7)多生の縁 前編
リョウが団長室に用事があると言って傍を離れた後、一人厩舎に残ったユリムは、黙々と馬たちにブラッシングを施していた。ここにいる馬は皆、利発で穏やかな気性のものばかり。ユリムが心を込めて世話をすれば、それに応えるように体を預けてくる。
ユリムにとっても馬の世話は慣れたものだった。国元では男であれば馬に乗れるよう幼い頃から訓練されるのが一般的であるし、ユリム自身も馬を持っていた。今回の長い旅路でも苦楽を共にしてきた相棒だ。宿屋に預けていた馬はどうなっただろうか。あの分では既に売られて、金に換えられてしまっているかもしれない。
小柄ながらも脚力のある聡明な馬だった。豊かな土壌のような深い色合いの栗毛で、足元には白い毛がふさふさと、まるで長靴を履いたように巡る。幼い頃から友のように接してきた愛馬だった。父母は元より、誰よりも長く一緒にいた。買い手となった新しい主人がいい人であればいいが。気の毒なことをしたと思う。
ユリムには友と呼べるような仲間がいなかった。妾腹といえども王の子。その存在は極めて不安定で曖昧なものだった。母の身分が低かったため王位継承権はない。正妃との間に二つ下の弟にあたる嫡子がいたが、両者の立場の違いは歴然としていた。
ユリムはいつも独りだった。その振る舞いは絶えず監督され、普段は関心を持たれないのに少しでも妙な行動を取ろうものなら、やれ「賤しき遊び女の子だ」とか、「ゆくゆくは王への謀反を企む」とか「弟を蹴り落とそうとしている」などと口さがない言葉を浴びせられ、遠巻きに噂されたりするのだ。将来、正式な嫡子が王位を継いだ際には、妾腹の子は不穏分子になるのではないかとさえ言われ、煙たがれた存在だった。
常に人の目を気にかけ、己を律し、周囲とは距離を置いて過ごしてきた。窮屈で息の詰まる毎日だった。王が住まう首長の館を出れば良かったのかもしれない。だが、王はユリムにそれを許さなかった。幼いユリムには自立の術がなかったということもある。いずれ後を継ぐ弟の補佐として、厳しくユリムを教育した。次代の王への忠誠を誓わせる為に。
実母を手放さなかったのも人質としての役割を期待したからだろう。気紛れに情けをかけ、ユリムが生まれた。遊び女として蔑まれた楽師の女がユリムの母だ。何故、母はこの地を離れなかったのだろうかと今でも疑問に思う。位の高い他の妃や宮廷の女官たちから嫌がらせを受けることもしばしばで、嫉妬心剥き出しで目の敵にされていたのに。その挙げ句に毒を盛られ、体の半身に麻痺が残るまでになっても尚、父の傍を去らなかった母の心が、ユリムにはこれっぽっちも理解できなかった。いや理解したいとも思わなかったのかもしれない。
まだ幼い頃、口惜しさ半分、腹立たしさ半分、気持ちの高ぶりのままに母に尋ねたことがあった。なぜ母はこのような酷い仕打ちを我慢しているのだと。だが、母は気にすることはないのだと微笑んで見せるばかり。
ユリムが物心つく頃には、父は母を顧みなくなった。かつての寵愛は一時的なもので、公の場で表だって貶められることはなかったが、冷遇されているのは誰の目にも明らかだった。父は母を気にかける素振りすら見せなかった。まるで過去の遺物を目にするように興味を失くした冷たい眼差しで一瞥するだけ。いや、それならばまだいい。母の姿は父の瞳にはとうの昔に映っていないのだ。
ユリムの目にはいつまでも父の情けに縋ろうとする母が愚かしく見えた。何故、自分を身ごもったと分かった時点で、この国を去らなかったのか。身分違いの恋、釣り合いのとれない恋は、不幸を生むだけだ。そして、このように見えない鎖でがんじがらめになることもないのに。
それは、母と子であるユリムを縛る枷。重い枷だ。
―枷。
