7)エッラーダの炎
続いてもう一話。翌日の出来事。
閉ざされた窓の向こうを海鳥の白い羽が影となって矢のように飛び交う。だが、かしましくもやくざな口調のおしゃべりは、硬い硝子に阻まれ、室内には届かなかった。何の気なしに外から中を窺おうとした鳥どもは、うっかり窓枠に止まろうものならば、ぴりりとした痺れが体中に走り、仕掛けられた不可思議な罠に驚いて去ってゆくだろう。ほら、もう一羽、羽を休めようと寄ったゴールビがなにやら慌てて飛び退いた。無様に羽をばたつかせてズンと落ちて行ったのだが、間一髪、地面すれすれの所で飛び立った。
窓というよりも、その部屋一体に術師による特別な結界が内側から施されていた。特殊な場だと言われても中に集まった多くの者には分からないだろう。術師である者以外は。ただ今回、この部屋に集められた組合員の顔触れを見て、ひょっとしたらと思う者があるかもしれない。
室内は広々として採光もよく、中心に置かれた大きな円卓を囲むように着席する会議室であったが、この日、急遽呼び出された者たちは定められた席には着こうとせず、お互いの顔を見ては声を低くして立ち話に夢中で、雑然とした空気が落ち着きのなさを助長するように震えていた。
ひそひそと囁きが波のように高く低く寄せては引く中で、頑丈な木の扉が開き、一人の男が室内に入った。
堂々たる立ち姿で現れたのはミールの長イステンであった。続いてもう一人、老齢の男が杖を手に入室する。この腰の曲がった老人ニョフリ は、ミール組合員の中でも最古参で、皆からは街の生き字引、御意見番として頼りにされていた。
ニョフリが呼ばれたことは、先に入室していた者たちに少なからず衝撃を与えた。それだけ今回の召集が緊急であり、重大な問題が議題として上がるであろうことを示していた。
全員が揃うと固く扉が閉ざされた。
「着席を」
その一言で組合員は皆、指定の席に着いた。そこに立ったままの者が二人残った。略式の灰色の軍服を身に着け帯刀しているのは、騎士団から派遣された兵士―団長と副団長の二人だった。あちらの幹部二人が直々にミール本部を訪れるのは非常に珍しい事態である。着席した組合員たちは複雑な思いを其々の表情の下に隠しながらも、明らかに他所者である武辺の者を歓迎するとは言い難い冷ややかさでちらちらと盗み見ていた。
「貴殿らもお好きな場所に」
ミールの長イステンに促されて二人が着席した席は、長の真正面、後ろ半分のぽっかりと空いた場所だった。ちょうど中心より片側、前に集まった組合員たちに対峙する形でもある。それは奇しくも、そのままにこの街における騎士団の立ち位置を表わしていた。
***
昨日、海底から引き揚げられたティーゼンハーロム号の積荷の中から思いがけないものが見つかった。その報せは港湾組合を通じてただちにミール本部へと報告され、ホールムスク商業組合執行部の間に激震が走った。
―禁制の品が見つかった。
第一報を受けたミール本部は、始めなにかの間違いだろうと耳を疑った。その場に居合わせた執行部役員の一人、渉外担当のラアマートも性質の悪い冗談だろうと笑って流そうとしたのだが、執務机に着いていたミールの長イステンに一睨みで窘められた。
現場となった岸壁は一時期騒然となった。港湾組合の作業員たちの間に走った動揺は、積荷の回収と調査に立ち合っていた自警団にすぐさま伝わった。彼らはそれを隠そうとしたのだが、自警団の目は誤魔化せず、また運の悪いことにその場にやってきた騎士団の兵士たちにも知れることとなった。
港湾組合、自警団、騎士団、雑然と木箱の並ぶ岸壁でひたひたと濡らす海水が鏡となって足元に陽光を煌めかせる中、顔を揃えた男たちの間に緊張が走った。それだけ厄介なものが入っていた。強く打ちつけられた波が飛沫を上げ、相手の腹を探るように動きを止めた男たちの髪と頬を濡らした。
