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Messenger Ⅱ~空際のホールムスク~  作者: kagonosuke
第六章 残火の散華
43/60

3)因果の糾い

「とんだ悪運の強さだな」

 ―しぶとい男だ。

 黒服の男の先導で案内されたその一室に足を踏み入れるなり漏れ聞こえてきた低い掠れ声にいち早く反応したのはユリムだった。


「……ブラクティス」

 闇に慣れた目に陽光降り注ぐ室内の明るさは眩しく映った。思わず目を眇めた中、色濃い影の中に立つ白っぽい人影が徐々に露わになる。

 ユリムは敷居際で足を止め、低く唸りながら部屋の中ほどに佇む男に向き直った。純白のたっぷりとした袖の下、だらりと下げたままの拳は、きつく握りしめられていた。稲妻の如く緊張が槍となって体を射抜いていた。

貴様(きさま)……」

 絞り出すような声がした。爆発しそうになる怒りをどうにか堪えて閉じ込めているようだ。細い冠のこめかみのあたりから下に伸びた二本の銀鎖が震え、その先の青い石がちりちりと室内の陽光を反射していた。


「鍵はどこだ?」

 旅装の男が切り込むように言った。

貴様(きさま)が持っているのは分かっている」

「何の話だ?」

 相手の断定の口ぶりにユリムの眉間に薄らと皺が寄った。

「しらばくれる気か、【一の君】?」

 ブラクティスは揶揄するようにほの暗い笑みを浮かべ、この間、宿屋に舞い戻った時のことを宿の主人が洗いざらい話してくれたと言った。

「宿を出払った後、貴様(きさま)がやってきたと主は話していた。その時にあの部屋の中で見つけたのだろう? 私が残した大切なものを。それが何か、貴様(きさま)には分かっているだろう?」

 その時、ユリムはブラクティスの言わんとしていることを理解した。あの時、室内の片隅に忘れ去られていた小さくて丸い硬貨のような金属片。あの特殊な形状をした鍵をこの男は欲しているのだ。

 だが、ユリムは堅く口を閉ざしていた。


 自然光が降り注ぐ室内の明るさに目が慣れてくるとようやく周囲の景色が認識できるようになってきた。

飾り気のない面白味のない部屋だった。事務室のように特徴がない簡素な設えだ。先ほどの豪華な会場とは打って変わった、まるで使用人の休憩所のような一室だが、こちらの方がユリムには居心地が良かった。


 沈黙の中、ブラクティスは改めてユリムを頭の天辺からつま先までとくと見た。

「ふん、この後に及んでもまだ王族気取りか」

 侮蔑とともに吐き出された言葉をユリムは黙って流した。


 ユリム自身、このような祖国より遠く離れた土地でサリダルムンドの正装に身を包むことになるとは思わなかった。公的な儀式には滅多に参加などさせてもらえなかったのでそのような服など必要なかったのだ。卑しい遊び女の血が入ったユリムは王族の清らかな血族から見れば異端であり、父である王が逝去した後は、あの曲輪中に自分の居場所はなかった。


 故郷でもこのような貴人然とした服を身につけたのは覚えているだけでも数える程だった。サリダルムンドの風習や装束などこのような地では誰も知るまいと思っていたのだが、あのミールの術師組合に所属するという妙に着飾ったヴァーングリアの出だという性別不明の輩が―どうやら男らしかったが、裏から手を回し整えてくれたのだ。その時、ユリムは道中耳にした「ホールムスクには世界中の人と物が集まる」というその繁栄ぶりを改めて思い知ったのだ。


 それだけではない。この街の人間はお人好しが過ぎる。その筆頭とも言える人物(リョウ)に拾われたのは、絶望の中に見出した綺羅星のごとき小さな幸運の欠片なのかもしれないが、それを素直に認め受け入れるにはユリムの性根はいささか捻くれて曲がっていた。

 屈折した幼少期を過ごしたユリムは他人の好意に慣れていなかった。自分に近づく輩は都合のよい道具のように自分を利用するだけと思っていた。見返りのない情けなどあるはずがない。そう思っていたユリムに自分が享受しているここ二か月余りの待遇は、余りにも度が過ぎているように思えてならなかった。

