勇気がほしい男
町のどこにも載っていない、不思議な小さな店。
その看板には、今日も変わらずシンプルな文字が揺れている。
「願い承ります。ただし、少しだけ逆に。」
夜の商店街をスーツ姿の青年が足早に歩いていた。
彼の名は、三井悠斗。28歳。
営業職三年目。
気が弱く、仕事ではクレーム処理ばかり押し付けられている男だ。
(今日も上司に言い返せなかった……
あんな無茶な指示、断れるわけないだろ)
悔しさを飲み込みながら歩いていた三井は、
ふと、灯りのついた奇妙な店を見つけた。
「……こんな場所に、あったっけ?」
興味に負けて、ドアを開ける。
カラン、と鈴が鳴る。
「いらっしゃいませ」
カウンターの向こうには、いつもの黒い和服の店主。
凪いだ水のような声で、三井を迎える。
「ひとつ、願いを承ります。ただし」
「少しだけ…逆に、ですよね?」
三井はぎこちなく笑った。
店主は静かにうなずいた。
「では、願いをどうぞ。」
三井は深呼吸をした。
握りしめた手が震えている。
「……勇気がほしいんです。
人の前でも、自分の意見が言える勇気が。」
店主は目を閉じ、指先でカウンターを二度、軽く叩いた。
「承りました。
明日の朝、あなたに必要な“勇気”が宿るでしょう。」
翌朝
目覚めた瞬間、三井は身体の内部に熱がこもっているのを感じた。
(なんだ…これ。やけに血が巡っている感じだ)
会社へ向かう途中、通り雨が降ってきた。
傘を持っていなかった三井は、すぐ近くのコンビニで雨宿りしようとして
「あっ!」
隣で傘も差さずに耐えている学生を見た。
(やばい、風邪ひくぞ。どうしよ……)
いつもなら“見て見ぬふり”をする三井だが、
今日の身体は勝手に動いた。
「君、良かったらこれ使いなよ」
気づけば、自分の傘を差し出していた。
「え、でも……」
「いいんだ。近くだし。
困ってる人を助けるのは、当然だから。」
学生は驚きながらも笑った。
(あれ、俺…こんなこと言えたっけ?)
胸の奥が、熱い。
これが“勇気”なのかもしれない。
午後。会社にて。
課長が怒鳴っていた。
「三井! この案件お前が担当しろ!
期限? 知るか! とにかくやれ!」
昨日までの三井なら、
「はい……」と飲み込んでいた。
だが、なぜだろう。
胸の熱が、さっきより強まっている。
(言うんだ。今度こそ、自分の意見を……!)
三井は立ち上がった。
「課長、その仕事は僕がやるべきじゃありません!」
課長が目を丸くする。
「はぁ?」
「僕より適任の人がいますし、
そもそも担当割り当ての基準が不公平です!」
「え……三井? お前どうした?」
「どうしたもこうしたもありません!
僕だって、言うべきことくらいあります!」
言ってやった。
ずっと言いたくても言えなかったことを、全部。
(よし……!)
そう思った瞬間
「では三井、そこまで言うなら……」
課長が腕を組んだ。
「来週から“営業課をまとめるリーダー”をやってもらおうか。」
「え、えっ?」
なんと三井は、無茶振りを断るどころか、
もっと重い仕事を背負わされてしまった。
(お、おかしいだろこれ……!)
翌日には同僚たちから相談が殺到し、
新人たちにも頼られ、
気づけば社内の“駆け込み寺”のような存在に。
(……勇気は出たけど、
なんか俺、使われまくってる気がするんだが?)
三井は悟った。
(これ……“少しだけ逆に”ってやつか…!)
再びあの店へ
夜。疲労困憊の三井は、再び店を訪れた。
「店主さん!
勇気は出ましたけど、逆に、なんか全部押しつけられてます!」
店主は静かに茶を置く。
「あなたが得たのは“真の勇気”ではありません。
“向いている方向が少しだけ逆”なのです。」
「方向が逆!?」
「ええ。
あなたが本来ほしかったのは、
“自分を守るための勇気”。
しかし、あなたに宿ったのは」
店主は静かに言った。
「“誰かを守るための勇気”です。」
三井は目を見開く。
「だからあなたは、
相手のために行動し、
相手のために意見を言い、
相手の負担を引き受けてしまう。」
「……じゃあ俺、勇気の使い方を間違えてるってことですか?」
「違いますよ。」
店主は微笑んだ。
「あなたは今日、雨の中で学生に傘を差し出しましたね。
あれは“自分のためではなく、誰かのため”だった。」
三井は思い出す。
あの学生の驚いた顔。
「ありがとうございます」と頭を下げた笑顔。
「その行動こそ、本当の勇気です。
あなたは間違っていません。」
三井は胸が熱くなった。
「ただし」
店主は続けた。
「自己犠牲しすぎないように、
上手に断る勇気も、これから学んでいくといい。」
「……断る勇気。」
「勇気はひとつではなく、無数にありますから。」
三井は深くうなずいた。
帰り道
商店街を歩く途中、
昨日助けた学生が走ってきた。
「あの、これ! 傘、返そうと思って!」
「ああ……ありがとう。」
学生は照れくさそうに言った。
「昨日、助けてくれて嬉しかったです。
あんな大人になりたいなって思いました。」
三井は、胸の奥がじんわり温かくなるのを感じた。
(……悪くないじゃん、こういう勇気も)
「よし。
今度は“断る勇気”も身につけてみせるか。」
空を見上げると、雨雲はすっかり晴れていた。
看板の言葉が、心に浮かぶ。
願いは叶う。
ただし、少しだけ逆に。
それでも、三井は笑った。
「少しぐらい逆でも、ちゃんと前に進んでる気がするな。」