自警団の判断で速やかにミール本部へと報告が行き、騎士団側も詰所のほうに兵士を走らせた。そして慌ただしく各方面に召集がかけられた。港湾組合長、ティーゼンハーロム号の船長、船の乗組員が直ちに呼び出され、自警団管轄下に留め置かれた。再び、焼失した船舶事故の取り調べが始まる。
今度はよりはっきりとした原因を念頭に置いて。
抜け荷だ。
それと並行して、事態の深刻さを理解したミール幹部は、直ちに緊急会議を開いた。参加者は長を始め、執行部より支店総取締役、渉外、市場、鉱石、武具組合の長5人と組員若干名、そして港湾組合長と問題となった船の船長、自警団から長と副の二人、そして騎士団側からも同じく二人。それから端の方にぽつんと―恐らく結界を施した者だろうか―術師組合の者がいた。こうして総勢十五余名が顔を揃える形となった。
室内には証拠となった品が木箱に入ったままの状態で持ち込まれていた。ぐっしょりと海水に濡れ変色した縦長の木箱の蓋を開けば、中には黒っぽい塊のようなものが入っていた。取り扱いに精通している武具組合と鉱石組合の者が、慎重に中身を取り出した。
濡れそぼった塊は、一抱えはある筒状のもので、付属品として小振りの容器が付いていた。油紙に包まれ固く封の施されたその入れ物を武具組合の者がそっと開ける。中にはどろりとした黒っぽい粘着質の液体が入っていた。顔を寄せてその匂いを嗅ぎ、指の間で粘りと感触を確かめる。それから武具組合の者は真剣な面持ちで隣から様子を窺う鉱石組合の者と顔を見交わせ、一つ頷き合った。他にも人の腕程の長さの片方の端が曲がった筒のようなもの。小さな丸い鉄の玉の入った小箱。布に幾重にも包まれた火打ち石。細長い鉄の棒のようなものが入っていた。拳大の塊のようなものもあった。
皆、息をするのも忘れて積荷が検められるのを見守っていた。
「これは………まさか」
「【エッラーダの炎 】ではないか!」
「これは【パルセラーネー】の【キオーニ】か」
「【エイラ】だ」
渉外担当のラアマート、市場組合のエルンゲスト、支店総取締役のヤヌークが、半ば興奮を隠すように震える声で木箱の中から円卓に広げられたものに触れた。誰もが信じられないものを目にしていると言わんばかりに驚愕の色を浮かべていた。どれもホールムスク内で取引が厳しく管理されている武器―最新鋭の特殊火器―だった。
それからすぐさま顔付きを険しいものに変えていった組合員たちの中で、港湾組合長のシルヴェスタと船長のクラウスの二人は、前者とは異なり憤りを露わにした。
「これがあの船の積荷だという証拠はどこにある?」
そう言ったシルヴェスタの隣で、
「そうだ。あのような積み荷などなかったはずだ! 何かの間違いだ!」
船長のクラウスも顔を真っ赤にして訴えた。その手にはミールと自警団に提出されていた積荷一覧があった。その紙を手に机を叩く。
「これが正式な書類だ。ここにあるもの以外は断じて船に積んでなどいない」
許可が必要なものは事前申請を通しているし、全て規則通りに行っている。不正などない。誇り高きマリャークの名にかけてクラウスは船と積荷の関係性を否定した。
「本当にそうか? 一覧から漏れているということは?」
そこに身内とも言うべき自警団副団長ハロムから疑念を挟まれて、クラウスは眦を吊り上げ、円卓を叩いた。
「そんなことは断じてない!」
怒りに満ちた大音声は、周囲の人々の鼓膜にじんじんと響いた。
「それよりも。再度尋ねるが、それがあの船の積荷であったという証拠はどこにあるんだ?」
冷静さを失うことなく港湾組合長が語気を強めた。それに答えたのは自警団長のエンベルだった。
「あの現場海域から引き揚げられた。木箱も真新しい。海水による腐食もない」
「それだけで…どう…して」
「木札が付いている」
ミール域内、特にホールムスクから積み込んだ荷には、それを出荷した組合の印が彫られた木札に荷を受け持った港湾組合の印が焼き印で付けられるのが慣例となっていた。この印があれば正規の手続きが取られた積荷であることを意味した。