 これはあくまでも仮の姿だ。自分には過ぎるほどのものだ。分不相応であることは分かっている。触れれば分かるほどに上等で染み一つない真っ白な軽い布をふんだんに使った上着は、ユリムの体内に渦巻くどす黒い感情をそれとは知らずに包み込んでいた。


「俺は自らを王族だと思ったことは一度もない」

 ユリムは顔を上げると真っ直ぐについ二月ほど前までは旅路を共にしてきたはずの男、ブラクティスを見据えた。

 男の片眉が器用に上がった。意外なことを聞いたという顔だ。

「では、なぜそのようなご大層な格好(なり)でこのような場へ?」

貴様(きさま)がそれを尋ねるのか?」

 ユリムは地を這うような低い声を出していた。自分は自らに課せられた使命を果たしているに過ぎない。それをこの男は忘れたとでも言うのだろうか。

 ユリムにとっては当然の台詞にブラィテクスは目を眇めた。

「ハッ、ではご大層にまだこだわっているのか」

 嘲りの声がユリムの神経を逆撫でようとする。

「役目を果たすまでだ」

 ―ただそれだけ。

 そう言ったユリムをブラクティスは鼻で笑った。

「ならばちょうど良い。そのお役目の為にも渡してもらおうか。貴様(きさま)が持っている鍵を」

「……鍵……というのは………」

 ユリムは上着の合わせをそっと開いて懐に手を入れ、内側の隠し(ポケット)から何かを取り出した。丸くて平べったい出来損ないの硬貨のようなもの。これを見つけた時は何に使う物だか分からなかったが、今ははっきりと目的を持って触れている。ただの金属片が有効な切り札に変わったことを知り、ユリムの心に先ほどにはない余裕が生まれた。

「これか?」

 殊更勿体ぶった風に指でつまんで顔の傍に掲げた。その瞬間、前から伸びてきた手をひらりとかわして再び掌の内に握り込んだ。

「…ック……」

 突然の大きな動作にブラクティスの身体は強張り、それまでの澄まし顔が引き攣るように歪んだ。

 天秤が大きく傾いた瞬間だった。

「無理をするな。傷が響くのだろう?」

 ―あの時の。

 約二ヶ月前のあの裏切りと混乱でごろつきどもを相手に派手な立ち回りをしたが、腕が立つベェサイーンの優れた働きによりこの男はかなりの深手を負ったはずだった。この間、目立った動きがなかったのは大人しく傷の養生をしていたのだろう。

「余計なお世話だ」

 ブラクティスの顔が同情を跳ねのけるように皮肉気に歪む。ユリムとてこの男に対しては感傷的な同情や憐憫など持ち合わせてはいなかった。


「答えろ。その小箱の中には何が入っている?」

 競売の会場で高らかに謳われたように香炉と短剣だというのは本当なのか。ユリムはブラクティスが小脇に抱えた小箱を目で示した。


 ユリムが探し出せと言われているものも香炉と短剣だった。これまでのことを考えるとその思い付きにぞっとしたが、もし、それがブラクティスの持つものと同じものであったならば、なんと馬鹿げた茶番だろうか。自分は失せ物と一緒に遥かこのホールムスクの地まで過酷な旅をしてきたことになる。それとは知らずに。この男はさぞかしおかしく思ったことだろう。いいように踊らされ、追放されたこの身を。

「貴様に答える義理はない」

 ユリムにとっては切実な問いかけをブラクティスはあっさりと切り捨てた。天秤が再び大きく揺れる。

「ならばこの鍵とやらは渡せんな」

 切り札はこちらにある。堂々としたユリムの態度にブラクティスは歯噛みした。

「貴様がそういう考えならば…致し方あるまい」

 実に残念だとばかりにブラクティスは小脇に小箱を抱えたまま、薄汚れた外套の合わせを捲った。出立の時には真っ白であっただろうたっぷりとした外套は、過酷な長旅の末に泥や埃で汚れており、裾の方は擦り切れていた。それこそ煙の中にあるように。

 合間から覗くのは腰を交差するように周る皮のベルトでそこには幾つもの短剣が行儀よく並んで収まっていた。ブラクティスは徐にその一本の柄に手を伸ばし、音もなくするりと引き抜く。瞬間、細い刃が室内の陽光を吸収し輝きを放った。

