1)ミール臨時会議
「ですが、それでは我々の面目が立ちません」
静かな苛立ちに怒気が蒸気のようにまとわりついた声が、飴色に光る円卓の対岸を震わせた。広い室内には多くの男たちが集まっているというのに、みじろいだ衣ずれの音が微かに聞こえるばかりだ。険しい顔をする者、とり澄まして目を左右に動かす者、組んだ手の内で親指同士をくるくると回転させる者、うっすらと笑みを浮かべる者、眉間に皺を寄せる者、テーブルの上に置いた人差し指で硬い木の表面を叩く者。窓の外に浮かぶ雲を見る者。真面目くさった顔付きで咳払いのような仕草をしてみる者等など。
暫く、肌を刺すような沈黙が続いた後、一人が声を上げた。
「だが、ここ半年の動きを鑑みても、限界は明らかではありませんかな?」
具体的な言葉を発しなくともここに集まった者たちには発言者の意図が理解出来た。
「いえ。これまでの捜査が実を結び、我々もようやっと何らかの手掛かりを掴める段階に至っています。あと少しで煩わしい影の尻尾を捕まえることが出来るんです。ここで横槍を入れられるのはご免こうむりたい」
声量は抑えられているが、男の声は自信に満ち堂々としていた。だが、対峙する相手も重々しい威厳を保ちながら、後方からひたひたと理詰めの波を寄せてくる。
「三日前に街外れの【ウスチ】で男子が一人行方不明になったとの報告を受けた。二週間前には川沿いの【イェギ】で女児が一人。その前には年嵩の男子が一人。この半年をざっと振り返ってみても、忽然と姿を消したという子供たちの数は五人に上る」
これは、ホールムスクで連綿と続くミール治世の長い歴史の中でも前例のない由々しき事態だと締めくくった。
発言者は、深刻さをその眉尻に刻み、周囲を見渡した。円卓の縁に沿って窮屈そうに居並んだ男たちの長さの異なる髭までもが、不愉快そうに震えたかに見えた。誰もが渋い顔を作り、そっと目を伏せた。
ここは、貿易港ホールムスクの舵取りをする商業組合ミール本部にある一室で、その中でも最上階にある大会議室である。天井が高く開放感のある室内の中央には大きな円卓が置かれ、今や隙間なく組合員たちが座っていた。
車座に顔を合わせているのは、ミールに所属する諸組合の長たちである。月に一度、こうしてミール本部では各組合の代表者を集めた定例会議が開かれており、組合同士の横の連携を密にし、本部からの諸連絡や、また市政に関わる諸問題への対策について合議が行われている。
ミールの管轄下に置かれている組合の数は、軽く見積もっても30を優に超える。昔から交易を主な産業として発展してきたので取り扱う品物も幅広く、それに連動して組合の数も増え、細分化されているからである。
その一部を挙げるならば。外国船、商船の入出港や港の運営・維持管理を行う港湾組合、造船や修理修繕に携わる船大工の組合、術師、薬師など特殊能力を持った技術者の組合。その他にも鉱石、織物、茶、日用品を主に扱う金物、刀剣などの武具を扱う武器商の寄り合い、塩、油、酒、砂糖・蜂蜜などの甘味類、豆類や穀物、香辛料など取り扱う品目毎の組合や街の中心にある魚市場、青果市場の運営・管理を行う組合、そして、街の遊興娯楽関連では、業種毎に楽師や娼館、飲食店、宿屋の組合に、情報流通系では、伝令や物流を担う廻船問屋などの組合がある。そうそう。紙や皮革を扱う組合も忘れてはならないだろう。
ここに集う各組合の長たちの中から、更にミールの執行幹部役員として8人が選出され、ミールの長を中心にホールムスクの施政方針が決められていた。
今日、この会議室に再び、各組合の長たちが集められたのは異例のことだった。定例会議はつい先週に行われたばかり。何らかの重大な問題が発生した際、ミールの執行役員と長は、各組合の代表者たちに対して緊急の臨時会議を招集することが出来るのだが、このように間を置かずしての臨時会合は珍しかった。
ミールの定例会議では、様々な議題が議論として上がる。各組合からの定期連絡や組合間の通達、協力要請などに始まり、解決すべき諸問題が発生した際には、関係各位の意見を集約し、ミールとして結論を出し、一丸となって対処方法を探るのだ。
