2. シェリル(2) それは、夢のような
「突然の訪問で申し訳ない」
「いえ、侯爵閣下にご訪問頂くなど光栄の至りでございます。それで本日はどのようなご用件でしょうか」
感謝祭から一カ月ほど経った頃。ロートン侯爵がアレックス様を伴って我が家を訪れた。
「シェリル嬢へアレックスとの婚約を申し込みたいのだ」
男爵家からすれば、侯爵など雲の上の存在。脂汗を流すお父様の横で私は戸惑っていた。
だって、アレックス様からあれほどはっきり拒絶されたのよ?彼の顔を見るのが辛くて、あれから会いに行ってもいない。それがいきなり婚約なんて……信じられるわけがない。
「息子がどうしてもというものでね。シェリル嬢にはまだ婚約者がいないのだろう。そちらにとっても良い話だと思うが」
「も、勿論です!こちらに異論などありません。なあ、シェリル?」
「シェリルに侯爵夫人が務まるとは思えませんわ」
お父様は乗り気だったけれど、お義母様は渋いお顔だった。
「何を言うんだ、失礼な。侯爵様からのお申し出だぞ!」
「この子は男爵令嬢としての教養しか身に付けておりません。それも最低限。嫁いでから苦労するのはシェリルです」
確かに私は勉学が苦手。成績が悪くてもお父様が「向いてないものは仕方ない。シェリルはシェリルの良い所を伸ばせばいいんだよ」と言ってくれたから、努力もしなかった。
「ならばこちらで家庭教師を用意し、侯爵家に相応しい教育を行う。何も心配せず、シェリル嬢は身一つで来てくれればいい」
「ほら、ここまで仰って下さっているんだ。それにロートン侯爵の縁戚となればメリンダにも良い縁談が来るかもしれないぞ」
「それは……そうですが……」
「シェリル。貴方の気持ちを聞きたい」
顔を上げると、私を真っ直ぐな瞳で見つめるアレックス様と目が合った。
「でも、アレックス様はハルフォード伯爵令嬢と慕い合っていると……」
「彼女には事情を説明し、婚約を円満に解消した。俺が真に愛するのはシェリルだと気付いたんだ。君に苦労はさせない。どうか、この婚約を受けて貰えないだろうか」
跪いて私へ手を差し伸べるアレックス様。
それはまるで大好きだった恋愛小説の挿絵のようで、胸が高鳴る。
本当に、私がアレックス様の妻になれるの……?
「……はい。宜しくお願いします」
既に書類は用意されており、その場で双方がサインをして婚約が結ばれた。
その後何を話したかはよく覚えていない。私は何だかふわふわとした気持ちで、夢見心地だったから。
婚約話が学院で噂になると、私を取り巻く環境は一変した。仲良くしていた令息たちが近づかなくなった代わりに、クラスの女生徒たちに囲まれるようになった。
令息たちと離れたのは少し寂しかったけれど。アレックス様に「俺と婚約したのだから、他の男と親しくする必要は無いだろう」と言われたから、そんなものかなと思った。
ただの友人なのに、アレックス様はやきもち焼きなのかしら。でも好きな方に妬いて貰えるのは、悪い気分じゃないわね。
「あら、こんなところに猫の集団がいるわ」
学院の廊下を歩いているときに出くわしたのは、フェリシア・ハルフォード伯爵令嬢の一団だった。その中には、お茶会で私に意地悪をした令嬢たちもいる。
「伝統あるこの学院には相応しくない、下等な猫さんたちですこと」
「仕方ないわよ。なにせ中心にいるのが泥棒猫ですもの」
自分が侮辱されたと分かり、怒りで顔が赤くなる。
泥棒猫?先にアレックス様と知り合っていたのは私の方よ。泥棒はフェリシア様の方じゃない!
「あらあ。侯爵令息に見初められたのは、シェリル様が誰よりもお美しくて純真だからですわ。爵位だけ高くても、ねぇ」
「……貴方、何が言いたいの?」
私が口を開く前にクラスメートが反論してくれて、双方が険悪な雰囲気になった。
どうしよう。私が止めなきゃならないのかしら。でも、酷いことを言ってきたのはあちらなのに……。
そこで「お止めなさい」と声を上げたのは、フェリシア様だった。
「先に失礼なことを言ったのはこちらだわ。申し訳ございません、シェリル様」
「あ、いえ……」
先に謝罪されたことに面食らって、声が尻すぼみになってしまう。
フェリシア様が宥めたことで、あちらの令嬢たちも悔しそうに口を噤んだ。
「それでは失礼致します」
「あ、待ってください、フェリシア様!」
「……何か?」
一礼して立ち去ろうとした彼女を呼び止める。向こうが大人の対応をしてくれたんだもの。私も謝罪するべきよ。
「こちらの暴言も謝罪します。それと……アレックス様のこと、本当に申し訳ございませんでした。フェリシア様をさぞ傷つけてしまったのではないかと」
「ロートン侯爵家とハルフォード伯爵家の当主が決めたことです。私はそれに従うだけですわ」
フェリシア様は上品な微笑みを浮かべた。まるで、本当に何も気にしていないとでも言うように。
その凛とした姿に、何故か酷く苛ついた。
――いいえ。彼女はきっと、内心では私に怒り心頭に違いないわ。慕っていた婚約者を奪われたのだから。
でも残念。貴方は彼の運命ではなかったのよ。私こそが、アレックス様の真実の愛なんですもの。
$$$
