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Messenger Ⅱ~空際のホールムスク~  作者: kagonosuke
第三章 永劫回帰の孤独
20/60

2)旅の目的

ご無沙汰いたしております。なんとか今月中に間に合いました。

 その日、リョウはユリムを連れて街の目抜き通りを歩いていた。 ユリムからこれまでの経緯を打ち明けられ、ブコバルに馴染みのバールへ連れて行かれた日から更に二日ほど経った後のことである。


 似たような髪質、髪色に同じような彫の浅い顔立ち。様々な民が入り混じるこの街では、二人の姿は悪目立ちすることなく市中の喧噪に溶け込み、傍目にはまるで姉弟のようにも見えた。

 どこにでもいるような小ざっぱりとした身なりで、洗いをかけて柔らかくなった衣服は肌に馴染んでいる。生成り色のシャツとズボンの上に少し丈の長い(チュニック)を重ね、腰元は其々革のベルトや柔らかな腰紐で結ばれていた。足元は、重みのある革の長靴(ブーツ)ではなく、この辺りの商人たちが好んで履く平たい靴だ。


 日中は天気が良ければ、少し歩いただけで汗ばむほどの陽気だった。もうすぐ爽やかな夏がやって来る。

 なだらかな坂上から遠く、建物の合間やその向こうに覗く海は凪ぎ、初夏を思わせるじりじりとした日差しを浴びて、無数の魚が鱗を反射させるように柔らかな煌めきを放っていた。刻々と変わるその光りを見ていると青い海そのものが巨大な生き物のようにも思える。


 この街の海原は明るい色をしている。突き抜けた軽やかな碧はこの街を吹き抜ける潮風と共に賑やかな喧騒を包み、回流の如く変化(へんげ)する。その色は、リョウが記憶の中に焼きつけていた色合いとは異なったが、それは瑣末なことだった。塩辛い水が滔々とそこにある。ただそれだけで十分だった。


 そしてまた、隣を歩くユリムにとっても、海は未知の世界だ。海を知らぬ場所で育った者特有の高揚感と渇望を心の奥底に潜ませて、眩しい程に光輝く厚ぼったい青のかさね・グラデーションを目の端に捉えていた。


 【青】という色は不思議な作用を持っている。その時々で対峙する者の心を映す鏡のようだ。人が青から受ける印象(イメージ)も様々だ。冷静、冷却、高潔、高貴。誠実。心変わりに冷たい仕打ち。無へと通じる黒の手前の小休止(オアシス)。名残り惜しき深淵など。懐かしくもあり、やるせなくもあり、安寧を約束するようで、また落ち着かない気分にさせる。水は手で(すく)って間近に見ると無色透明だが、それがあのように滔々と無尽蔵に集まると【青】という色を持つ。それが不思議で仕方がなかった。


 その実、人が認識する色というのは矛盾に満ちている(パラドキシカルだ)

 たとえば海が青く見えるのは、海が青という色を持たず、宇宙(フセェレンナイ)太陽(ソンツェ)から降り注ぐ様々な光線の中で、唯一、青を吸収できずに弾き返して拒絶してしまうから。持たぬ色を反射で身にまとう。けっして手に入れることのできないかりそめの色。それは、青への究極の憧憬と渇望なのかもしれない。青を持たぬものが青に染まって見える不思議は、この世界を満たす、謎めいたからくりの一つだ。

 そしてまた、地中の鉱物が長い年月をかけて結晶化することで凝り固まり、類稀な【青】が生み出されるように、あの揺らぐ水面の下には、ひっそりと蓄積された神秘があるに違いないのだ。それは生命の源に通じる(ことわり)だろうか。


 ふとそのようなことを考えながら、リョウは明るい(ベージュ)色に朱が混じるでこぼこの石畳の上―二人は既に商業区域に入っていた―足元に伸びるユリムの影を見た。

 ユリムは気丈だ。こうして再び街中を歩こうというのに動揺の欠片も見せていないように思えた。真っ直ぐに伸びた背筋が異国の少年を必要以上に大人びて見せていた。




 ―族長の命を受けて旅に出た。およそ半年前(5か月前)のことだ。

 一昨日、第七の宿舎の一室でユリムはそう切り出した。旅の目的は、とある品を探すためだと言う。探し物は全部で三つあるのだが、その内の二つが具体的な形あるものだった。どれもがユリムの国では非常に大事な品で宗教的にも政治的にも重要な意味を持つものだという。