動かぬ証拠だと言わんばかりにエンベルは木箱上蓋の脇に付いていた件の札をその場で取り外して見せた。
「そんなまさか!」
立ち上がった船長は脚をもつれさせながら積荷の方へ駆け寄り、示された木札を手に取った。そこで顔色を変えた。裏面には見慣れた港湾組合の焼印が焦げ跡も色濃く残っていたからだ。表を返して見る。そこにあったのは、織物組合の印だった。
「……トカニの所か」
誰かがぽつりと漏らした。織物組合の者はここにはいない。そこには自らの属する組合のものでなくて良かったという安堵が入り混じっていた。当然の成り行きとして織物組合への疑惑が浮上する。
「だが、それが本当にトカニの所のものだろうか?」
市場組合のエルンゲストが漏らした一言に支店総取締役のヤヌークが合意をするように言葉を継いだ。
「あれはごうつくばりだが胆の小さい男だ。抜け荷のような大それたことが出来るとは思えぬ」
「ふむ。だがあれは手広く商いをする為ならば手段を選ばない所があるぞ」
「抜け荷の手引をしてまでか?」
信頼が大事の共同体で禁を犯した後のことを考えられないものはいない。その代償は、ミールからの永久追放だ。各地に支店を持ち、広大な地域と商取引を行っているミールから弾かれたとあれば、域内での商売はたちまち立ち行かなくなる。商人にとっては死を宣告されるも同じであった。
「だが、これが何よりの証拠だろう」
身内から禍の種が出たという可能性に組合員たちは顔色を悪くし口を噤んだ。
重苦しい沈黙が落ちた。
「のう、そう言えば、その後、偽造の件はどうなったかの」
議論の行方を黙って見守っていた御意見番ニョフリが思い出したようにしわがれた声を上げた。
この二月余り、船の停泊許可証や荷為替で良くできた偽物が出回りミールを悩ませていた件だ。そちらの方もミールでは重要な事件として水面下で調査が続いている。もしかしたら、今回のこの木札も偽物であるという可能性はないのか。
その指摘に港湾組合長は身を乗り出した。
「そうだ。それも偽札かもしれん。いや、そうに違いない」
集まった組員たちは順繰りに木札を手に取って見てみるが、真偽の判別が付く者はいなかった。木の材質も形も彫の印も、ミール内で使われているものにそっくりだった。何より肝心の織物組合の者がいなかった。
その時、半ば存在を忘れ去られていた男が挙手をした。
「少し、よろしいですか?」
だぶだぶと余った長い袖からついと伸び出た細長い指が小さく揺れ動いて、木札の方へ注目していた組員たちは、今更ながらにこの男がいたことを思い出した。
「おお、そうだ。フェルケルがおったわい。術師殿なれば印が視えようて」
ニョフリが長く伸びた髭の下で笑みを浮かべた。
木札を始め、許可証、為替など、ホールムスクで商取引に使われるもの全てにはミールの術師が間に入り、その力を用いて特別な刻印を施していた。常人には見えないが術師が触れれば特殊な文字や紋様が浮かぶ。
「よろしいですかな?」
フェルケルは長を一瞥して了承を得てから、木札を手に取ると小さく呪いの文言を唱えた。骨張った術師の掌で木札は一瞬微かな光りを放ち、砂のような細かい淡い光の粒子がどこからともなく集まり鎖のような文字が躍った。
息を潜めてその様子を見守っていた組合員たちは、木札は本物だと思った。術師の術式に反応することは即ち、正規品であるからだ。ただ、フェルケルは一人、浮遊する文字を前に微動だにせず、じっと鋭い眼差しで見つめていた。淡い光の楔は渦を巻いてぐしゃりとつぶれたかと思うと四方八方に伸び、まるで触手が蠢くように不気味な像を結ぼうとしていた。
「フェルケル、どうじゃ? 当たりじゃろ?」
―お静かに。
正規のものであっただろうと呑気な声をかけた御意見番ニョフリの声を騎士団のシーリスが手と口で合図を作りながら低く遮った。ニョフリは「おお怖い」とでも言うように肩を竦めて口を噤んだが、他の組員たちはシーリスの只ならぬ空気に気圧されたように押し黙った。皆の注意は再びフェルケルの手元に集中していた。