「こちらも時間がない。拒むのならば力付くでゆくまで」


「ユリム!」

 短剣を構えたブラクティスの耳に耳慣れぬ声が聞こえた。背後から出た陰はゆらりと前に伸びてユリムの前に現れ、同じ白で同化していった。この時、ようやくブラクティスはユリム以外の存在があったことに気が付いた。

「誰だ?」

 鋭い誰何(すいか)の声を発したが、それを物ともせず、

「お待ちください」

 サリド語とは違うスタルゴラドの言葉がブラクティスを制した。


 ブラクティスは目の前に立ちはだかる邪魔者を睨むように見据えた。その者は同じサリダルムンドの貴人の衣装に身を包んでいたが、ユリムの物ほどの華美さはなく、腰帯の意匠も色も控えめなものだった。そう、まるで貴人の(しもべ)であるかのようないでたちだ。

 結い上げられ薄布を(かず)いた黒髪も夜空の闇を映した瞳もこじんまりとした凹凸の少ない顔立ちもブラクティスには馴染みある造形に思えた。

「お前は……誰だ? (さと)のものか?」

 サリド語で聞いたブラクティスにその者は小さく(かぶり)を振った。

「サリドノコトバ ハ カイシマセヌ ワレ サリドノタミ 二アラズ」

 まるで覚えたばかりのたどたどしさで(いら)えが返ってきた。

「ですからスタルゴラドの言葉でお願いします。古語でも結構ですので」


「リョウ、退け」

 前に出ようとしたユリムをリョウと呼ばれた者は無言で制した。二人とも背格好はあまり変わらぬというのに前に立つ者には妙な威厳と余裕があった。

「そこの旅のお方、まずは刃をお納められよ。ここは貴公の(ことわり)が通づる場にあらず」

 その者は、ブラクティスにも分かるように敢えて古めかしい言葉使いを選んでいた。

「ほう? 従者の分際で私に意見するか」

 ブラクティスもスタルゴラドの言葉で返した。

「こなたはサリダルムンドにあらず。貴公は競売の出品者。我らは入れ札を行いし者。それ以外の縁は不要のはず」

 薄らと笑みを浮かべた相手にブラクティスも同じように返していた。

「なれど、そこの者とは旧知の仲にて浅からぬ因縁あれば、口出し無用」

 刃先を弄びながらうっそりと微笑む。

 そう継いだ後、ブラクティスはユリムと自分だけに分かるサリド語で言い放った。

「よかろう。鍵を渡せば、中身を見せる」

「まことか?」

「背に腹は代えられぬ」

 そう言ったブラクティスの唇が薄らと弧を描いた。

 室内をピリピリとした緊迫感が包んでいた。

「ユリム?」

 交わされた言葉を理解できない従者が不信感も露わに問いかける。

「なんて?」

「案ずるな」

「でも」

 ユリムとその連れは敷居際から一歩入った所で佇んでいた。ブラクティスは小脇に抱えていた小箱を目の前の(テーブル)に置いた。しばらく弄んだ後、くるりと回しながら器用に小刀を柄にしまった。

 ユリムは依然、険しい表情でブラィテクスを睨みつけていた。


 一触即発。そんな時だった。

「やぁやぁ、お待たせいたしましたな」

 支配人であるミシュコルツが黒服を着た従僕と共にやってきた。室内の剣呑な空気を一瞥し、だが、敢えてそこに触れることなく軽快に言葉を紡ぐ。

「感動的再会は果たせましたかな。ブラクティス殿、いかがです? 例のものは見つかりましたかな?」

 にっこりと人好きのする笑みを浮かべるとミシュコルツは室内に置かれていた長椅子に颯爽と座り、黒服に飲み物の用意を命じた。

 無言で浅く頷いたブラクティスにミシュコルツは喜色を浮かべた。

「それは結構、首尾は上々ということですな。実に素晴らしい。では、そろそろ入れ札をしたお客様の中から交渉相手を選ばなくてはなりませぬな」

 支配人の合図に黒服の男が入れ札の入った箱を小さな卓の上で開け、中から木札を取り出し並べていった。かなりの分量がある。参加者の多くが目玉の品に惹かれ入れ札に参加したようだ。