そこでユリムは、嘲るように口の端を下げた。今回の旅は目的があってのことだったが、こうして故郷から遠く離れてみて、頚木から解かれたような開放感を味わったのは、ほんの一時的なものでしかなかった。国を出て陸路で二カ月、そして海路で約二カ月。約四カ月の長旅の末にようやっとの思いで辿りついた港町ホールムスクで、ユリムは再び、その手足に枷を付けられることになろうとは思いもよらなかった。それも今回は重い金属の枷だ。
ユリムの旅には王の命で従者として二人の男がついてきた。一人は、見るからに武人のベェサイーン。もう一人のブラクティスも前者より体格は劣るが似たようなもので、実際にはあてのない、あるかなきかも分からぬものを探し求めて旅に出てきたユリムの、言って見ればお目付け役だった。二人の男たちは護衛というよりも見張りである。いや、もしかしたら密命を帯びた見届け人であったのかもしれない。そうと分かっていながらも、初めての長旅で苦難を共にしたということに絆されて、ユリムは自分でも気がつかぬ内に彼らに心を開いてもいいのではないかと思ってしまったのだ。そして、警戒を緩めてしまったのが運の尽きだった。
恐らく、このことは出立前から決まっていたのだろう。ベェサイーンもブラクティスも上官の命に従ったに過ぎない。ただ、それならば、あのようにまどろっこしいことはせずに船に乗った時にユリムを海に投げ落とせばよかったのだ。いや、それよりも前にユリムを亡き者にしようとする機会などいくらもあった。腕ききの兵士二人を前にユリムの力量など高が知れている。彼らにとっては赤子の首を捻るようなものだろう。
だが、しかし。
その時、ユリムの脳裏には、「逃げろ!」と叫ぶベェサイーンの怒声と必死の形相が浮かんだ。あの時、ベェサイーンの瞳には嘲りや侮蔑などは見られなかった。ただ必死に何かを守ろうとしていた。それがユリムのことなのか、武人としての誇りなのかは分からない。ブラクティスとその息がかかったゴロツキどもを相手にベェサイーンは忠実な武人として闘っていた。
今となってはどこまでが真実でどこまでが虚構なのかは、もう分からない。多勢に無勢でベェサイーンはあの場に倒れ伏した。最初に仕掛けてきたブラクティスも深手を負った。そしてユリムは、頭を棍棒のようなものでしたたかに殴られ昏倒したのだ。次に目が覚めた時にはもう、あの陰気で黴臭い一室にいた。湿った石の冷たい感触にムカデのような虫がカサカサと這いまわる音、そして闇に反響する鎖が擦れる金属音。夜露を染み込ませたようなずっしりとした冷たい重みに、ユリムはなぜか笑いたくなった。余りにも滑稽過ぎて。情けなくて、馬鹿らしくって。
「結局、俺は籠の中の鳥でしかない」
―どこにいても。
本当は声を上げて笑いたかった。気が触れたみたいに。それが出来たらどんなにか楽だろう。だが、実際には暗がりの中で皮肉に口元を歪めることしかできなかった。
ユリムの瞳にはほの暗い陰鬱な影が差していた。体内で熟成され培養された影が。雲間から差し込む日の光りが作り出す、足元に伸びた細い影にそのまま吸い込まれてしまいそうな曖昧な靄が、病み上がりの細い身体を包みこんでいた。
その時、カタッと桶が転がるような音がしてユリムは我に返った。手に馬用のブラシを持ったまま、ぼうっと厩舎の戸口付近に突っ立っていたようだ。
地面に細長い影が伸びる。
顔を上げれば、少し離れた所に兵士が一人立っていた。くたびれた長靴の脇には、先程までリョウが使っていた桶が転がっていた。ユリムは、兵士の方には目もくれずに転がった桶を拾い上げ、それを用具入れの中に戻しに行った。その間、相手から観察するような視線を投げられていることに気づく。ユリムは幼い頃より人の視線には敏感だった。周りの反応を常に意識し、大人たちの顔色を窺いながら成長した所為である。その癖はいまだに抜けそうにない。