フェルケルの薄い唇は抑揚のある旋律を低く囁き続けていた。何と言っているかは周囲には分からない。そこだけ空気が圧縮されて詰まるような張りつめた感覚が広がる。術師の繊細な指が宙で微かに揺れた。フェルケルの額は薄らと汗ばんでいた。
光りの筋がぐるぐると木札を取り巻く。絞め殺そうとでもするように。
―アスヴォーイチ、アスヴァバジィー。
その瞬間、パッと光りが散った。パチンと弾ける音がして木札は砕け散ってしまった。無数の破片に。
集まった者たちは呆気にとられた。それとは対照的に術師の態度は淡々としたものだ。
フェルケルは空いたもう片方の手で懐を探ると小さな手拭を取り出した。掌に落ちた破片と円卓に飛び散った欠片を集め、丁寧に布巾に包んだ。寡黙な術師はいつもと変わらず表面上涼しい顔をしていたが、その額際からすっと一筋の汗が流れた所を見るとかなり神経を使ったのだろう。
「こちらでお預かり致します」
手拭に包んだ欠片を懐に入れて、フェルケルは言葉少なにミールの長イステンの方を見た。
「偽物であったか」
どこか確信を含んだ長の問いに術師は浅く頷いた。
「とてもよくできています」
恐らく術師の素養を持つ者が手を貸したのだろう。よく似せてあったが、ミールのものとは根本が違った。木札に施された印封は、ミール術師組合の中で独自に生み出され、代々伝わっているものだった。ミールに所属し、且つ、その技を受け継いだ者しか同じ印を刻むことが出来ない。また、この印封は広く流通するものではなく、その使用範囲は限定されていた。これはその特殊な印封の存在を知る者が、それに似せて作ったか、作らせたものだろう。
印封のことを知る何者かが術師に頼んだ。術師組合の中でこのような危ない仕事を受ける者はいない…と胸を張って言い切れればよいのだが、術師は生来自由で特定の組織に縛られることを嫌う。かつてミールに籍を置いた者が、金を積まれてやったのかも知れない。ただ本物そっくりにするのは面白くないので、限りなく本物に近い偽印を施し、こちらが気付くかどうか、試す積りで高みの見物を決め込んでいるのかもしれない。術師は得てして、そういう人を食ったような遊びを好むきらいがあった。甚だ迷惑なことだ。
フェルケルは砕かれた残骸を組合の事務所に持ち帰り、シェフや同僚の意見を聞いてみた方が良いと考えた。この一件にかつての朋輩が一枚噛んでいたとしたら、それはそれで面倒なことだからである。向こうは面白がっているだけなのかもしれないが、ミールに属する者としては、要らぬ火の粉を浴びたくはない。フェルケルは内心、このような仕事を請け負った術師を恨めしく思った。
「ではその方に任せた」
「承知つかまつりました」
ミール長イステンは一つ返事で承諾した。イステンは術師の領域に必要以上に立ち入ろうとはしなかった。常人ならざる力を持つ術師の―ミールにとって―正しい扱い方を知っていた。両者の間には無言の取引が成立していた。フェルケルは再び沈黙の人となった。他の組員たちも術師である人間の性質、その異質さや特殊性をある程度突き離して理解しているので何も尋ねなかった。
何者かが織物組合の名を騙り、厳しく管理統制されている武器取引を行おうとしたことが分かった。これが、今回だけのことなのか、それとも以前から恒常的に行われていることなのか。入手経路はまだしも売り先はどこなのか。買い手と仕向け地はどこだったのか。早急に明らかにしなければならない事項が次々に出て来た。
「クラウス殿」
束の間の沈黙の後、最初に口を開いたのは騎士団長のユルスナールだった。
「船の積荷の中に織物組合から仕入れた商品はありましたか?」
ティーゼンハーロム号の船長は我に返って疲労色濃く無精髭の伸びた顔の乗る首を伸ばした。