ここ二月余り、早急に打開すべき懸案事項として挙げられているのが、諸外国からホールムスクに寄港する輸送船―中でも不審船―の取り締まりと市中で出回っている偽手形及び偽造された停泊許可証への対策である。
ホールムスクに寄港し、積み荷を下ろすには、ミールの港湾組合が発行する停泊許可証―通行手形のようなものとご想像頂ければいいだろう―が必要とされていた。この許可証は、ミールの港湾組合に所属する管理官が立ち合い検査を行った後に有料で発行されるのだが、一度、この許可証を取得すれば、然るべき期限内の立ち寄りが許可され、停泊時に水や食料の補給に始まり、船の修理などを割安で受けられることになっていた。ミールの方でも様々な国や地域からやって来る船団や貿易船の動向を把握出来るし、こうして日頃から船長や船乗りたちと交流を持つことで信頼関係も築かれ、スタルゴラドでは禁止されている品物が持ち込まれることを阻止し、水際で不正なことが行われていないかの確認がやり易くなる。ひいては港の安全に繋がった。
今回、停泊許可証の偽造問題が発覚した際、ミールには珍しく緊張が走った。というのも、港湾組合が正式に発効する許可証には、術師組合に所属する術師による高度で強固な印封が施されているからだ。術師組合曰く、同じ暗号の印封を別人がかけるのは不可能とのことだ。
だが、実はここに落とし穴がある。この施術は術師やその心得のある専門家が検分して分かるものなので、素人目には見分けがつかないのだ。船の入港時に許可証を検める検査官は、基本的に素養があり、その唯一無二の印封を確認できる者がその任に就かなくてはならないという規則なのだが、昨今の人材不足もあってか、近年では顔馴染みの船にはその確認を省く悪習があった。
今回は、その隙を巧みに突いた形で、偽造証には似たような印封が施され、薄らと呪いの跡らしきものが暗号として付されていた。熟練の者が見れば、精度の悪いお粗末なものだが、一般的には十分それらしく見えるのだ。
当時、この検査を行った管理官は、偶々規則を重んじる真面目な男―仲間内では頑固者と評判だ―で、しかも素養が低くとも、勘の働く男であったため、おかしいと思った直感をそのまま放置せず―ここが重要な点だ―精査に出したことでこの事件が明るみに出たのだ。もしかしたら、これまでにも似たような事例があったが、管理官の職務怠慢により見過ごされていたのかもしれない。そのような危惧すら浮かんでくる。
これを受けて、港湾組合では真っ先にこの問題が全ての組合員に通知され、特に入港時の検査を徹底するように注意喚起がなされた。と同時に偽造許可証の入手経路についての調査も行われたのだが、当該の船は定期的にホールムスクに寄港する貿易船で、船長とも日頃から懇意にしている、いわば身元のしっかりとした船だった。改めて詳しい事情を船長に聞くと、この許可証は前回、ホールムスク寄港の際に港湾組合の方から更新を告げられ、その指示に従い交換したものだという。偽造だと聞いて船長の方も大いに驚いた。
話を聞いて困惑したのは港湾組合も同じだった。船の出入を管理する台帳―日時、船名や積み荷、積み地、目的地などの情報が仔細に記されている帳面だ―と照らし合わせてみても、この船が先の入港時に許可証更新の手続きを行ったことは記されていなかった。この入港に立ち合った当時の管理官にも事情聴取を行ったが、事務方の官吏は顔を青くして驚き、身に覚えがないと言うばかり。今の所、具体的に把握できている被害件数は一件だが、船側は許可証更新手数料という名目で何者かに金を騙し取られ、正式な許可証を奪われた形になった。
この詐欺事件は、港湾組合のみならずミールにも衝撃を走らせた。交易はこの街の基幹産業であり、港湾組合の信用問題が揺らげば、この街の屋台骨が崩壊する契機となる。今後、この奪われた許可証が悪用される可能性も十分考えられたからだ。
