プロローグ
そこは白銀の世界だった。
視界のすべてを覆い尽くすように風が吹き荒れている。激しく舞う無数の白。しかし肌を刺す冷気はない。
むしろ身体は軽く、地に足がついていないような感覚すらある。
どこからか音が聞こえた。
風の唸りに紛れたかすかな音。
耳を澄ますとそれが人の声だとわかる。音は次第に近づき、やがて吹雪の向こうに無数の人影が浮かび上がった。
防具を身にまとい、武器を手にした人々だった。視界の悪い中、ためらいなく近づいてくる。
こんな悪天候の日に何の集団なのだろう。
そんなことを考えながら眺めていると、そのうちの一人がこちらを見て何かを叫ぶ。その声は次第に伝播し、周囲から次々と怒声が上がった。
何を言っているのかはわからない。ただ、向けられた感情だけは嫌というほど伝わってくる。
彼らは一斉にこちらへ駆け出した。吹雪を切り裂き、鬼のような形相で迫ってくる。困惑する間もなく、先頭の一人が刀を振り上げ――
刃が振り下ろされる、その瞬間。
彼は目を覚ました。
◇
鈍い痛みとともに意識が浮上する。上半身がベッドから落ちていた。状況を理解すると、少しだけ安心して息を吐いた。額には冷や汗が滲み、心臓は早鐘のように鼓動している。
「……夢か。」
そう呟いても嫌な感覚は消えなかった。怒鳴り声が耳の奥に残り、白銀の景色と迫る刃の感触が、嫌に鮮明だ。
時計に目をやって、思わず声が漏れる。
「やば、遅刻する。」
慌てて身支度を済ませ、リビングへ向かう。母の姿だけがあり、父と弟はすでに出かけた後のようだった。切り分けられた食パンを1枚手にし、そのまま玄関へ走る。
「ちゃんと食べなさい!」
背後から声が飛んでくるが、返事だけ残して家を飛び出した。
高校は徒歩で通えるくらいの近場だ。信号で立ち止まりスマホで時刻を確認する。少しペースを上げたほうがよさそうだ。
――そのときだった。
前方から奇妙な二人組が走ってくるのが見えた。和装のようでどこか現代離れした装束。見覚えはないが、妙に胸がざわつく。
信号が変わり足早に歩き出す。
そのとき、二人組は顔を見合わせ彼の前に立ちはだかった。
「そこの少年、少し付き合ってもらおうか。」
「この気配……お主が元凶だな?」
意味がわからない。だが、不審者の相手をしている余裕はない。
「すみません、急いでるので失礼します!」
そう言い残し、全力で走り抜けた。背後から何か叫ぶ声が聞こえた気がしたが、振り返らない。足は速くないようで、次第に声は遠ざかり、学校に着く頃には姿は消えていた。
汗だくのまま教室に入り、席に座る。
ようやくいつもの日常に戻った気がした。
夢見が悪く、寝坊して、怪しい男に絡まれた朝。
これ以上悪いことは起きないだろう。
期待通り学校では何事もなく時間が過ぎていった。
……普段の日常にかき消され、朝の二人組のことを、彼はすっかり忘れていた。




