6. アレックス(2) これが正しい在り方
「夫が迷惑をかけて申し訳ないと、夫人は仰っておられます」
グローヴズ公爵は隠し子の事を妻に知られていないと思っていたようだが、夫人は夫の悪行など全てお見通しだったらしい。
そもそも公爵家の正当な跡取りは夫人の方だ。幼い頃より次期公爵として研鑽を積んでおり、彼女の才媛ぶりは知れ渡っていたらしい。それを国王がゴリ押しして弟を公爵家の当主として婿入りさせたと聞く。
父上は使者が持参した書類を、目を皿のようにして確認していた。今後40年、ロートン侯爵家がグローヴズ家の輸送網を割安で使用出来るという契約書だ。シェリルを引き受ける対価というところだろう。
「それと、こちらを」と使者が薬瓶を取り出した。
「これは……?」
「避妊薬です。他国産ですが、効果は高いものです」
……つまり、これをシェリルへ飲ませろと言っているのだ。
確かにシェリルが子を産めば、公爵がその子供にも執着するであろうことは想像がつく。それにシェリルが産んだ子は王家の血を引くのだ。王位継承権が無いとはいえ、王族の種をこれ以上ばら撒かれては差し障りがある。恐らく、これは王家の意志でもあるのだろう。
「ふむ。あの方のご意向と捉えて差し支えないですかな?」
「それにつきましてはお応えし兼ねます」
父上が『陛下の意志か』と聞くと、使者ははぐらかした。弟に甘い国王陛下ではなく、王太子殿下辺りの差し金かもしれない。殿下は放蕩者の叔父を嫌っているらしいからな。
「しかし、我が家も直系の跡継ぎは必要です。子を作れないというのは」
「ハルフォード伯爵令嬢のことはこちらも把握しております。三年経てば、彼女を娶ることが可能になるかと」
「……!」
この国では三年子供ができなかった貴族は、離縁もしくは第二夫人を設けることが認められる。貴族の血脈をつなぐための策だ。
「三年後にはグローヴズ公爵の嫡男が成人します。そうなればもう、貴家に害をなす事はなくなるでしょう」
「公爵が大人しく爵位を譲るとも思えませんが」
「……譲らざるを得なくなる、と申し上げておきます」
あの傲慢なグローヴズ公爵が自ら引退するとは思えない。恐らくかなり強引な手を取るつもりだろう。
しかし、そんなことはもうどうでも良かった。
父と使者の会話に耳を傾けながらも、俺の頭の中は別のことで一杯だった。
血涙を流してまで諦めたフェリシアを、手に入れられるかもしれない、と。
「申し訳ございませんが、お断りいたします」
「そんな……何故だ、フェリシア!俺たちは愛し合っていただろう。公的に夫婦となるには、この方法しかないんだ」
「ロートン侯爵令息。第二夫人と言えば聞こえはいいが、結局のところは日陰の身です。愛する娘をわざわざそのような身に貶めたい親はおりますまい。それに、フェリシアには他国ですが良い縁談も頂いております」
すぐにフェリシアの元へ向かって事情を説明したが、彼女は勿論、ハルフォード伯爵夫妻も首を縦に振らなかった。
しかも既に縁談の当てがあるという。それを聞いて、俺は血の引く思いだった。
フェリシアが他の男へ嫁ぐ……そんなこと、耐えられるわけがない。
「俺はどうしてもフェリシアを娶りたいのです。第二夫人など形だけ。事実上の正妻はフェリシアだ!」
俺は何度もハルフォード伯爵家を訪れてフェリシアと話し合った。伯爵夫妻の説得には両親も協力してくれた。
特に熱心だったのは母だ。母はフェリシアをとても気に入っていて、「男爵家の娘なんかに侯爵家の女主人は務まらないわ。私は貴方にこそ次期当主夫人になって欲しいの」と涙ながらにかき口説いてくれた。
それが効いたのか。伯爵はようやく、三年後にフェリシアを第二夫人として嫁がせることを認めたのだ。
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「アレックス様と結婚できるなんて、夢みたいです。私、頑張りますね!」
「そんなに気負わなくていいよ。君は俺の傍にいてくれるだけでいいんだ」
豪勢な結婚式を終え、嫁いできたシェリルは張り切っていた。しかしこの女に出来ることなど何も無い。能力が不足していることは婚約期間に分かっていたし、高位貴族として社交が出来るような教養も人脈もシェリルにはないからだ。