「うぇ…へぇ。ここで反物をぎょうさんこうたすっけ」
突然の事で素が出たのか酷い訛りであったが、内容は理解出来た。
「それらの積荷にこれが混じっていた可能性は?」
「ないはずだが……分からねぇ」
クラウスは目をしょぼしょぼさせた。
「いや、もう一度言うが、この一覧にはそのようなものは載っていない」
代わりに発言したのは隣に座る港湾組合長だった。
「織物類の一覧の中にもか?」
「ああ。ない」
手元にある書類をぱらぱらとめくって、きっぱりと断言した。
「では、これが一覧に載らずに検査をすり抜けてしまったと仮定する。その原因をなんと心得る?」
「………乗組員か、作業員の不注意だろう。人間だ。偶にはそのようなささやかな間違いがあってもおかしくはない。もちろん、あってはならないことに違いはないが」
自分たちの非をけっして認めたくはないのか、シルヴェスタは視線を外し、心底忌々しげに鼻を鳴らした。
「では、【偶々】見過ごされた荷に、このようなとんでもないモノが入っていたと?」
「まぁ、そういうことになるか」
「それは余りにも無責任では?」
相手の危機感の無さに騎士団側は呆れた。
「それは結果論に過ぎない」
「貴殿はご…」
決定的な一言が紡がれようとした所に別の声が被さった。
「そこまでだ。お若いの」
騎士団側の一方的な尋問を武具組合のアルージアが遮った。調査の主導権を部外者に握られ面白くないのもそうだが、仲間が疑われている形になっているのが腹立たしかった。
「では最後に一つだけ」
ユルスナールは上着の隠しから丸みを帯びた金属の塊を摘み出し、円卓の上に滑らせた。硬い擦過音と共に歪んだ硬貨のようなものはミール組合員が集まる前の方に滑り、止まった。
「これに見覚えは?」
「……これは」
エンベルが抓み上げ、眉を寄せる。
「その木箱の錠前を確かめて頂けますか?」
今度は騎士団からシーリスが円卓の上に置かれた箱を差した。
「まさか。これが……鍵なのか?」
形状を見て思い当たる節があったのか、エンベルが驚く。
「さぁ、どうでしょう。実際に確かめてみれば分かると思いますよ」
何故このようなものを騎士団が手にしているのか。問い質したいことは多々あれど、エンベルは木箱の前に陣取ると付いていた錠前と渡された鍵を見比べ、そして当てはめてみた。カチリと小さな硬い音がして、留め金の部分が開く。組合員たちの間に言い知れぬ動揺と衝撃が走った。
「そんなものをどこで手に入れたんだ? え?」
「どうしてあんたらが、鍵を持っている!?」
「よもやそちらの方々が一枚噛んでいるのではありませんかな?」
辛辣な一言を支店総取締役のヤヌークが放つ。ミールではなく王都関係者の仕業ではないかと。
だが、ユルスナールはそのような挑発には乗らなかった。
「昨日、現場付近をうろついていた男から預かった」
「なんだって? そいつをどうした? どこにいる? そっちで留め置いているのか?」
急に核心に迫る情報が明かされて自警団のエンベルは騎士団側に詰めよっていた。
「ここの錠前屋だと言っていたが。その男が拾ったと言っていた」
一時的に留め置いたが、今は放免している。
しれっと言われたその言葉にエンベルは激昂した。
「なんだと! 貴様、重要な手掛かりをみすみす捨て置いたのか!」
軍服の襟首に掴みかかったエンベルの手をそのままにユルスナールは顔色を変えずに目を細めた。
「まさか。うちの者を張りつかせてある」
昨日の時点で、一応自警団の方にも話を通してあるはずだが。その台詞にエンベルは同僚のハロムを見た。
「ああ。今朝上がった報告書の中にな。ハイドゥート のティズと一緒にいた奴だ」
その話はエンベルも報告を受けていた。掏りの常習犯だった小者の身柄を預かり詮議したが、もう一人の方を不問にしたのは身内の判断だ。だが、その判断が裏目に出たというのか。こちらは白で、団員が捨て置いた方が黒だったのか。エンベルは口惜しさに奥歯を噛み締めた。