「どのくらいと交渉をなされますかな。上位一組か二組と言ったところでしょうか」

 札に書かれた金額を確かめながらミシュコルツは今にも鼻歌が飛び出しそうなほどに上機嫌で選り分けている。金額の多い少ないで二つに分けているようで、ほとんどの札はベリョーザ(シラカバ)の皮で編まれた軽い籠の中に積まれていった。

 提示された金額は予想以上の高値であったのだろう。今日の競売の売り上げも中々の上首尾であったようだが、仲介に二割の手数料を取るミシュコルツの懐も潤うというものだ。といってもこの間のティーゼンハーロム号の事件では大損を被ったので収支はまだ赤字となるだろうが。


「ああ、そう言えば、そちらはお知り合いの方ですかな。水くさいじゃありませんか。お国の方がいらっしゃるならばご紹介してくださっても」

 新しい繋がりは新たな商いを生み出す。いつなんどきとも商機は逃さない貪欲な商人の顔が、室内に立っていた二人組を見て訳知り顏で頷いた。

「さ、どうぞこちらへ」

 ミシュコルツは二人の客人を空いている長椅子に促した。

「この者が鍵を預かっていた」

 ブラクティスの言葉にミシュコルツはその瞳を鋭く煌めかせた。

「さようでございますか。わざわざお届けにいらしてくださったと。それは親切にありがとうございます。本当にようございました」

 ブラクティスはユリムとその付き人の二人に目配せをし、長椅子へと促した。二人のよく似た主従は囁きを交わし、意見の一致を見たのか、主人然りとしたほうが腰を下ろし、従者はその背後に立った。

 ブラクティスもミシュコルツの斜交い、一人がけの椅子に座り卓の上に小箱を置いた。

クルチ(キー)を」

 そう言って手を差し出したブラクティスをユリムはひたと見つめ返し、手のひらに握り込んでいたものを卓の上に置き滑らせた。

 空いたユリムの手のひらには丸い鍵の跡が付いていた。ブラクティスは何食わぬ顔をして鍵を手にし、小箱にぶら下がる錠前に嵌めた。

 カチリ…と金属が噛み合う音がして解錠されたのが分かった。その様子をミシュコルツは満足した様子で窺っていた。


「まずはこのくらいですかな」

 小さな籠に入れられた札は五枚。金額上位の客のものだ。この中から交渉相手を一組選ばなくてはならない。

 籠が目の前に滑るようにして置かれ、ブラクティスはミシュコルツの目配せに浅く頷くと中身を確認していった。覚えて間もないこの国の数字を読み解いてゆく。金貨17枚、20枚、25枚、30枚、32枚。金貨一枚あれば一年は悠々と遊んでくらせるという大金だ。

 だが、出品者には納得のいく額ではなかったらしい。薄く笑みくらい浮かべるかと思いきやブラクティスの顔色は変化がなかった。


「おやお気に召した方はいらっしゃいませんでしたか」

 ミシュコルツは目敏くその機微を読んだ。

「いや」

 不満というほどでもないが、自分が思っていたよりも付けられた値段が少なかったというのは正直なところだ。

 だが、交渉で値段はどうにでもなるか。

 ふとブラクティスはミシュコルツが持つ札が気になった。

「それは?」

「ああ、これですか」

 食いついたとばかりにミシュコルツの目が細まる。たっぷりとした髭の中に埋もれた唇が湿り気を帯びた。卓に着いた客人に勧めながら、景気つけ、いや、喉を潤すための酒を舐めて勿体ぶったように太い指の間に札を弄ぶ。

 その様子に反対側の長椅子の背後に大人しく立っていた従者の瞳が僅かに動いた。

「金額は…金貨ではないんですが、面白いものが対価になっていましてね」

 ―なんだと思います?

 そう言って札をひらと横に振った。


「キコウ石、カローリ相当、1/10プード」

 突如として差し挟まれた柔らかな声に長椅子に座っていたサリダルムンドの貴人が身じろぐ。顔の輪郭に寄り添う銀の鎖とその先に付けられた小さな青い涙が海原の水面のように揺れた。

 口を開いたのは従者の方だった。

「それは我々の入れた札です」

 その言葉にミシュコルツとブラクティスが顔を上げた。

「そうでございましたか」

 支配人は新たな獲物の匂いを嗅ぎつけたように立派な鼻をひくつかせた。

「…青き涙…だと?」

 ブラクティスは興味を惹かれたようだった。


 サリダルムンドでは良質なキコウ石の原石が採れる。サリドの民は誰もが一つは御守りとして肌身離さずその青い石の加工品を持っていた。かくいうブラクティスもその例に漏れずペンダントを首から下げていた。

