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彼女は今日もそこにいる

作者: finalphase
掲載日:2026/02/09

俺、こと秋元未来は、地味で根暗な学生時代を過ごしていた。

 だが今は――美人の妻と結婚し、子どもにも恵まれ、穏やかな毎日を送っている。


 話せば長くなるのだが、妻である門倉琴音との出会いは、高校時代にまで遡る。


 当時の門倉は、クラスでもトップ5に入るほどの容姿を誇っていた。当然、男子からの人気も抜群だった。一方の俺は、存在感の薄さならクラスでも随一で、例えるならダンゴムシ。目立たず、誰の記憶にも残らないタイプの人間だ。


 そんな俺が彼女と距離を縮めることができた理由。

 それは、とある秘密を知ってしまったからに他ならない。


 その秘密は、少なくとも俺たちがこの時代を生きている間、決して他人に話してはいけないものだ。だからこうして、気晴らしに日記として書き残しておくことにする。


 ――あれは、高校で席替えが行われた日のことだった。


 席替えの最中、俺は自分の机を押しながら、何度も足を止めていた。


 理由ははっきりしている。

 通路が、妙に歩きやすいのだ。


 机を詰めたはずなのに、肩がぶつからない。

 すれ違うときに、誰にも気を遣わなくていい。


 「……こんなに広かったっけ?」


 独り言のつもりだったが、近くにいた門倉がこちらを見た。

 好きな子と突然話せる状況に、内心では飛び上がるほど嬉しく、同時に心臓が潰れそうなほど緊張していたが、なんとか平静を装って問い返す。


 「広い?」

 「いや、気のせいか。」


 そう言いながら、俺は彼女の机の位置を確認した。

 ちゃんと、ある。

 彼女も、そこに座る予定の席だ。


 教師の合図で、全員が一斉に腰を下ろす。

 教室は、いつもの騒がしさを取り戻した。


 それでも、違和感だけは消えなかった。


 俺はノートを机に置き、門倉に小声で話しかける。


 「なあ、席替えってさ。前より机の間隔、変わった?」

 「変わってないと思うけど。」


 即答だった。

 少しも考えた様子がない。


 「じゃあ、なんで今日はこんなに歩きやすいんだろ。」

 「人が少ないからじゃない?」


 「減ってないだろ。転校生もいないし。」


 門倉は一瞬、言葉に詰まった。

 だがすぐに、曖昧な笑みを浮かべる。


 「……そうだね。不思議だね。」


 その返事が、妙に引っかかった。

 否定もしないし、理由も説明しない。


 俺はもう一度、机の列を目で追った。

 前から後ろまで、きっちり並んでいる。

 数も配置も、いつも通りのはずだ。


 「なあ、門倉。」

 「なに?」


 「もしさ。一人分いなくても、教室って成立すると思う?」


 半分は冗談のつもりだった。

 だが、彼女は答えなかった。


 視線を逸らし、指先で机の縁をなぞっている。


 「……成立するよ。」

 「え?」


 「誰も困らないなら。」


 その言い方が、妙に具体的だった。


 「門倉、それどういう意味だよ。」

 「ただの仮定。」


 そう言って彼女は笑ったが、その笑顔はどこか疲れて見えた。


 そのとき俺は、ようやく気づき始めていた。

 違和感の正体は、空間じゃない。


 ――最初から、足りないものがない。


 普通なら、この事実に衝撃を受け、真相を知ろうとするのかもしれない。

 だが俺は、違った。


 これは――大チャンスだ、と思った。


 門倉が存在しなくても世界が成り立つなら、彼女は誰のものでもない。

 そして俺は、その弱みを握っている。


 だから、俺は彼女に言った。


 「このことは、決して周りに言わない。その代わり、条件がある。」


 「……何よ?」


 「俺と付き合ってください。」


 脅すような形で関係を迫るのが良くないことだとは分かっていた。

 それでも、この機会を逃したら、二度とチャンスは来ない――そんな感情が、俺の中を支配していた。


 「はぁ? なんで私が……」


 「みんなに言ってもいいのか?」


 彼女は言葉を失い、やがて小さく息を吐いた。


 「……分かったわよ。付き合えばいいんでしょ、付き合えば。」


 伏せた目に、長い睫が影を落としていた。


 これが、俺たちの始まりだ。


 最初、彼女は俺と付き合うことを嫌がっていたかもしれない。

 だが紆余曲折を経て、俺たちは結婚し、子どもにも恵まれた。


 今は、幸せだ。


 半ば強引に始めてしまった関係への、せめてもの償いとして。

 そして、この幸せを守るために。


 俺たちは今日も、あの秘密を貫き通している。

最後までお読み頂き、本当にありがとうございました。


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