「いずれにしろ、ミール内部に協力者がいるとみるべきだろう」
それは決定的な一言だった。
「我らを愚弄する気か」
低く唸るようにエンベルが言った。騎士団の連中をこの場に呼んだ長の判断を恨んだ。そもそも始めから彼らに関わらせるべきではなかったのだ。今回のことはミール内部の不正に関わる可能性が出て来た。王都の犬に奴ら流の正義を振りかざされてこの場を引っ掻きまわされては敵わない。この調査に部外者を参加させることはミールの面子にも関わる。
口を開こうとしたエンベルの心の声を代弁したのは、朋輩のハロムだった。
「情報提供には感謝する。だが、これ以上はお控え頂きたい」
丁寧な口調ながらもハロムの眼差しは険を帯びていた。自警団の二人を擁護するように組合員たちからは頑なで腹立たしげな視線が騎士団側に向けられた。
されど、こちらも真っ向からの拒絶に動じる二人ではない。
「そういう訳にもいくまい。抜け荷はもちろん許されぬ事態だが、場合によってはミールだけの問題ではない。そういう次元の話をしている」
ユルスナールの視線は、真っ直ぐエンベルたちを通り越して、ミールの長イステンを捕らえた。最終決定権を握るのは、喧嘩腰で頭に血の上りやすい息子ではなく、巨石のように泰然とした父親だ。
ことはミールだけの問題、いや、スタルゴラドの国内問題では済まされないかもしれない。積荷の仕向け地、その最終的な買い手によっては、外交問題に発展する可能性も十分考えられた。一番憂慮すべきことは、ミール内部の反スタルゴラド勢力が、隣国ノヴグラードと密かに通じている場合だ。ミール中にスタルゴラドへの反発、もっと突き詰めればスタルゴラドからの独立を画策する勢力があることは王都では知られていた。ただこれまでの所目立った動きはなく、現政権を揺るがすような脅威とは考えられていなかった。だが、もし、ノヴグラードがミールから密かに武器を調達していたら。もし、彼らを扇動する形で利用し、その一部と手を組んだとしたら。スタルゴラドは内に大いなる脅威を抱えることになる。その脅威は複雑に絡み合った紛争の火種になり得た。
万が一ホールムスクで反乱が起き、王都が鎮圧に乗り出すことになったら、その隙を突いてノヴグラードが再び武力を持って介入するやもしれない。埋み火を掘り起こしてはならない。火種をかき乱してはならない。
だから、騎士団としてもここで引く訳にはいかなかった。王都に弓引く恐れのある不穏分子を野放しにはできない。仔細を調べ上げ、然るべき対処をする為に事実が明らかになり次第、至急王都へ報告を入れる必要があった。
ノヴグラードとの戦はまだ終わっていない。その事実を今、突き付けられている。ユルスナールとシーリスの背に冷たいものが走った。この20年の日常は、休戦協定によってもたらされているに過ぎない。ノヴグラードは諦めた訳ではないだろう。虎視眈々とその牙を研いでいるに違いない。いつか、自分たちを裏切ったスタルゴラドの喉笛を噛み切る為に。
ミールの出方によっては、王都の出先機関である騎士団は厳しい選択を迫られることになるだろう。だが、それは向こうも同じ。ミールの商人たちとて悪戯に混乱を招くことは望んでいないはずだ。
イステンは懐の深さを見せるだろうか。無駄な争いは避けたい。状況を冷静、且つ、的確に見極めなければならない。ユルスナールとシーリスはここが正念場だと気を引き締めた。
ミールの組合員たちは敏感に感じ取った不安を囁きに乗せ、頻りに目配せをし合った。緊迫感を紛らわせる為にざわめきが生まれる。
波打つ動揺が宙に浮いた所で、
「こちらからも報告は上げなければならない」
居並ぶ面々を前にユルスナールは確固たる信念を持って宣言した。
「その必要はない。余計な干渉は要らぬ」
執行部役員の中から王都連中を快く思わないことで有名な武具組合のアルージアが野太い声を張り上げた。賛同するように無言の圧力をかける幾対もの眼。不穏な色が瞬く。
