男を振り返った。男は手酌でグラスに並々と注いでいた。まだまだ楽しむつもりらしい。
「じゃぁな」
無精髭の掛け声に男は無言でグラスを持ち上げた。
店を出ると生温い夜風が頬を撫でて行った。似たような飲み屋や酒場が点々と明かりを灯す裏通りの細い路地を抜けて、川沿いへ出る小道に入る。この近辺は人工的な水路が張り巡らされて水運の一端を担っていた。石で周りを固められた運河にはとっぷりと日が暮れたこの時も角灯をぶら下げた小舟が数艘、静かに流れに乗っていた。船縁を小さく照らす角灯の明かりは残像を描いて川面をゆっくりと飛んでいくようにも見えた。
「大した収穫はなかったな」
隣を付かず離れず歩く相棒の声に、
「ああ、中々期待通りにはいかねぇな。ったくあのオヤジ、やっぱ口がかてぇ」
ブコバルは気だるそうにがしがしと頭をかいた。伸ばすに任せた髪は柔らかく風をはらみ、地肌の熱を逃がして行く。
「次のヤマ、当たりだと思うか?」
「正直分かんねぇ」
探るような吐息にブコバルは相棒の顔をちらと見た。ここに着いたばかりの時は小綺麗でこざっぱりとしていたロッソの顔も、最後に髭をあたったのはいつのことか、荒んだ傭兵のごとくむさ苦しくなっていた。ブコバルとロッソが騎士団員の身元を隠し、この街の暗部を探って二月余り、口入れ屋に出入りして顔を覚えてもらうところから始めてしばらく、今では護衛や用心棒の仕事を多く振られるようになっていた。
この街は商業組合ミールが幅を利かせているが、それは表向きの話。そこに属さない勢力は独自の裏社会を形成し、今では表と裏、互いに入り混じりながら、時に馴れ合い、時に反発を繰り返していた。二人が潜り込んでいるのはこの裏の世界だった。
リョウが拐われたと聞いたのは昨日のことだ。知らせは間接的に騎士団からもたらされた。始めは何かの冗談かと思ったが、サリド人の青年と共に姿を消したと聞かされて、そちら方面のごたごたを引き当てたのかと納得した。
あれはそもそも人買いの所から逃げてきた若者だった。ここにいて外を出歩いている以上、消えた商品を取り戻そうとする勢力に出くわすとも限らない。リョウのことだ、頭では分かったつもりでいても、自由を得たことにすっかり気を緩めていたのだろう。あれは基本お人好しで、人間を甘く見ている。世の中には欲に目が眩んだ輩や極悪非道のやつらなんてどこにでもいる。人の痛みを好物とするやつら、目的の為には手段を選ばないやつら、他人は自分の出世の為の踏み台くらいにしか考えていないやつら、あげればキリがない。そんなやつらに自分と同じような良心をほんの欠片でも求めるのは愚かなことだ。その辺りのことを根っからの善良者であるリョウは理解できないのだ。
市場近くの露店で手軽につまめる物を買って食べていたところで、なにやら見たことがあるような真っ黒の毛玉が近づいてくると思ったら、騎士団所属の軍用犬イフィだった。
この近辺をうろついている野良犬のように鼻をひくつかせて、こちらを刺激しないように媚びへつらい下手な愛想を尻尾に乗せて近づいてくる。そうするように言われたのかもしれないが上手いものだ。少し離れた路地裏の影に見知った隊服を着た鷹匠キリルの顔が見えた。
イフィは長い毛に埋もれるようにして首輪に小さな筒を付けていた。おこぼれをもらおうと寄ってきた犬を可愛がる体で、黒い毛を撫で回しながら筒から小さく丸められた書付を取り出しさりげなく懐に入れた。それを見届けてキリルが背を向ける。その後を追うようにイフィも姿を消した。リョウであればこの賢い軍用犬がどんな用事でなにを託したのか、話をすれば分かるのだろうが、ブコバルは生憎素養持ちではない。ただ繋ぎに現れたキリルの介在にブコバルの本能が異変を感じ取った。