また、この事件と時を同じくして組合の中で偽の手形が見つかっていた。ミールは、他の主な貿易諸都市に支店を構え、手形取引を行っている。買主はあらかじめ決められた金額の手形を、手数料を別途支払うことで発行してもらい、売買契約の条件にもよるが、それを商品受け取りの際に売主に引き渡すのだ。手形を受け取った売主は、それを各地にあるミールの直営店や提携店に持ち込み、地元の通貨に換金してもらうという仕組みだった。買主は、高額な取引の場合、大量の現金を常に用意しておかなくて済み、売主の方も商品と引き換えに確実に代金をもらえることになるので合理的であった。
問題は、ミールのとある組合で換金のために持ち込まれた為替手形が偽物だと判明し、商品代金の支払いが拒否された事例が発生したことだ。正式な手形を持たなければ正当な売主―対価の貰い手―ではないということだ。ミール側では代金を立て替える担保にはならない為、換金が出来ない。品物を売った商人は、当然のことながら怒り狂ってミールの組合にかけ合ったが、最終的にそのような取引先を選んだ商人の自己責任であるという結論に至り、商人は商品を出荷したものの代金の支払いが行われなかったことに頭を抱えた。
ミール側はこの件に対し、速やかに調査を開始した。先の偽造停泊許可証事件と共にこれらはミールの信用を揺るがず事件であったからだ。円滑な商取引環境を整えることはミールの重要不可欠な仕事の一つである。
まず手始めに、偽手形・偽造許可書の使用経路の調査と更なる保安強化のために港に出入りする船舶の立ち合い検査を厳格にするよう定められた。ミール本部からも各都市に点在する支店に対し、特別な伝令が仕立て上げられ、偽手形への注意勧告が行われた。
この時、業務の増加に伴い増えた人件費を賄おうと停泊料の値上げの話が出されたのだが、これには会議内で反対の意見が多数占めた為、見送られた。というのも、ここから南西方向に位置する隣国キルメクに同じように自由貿易を謳う港が整備され、ここ20年余りの間に物流拠点として急成長していたからだ。新興勢力に代々続く地域最大の貿易港の地位を奪われる訳にはいかない。国の手厚い保護の下、よりよい港を目指して整備を進めているキルメク側の動きを牽制する為にも、ホールムスクは港の利用者の利便性を一番に考えるべきであるという意見に落ち着いた。
偽造された手形と許可証は驚くほど精巧なつくりだった。これまでにも何度かこの手の偽造問題が発覚したことはあったが、過去のものは明らかに模造と分かる雑な仕様だった。
今回はこれまでとは明らかに違う。こう立て続けに偽物が発見されたことを思えば、突発的というよりもどこか組織的な匂いがしないでもない。この裏には大掛かりな裏組織、もしくは犯罪組織が関与しているのかもしれないとミールは危惧した。
今回、緊急に招集された臨時会議の議題は二つあった。一つは、この偽手形・偽許可証問題のその後の経過、進展の情報共有と、必要があれば更に踏みこんだ協議を行うためである。これに基づき、港湾管理組合と各組合における被害状況の最終報告が行われ、傾向を分析することで、抜本的な対策を早急に立てるよう参加者の意見が一致した。
そして、更にもう一つ、より深刻で重要な案件があった。ここ半年あまりに渡り、ホールムスク各地で起きているという子供の失踪事件だ。最初は、もうすぐ成人を迎える少年であった為、親に内緒で自立をしたのだとか家出をしたのだという話も出ていたのだが、家族から正式に捜索願が出されたので失踪者として登録受理された。直近では赤子が行方知れずになったという嘆願がミール管轄下の自警団に寄せられていて、自警団内は俄かに騒がしくなった。
専門の対策室が日常業務とは別に設けられ、専属でこの問題にあたることになった。これら一連の事件が互いに関連しているのか、それとも偶発的なものなのかは調査中だ。だが、自警団内では今の所、かどわかしにあったという所で見解が一致していた。尚、中には親が届け出をしていない場合も考えられ、実際の失踪者の数は多いのではないかという感触すらある。