「いや。待て。せめてこちらで詳しい状況が分かるまでは」
時間が欲しいと言った港湾組合長にユルスナールは鋭い視線を投げた。
「その間に口裏合わせでもするんですか?」
友の代わりに口を開いたのはシーリスだった。その冷ややかな声音にミール側は明らかに苛立ったようだった。反感を持った剣呑な空気が各人から発せられる。剣や槍を手にした戦場であれば、確実に一戦交えていただろう、そんな殺伐とした空気が緩く円卓に沿って渦を巻き始めた。
「庇いだてするならば、ミール総体の意思とみなされるが?」
ユルスナールはミールの長イステンの反応を待った。水面下で各人が期待を内に隠し、賛否両論、様々な思いが千々に乱れる中、感情の読めない仮面を付けた顔で、長は提案した。
「我々に時間を頂けますかな」
「では、三日、いや二日で十分か」
「それでは短すぎます!」
対王都渉外担当であるラアマートがここで初めて声を挙げれば、本音が次々と噴出した。なぜ騎士団風情に命じられなければならぬのかと。
だが、ここでユルスナールは譲歩しなかった。
「二日だ。それで御不満ならば、即刻、これから我々が調査を引き継ぐことになるが」
どちらがよいだろうか。賢明な判断を願いたい。
「何を勝手なことを!」
「そうはいくか!」
これまで調査の主導権を握っていた自警団長のエンベルが堪え切れずに円卓を叩き立ち上がった。エンベルの拳は怒りに震えていた。
「貴様らが下手に首を突っ込んでも現場は混乱するだけだ。余計なことはするな。これは我々の問題だ」
「そうでしょうか」
毅然と背筋を伸ばしたユルスナールの隣でシーリスが持ち前の冴え冴えとした微笑みを浮かべながら小首を傾げた。
「今回のことはミール内部の柵が却って邪魔をするのではありませんか。長年に渡る馴れ合いの中では【こちらを立てればあちらが立たず】と明らかにされるべき事実も揉み消されるでしょう。都合の悪いことは特に。組織の保持、もしくは日頃懇意にしている誰かを庇う為に。それで公正な判断が出来るとでも?」
「こちらにはこちらのやり方がある」
「それではいつになっても事態の究明にはならないのでは?」
「なんだと! 我々が無能だとでも言うのか」
「まさか」
シーリスは穏やかに微笑んで見せた。弧を描く口元とは対照的に菫色の瞳は鋭くも冷ややかだった。
「ですが、このような議論がここで続けば、益々今回のことに皆さんが関係していると思われても仕方ありませんねぇ」
―違いますか?
今回、組織ぐるみの不正が明らかになった場合の衝撃はミール内に留まらない。その激震は直ちに王都にまで伝わり、スタルゴラドへの反逆という大きな揺り戻しが生まれる。武器の密売、横流しが本当のことであれば、いつから、誰が、どこに通じているのか、調達先、売り先と流通の経路を徹底的に洗わなければならない。特に売り先が重要だ。ノヴグラードに通じている場合は、極刑は免れない。そしてこの件にミールがどこまで関与していたか。報告の内容によっては、今後、王都のホールムスクへの対応を変えることになるだろう。自治権の放棄と直接統治が求められる可能性もある。
騎士団としては、一刻も早く状況を正確に把握し、分析する必要があった。国内外各地に独自の伝手と情報網を持っている王都連中のことだ、とりわけ影の諜報部である【チョールナヤ・テェーニ】はこの件を感知し、アタマンの指令で独自に調査を始めているだろう。
騎士団側の意見は彼らにとっての正論だった。
「我々が不正に関わっているというのか? 今回の焼失事故も我々が故意に起こしたとでもいうのか!」
「いいえ、全てがとは言っていませんが、この段階ではその可能性も捨てきれませんよね。ですから、たとえば、皆さんの中にこの一件を熟知する方がいたとしても不思議ではありません」
「なんだと!」
「ほざくな!」
「シーリス」