 それらの品は三つ一揃いで一式となる。一つは短剣。キコウ石をふんだんに使用して鍛えられた特別な一振り。そして、その短剣と対になる二つ目の品が香炉。掌に収まるくらいの卵型をしたもので、繊細な彫物が施された銀の地金に表面にはびっしりとキコウ石が散りばめられている。

 そして、三つ目はサリダルムンドの言葉で【ウル】と呼ばれるもの。この最後の一つに関しては、ユリムは言葉を濁してそれ以上の言及は避け、目下の探し物はこの短剣と香炉の二つであると言った。

 これら一対の品は、ユリムの国で行われる重要な神事の際に使用される神具であるそうだ。


「そんな大事なものが…どうして?」

 リョウの尤もな問いにユリムは目を伏せて、こちらの言葉での説明は難しかったのか、古代エルドシア語を用いて語った。

「先の王、御崩御あそばされし時、民、すべからく喪に服すべき所、葬儀の折、宝物庫に畏れを知らぬ不届き者あり。神聖な御魂所を穢し、不敵にもこれら大事の品、奪いて逃げし候」

「ええと……つまり…盗まれたの?」

「ああ」

 それらの品物を取り戻すべく、こうして勅命を賜ったのだとユリムは真顔で頷いた。

 勅命―それは国の指導者、つまり王から直々に下された命令だろうか。

 リョウはこれまでの話から慎重に言葉を選んだ。

「何のために?」

「さぁ、それは分からぬ。大方、金になると見込んだのであろう」

 リョウの耳にはまるで雲を掴むような話に聞こえた。サリダルムンドという国の規模は分からなかったが、少なくとも国を挙げて大切に保管されていた宝物が何者かに奪われ、その捜索と奪還の為に旅に出たのだとユリムは語った。大役である。少年に対して課すには随分と責任重大で荷の重い任務ではないか。

 ユリムはただの子供ではないのだろうか。この年でもうかなりの責務をその背に負うのか。思わず自分の中にある常識で物を考えてしまったリョウは、その安直さを諌めた。少なくとも既に成人していると言うユリムは子供扱いされることをひどく嫌う。成人の規定もその役割も、国や慣習が変われば当然違って然るべきである。よって立つ常識が異なれば、その考え方も真逆にだってなりうるからだ。自分の物差しをあてはめようとするのは安易なことだ。

 いずれにしろ、ユリムの旅には大きな目的がある。それは確かなことだった。


「その宝物の行方に心当たりはあるの?」

 ユリムは真っ直ぐに伸びた形の良い眉をほんの少し(しか)めた。ちらりと横目にリョウを見る。

「闇雲に探し回っている訳でもない」

 掠奪者の目的がはっきりしなければ何とも分からないが、もし盗人が換金目的であれらの品を奪ったのであれば、いずれ高値で取引される市場(バザール)に持ち込まれるだろう。そのような推測から目を付けた先が、名立たる貿易港ホールムスクだった。この街には、世界中から物珍しい品々を集めた(ルィーナク)が立つことで聞こえていた。途中、情報収集をしながら、少ない手掛かりの中から藁をも掴む思いで船を乗り継ぎ、遥々この地までやってきたのだ。

「そう。じゃぁその市場にはもう行ってみたの?」

 リョウとしては何気ない積りだったのだが、その質問にユリムは顔色を曇らせた。

「いや、その前にちょっとした面倒事(トラブル)に巻き込まれたゆえ………」

 そのまま怖い顔をして押し黙ってしまった。


 リョウは不用意に相手の古傷に触れてしまったことを知った。ユリムが抱えている事情はかなり深刻なものであるらしいことは想像がついたが、それがどのような性質のものかまでは分からない。やっと自ら話すことを決心してくれた矢先だ。無神経にずかずかと他人の領域に踏み込むことはできない。


