聖女は階段から落ちても、とりあえずは死なない。
「アクレイ様な、なにをっ!? きゃぁぁぁぁぁぁ!」
吹き抜けの階段ホールに絶叫が響き渡った。
続けて王太子ダメンの叫び。
「オレは見たぞ! ネトリーヌが嫉妬深いアクレイに突き落とされるのを!」
王太子の側近達も続いて無駄に大きな声で叫ぶ
「わたしも見た!」
「なんという悪女だ!」
階段ホールから、閃光がほとばしった。
重なる叫び声と怪しげな閃光につられて、学園生たちがわらわらと集まって来た。
彼ら彼女らは見た。
ホールの一階で王太子たちが、落ちてきた人を受け止めようとした姿勢のまま、固まっているのを。
用意がいいことに、マントまで広げて受け止める準備をしている。
加害者と名指しされた侯爵令嬢アクレイが、しりもちをついて、がたがたと震えているのを。
吹き抜けホールに面した2階の、ホールに入ったばかりの地点で、階段からは随分と離れている。
被害者と名指しされた聖女ネトリーヌは。
侯爵令嬢の視線の先で。
階段のいちばん上から落ちる姿勢のまま。
2階から人の背丈の半分ほど下の、吹き抜けホールの空間に。
身体を斜めにして、頭を下に向け、仰向けの姿勢で静止していた。
顔には、ニヤニヤ笑いが浮かんでいた。
聖女からは程遠いいやしい笑いだった。
しかも、長いスカートがまくれあがって脚の付け根まで丸見え。
聖女らしからぬきわどいパンツだった。
ダメン王太子は狼狽していた。
「ね、ネトリーヌ! ど、どうして落ちてこない!」
2階の学生たちのあいだから冷静な声が響いた。
「兄上。聖女の加護ですよ」
第二王子であるリハツだった。
「せ、聖女の加護だと!?」
「聖女は、死の危険にさらされると加護が発動するのですよ。彼女は階段から落ちた。しかも頭から。このまま落下すれば後頭部を打って死ぬ危険性が高い。歴代の聖女と比べるとささやかではありますがね」
集まって来た学園生たちは、あっさり納得した。
ああ、これが聖女に関しての初歩知識にあった、聖なる加護かと。
確かに、教科書で出て来た歴代聖女にくらべればショボイが、アレでも聖女ではあるんだなと。
そして、もうひとつ分ってしまった。
ダメン王子は、こんな初歩の知識すらなかったのかと。
「そ、そうか! さすがネトリーヌだ! つまり、アクレイに突き落とされたことで加護が発動したのだ!」
王太子は、2階でしりもちをついている侯爵令嬢アクレイを、びしり、と指さし、
「聖女を突き飛ばし、死の危険にさらすような女を、未来の王であるオレの伴侶には出来ない! 婚約破棄する! お前は聖女殺害未遂のかどで火あぶ――」
リハツは冷たい声で遮る、
「兄上。それは無理があります。我が国は文明国なので刑罰に火あぶりはありません」
「な、なんだと!?」
「それにです。今、アクレイ嬢がいる位置から階段までは、かなりの距離が。おそらく彼女は、聖女の奇跡を見て驚いて腰を抜かしたのでしょう」
集まった学園生たちは、あっさりと納得した。
それはそうだ。
目の前で閃光がほとばしり、聖女の身体が空中に静止していたら、そりゃ驚いて腰も抜かす。
「つまり、侯爵令嬢がこの吹き抜けの2階に現れた時点で、聖女は落下して静止していた」
集まった学園生たちは、またも納得した。
なるほど。
つまり、侯爵令嬢アクレイは、聖女を突き落していない、と。
それはつまり。
リハツは冷たい目で兄を見下ろして、
「兄上はさっき叫んでいらっしゃいましたよね。侯爵令嬢が聖女を突き落としたと。ですがそれは無理なのです。どうしてまだ階段の位置までいっていない侯爵令嬢が、階段にいた聖女を突き落とせるのですか?」
「そ、それは……ううううるさい! オレは見たんだ! おおかた慌てて逃げようとしていたんだろう!」
「それはありえません。逃げようとしていたのに、なぜ聖女の方を見てしりもちをついているのですか? それに兄上は、侯爵令嬢が逃げようとしているなどとひとことだっておっしゃらなかった」
「そ、それは」
リハツ王子は、しりもちをついたまま呆然としている侯爵令嬢アクレイに話しかけた。
「アクレイ嬢、立てますか」
「は、はいっ」
リハツ王子は、礼を失しない見事な所作でアクレイをそっと支えて立たせる。
「み、見苦しい姿を……」
真っ赤になってうつむいてしまった侯爵令嬢に、
「常識外の出来事に遭遇すれば、誰だって茫然自失となるものです。アクレイ嬢。あなたは何を目撃したのです。差し支えなければ教えていただけませんか?」
「……私がホールに来ると、聖女様が私を見て……『これでアンタもおしまいよ!』とお叫びになって、自ら階段からお落ちに……その瞬間、あたりがすごくまぶしくなって……光がおさまると……聖女様は今のお姿に……私、びっくりしてしまって……恥ずかしいことに腰が抜けてしまって……」
集まった学園生一同は大きくうなずいた。