「さよう」

「かようなものをいかにして?」

 カローリは最高品質のキコウ石だ。それを1/10プードも。プードとはスタルゴラド周辺の地域で使われる度量衡だ。純粋な重さとしては腰に佩いた長剣一本ぐらいなものだが、貴石としては途方もない量となる。

 虚を突かれたブラクティスにユリムは意味深に微笑んだ。

「俺にもそのくらいの伝はある」

「ふん」

 余裕を見せた若者をブラクティスは内心の苛立ちを抑えるように鼻で笑った。

「それはまこと【ヘェバヒール】、ここで言うところのカローリ…なのだろうな?」

 そんな大金を人買いに売られたお前がどうやって得たのだと言わんばかりだ。ブラクティスの視線はかつての主からその後ろに控える従者にそれた。

「後ろ盾をみつけたというわけか」

 どんな経緯かは知らないが、こうして体裁をきちんと整え、このようなところにまで出入りするだけの経済力と伝を持っているらしい。この従者らしき者もそこで付けられた輩なのだろう。

「疑うのならば、その目で確かめてみれば良い」

「ほう?」

 ユリムは背後に立つ付き人を促して、懐から小ぶりの皮袋を取り出させた。小さいがずしりと重そうだ。長椅子の向こうで支配人の目が狡猾そうに光った。

「我が主がサリダルムンドの品を集めています。ユリム殿にはサリドの民としてその目利きをお願いしているのです」

 ユリムが競売に参加した理由を控えている従者がとってつけたように口にしたが、ブラクティスもミシュコルツも不審には思わなかったようだ。

「なるほど。では私もその方にお会いしてみたいものですな。同じサリドの民として力になれるやもしれない」

 飄々と口にしたブラクティスに従者は儀礼的な笑みを薄く刷いた。

「いずれ機会がございますれば。全てはリュークスの御心のままに」

「リュークスというのはこちらの神であったか」

「ええ。民間に広く浸透している信仰です。豊穣、時、運命を司る女神です」

「ではそちらはスタルゴラドの出か」

 ブラクティスの目が相手の正体を暴こうと鋭さを増した。

 従者はそっと目を伏せた。

「厳密に言えば違いますが、今ではこの国が故郷のようでもあります」

 それはまるでサリダルムンドから遥々流れてきた者の術懐にも聞こえた。だが、ブラクティスは己が民とよく似たその者の素性について、それ以上は尋ねようとはしなかった。


「なるほど。では失礼して」

 ブラクティスは小袋の中身を少しだけ掌に開けた。大小様々な青い貴石が天から零れ落ちた涙のようにはらりとはらりと光を照らす。

 ブラクティスは思わず息を飲んだ。それは端から様子を窺っていた支配人も同じだった。


 混じりけのない純粋な青。空の蒼さとは違う深い湖の水底のような神秘的な色が光の加減でわずかに色を変化させる。透明さと深さと照りは違えようがない。正真正銘のカローリ、いやヘェバヒールだった。この石一つで一体どれだけの価値になるだろうか。指の間に摘まんだ大ぶりのキコウ石を目の前にブラクティスの瞳に恍惚とした色が浮かんだ。傍らでも小さく唾を飲み込む音がした。

「見事なものですな」

 内なる興奮を抑えきれないように支配人が脇から身を乗り出してきた。

「素晴らしい。実に素晴らしい」

 これならば小箱の中に収まった競売品に劣らぬほどの価値があるのではないかとブラクティスは思った。金貨32枚と1/10プードのカローリ。どちらが利益を生むか。先々のことを考えれば結論は直ぐに出た。

「確かにこれならば十分通用する」

「いかがでしょう。わたくしどもを交渉相手に選んではいただけませぬか。足りぬ場合は、もう少し色を付けさせていただきます」

 従者のその一押しが流れを変えた。

 しばらく沈思黙考した後、

「よかろう」

 重々しく頷いた出品者は、卓の上に置いていた小箱を手にそっとユリムの前に差し出した。

「そちらの主がこの中身を正しく評価してくれればよいのだが」

 そう言って蓋を開けた。


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