 そこでリョウは少し話を変えた。

「ユリムは、それらの品を実際に見たことがあるの?」

 普段から人目に触れぬ場で保管されている貴重な品であれば、庶民がそれを知り、手にする機会などないだろう。品物の探索にはその品の形状を熟知していなければならない。ユリムはそのような宝物に触れることができる―恐らく―限られた地位にいるのだろうか。14歳という数字から想像するよりもずっと落ち着いていて厳かな品すら持つこの少年は、もしや身分ある者なのではなかろうか。

 失礼なことも諸々含め考えていることが憚らず顔に表れていたのか、ユリムは思わず睨みつけるようにリョウを見た。

 騎士団の宿舎の広くはない居室。簡素な椅子に腰掛けたユリムは、斜交いに座るリョウを横目に腕組みをして背筋を伸ばした。

「当たり前だ。その形状を知らずしていかに探すというのだ」

「うん。そうだよね」

 リョウは誤魔化すように微笑んだ。

「でも、神聖な品ということは、厳重に管理されていたのでしょう? もちろん施錠もされていたでしょうし。盗人はよく忍び込めたわね。すご腕だったのかしら」

 能天気な感想を述べたリョウにユリムは呆れた顔をした。

「そのような悠長な話ではない。王の御蔵が穢されたのだ。警護の司は直ちに任を解かれ蟄居(ちっきょ)。賊侵入時に立ち番をしていた兵は責任を問われ即刻死罪となった」

蟄居(ちっきょ)って?」

 初めて耳にした古代エルドシアの単語にユリムは更に説明を加えた。

「屋敷の一室に留め置かれ、外出を禁じられる刑だ。罪の重さによりその後一生続くこともある。不名誉な刑だ」

「そう。大変だったのね」

 古い言葉を介しているということもあるがユリムの国の統治の仕組みをいまいち理解しかねたリョウは、陳腐な合槌しか打てなかった。

「ああ。上を下への大騒ぎとなった」

 喪に服す中、葬儀に使用された神器が奪われたことで王の館は蜂の巣を突いたような騒ぎになった。先王の遺言により次の王は正室の嫡子と決まっていたが、後継は年若かった為、元服するまでは先王の弟に当たる叔父が後ろ盾となり執政を引き受けることになった。ユリムはその補佐となった先王弟より直々にこの任を与えられたのだそうだ。

「特別で特殊なお勤めを賜ったのね?」

「ああ。端から見ればそうなるであろうな」

 その口振りには妙な含みがあった気がして、リョウはじっとユリムを窺うように見た。

 聞きたいことがある。もう一歩踏み込んでもいいのだろうか。

「体の良い厄介払いの口実にはもってこいだろうからな」

 皮肉っぽく口元を歪めてユリムはやけに達観したような目をした。その時、ちょうど雲が日差しを遮って、仄暗い影がユリムの顔半分にかかった。若き青年の入り口に立つはずの男の顔が、急に老けこんだようにも見えた。

「……ねぇ…ユリム」

 暫く経ってからリョウは小さく口を開いた。

 ―どうして…キミが?

 だが、これまでに見たことがないような別人の表情をしたユリムを前にリョウはその問いを飲み込んだ。




 事情により予定が狂ってしまったが、元々はこの街に着いたらすぐにミールにある鉱石組合に繋ぎを取る積りだったのだとユリムは語った。鉱石組合の長に面会を求める為の紹介状があったのだが、その大事な一筆を旅の途中で失くしてしまったのだという。

 だが、駄目元でも、これまでの予定通り、手始めにミールの鉱石組合を訪ねたい。そう語ったユリムにリョウは微力ながら助太刀を申し出た。自分も一応ミールの会員の末席に連なっているので母体の術師組合を通じて鉱石組合の方に連絡を付けてもらえるかもしれない。そう言ったリョウにユリムは「まことか!」と初めて年相応らしい喜色を浮かべた。

 こうして二人は丘の上にある宿舎から街の中心部にあるミール本部に向かったのだった。


 通い慣れた道を抜けてミール本部などの街の主要組織が集まる大広場に出るとリョウは歩みを止めた。足元にはこの街の象徴でもある大海原の世界がモザイクで描かれ、マリャークが信仰する海の神【ペレプルート】 ―頭部に三面の顔を持ち、胸部に更に大きな顔を持つ独創的な姿だ―が右手に海図を、そして左手に切っ先が三本に分かれた(もり)を持つ雄々しい姿で波間に立っているのが見える。その間を白い帆船が行き交い、風の神【ストリボーグ】が出航を祝福するように天から風を送る。