この分野は、ミール自前の治安維持組織である自警団の領分だった。自警団とは、ミールに所属する組合の若者たちを中心に組織されている武装集団であり、街の秩序を守る為に武力を伴うあらゆる案件に対処できるようにと日頃から訓練をされている自前の警察組織である。
自警団を束ねているのは、ミールの長の息子で、その名をエンベルという。次期ミールの長として有力視されている若者だ。ミールの長は実力主義で、組合長たちの中から選出されるのが常であるが、現時点では次期長は現長イステンの息子になるだろうと目されていた。
息子のエンベルは働き盛り。男振りも中々と評判だ。幼い頃から自警団の活動に参加し、父の仕事を傍で見ながらミールの運営に関わってきた。ミールに所属する組合の長たちとも顔見知りで気心が知れている。
ミールはこの街の心臓であり、ホールムスクそのものである。長は、この街を繁栄へと導くために雑多で様々な利害関係を持つ商人たちを束ね、更なる発展へと繋げる舵取りの指揮を執るという重大な役目を担う。
中でもミールの長は、ホールムスクの顔だ。約300年前に大国スタルゴラドの支配下に組み込まれる形になったとはいえ、その後もずっと伝統的自治と独立の精神を守り抜いてきた。今でも王都から地方官吏が派遣されているが、この街においてはお飾り程度でしかない。
自警団は主に血気盛んで正義感が強く、ホールムスクへの忠誠心に溢れる若者たちによって構成されている。この街中で発生する暴力を伴う揉め事の仲裁をすることと犯罪行為の取り締まりが主な任務である。彼らは誇り高き海の男【マリャーク】だ。この街を愛し、自らの手で守るという気概に満ちている。
今回、開かれた臨時会議では、一向に埒が明かない失踪者案件に王都から派遣されている第七師団へ協力を要請するか否かを決めることが最大の論点となっていた。現長のイステンは穏健派で合理主義者である。王都からの派遣される役人や治安維持の名目で寄越される兵士たちを即敵として退けることはせず、中央との関係を出来る限り友好的なものにしようという考えだ。ホールムスクの民の中には、いまだ300年前の遺恨を持ち続け、中央の役人に反感を持つ者もいるが、イステン自身は、そのような考えは過去の亡霊に囚われ、この街の未来を閉ざすことになると信じていた。今のホールムスクには、スタルゴラド中枢部との良好な関係無くして発展は見込めない。大局をしっかりと見極め、この良くも悪くも古い伝統に縛られた街を守り、導いて行かなければならなかった。
この未解決事件について最初に騎士団との協力を提案したのも長であるイステンである。ホールムスクには、治安維持を目的に王都から騎士団の兵士たちが派遣されているが、この街には少数編成の一部隊ではなく、一師団を充てるという力の入れようだ。元々は、スタルゴラドの大国主義へ反発をする若者たちの武力蜂起に目を光らせる為の派兵であったが、今ではその図式は形骸化している。これもミールとスタルゴラドが、その後、長い年月をかけて歩み寄り、相互理解を深めようと努力をしてきた賜物と言えるだろう。
騎士団には、本国中央との太い繋がりがある。純粋にこの街の中でのことならば、騎士団の力を借りるまでもないのだが、今回の事件はそのような狭い範囲で起きた出来事ではないかもしれないという印象が、これまでの状況分析から分かり始めていた。各国の諸都市に支店を構えるミールにも独自の情報網はあるが、それだけでは不十分なのかもしれない。自警団の持たない情報を入手する為にも騎士団に協力を求めることが、事件解決の早道であると現実派で合理主義者のイステンは考えた。
「我々だけでは無理だと仰るのですか」
エンベルの口調は平坦なものであったが、その周囲には粉となって散った憤りがまんべんなくまぶされていた。
「いや。何も君たちの仕事ぶりを責めている訳ではない。実によくやっていると思うがね。ただ、早期解決の為にあちらと手を組んでみてはということだよ」