昼飯を調達しに奥の露店を見に行ったロッソの姿が現れると、間に香辛料の効いた肉と柔らかな青菜を挟んだパンの食べかけを手に素早く立ち上がる。ブコバルの鋭さを帯びた顔つきに何か起きたと悟ったのだろう。ロッソは何も言わずにその隣に並んだ。人気がなくなったところで、ブコバルは懐から丸まった紙を取り出した。周囲に人がいないことを確認し、そっと中を開く。
―宿屋で人を待て。
中には兵士たちが使う暗号文でそう簡潔に記されていた。
二人はそのまま定宿として利用している粗末な一室に戻った。
狭い入り口を入ってすぐ、椅子に座って船を漕いでいる宿屋の番頭の脇を抜け、軋む階段を登り寝台が二つあるだけの狭い部屋に戻れば、海側を向いた窓枠にもたれ掛けるようにして男が独り佇んでいた。開け放たれた窓からは潮の香りを含んだ風が流れ込んでくる。頭部全体を覆うようにくすんだ生成り色の大きな布を巻いているが、顔の右半分は長い髪で覆われていた。晒された左半分には色素の薄い黄緑色の瞳が覗く。
ブコバルの姿を認めるとその目がうっそりと細められた。
「よぉ」
掠れた草笛のような声が耳元に届く。
「ルーク」
知らない顔ではなかった。ただこの男は第七に所属する兵士ではない。この男こそ、影から影、闇から闇を渡り歩く輩だ。
そしてこの男がわざわざ接触して来た意味を思うと、
「うわ、めんどくせぇ」
ブコバルの口からは思わずぼやきが漏れていた。ブコバルは軋む床板を踏みしめて数歩、寝台の一つに腰を下ろした。
「知り合いか?」
ロッソは初めてだったのか、戸口付近で警戒を解かずに相手の気配を探っている。
「ああ。あれ、会ってなかったか。確かスフミで。てか、キリルの親父だよ」
ブコバルは先程イフィのお目付役で見かけた若い兵士の顔を思い出した。同じ明るい髪色に顔立ちもどことなく似ているような気がするが、その雰囲気はまるで違う。こちらは得体の知れない暗器のようだ。
「ああ、そういや、いたなぁ、あん時」
二年ほど前の収穫祭の時のことを思い出してか、怪訝そうな顔をするロッソに代わり、ルークが答えた。
仲間の名前を出されて、ロッソは剣の柄を握る右手を緩め体を開いた。そして静かに歩を進めるともう片方の寝台の端に浅く腰掛けた。
「あんたが来たっつぅことは相当厄介なことか」
「んな、警戒すんなや。お前さんとこの大将から言伝を頼まれてな」
「ルスランが?」
ユルスナールの名が出てロッソが体を傾けた。
「どうもあんたんとこの姫さんが人買いの手に陥ちたらしくてな」
のんびりとした声で告げられた思いがけない言葉にブコバルは一瞬虚を突かれ、それからゆっくりと天を仰いだ。
「……マジかよ」
絞り出された息に苦いものが混じる。
「……リョウが?」
ロッソの片眉が驚きに上がる。
「ああ、ツレが飛んで確かめて来たから間違いねぇ。王都からのやつも一緒んなって騒いで、もううるせぇのなんの。ったく、あのお転婆が絡むとホント碌なことにならねぇぜ」
窓枠に片肘をついたままルークは心底面倒くさそうに言い放った。
今は大事な時期だ。どこにどんな目があるか分からない。騎士団と通じていることが明るみになればたちまちここの潜入は難しくなる為、目立った接触は出来ない。ルークにとってはツイていないことになるのだろうが、こちらにとっては運が良かったと言えるだろう。ただ後でたっぷりと対価をとられるだろうが。
ユルスナールはこの報せをどんな気分で聞いただろうか。今頃は眉間に深い皺を刻んでぴりぴりとしているのではなかろうか。力になってやりたいのは山々だが、こちらも身動きが取れるかは分からない。
「で、俺たちにリョウの行方を探せってことか?」