些か挑発が過ぎたのか、出過ぎた部下を窘めるようにユルスナールが友の名を呼んだ。
「長殿の意見はいかが?」
ミールの長イステンを再び瑠璃色の瞳が捕らえた。議論の間、じっと宙を睨みつけていた長の眉間には深々とした皺が生まれていた。
「我らの預かり知らぬ所で、かような不手際があったこと、監督不行き届きは誠に遺憾に思う」
武器の密輸、抜け荷に関して、ミールとしては関わりがないと暗に示した。
「我らとてスタルゴラドの一員、かようなことに加担することが何を意味するか、それが分からぬほど愚かではない」
それから真っ直ぐに青き海の如き瞳を見返した。
「二日。猶予をいただきたい。我らにも自らの勤めを果たす責務がある。身内の恥は我らが不徳。不始末は掟によって裁かれなければならない」
調査の結果は、期限をもって沙汰いたそう。身内に事件関係者がいたとしてもミールは捜査の手を緩めない。処罰に対してもミールの法に則り公正な判断を行う。そう約束したイステンの心をユルスナールは受け止めた。
「承知した」
両者の間で着地点が見つかった。
その後、すぐに会議は散会となった。重厚な木の両扉が廊下に向かって開け放たれた。忌々しげに軍服姿を睨んでから足早に去る者、不安の入り混じる面持ちでこれからのことを話し合う者。二人、三人と小さな塊となって退出する。
騎士団の二人も会議室を後にした。去り際、ユルスナールは険しい顔付きで腕組みをするエンベルに歩み寄り、耳元で何かを囁いた。
「なぜ、それを?」
自分に教えるのだ。
「真実を知りたい」
一刻も早く。その思いは変わらないはずだ。
二人の眼差しが交差する。エンベルは皮肉に口元を歪めた。ユルスナールは気にすることなく相手のいかりぎみになったいかつい肩をポンと叩いて出て行った。
長イステンが長老ニョフリと共に去り、粛々と参加者全員が席を立ってから、最後に会議室を後にしたのは術師のフェルケルだった。廊下に出た所で、移動する人々の話声から気が付いたのだろう、リョウの姿があった。顔を見交わして一つ頷き合うと、リョウは入れ替わり室内に入り、円卓に沿ってぐるりと室内を一周しながら四隅の角と窓際へくまなく視線を走らせた。目を眇めるようにして何かを【視て】いた。
「よろしいですか?」
「ああ」
前を向いたままの問いかけに背後からフェルケルが合図を送る。
「では」
人さし指と中指二本をぴんと立てた片手を室内に翳し、唇の間から不可思議な音を紡ぐ。それは室内に施されていた結界を解除する為のまじないだった。
「何かありましたか?」
リョウが尋ねたのは、自分が施した結界が問題なく作用したか否かの確認だった。
「いいや」
フェルケルは言葉少なに答えると小さな背中を促すようにして廊下に出た。
―滅多なことにならねばよいが。
思わず口をついて出そうになった呟きを気取られぬよう、ぐっと腹に押し返した。口にしてはいけない。そんな気がした。
フェルケルは少し前を歩く小さな頭部を見た。王都騎士団に属するものでありながら、ミールの術師でもあるリョウ。もし今後、二つの間で引き裂かれることになったら、この朋輩はどちらをとるだろう。ふとそんな馬鹿げたことが浮かんだ。術師としての立場からこれから起こり得る事態を予想すると暗い気持ちになる。
なんとはなしに手を入れた懐の布の感触にやらなければならない仕事を思い出し、フェルケルは邪念を振り払うように思考を切り替えた。
―期限は二日。いや、報告の時間を考慮すれば、取れて一日半か。
術師にも術師にしかできない仕事がある。
「忙しくなるな」
微かな呟きが漏れた。事務所の入り口で振り返ったリョウのもの問いたげな眼差しには気が付かぬふりをして、フェルケルも室内に入った。
ここで第四章は、終了予定です。起承転結で言えば「起承」までが終わった辺りでしょうか。次回からは転。ドラスティックで躍動感のあるお話にしたいと思いつつ。やる気のあるうちに少し気合いを入れようかと。