円卓の縁に沿ってずらりと居並ぶ男たちの中で、一番年下のエンベルを宥めるように年配の男が言った。市場を監督する組合の長だった。交渉術に長けた生粋の商人だ。
「あの腰抜けどもに何が出来るというんです? やつらは何も知っちゃいない。この街も。我々のことも。協力しろと言われても、かえって足手まといになるだけです」
自らの発言の真剣さを伝える為に自警団の団長はそこでゆっくりと参加者を見渡した。ある者は、動じずにその強い視線を受け止め、またある者は誤魔化すように視線を逸らし、またある者は、憚らずに渋面を作った。
この日の臨時会議は、端から波乱含みだった。
提案に真っ向から反対を表明しているのは、自警団を束ねるエンベルだ。定例会議に参加する組合員の中では一番年若いが、構成員の中で若輩者と軽んじられているわけではない。寧ろ対等な立場で迎えられていた。
エンベルはマリャークであることを誇りに生きる男だった。古き民の伝統を重んじ、後世に伝えようという気概に溢れている。ホールムスクはこれまでと同様、この地に暮らす民のものであり、ここで発生した問題は、代表であるミールによって解決されるべきである。自分たちの問題に他所者の手を借りる必要はない。他者の介入は相手に付け入る隙を与え、いずれは自らの首を絞めることになりかねない。王都の役人、ましてや騎士団の介入など言語道断だと強く主張した。
提言をした長は、口を引き結んだまま、じっと俯瞰するように円卓に集う一同を見た。このような合議の際、長であるイステンは、表に出張る必要はない。口切りに小石を投じるだけでよい。その後は黙したまま、組合員たちの議論に耳を傾けている。この場所では発言者の意見は頭ごなしに否定されることがなかった。誰もが自由に己が考えを述べ、その賛否を議論する場を与えられる。この円卓の上では誰もが同じ立場だ。きっかけさえあれば、この場では様々な意見が次から次へと出てくる。やがて煮詰められるのだ。それは様々な職業気質を持った人々が入り混じる雑多な寄り合いをまとめ上げる為の術の一つだ。ここで出てくる様々な意見を集約するのも長の大事な役目だ。
合議の参加者は、各組合の代表者たちであり、その利益を代弁するものである。組合にはぞれぞれ独自の【色】がある。上手く混ざり合うものもあれば、独自の路線を主張してとんがったまま衝突するものもある。其々の組合には其々個別の事情があり、内部事情を探られるのは嫌なものだが、同じ仲間内、ある程度の情報開示と共有への合意は、徹底的に組合員の意識に刷り込まれていた。そして、議題毎に毎回、白いまっさらな場所に描かれる変幻自在な筆使いと色使いから、何らかの景色を見つけ出すのだ。
しんとした沈黙が落ちた後、年長者で物腰の柔らかい鉱石組合の長が、ゆっくりと口を開いた。
「まぁ。エンベルの言うことも一理はありますな。あちらはまだこなたに移って来てから日が浅い」
前任者の部隊であれば、この地に7年近く駐留していたので、それなりにこの地の事情に明るく、ミールの方でも相手の特徴や性質が分かるが、この春に王都で軍部の人事異動が行われたため、新しくやってきた部隊がどういう人々で構成されているのかが未だ掴めず、ミール内では様子見の所だった。信を置くに足る相手なのか、上手く関係を築いて行けるのか、向こうもこちらも手探りの状態である。
提案に対しこれまで出た意見は、概ね肯定的なものだった。このまま決定とされるかと思われたのだが、案の定、自警団から反発が出た。そして、合議の場に突如として緊迫した空気が漂い始めたのだ。
皆、良く言えば仕事一筋で真面目であり、悪く言えば頭の固いエンベルをどうやって説得しようかと気を揉んでいた。多数決で押し切るのは簡単だが、当事者である自警団から色よい返事をもらわなくては、今後の見通しが立たないからだ。
やっと自警団の肩を持つ意見が出たと思ったのも束の間。
「だが、ここ半年余り、そちらだけの情報では些か手詰まりになっているのではありませんかな」