学院を卒業し、次期当主夫人としてロートン家へ嫁いだ私はとても大切に扱われた。
実家のレスター男爵家とは比べ物にならない広大な邸。与えられた広い部屋には、ぴかぴかに磨き上げられた煌びやかな家具が揃い、クローゼットには流行のドレスがずらりと並んでいる。実家からついてきてくれたカーラの他にもたくさんの侍女が付けられ、毎日彼女たちの手で磨き上げられた。
何よりも、アレックス様が毎日私に愛を囁いてくれることが嬉しい。幸せ過ぎて夢の中にいるのじゃないかと思ってしまう。
「今日は何を勉強していたのかしら?」
「ロートン家のご親戚の名前や特徴を覚えるというものでした。今日は覚えきれなかったですけど、また明日頑張りますわ。アレックス様も『頑張りすぎなくていい。君のペースで進めていいんだよ』と言ってくれましたから」
「そうなのね」
婚約中から施された教育では侯爵夫人の教養には足りないからと、結婚してからも引き続き講義を受けていた。
夕食の際、お義母様はニコニコと微笑みながら私の話を聞いてくれる。現当主のお義父様とはあまり接する機会はないけれど、いつも私に気を使って下さる優しい方だ。
「あの、私は侯爵夫人のお仕事を覚えなくていいのですか?」
「貴方はまだ勉強中だから、そのうちにね」
アレックス様は領政やら当主引継ぎやらで忙しく、共にいられる時間は少ない。勉強中とはいえ、私だって次期侯爵夫人として何かしたいわ。アレックス様の傍に並び立つためにも。
私は「お茶会を開いてみたい」とお義母様へ願い出た。貴族夫人のお仕事といえば、まず社交だものね!
練習がてらということで派閥の令嬢を集めた茶会を開くことになり、私はお義母様の教えを受けながら準備に勤しんだ。
当日集まったのは年の近い令嬢ばかりで、話も合うし楽しいお茶会に出来たと思う。多少のミスはあったけれど、お義母様は「まあまあだったわ。次は気を付けましょうね」と褒めてくれた。
「アレックス様、今日も遅くなるのですか」
「寂しい思いをさせて済まない。やることが山ほどあるんだ。機嫌を直しておくれ、俺のお姫様。何でも欲しいものを買ってあげるから」
「お仕事なら仕方ないけれど……じゃあ、新しい指輪を買ってもいいかしら?」
「勿論だよ。明日商会の者を呼ぼう」
アレックス様は私にとても甘い。
夜を共に過ごすときは、それはもう丁寧に丁寧に抱いてくれる。
もっと肌を重ね合いたいと思っても、すぐに寝てしまうところが少しだけ残念だけれど。
お仕事で疲れているのなら仕方ないものね。
「まあまあ、ロートン侯爵令息にご夫人!私、お会いできるのを楽しみにしていたのですよ」
「今やロートン侯爵夫妻は時の人。オルグレン劇場ではお二人の『真実の愛』を元にした新作を鋭意製作中とか」
「本当に、シェリル様はお美しい方ですわね。やはり純真さが令息の心を射止めたのかしら?」
夜会に出ると、あっという間に囲まれてしまった。どうやら私たちのことは社交界でも有名らしい。
どう対応すれば良いか分からずアタフタしている私の肩を庇うように抱いたアレックス様が「失礼。妻は少し酔ったようですので」と連れ出してくれた。
「あいつらの相手はしなくていい。君は俺の傍で、黙って笑っててくれればいいんだ」
「ありがとう。正直に言って、知らない人ばかりで困っていたの。しばらくここで休ませてもらうわ。あら?あれは……」
会場の隅に設えられた椅子に座ったところ、見慣れた令嬢の姿が目に入った。メリンダと、彼女に寄り添う見慣れない令息。最近婚約したと聞いたから、彼が婚約者なのかしら。
「メリンダ!久しぶりね」
「お久しぶりでございます。お義姉様。こちら、私の婚約者のクラーク様ですわ」
挨拶を交わした男は、どうにも冴えない令息だった。メリンダ曰く、ハガード子爵家の次男らしい。
今日のメリンダは、彼の瞳の色をした緑色のドレスを着ていた。光沢の無い生地に、装飾は胸元とスカートの裾に数えるほど。男爵家にいた頃は分からなかったけれど、今の私にはそれがひどく安っぽいものに映った。
「……メリンダはあの方でいいのかしら。そうだ!旦那様に頼めば、もっと良い家柄の令息を紹介できるかもしれないわ」
私はその旨を伝える手紙を実家へ届けたが、お義母様から丁重な断りの返事が来た。
何でだろう。メリンダだって、もっと爵位が高くて見目の良い令息の方が良いに決まっているのに。
実家へ顔を出してもう一度話してみたけれど、メリンダは怒りの表情を浮かべ「結構ですわ」と吐き捨てるだけだった。
「どうして怒るの?私は貴方の為に」
「私はこの婚約に満足しているのです。お義姉様にはお分かりにならないのでしょうけど」
アレックス様に愚痴を言ったら、「メリンダ嬢は慎ましいのだろう。当人が満足してるというのだから、構わない方がいい」とやんわり窘められた。
メリンダは私にとっては大切な義妹だ。彼女にも私と同じように、幸せになって貰いたかっただけなのに。
結局その二年後、メリンダはクラーク様を婿に迎え、レスター家の跡取りとなった。
だけどその頃の私はもう実家どころではなかった。
三年経っても、私たちに子供が出来なかったのだ。