うん。もっともだ。筋が通っている。
それにしても下品な聖女だ。
王太子や王太子の側近達と人目もはばからずイチャイチャしてたから知ってたけど。
あんなヤバめのパンツ穿いてしてたのか。
「うっうそだっ。そのブスはウソをついてるんだ! お前ら! 王太子の言葉はえらいんだぞ! オレの言葉なのだから、ちゃんとうのみにしろ!」
「わ、我々は見たのです!」
見苦しくわめく王太子たちへは視線さえ向けず、リハツ王子は侯爵令嬢へさらに問う。
「アクレイ嬢。貴女は最上位クラスですよね。どこへ行くにも、このホールは通らないはずです。なぜ今日に限ってここに?」
「は、はい……王太子殿下の側近の方がいらして、重要な話があるから第二食堂まで来いと呼び出され」
「そのことは誰かに?」
「……側近の方は、ひどく大きな声で告げられたのでクラスの方々全員が知っております……みな、心配して止めてくれたのですが……第二食堂ならふたりきりではないですし……もしかしたら、殿下が態度を改めてくれるのではないかと一縷の望みを……」
「なるほど。あれほどあなたを軽蔑し、見下げ、厭っていた兄上が、急に呼び出しですか」
リハツ王子は、ダメンを見下ろし、
「兄上。兄上は王族にも関わらず最下位クラス。最上位と最下位では、動線が全く重ならない。この学園はそのように出来ている……それなのに、なぜわざわざここに? 聖女が落ちるのを知っていたかのようですね。しかも儀式の時以外は着用しない儀礼用のマントまで用意して」
語尾はひどく冷たかった。
「ち、ちが、なにをオレは知ってなど――」
言いかけて、広げているマントを慌ててしまおうとしている。
「こっ、これはたったまたま! ま、マントを広げたい気分だったんだ!」
側近達もまっさおになって
「そ、そうです! そういう気分になることが誰でもありますよ! 練習で使ってたのが破れたからじゃないです!」
「ど、どうしてマントが広がってるんだろう。な、なぞだなー」
集まった学園生たちには、もう、全体の構図が見えていた。
ああ、なるほど。
つまり、これはダメン王太子と聖女ネトリーヌによる冤罪だ。
侯爵令嬢アクレイが、聖女ネトリーヌを突き落としたことにしようとしていたのだ。
大方、人がいないホールでわめき、目撃者がいないのをいいことに虚言を押し通そうとでもしたのだろう。
だが聖女の奇跡が起きて、全てが狂った。
軽蔑の視線が、ダメン王子たちに集まった。
その視線は、王太子を見るものではなく、元王太子を見るものだった。
「き、貴様ら! オレは王太子だぞ! オレが黒と言えば白! 白と言えば黒になるんだ!」
学園生一同は、心の底から納得した。
ああ、ほんとうにバカだと。
「……それにしても、これが聖女とは」
リハツ王子は、空中で静止している聖女を、冷たい目で見た。
聖女は相変わらず勝ち誇った顔をしている。
自分が加担した企みによりひとりの女性が破滅するのを喜んでいる表情だ。
「アクレイ嬢に突き落とされたような三文芝居までして……人を陥れることに加担するだけでなく、それを楽しんでいる聖女……こんなのが聖女とは……」
そう言いかけて、リハツ王子はかすかな違和感を覚えた。
なぜ聖女なのに、こんな中途半端な姿勢で静止しているのだ?
心根が卑しい女だからこの程度の加護なのだと納得してしまっていたが。
仮にも聖女のはしくれなら、なにごともなく一階に着地しそうなものじゃないか。
これでは、加護が途中で保留されているみたいだ……。
一方、学園生一同は、リハツの言葉に、またもまたも納得していた。
こんなゲスが聖女とは、ほんとうに、こまったものだ。
そもそも階段から落ちた程度で自分が死ぬと思っている時点で、聖女の自覚はゼロだ。
こんなのが聖女といえるのか? いや言えない。
元王太子とその側近以外の心がひとつになった瞬間。
大ホールに凄まじい閃光がほとばしり。
閃光が消えると同時に、ぐじゃり、という音がした。
水でいっぱいの果実が落ちて潰れたような音だった。
ホールの一階。
ダメン王太子と側近達の前の床に花が咲いていた。
聖女ネトリーヌが、落下の衝撃で、後頭部を粉砕され、真っ赤な花になっていた。
「「「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」」」
ダメン王太子と側近達は、全身、赤い飛沫を浴びて絶叫した。
学園生のみなは納得した。
ネトリーヌは、その悪行故、ついに神から見放されたのだと。
聖女でなくなり、加護を失い、落下したのだ。
たくさんの作品の中から、本作をお読みいただきありがとうございました。
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別の物語も書いておりますので、もしよろしければ、そちらも覗いてみてください。