斜め横の方から術師組合の長が、背筋を伸ばした妙に行儀の良い姿勢で口を開いた。
「半年も経過していながら、未だおぼろげな輪郭すら掴めず、この街にかような不埒を働く者―そうですねぇ。例えるならば賊の類ですか―が紛れこんでいるのか、それとも何らかの犯罪の足跡があるのかどうかすら分かっていないとは」
―いやはや、なんとも憂慮すべき事態ではありますまいか。
ひっそりとした重い空気の中、やけに軽やかに響いた男の指摘にエンベルはぎゅっと奥歯を噛み締めた。
術師組合の長は、相変わらず何を考えているのか分からない男だった。ただこうして、他人の気持ちを慮るようなことはせず、躊躇いもなく真実をえぐることに優れている。
胸内に疼く小さな痛みに気がつかぬふりをして、エンベルは術師組合長の方を向いた。
「我々としても出来る限りの努力はしています」
それこそ寝る間も惜しんでこの件に当たってきた。
エンベルの反論に術師の長は鼻白んだ。
努力―そんな言葉になんの意味がある。結果が得られないのならば、何もしていないのと同じだとでも言うように、術師組合長は口の端を皮肉に歪めた。無駄を嫌う超現実主義者は、感情論や意味のない精神論に取り合わず、簡単に切り捨てる。
特別な能力を持つという術師を束ねる組合長は、他の代表者たちと比べても群を抜いて頭のきれる男だった。それ故にいつも人の一歩先、二歩先を見通すので、周囲からはよく理解されず、煙たがられるような所がある。だが、当の本人はそのような他人の評価を全く気にはしていない。
「その後、港湾の方では何か不審な動きは見つかったのか? たとえば妙な船が出入りするとか」
砂を噛むようにシャリシャリとした居心地の悪い空気が重く漂う中、立派な髭を生やした厳めしい顔付きの武具組合の長が話の腰を折るように身を乗り出した。
港湾組合の長がテーブルに肘を付けたまま低く片手を上げた。
「いや。あれ以来、妙なものは見つかっていない。今、入港しているのは定期便の商船が殆どだ。クラルスからの使節を乗せた旅船が補給の為に一時停泊中だが、特に留意するような点はない」
港での船の出入と積み荷の管理を主な業務とする港湾組合の長ははっきりと断言した。彼は生粋のマリャークであるが、対面や形式を重んじ、柔軟さにやや欠ける所があった。
「抜け荷の類もないと?」
「ああ。毎晩、そのように報告を受けている」
「その後、手形の件はどうなっているんですかね? 何か進展はありましたかな?」
次に糸や織物、染物などを扱う繊維組合の長が問いを発すれば、それに対しては、斜交いに座る薬師組合の長がひらりと骨張った手を上げた。
「ああ。こちらでも一つ見つかりましたよ」
その声は、周囲をざわつかせた。それを抑えるように曲がった指がちょいちょいと文字を描くように宙をなぞる。
「じゃが、あれはぁあんまりにもお粗末なぁもんでしてな。一目で紛いもんだと分かるがんだっけ。だすっけ、めぇに古道具の方で見つかったがんとは筋がちごうてるかと。もちろん、そいつをつこうた輩は、すぐにとっ捕まってぇ、おめさんとこに留め置かれてぇおるだろうがよ」
腰の曲がった年寄りで特に訛りが強い薬師組合の長は、丸まった背中をほんの少し伸ばして確認するようにエンベルを見た。
自警団の長は、表情を変えることなく頷いた。
「ええ。少し叩いてみましたが、ほんの小者のようでして、たいしたものは出てきませんでした。よって我々も関係はないと判じました」
「……ふうむ」
術師組合の長が長い息を吐いて、一人考える風に顎に手を当てれば、ちょうど真逆に座っていた薬師組合の長はその様子に不愉快そうに鼻を鳴らした。
「なじらね?」
「いえ。べつに」
術師組合の長は薄笑いのような笑みを浮かべた。この二人は、定例会議参加者の中でも昔から仲が悪いと評判だった。そりが合わないというのか真逆な性質なのか、何かにつけ張り合って、子供染みた争いをするのだ。
だが、この場ではいつもありがちな厭味の応酬は行われなかった。
その代わり。