「あれがミール」

 眼前に聳える石作りの建物は堅牢で、見る者によっては威圧感すら与えるかもしれない。リョウも初めてここに来た時はその荘厳さに圧倒され、妙に緊張したものだ。

「…ここが……」

 そしてここにも似たような感想を持つ者が一人。

 ユリムは顔を上げると小さく唾を飲み込んだ。決意したように剥き出しの拳をきつく握ったのが肩と肘の強張りから感じ取れ、リョウは冗談めかすようにその肉つきの薄い硬い背を軽く叩いていた。

「まだ先は長いから。それにすぐに目的が達成できるとは限らないよ」

 過度の期待は禁物だ。ここで水を差すのは野暮かとも思ったが、そう言わずにはいられなかった。

 というのも。ミールは巨大で官僚組織に近い硬直的な側面を持っているというのがこれまでにリョウが得た感触だ。組合内での結束は―術師組合に関しては例外的なのだろうが―恐らく強い。仮に上手く術師組合長に取り次いでもらえたとしても鉱石組合の方から迅速な反応がもらえるとは限らない。先との面会は、後日になるのではなかろうかと予想した。

「ああ」

 言葉少なに頷いたユリムを促してリョウはミールの中に足を踏み入れた。




 階段を上って二階、そこから廊下を進んで最初の角を左に曲がった突き当たりにある術師組合の事務室に入ると、一体何があったのか普段の二割増しほども化粧を濃くしたミリュイ・ツァーブが二人を出迎えた。

「あら、リョウじゃない。今日はどうしたの?」

 それはこっちの台詞だ。

 噂好き、詮索好きの矛先を曖昧な微笑みでかわした積りだが、対人関係において一枚、いや二枚は上手のミリュイに通用するかは心もとない。

「こんにちは、ミリュイさん。今日はなんだか気合が入ってますね」

「あら。わかる~?」

「はい」

 目元の縁取り(アイライン)がいつもより濃く、なにやらきらきらとした粉末(パウダー)が目元から頬骨にかけて付いているように見える。

「とても…その…眩しい感じです。華やかで」

 なんと言ったものかと戸惑ったリョウだったが、ミリュイはそのぎこちなさを気に留めず機嫌よく微笑んだ。

「ふふ。素敵でしょう? これはねぇ表通りの【リーザ】で買ったのよ。今、セェルツェーリで流行ってるんだって」


 【リーザ】というのは、主に女性向けの化粧品や小間物、装飾品の類を扱う店のことだ。舶来ものを多く扱い、最先端の流行に敏感な女性たちに人気の店で、王都にも支店を構え、貴族の婦女子が主要顧客となり繁盛していると聞いている。もちろん、これらの情報はお洒落通である当のミリュイから聞いた話であるが。スタルゴラドは昔から東にある隣国セェルツェーリ―この大陸では芸術の都として名高い国だ―の文化を好んで受け入れており、セェルツェーリの流行はさほど間を置かずしてこの国に伝わり、主に女性たちの心をとらえていた。

「へぇ、そうなんですか。素敵ですね」

 どこか儀礼的で気のない返事からあまり相手の興味を惹かなかったことを感じ取ったのか、

「あら? お連れさん? 珍しいじゃない」

 ミリュイはさっさと話題を変えて、リョウの後方に控えていたユリムを見た。

「ええ。まぁ」


 口慣らしの他愛ない雑談をしている間にざっと室内を見渡せば、もう一人の事務方、フェルケル・タチの姿が部屋の奥の方にあった。厚みのある革表紙で閉じた台帳のようなものを数冊となにやら書類の束のようなものがはみ出した紙ばさみ(ファイル)を両手に抱え持ち、首からは丸い眼鏡(ルーペ)のようなものがついた鎖を下げていた。

「こんにちは、フェルケルさん」

 フェルケルは取り込み中なのか、小さく頷いただけだった。

 対照的な二人の顔色を確認しながらリョウは用件を切り出した。

「あの…シェフ()はいらっしゃいますか?」

シェフ()? いるわよ?」

 ―どうしたの、珍しいじゃない。

 煮ても焼いても食えぬ御仁という印象の強い(シェフ)には妙な薄ら寒さというか苦手意識のようなものがあって、リョウはこちらから用事がない限り極力近づかないことを鉄則にしていたので、それを知るミリュイにはおかしく映ったようだ。赤みを帯びた瞳が悪戯っぽく光る。