ユリムが厩舎の出入り口から外に出た時も、まだその若い兵士は、宿舎へと通じる入り口付近の壁に腕組みをして寄りかかっていた。ユリムは居心地の悪さを抱えながらも、その意味を自発的に問い質したりするようなことはぜず、汚れた手を洗いに水場へと向かった。その間も観察するような視線を背中に感じていた。
ここで世話になっている間、足の怪我が回復し、自由に動けるようになってからはずっとこんな感じだった。あからさまな敵意ではない。ただ彼らの領域の中に突然現れた異分子を害があるかないか見定めている風でもある。あのお人好しがいる間は、ユリムの盾になろうとするので注意は逸らされるが、一人の時は幾つもの視線を感じるのだ。
兵士たちも無関心を装おうとしていた。その中から好奇心に勝てなかった目が物珍しそうにユリムを見る。もしかしたらサリダルムンドの民を見るのは初めてなのかもしれないと思ってみても、自分をここに連れてきたあのお人好しは、実にサリドの民に似ていた。
だが、リョウと名乗った奇特な女は、ユリムと同じ国の者ではないと言う。混血なのかもしれない。もしくは先祖帰りか。遡るとサリダルムンドに行きつく冒険心を持ったさすらい人が異国で種を残したのかもしれない。ただ、それを面と向かって尋ねるのは余りにも不躾な気がした。
リョウはいまだ戻って来る気配はなかった。作業が終われば自由にしていてよいとは言われたが、字面通りうろうろと動き回れる訳ではない。自然とユリムの足は、ここで間借りしている一室へと向いた。
片づけを終えて、そのまま開け放たれている宿舎の入り口を潜ろうとした時、すぐ脇の壁に寄りかかったまま腕組みしていた男 が低い声を発した。
「おい」
吊り上がった鋭い瞳がユリムを射るように見る。萌え出でた若葉の色をそのまま封じ込めたような明るい色合いの瞳だった。
ユリムは、自分が他所者でここではあまり歓迎されていない空気を肌で感じていた。あからさまに出て行けと言われたり、邪険にされることはなかったが、そういう雰囲気は分かるものだ。
無言のまま振り返ったユリムを然程年が離れていないと思われる若い男が、探るように見ていた。ユリムの方が、背が低いので若干見上げる形になる。
だが、相手はそれ以上言葉を発しようとしなかった。中々口を開かない相手をユリムは無視して一歩中に足を踏み入れた。その背に呟きのような声が刺さった。
「何を企んでいる?」
硬い声の響きにユリムは再度、足を止めた。首を動かさずに目線だけで男を見る。感情の読めないガラス玉のような瞳に出会った。
「ナンノ…コトダ?」
ユリムはまだこの国の言葉を片言しか話せなかった。それでも耳の方は大分慣れてきたと思う。この若い兵士はユリムのことを快く思っていないようだった。
ユリムは内心うんざりしながらも平静を装った。こうやって突っかかって来られるのはいつものことだ。ここに厄介になるのも潮時なのかもしれない。自分はどこにいても他所者で居場所がない。
能面のように冷めきった眼差しでユリムが男を見返せば、若い兵士は不機嫌そうに目を眇めた。眩い日の光を閉じ込めた明るい髪色に若葉色の瞳。この国の民は色彩が豊かだと思う。肌の色、髪の色、瞳の色。黒と焦げ茶色の濃淡しか知らないサリドの民とは随分と違う。そう言えば、異国の民を象った人形を王の娘が手にしていたのを思い出す。出入りの商人が御機嫌伺いにやって来た時に土産として持参したものだ。あれはお伽噺のような現実味のない未知の世界への憧れと繋がっていた。
「何が目的だ?」
そのようなことを考えていたユリムに再び声がかかった。眼差しに険のある人形が口をきいたようだった。