「では、証書の偽造問題に関しては、今後も連絡を密に、各自が目を光らせるということでよろしいですな。些細なことでも異変を感じましたら即報告を上げると言うことで」
大きな流れから自然と司会進行役を買って出る形になった港湾組合の長は、そう締めくくると二つ隣に座るミールの長に後を任せた。
ミールの長は、上座から下座にいる己が息子、自警団代表者を見ていた。日に焼けてしみだらけになった顔は男らしく、ざらざらと赤みを帯びて硬そうだ。まるで煮染めた革のように。
そこで円卓に並んだ男たちは、再び論点が振り出しに戻ったことを理解した。
港湾組合の長が、年長者らしく口火を切った。
「さて、かねてよりの懸案事項だが。議論は出尽くしたようであるし。我々は、より柔軟な対応をするべきではないかね?」
きかん気な弟分を諭すような静かな声だった。どうにかして肩をいからせた相手を宥め説き伏せようとするようだ。
「気に食わないのは分かるが、ここで感情論を出しても仕方がない。それはお前もよく理解しているだろう?」
「精々向こうを利用するくらいの心構えでいればいいではないか」
「なにも対等である必要もない」
周囲からも外堀を埋めるように援護が続く。
「エンベル?」
自警団の長は押し黙っていたが、やがて毅然とした態度で顔を上げた。
「もちろん、こちらとしても組合内での協力であれば、助力は惜しみません。私としてもこの件に関しては最大限の注意を払い、任に当たっています。ですが、なぜ外の組織にこちらから協力を仰がなくてはならないのですか。私には納得できません」
この街の問題は自分たちの手で解決してみせるとエンベルの語気を増した声ばかりが虚しく空を震わせた。
どこからか溜息が漏れた。居心地の悪さを誤魔化すように身じろぐような衣ずれの音も続く。先程から議論はここで壁にぶつかっている。一枚の厚い壁だ。一見、強固に見えるその壁にどうやって穴を開けようか。
他の長たちは、円卓で肩を並べながら、互いの顔色を静かに探り合い、じっと長の出方を待った。
「では、自警団に尋ねるが。今後、具体的にどのような対策をとるつもりなんだ?」
合議が始まってから、初めて長が口を開いた。眼光鋭く無数の矢を降らせるように無言の圧力をかけて行く。
エンベルは唾を飲み込むと乾いた唇を舐めた。喉が引きつれるように渇き始めていた。血を分けた父子といえども、対面の上座に陣取る父は、厳格な父親の顔から底の見えない老獪さと苛烈さを兼ね備えた長の顔に変わり、向き合う者を息苦しくさせた。こちらを真っ直ぐに見つめる眼差しが、生半可なことは口にするなと雄弁に語る。
エンベルは下腹に力を入れた。
「突破口となりうる有力な情報を得ています」
そこで区切ったエンベルに長は顎を軽くしゃくって続きを促した。
「主に傭兵の差配をする口入れ屋で、妙な噂が立っていまして、今はそこを最優先に調べています」
「妙な噂?」
「はい。この半年余り、月に一度か二度くらいの割合で破格な程に身入りの良い仕事が流れてくるそうです」
「ほう? で、その仕事とは具体的にどんなものだ?」
「まだ……そこまでは。密かに接触を持ってはいるのですが、皆口が堅く、かなり厳重に管理されているようで」
「ふむ」
そこで皆の視線が自ずと口入れ稼業―早い話が職業斡旋業務だ―を行っている組合長に注がれた。重力の法則に従い肉の付いた頬を弛ませた丸顔の男は、突如、注目を浴びて動揺するどころか場違いな程に福々しい笑みを見せた。ここに集まる輩は良くも悪くも面の皮の厚い者が多い。
「みなさんもご存じでしょうが」
口入れ屋の長はそう言って、小さく咳払いをしてみせた。
「我々の手を通って表に出てくるのは、ほんの一握りですからねぇ」
全ての業務を細かく把握している訳ではない―と完全にしらをきる積りのようだ。もしくはここでは口にできないことなのか。出し惜しみをして交換条件を吊り上げるつもりかもしれない。
王都の神殿が祀る慈愛の女神の如き優しい仮面を張り付けて、だが、そこに収まる小さな瞳はぞくりとするほどに冷たく瞬いていた。