「その…少し相談といいますか、お願い事がありまして」

 後方に控えるユリムを意識しながら、リョウは曖昧に微笑んだ。

「あら、シェフ相手にお願いだなんて、高くつくわよぉ? うふふ」

 ミリュイはまるで少女のように意味あり気な顔をして脅かすような軽口を叩いてから、案の定、リョウの肩がぎくりと跳ねたのを見てとって満足したのか、歌うように言葉を継いだ。

「まぁ、ちょうどよかったんじゃない? ねぇ、フェルケル?」

 突然話を振られたフェルケル・タチは作業に余念がなく、器用に片方の眉毛を跳ね上げただけだったが、ミリュイはそれを合槌と見なしたようだ。

「だってシェフったら、午後はやけに機嫌が良さげなんだもの。きっと愉快なことがあったのね」

 そこでミリュイは体を前に屈めると、長の執務室へと通じる扉を横目に見てから声を低くした。

「さっき会議から戻って来たんだけどね。きっとあっちにぎゃふんと言わせてやったのね!」

「あっち?」

 リョウは瞬きをして、つられるように囁き返した。

「ん~? まぁ大方、薬師組合辺りだと思うけど。シェフは日頃からやり合う相手に不自由しないのだけれど、ここではあそこが一番だから」

「そう…なん…ですか」

 リョウは図らずもミール内の人間関係の複雑さの一端を知ることになったのだが、なんと答えたものか分からなかったので適当に濁すしかなかった。


 そうやって雑談に油を売っていると長の執務室へと通じる扉が、突然、音も立てずに開いて、シェフであるメェレジェディク・リサルメフが隙間から首を突き出した。

「いい加減、無駄話はそれくらいにしたらどうかね? 待ちくたびれたよ」

 真っ直ぐに伸びた紺色とも灰色ともつかない不可思議な色合いの艶やかな髪が自己主張するように揺れた。

「あらやだ」

 ミリュイは胡散臭くしなを作って片手を振った。その向こうでフェルケルも態とらしい咳払いをして自席に着いた。

 リョウは突然のことで驚いて突っ立ったままだ。

「リョウ、入りたまえ」

 首を突き出したまま簡潔に告げ、そして少し間を置いてから付け足した。

「それから、そちらのお客人も」

 そう言うと役目を終えたからくり時計の鳩ようにひょいと首を引っ込めた。重力の法則に従ってギィーパタンと扉が閉まった。

 館内に入ってからずっともの言わぬ連れは大丈夫だろうかと振り返れば、ユリムは行儀よく無表情の仮面を付けているようだった。内心苦笑しながらも、まぁ初対面の挨拶としてはまだマシな方だろうかとリョウは一人心を慰めた。少なくとも自分の時のように大声で歌ってはいないのだから。


 こうしてリョウとユリムの二人は、術師組合長の執務室へと入った。

 奥の間の方で規則的な足音がしていたかと思うとシェフは沢山の書類が詰まった紙ばさみ(ファイル)を手に戻って来て、どこか落ち着きなく大股で部屋を歩き回っていた。どっしりと構えているかと思いきや意外に神経質な所がある。相変わらず捉えどころのない男だった。

「お忙しい所、急にすみません」

 事前の約束(アポイントメント)も無しに訪ねたことへの非礼をまず詫びた。

「いや、べつに構わない」

 ―そこにかけたまえ。

 目線で応接用の長椅子に座るよう示されて、リョウはユリムを促しつつそれに従った。


「どうした? もうあの男のところは飽きたかね? このところ無沙汰にしていたようだが。まぁここですぐに首を縦に振られても、こちらとしては『はい、そうですか』とは言えないのだがね。その辺りの事情はきみにもよく分かるだろう?」