ユリムは良く分からないという風に良く出来た動く人形を見返した。
「ナンノ…ハナシダ? タクラム? ナニヲ? イマノ…オレニハ………」
―目的などない。
ユリムは目を伏せ、体を前に向けた。
「質問に答えろ。答えになっていない」
若い兵士は声を荒げることなく淡々と繰り返した。
「オマエ…ガ…カンガエル……ヨウナコト…ハ…ナイ」
男がユリムを気に食わないのは分かった。ただ、この場で相手をしても上手く自分の言いたいことをこの国の言葉で言い表せないのだから、互いに時間の無駄だろう。
それだけ口にするとユリムは自室へと戻る為に宿舎の中に入った。今日、明日にでもここを出よう。ユリムはそう心に決めた。そしてこれからのことを真剣に考えなくてはならない。前に使っていた宿屋に戻るのは危険だろう。まだあいつらの息のかかった者たちが周囲をうろついているかもしれない。
でも、これからどうやって生きてゆけばいいだろうか。ユリムは無一文だ。身に着けていた服も腰に佩いていた短剣も旅の路銀が入った財布も、なにもかも失った。
ユリムは無意識に胸元に下がる革紐の先を握り締めていた。そこには旅立ちの際に母がくれたペンダントがあった。これを売るしかないか。故郷では誰もがお守りに一つは持つありふれた石だが、この辺りでは高値で取引されていると聞いている。そして人足でもなんでもいいから日雇いの仕事を探して日金を稼ぎながら、アレを探すか。当初の目的を果たすために。
―ああ、そうだ。もう一度あの日の続きをしよう。ユリムは思った。強制的に分断された時をやり直すのだ。自らの手で。
あの日、ユリムは二人の従者と共にこの街を実質的に取り仕切っているという商業組合ミールへと足を運ぶ予定だった。サリダルムンドは唯一国内の鉱山で採掘される鉱物資源をここの鉱石組合を通して取引しているのだ。この組合が仲介手数料をどれほど取っているのかは分からないが、サリダルムンドでの流通価格とこの辺りでの流通価格にはかなりの差があるらしい。この取引で随分と甘い蜜を吸っているはずだ。
あの日、ユリムは鉱石組合を訪ねる予定だった。その為の紹介状も持参していた。
―紹介状。
そこでユリムは唯一の繋ぎも失くしてしまっていることに気が付き、愕然とした。
だが、すぐに悪い考えを頭から追いやる。
仕方がない。こうなれば単身乗り込むしかないだろう。しかし、どうやって自分が何者であるかを証明したらいいだろうか。再び絶望に萎みそうになる心をユリムは奮い立たせた。
今の自分にサリダルムンドの使者であることを明らかにするものは何もない。だが、すぐにユリムはそのようなことを思った自分を嘲るように笑った。王の血族であることから逃れたくて堪らなかったはずなのに、今、その繋がりに縋ろうとしている。なんという矛盾だろうか。
あてがわれていた質素な部屋に戻るとユリムは身の回りの整理を始めた。と言っても、元より荷物などない。窓際に置かれた小さな書き物机に座るとインク壺とペン、そしてごわごわとした白茶けた紙を引き出しの中から取り出した。この国で流通している紙は酷く粗末なものだとユリムは感じていた。冬場、農作業が出来ない時期に紙漉きをして生計を立てている者が多い祖国には、もっと柔らかく均一で目の詰まった滑らかな紙が生み出されていた。些細なことが、この場所が自分の慣れ親しんだ土地ではないことをユリムに思い知らせる。
怪我の手当てをしてもらい、十分な食事も与えられ、服も借りた。見ず知らずの相手にここまで親切にしてくれた恩人に書き置きくらい残しておくのが礼儀だろう。
ユリムは自分をここに連れてきた己に良く似た色彩を持つ女の顔を思い出した。疑うことを知らない能天気な微笑みは、傷ついたユリムの心を柔らかく包んだ。見返りを求めない素朴な善良さは、ありがたく羨ましくもあり、また同時に腹立たしくもあった。裏切られたことなどないのだろう。