侯爵夫人の仕事を手伝いたいなどとのたまったそうだが、逆に母の手を煩わせるだけだろう。だから引き続き家庭教師を付けて勉強させることにした。当人は不服そうだったが、要らぬことをされるよりはマシだ。
シェリルがどうしてもお茶会を開きたいと言うので、母の指導の元で一度だけ任せてみたが、案の定手落ちだらけだったらしい。
相手の家名を間違え、会話は終始自分のことばかり。終いには茶器を落して割ってしまった。うちの派閥の令嬢だけだったこと、また母が必死で補佐をしたことで何とか無事に終わったそうだ。金輪際やりたくない、と母が愚痴っていた。
だが表面上は、俺も両親もシェリルを大切に扱うふりをした。
結婚に際し、シェリルは実家からカーラという侍女を連れてきている。元はグローヴズ公爵家に勤めていたらしいから。お目付役なのだろう。そのため家の中でも気が抜けなかった。
社交に出れば彼女を心底愛おしいという目で見つめ、他の男と話している時には割り込んで「俺の傍でただ笑っているように」と指示した。単に妻がこれ以上やらかさないための策だったが、シェリルは自分が愛されている証だと勘違いしたらしい。頬を赤らめて喜んでいた。
閨は月に数度。愛しても無い女を抱くのは本当に苦痛だった。しかし余り放置すれば、カーラに疑いを持たせてしまう可能性がある。
毎回媚薬を飲んで何とか乗り切り、事が終わった後には水分補給と称して避妊薬入りの水を飲ませた。
そして狙い通り三年経っても子供が出来ず、俺はフェリシアを第二夫人へ迎えた。
案の定シェリルは泣きわめいて初夜の晩も邪魔をしたが、そんなことは想定済み。仕事が忙しいと偽って別の日に別邸を訪れ、俺はようやく愛する人と結ばれた。
シェリルを抱く時とは比べ物にならない程の、幸せで甘美な時間。
フェリシアも涙を流して喜んでくれた。
別邸を訪れるたび、一晩中フェリシアと交わる。疲れ果ててぐったりしたフェリシアに申し訳ないと思いつつ、自分の腕の中で眠る愛しい女の顔に無上の喜びを覚えた。彼女こそが――俺の真実の相手だ。
そのおかげだろう、フェリシアはすぐに懐妊した。シェリルに知られれば暴れるだろうと、安定期まで知らせなかったのだが……甘かった。シェリルは別邸へ忍び込み、赤子に危害を加えようとしたのだ。
別邸の使用人たちにはシェリルの事を要注意人物として伝えており、彼女が現れた時点で本邸へ連絡が入った。すぐに護衛を向かわせたため、フェリシアも子供も無事たっだのは幸いだったが。最早シェリルを野放しにすることは出来ない。
俺はシェリルを本邸から追い出すことにした。
『フェリシアを追い出せ』と騒ぐシェリルに、真実を伝えてやった時の顔ときたら……!今までの鬱憤が晴れるようだったな。
「シェリル様とは離縁なさらないのですか?」
「ああ。現レスター男爵はシェリルを受け入れないと言っている。放り出して野垂れ死にされては外聞が悪い」
「……そうですか……」
グローヴズ元公爵夫人からは、シェリルを好きなように処理して構わないと言われている。
しかし真実の愛とまで公言して迎えた妻を、子供が出来なかったからと離縁し放逐したと知れ渡れば我が家も悪評に晒されるだろう。
だからシェリルは病気という事にして、カーラと共に領地の館へ押し込むことにした。それが真実かどうかはともかく、我が家の体面が保てれば良い。何もせずとも衣食住は保証してやるのだから十分だろう。二人でそのまま朽ちていけばいい。
フェリシアは浮かない顔だった。優しい彼女の事だ、シェリルの行く末を心配しているのかもしれない。
「シェリルの事はもう気にしなくていい。俺の実質的な正妻は君だ。まだまだ我々を取り巻く環境は厳しい。二人で我が家を立て直していこう。頼りにしているよ」
それから二十年。爵位を継いだ俺はフェリシアと二人で苦難を乗り越えてきた。ロートン侯爵家の評判はゆっくりと持ち直し、今では過去の隆盛を取り戻しつつある。
長男フレッドの下に弟妹も産まれ、皆優秀に育った。
愛する妻と子供に囲まれた順風満帆な人生。これこそが俺の、そしてロートン侯爵家の正しい在り方なのだ。
――そう、思っていた。