 ユリムの一件があってから暫く港の診療所の方へ顔を出していないことが既に耳に入っているようだ。この男は何をどこまで知っているのだろうか。

 感情の読めない微笑みと共にそう切り出されて、リョウはやんわりと否定した。

「とんでもない。トレヴァルさんには本当に良くしてもらっています。まだまだ慣れないことも多いので色々まごついたりはしていますが」

 現状に不満などない。

「そうかい? それを聞いて安心したよ」

 シェフは、そのあだ名の如くリースカ(キツネ)のようにうっそりと微笑んだ。

「とすると、そちらのお客人の為かね?」

 そこで長は急に立ち上がると、徐に両手を広げた。

「ヨォー ナーポォート キィヴァーノーク!  イーステン ホーツァ ヴァーロソム ホールムスク」

 シェフは、リョウが最近覚えたばかりの言葉を発していた。そう、ユリムの国の言葉だ。意味合いとしては「ごきげんよう。我らが街ホールムスクへようこそ」という所だろうか。


 ユリムは弾かれたように立ち上がると感謝の意を表わす為に左手の手のひらの上に右手を縦にして置いて、押し切るような仕草(ジェスチャー)をした。それはユリムの言葉を借りれば、相手への敬意と礼を示す故郷(くに)の所作だという。

 立ち上がったユリムは、そのまま久し振りに耳にした己が国の言葉で話し始めたのだが、不意に長椅子に腰掛けたまま呆気に取られた顔をしている連れに気がついた。

「済まぬ」

 ユリムは小さく詫びを入れて、今しがたの興奮を恥じ入るように黙り込んだ。

「シェフはサリド語がお分かりになるのですか?」

「ああ。まぁね。滅多に使わない言葉だから勘が鈍ってしまっているが、一通りはね」

「そうなんですか」

 リョウは感嘆を込めて息を吐き出した。

 さすが博識と謳われるホールムスクの術師だ。ミールの人々は商売道具として様々な国の言語に通じていると聞くが、この街ではまるで空気のように自然に異国の音が飛び交うのだ。誰もが相手と意思の疎通を図ることに一生懸命で、たとえ片言であっても外国語を使うことに妙な照れや抵抗はない。それが当たり前で、生きて行く上で必要な手段であるから。


「では、改めて用件を聞こうか。私に何か頼みたいことがあるのだろう? いや聞きたいこと…と言うべきか」

 向こうの事務室での会話はこちらに筒抜けていたようだ。シェフはやけに乗り気なようで、その裏にどんな魂胆があるのかは知らないが、リョウには、向こうが手ぐすね引いて待ち構えているような気がしてしまった。

「ええと…ですね」

 だが、気圧され気味に口元を引きつらせながらも口を開こうとしたリョウをユリムが指先で制した。そして、改まるように背筋を更に伸ばすと―隣にいたリョウも何故かつられるように姿勢を正した―上半身をやや畏まって前方へ傾けた。軽く目礼をしているようにも見えた。

「申し遅れた。我が名はウル=ユリム・バノイ。サリダルムンドより参った」

 リョウにも分かるよう配慮したのか、サリド語ではなく古代エルドシア語を混ぜる形で始めた。

「まことに不躾ながら、貴殿に一つ、頼みたき儀これあり。ご面倒をおかけいたすが、先への取り継ぎを御引き受け願えまいか」

「して、その先というは?」

 シェフの声にユリムは一旦顔を上げたのだが、再び目線を下げた。

「鉱石組合の長殿なれば。本来ならば我が招待状をもちて取次の(あかし)と致し、あなた(あちら)へまかり越すべき所、さる事情により書付を失くしたれば、まことに面目なき次第なり。突然かようなる頼みごとをするは筋違いなれども、ここなリョウの口利きに厚かましくも乗りたる次第。なにとぞご助力頂きたくお願い申し上げ奉る」

「ふうむ」

 シェフは正面のソファに座って足を組み、腕組みまでして何やら考え込むような素振りを見せた。それが妙に芝居掛かって見えたのは気の所為だろうか。

 深刻そうな顔をして唸った後、対面に座る二人を上目遣いに見た。

「サリドの民の、ましてや長の血筋。やんごとなき御子息が供人も連れずして単身こなたに乗り込むは、余程のこととお見受け致しました。よろしいでしょう。我らミールと貴国はかねてよりの仲。そのくらいお安い御用ですよ」