ユリムはインク壺の蓋を開けるとペン先を浸し、ごわついた紙に古代エルドシア語で言葉を綴った。この国の現代の言葉は書けなかった。助けてくれたことへの感謝と服を借りること。
それから。
ユリムは筆記具が入っていた所からもう一段下の引き出しを開けて、一振りの小さな短剣を手に取った。
あの日、最後の力を振り絞って忌まわしき場所から逃げ、見つからないように裏通りを這って歩いていたユリムの目に飛び込んできたのが、この短剣の柄だった。あの時は何故だが分からないが、空腹と喉の渇きで朦朧とした意識の中、この短剣が自分の探し求めている一振りの宝刀に見えたのだ。そして無我夢中で手を伸ばしていた。これが自分を解き放つ、自由への扉の鍵であるかのように。
次に目が覚めた時、奪ったはずの短剣の持ち主に助けられたことを知った。
怪我が回復し、再度この短剣について尋ねた時、あの時感じたような眩さと神々しさは失われていた。なんの変哲もない冷たい鋼の感触だけが手に残った。装飾のない実用一点張りの代物だった。しかもユリムが鞘から抜こうとしても上手く行かない。あのお人好しは、この短剣は特別なものであるので持ち主以外には鞘から抜けないようになっていると言った。果たしてそんなことが出来るのかとユリムは信じられなかったのだが、どうやってもびくともしない短剣をリョウは目の前でいとも簡単に引き抜いて見せた。ユリムは狐につままれたような気分だった。
そうして初めて目にした刃は「美しい」の一言に尽きた。
「持ってみる?」
微笑みながら捧げるように横にして両手で押しいただかれて、ユリムも同じように目礼した。
「かたじけない」
日の光りに反射する刃にユリムの顔が歪んで間延びしたように映り込んだ。一切の無駄を省いた余計な飾り気のない作りは、潔い程に清らかに思えた。
「上手く言えぬが、美しきものなり」
ユリム自身、剣についての良し悪しは分からなかったが、故郷にも宝刀や名刀と呼ばれる剣はあった。特に王族が持つ剣は、神との交感の中で生み出される神聖なもので、稀代の名工が純白の装束に身を包み、魂を注いで作るものだ。ユリムは庶子であったため、そのような一振りを持つことは許されなかったが、儀式の際、末席に連なることを許され、そこで遠目にだが宝刀と呼ばれるものを垣間見ることが出来た。真っ直ぐ、天へと向けられた刀の切っ先が、雲を割り、天を薙ぎ、邪気を追い払うのを確かにこの目で見たのだ。その時感じた厳かさと清らかさを、ピンと背筋が伸びるような緊張感を、この小さな短剣に感じたのだ。
感嘆の溜息を吐いたユリムを前に、リョウは優しく目を細めると薄い唇に真っ直ぐに立てた人差し指を押し当て、呪文のような不思議な文言を唱えた。それはユリムが知る古代エルドシア語よりも更に古い形態の響きに聞こえた。と言ってもユリム自身、確証がある訳ではない。ただそのような気がした。
リョウは指先で短剣の刃に触れた。すうっと軽く一舐めするように。その時、ほんの一瞬、刃全体が淡い光りに包まれた気がした。
「今のは?」
不思議そうな顔をしたユリムにリョウは悪戯っぽく笑った。
「ちょっとしたおまじない。これであなたもこの剣を使えると思う」
言われた意味が良く分からなくて、小首を傾げたユリムにリョウは言葉を継いだ。
「これはワタシにとってもとても大事なものだから、誰かにあげることはできないけれど、ユリム、あなたがここにいる間は、これを使って構わないから」
―紙を切ったり、なんやかんやで必要でしょう?
こうして一時的に拝借したものだった。
「すまないが、これも借り受ける」
ユリムは小さく呟くとその旨を書き加えた。