それから、先程とは口調を変えて口入れ業務に精通する男は言葉を継いだ。その言葉は薬師組合の長に負けず劣らず訛りの強いものだった。
「わっての中にも、掟っちゅうもんがございますっけのう。はじけたことはできねぇ。表は裏に口をはさまねぇってぇ仕儀になってするけ」
「だが、おめさんは裏にも通じておる」
ぼそりと隣から漏れた声が思いがけず響いた。飲食店や娼館など、遊興関係の店舗を管理する組合の長だった。裏世界と背中合わせの所に立つ業界に片足を置く男の一言は、説得力があった。
「ほっほっほ。嫌ですねぇ。それはおたげぇさまっつうこってね」
「ふん」
二人の男は目配せをすると何らかの合意に達したらしかった。そのまま口入れ家業の男がにんまりと笑うことでこの話を終えた。
「で、エンベル。そこを調べれば何かが出てくると?」
街の裏事情を知り尽くした男たちを適当に牽制する形で、長が続きを促した。
「ええ。そのように思います」
「思います、~のようだ。中途半端な想定は要らん」
「我々はそう確信しております」
「お前たちは顔が知れているだろう? そのことは不利にはならないのか? 目立つようなことをすれば、すぐに感づかれるのではないのか?」
「そうならないよう。万全の準備をして事に当たっています」
「そうか。だが、念には念を入れるべきだ。違うか?」
「ええ。それは重々理解している積りです」
きっぱりと言ったエンベルにイステンが尤もらしく頷いた。
「ならば、向こうと手を組むに反対する理由はないな」
「どうしてそうなるのですか!」
思わず声を高くした後、エンベルは更に自警団の状況を説明しようとしたのだが、長に発言を手で制された。上長の指示は絶対だ。ここでは押し黙る他ない。
イステンは、上げた片手をその場で一振りした。
「ラードナ。トゥピーク。これ以上はまともな議論にならん。自警団が手を挙げぬのならば、それはそれで構わん。こちらがあちらに繋ぎを取ることにする」
円卓の上に置かれたエンベルの握り拳に力が入った。
「ああ、では次のお茶会辺りがよろしいかと」
秘書のように合槌を打った港湾組合の長の言葉にイステンは理解を示した。そして再び視線を対面に座る自警団の長に向けた。
「その代わり」
最後通牒の如き条件を提示した。
「これより本案件は自警団の手を離れ、執行委員会に委ねることにする」
「なっ!」
執行委員会というのは、定例会議のすぐ上にある組織で、合議参加者の中から選ばれた8人の幹部たちによって構成されている。自警団の長であるエンベルもその一員ではあるのだが、執行委員会が主導権を握ることになれば、これまで保持していた裁量の自由は失われ、その手駒の一つになり下がる。
「待ってください。我々に引き続き調査をさせてはくださらないのですか!」
「それだけでは不十分ということだ」
―各々方も異論はありませんな?
イステンがそう言って円卓を見回せば、反対の声は出なかった。
ミールの長は、港湾組合の長に合図を送ると、臨時会議終了の旨を告げた。
「そ……んな」
自警団のエンベルは今しがたの決定を信じられないとばかりに動きを止めた。
そうこうするうちに散会の旨が告げられ、会議の参加者たちが徐に席を立ち始める。皆、目配せをするだけで口を開こうという者はいなかった。大きな木の両扉が開き、密閉空間が解放された瞬間、人々の話声、足音などの雑音と共に気の抜けたような緩みが廊下の向こうから流れ込んできた。
ミールの長も執行委員会に所属する組合長たちと二、三の確認事項について小声で話し合った後、大多数の弛緩した流れに乗ろうと足を踏み出した。
だが去り際、扉の前で足を止めると首だけ振り返り、いまだ円卓の上に両手を突いたまま呆然と唇を噛み締めている息子を見た。
「これは決定だ」
最後に念を押すように告げて。ミールの長が歩き始めれば周りにいた幹部たちが、ぞろぞろとその後を付いて行った。
そして、独り。人気のない円卓の縁に若き自警団長の姿が、室内に影のような染みを作ったのだった。