「かたじけない」

 シェフの返答にユリムの肩から緊張の強張りがふっと抜けた。リョウも無意識に詰めていた息を吐き出した。

 そこでシェフは口調を和らげた。

「それにしても随分と訳がおありのようですな。よろしければ仔細をお聞かせ願えますかな。場合によっては力になれることがあるやもしれない」

 随分と丁寧で踏み込んだ感のあるシェフの応対にリョウは内心驚き、薄気味悪ささえ感じた。

「貴殿は…我が言葉を信ずるのか」

 とんとん拍子に話が進み、鼻先で褒美までぶら下げられて。警戒してか声を硬くしたユリムに、

「ええもちろん。あなた方サリドの民は清廉潔白、その心根、真っ直ぐなことを良しとするお国柄。それは貴公の振る舞いにも表れているかと。それに子供だましのような嘘など見抜けないようではこの組合の長は務まりませぬゆえ」

 そう言って余裕たっぷりに微笑んだ。

「貴殿の御心遣い、まことに痛み入る」

 ユリムはただそう言って、もう一度軽く頭を下げた。

 この場ではそれ以上の打ち明け話をする積りはないのか、早々に押し黙ったユリムにシェフも無理に仔細は尋ねなかった。

 シェフは執務机の引き出しから紙を一枚取り出すと、そこにさらさらとペンを走らせた。

 一筆書き終えるとそれをリョウの方に滑らせた。

「これを持ってあちらへ行くといい。長への面会を取り付けられるだろう。後は向こうの都合次第だ」

「ありがとうございます」

 話を通しておくと言われるだけでこんなに早く次の段階まで事が運ぶとは思わなかったリョウは、迅速な対応をしてもらえたことに感謝をした。

 リョウはその書面をユリムに手渡した。ユリムは古代エルドシア語でしたためられた中身を一読してから、押し頂くように恭しい仕草で折り畳んだ文書を懐に入れた。


 善は急げということで。このまま鉱石組合の方へ行こうと二人は決めた。上手く行けば面会の日取りを決めることが出来るかもしれない。


 再び術師組合の長に礼を述べて、執務室を辞そうと立ち上がった時、シェフがユリムに声をかけた。

「昨年のことでしたかな。先代がお隠れになったという報せはこなた(こちら)にも届いております。改めて、心よりお悔やみ申し上げる」

「これはご丁寧に。こちらの皆さまからも過分なる御はからいを頂いたと聞いております」

 ユリムは丁重に礼を返した。

「して、次代への引き継ぎは?」

「全て恙無く」

「ふむ。後継殿はいまだ年若いと聞き及んでおりますが」

「然るべき後ろ盾がございますゆえ、どうぞご案じ召されまするな」

 そこでユリムは珍しく口元に薄らと笑みを浮かべた。だが、その目は、それ以上の侵入を拒むように真っ直ぐに相手へと向けられていた。

「そうですか。ユリム殿…と言ったか。貴公は、それでよろしいのか?」

 シェフも真っ直ぐにユリムを見ていた。眼光鋭くというよりもその瞳は凪いでいて、淡々と何かを見定めるかのようだ。

 暫し、落ちた沈黙は、言い知れぬ焦燥感と息苦しさを室内に満たした。

 やがて、ユリムが全てを引き取るように吸い込んだ。

「流るる水に淀みなし。貴殿がお心を砕く必要はありますまい。元より異を唱える立場にはあらぬゆえ」

 ―では。これにて。

 失礼すると儀礼的な挨拶をしてユリムは一人背を向けた。下手な同情を許さない痛いほどに真っ直ぐな後ろ姿が、重厚な扉の向こうに消えた。


「御配慮ありがとうございました」

 室内に残されたリョウは、再度、長に繋ぎの礼を述べ、同じように執務室を後にしようとした。

「リョウ」

 取っ手に手をかけた所でシェフが呼び止めた。

「はい」

 振り返れば、リサルメフは執務机の上に肘を付いて組んだ手の上に尖った顎を乗せていた。

「キミもあちらへ行くのだろう?」

「はい。そのつもりですが」

「では後は任せる」

「………はい」

 リョウはシェフが何を言わんとしているのかを上手く理解できなかったが、状況から察するに面倒を見てやれということなのだろうと解釈して頷いた。


 こうして良く似た色合いの束の間の訪問者たちは術師組合の事務所を後にした。


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