「んにゃ。お前さんたちにはそっちの仕事があるんだろ? そっちを優先しろってのが大将の言だ。で、もしそっちの取引にそれらしい話が絡んでるんならすぐに知らせてくれっつうことだ」
ユルスナールも苦渋の決断をしたということか。それとも、二人が関係する依頼を引き当てることを狙っているのか。
「居所は…知れてるのか?」
じっと考え込んでいたロッソが口を開いた。
「今んところはな。ただ留め置かれてんのはどうやら倉庫みてぇなとこで、いづれ積荷として出されるってよ」
ルークのツレ、白頭鷲のヴィーが知り合いのオオタカから聞いたところ、既に取引が成立し、今は出荷の時を待っているらしい。それでは一刻を争うことになるのではないかとロッソは思ったが、ルークは呑気なものだった。
「良かったな。買ったやつはまだまだここで商いをするらしい」
足跡が途絶え、手掛かりが消えたわけではない。が、悠長な事は言ってられないだろう。
「じゃぁそこに出張んのか?」
「姫さんの話によると捕まってんのは他にもいるらしいぜ」
「ってことは、出される時を狙うつもりか」
ブコバルは直ぐに理解した。
ミールからの要請で自警団と協力して人攫いの件を騎士団も捜査している。行方不明になっているのは子供が多いということで、ブコバルたち二人もその辺りの事情を探っていたが、これまで目ぼしい情報は得られていなかった。人身売買はスタルゴラド全土で禁じられており、ここホールムスクでもそれは変わらない。ただここはミールが物言う世界、王都から距離がある分、騎士団が駐屯していても入れ替わり立ち替わりやってくる余所者の目が行き届かない場はいくらもあった。時折、掠るのは娼婦として売られてくる女の話だけ。方々から美しい女を買い求めてその斡旋をしているという男の話を酒場で聞いたくらいだ。その女たちはどうやって運ばれてくるのか、そもそもここに女たちを売り買いする闇市場があるのか、具体的な話は掴めていなかった。
リョウが囚われているのは女衒の類なのかと考えて、もう一人サリドの若者がいたことを思い出す。あの二人が並んでいる様を思い浮かべてブコバルはそっと頭を振った。人妻となり、女として愛されることを知っているとはいえ、普段の様子では年若い男に見えることが多いだろう。となるとやはり男色家の餌食になったと考える方が妥当な気がした。
もし、リョウが人身売買組織の手中にいるとしたら、うまく繋ぎが取れれば尻尾を掴む絶好の機会となるだろう。自警団と連携するのか、第七単独で行くのか、いづれにせよ実際の取引現場を押さえた方が良い。
こちらと上手くタイミングが合えばよいが、どう転ぶかは分からない。
ブコバルとロッソは視線を交わし頷きあった。
「分かった。もし次の依頼で何か分かれば必ず知らせる」
「当たる可能性も十分考えられるしな。その場合はこっちでも動くぜ」
「ああ。まぁ、お前さんたちがいんならこっちも楽んなる」
―大将にはそう伝えておく。
そう言ってルークはするりと窓枠に足をかけて開いた窓の外へ消えていった。相変わらず煙のように実体の掴めない男だ。
残されたブコバルとロッソの二人は、なんとも言い難い表情をして顔を見交わせた。ロッソは恐らくこの事態を青天の霹靂のように捉えているだろうが、ブコバルは違った。
「あんの馬鹿、無鉄砲なことしやがって」
ブコバルはどさりと寝台の上に寝転んだ。
リョウのことだ、大方、自分から厄介ごとに首を突っ込んだに違いない。あのサリドの若造に肩入れするうちに。でなければミールの術師という肩書きはただの紙切れ同然だ。
「まぁ、俺たちは出来ることをするまでだ」
ロッソは髭の濃くなった頬をざらりと撫でで、すっかり冷めてしまった昼食の包みへと手を伸ばした。




