表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

そうは聖女が許さない 〜魔女だと追放された伝説の聖女、神獣フェンリルとスローライフを送りたい……けど【聖水チート】で世界を浄化する〜

作者: 阿納あざみ
掲載日:2025/08/30

「おお、救世主様が降臨されたぞ!」


 私の大嫌いな女、岩村明日花が大勢の大人に取り囲まれている。

 沢山の人が、岩村さんをもてはやす不思議な場所にいたのだ。

 彼女は急に自分をちやほやしてくる者たちに動揺している。

 でも、その表情から察するにまんざらでもないようだった。


 一方で、私は擦り傷やアザだらけでへたり込んで戸惑っている。


「こ、ここは……?」

 

 何故私と岩村さんはこんな場所にいるんだろう?

 だってさっきまで、彼女に殴られていたのに。

 さっきまで、私は岩村さんに、放課後の校舎裏で暴力を振るわれていた。

 私の身体にアザを残すほど、いや骨を折るまでボコボコに蹴り飛ばしていた。


「おい、あっちは誰だ?」

「薄汚い……まるでドブネズミだ」

「王宮にこんなのを入れるなんて」

 

 全身がこわばってうまく動けない。

 またいつ暴力を振るわれるかわからない。

 ここがどういう場所かわからなくて恐ろしい。

 同時に人々の嫌悪の視線が突き刺さる。


 一体何が起こったのだろう。

 私はきょろきょろとあたりを見回す。


 そこはおとぎ話に出てくる宮殿のような場所だった。

 天井にはシャンデリアが飾られていた。

 太陽光を乱反射してまばゆいばかりにきらめいている。

 

 床はビロードというのだろうか、柔らかい真っ赤な絨毯が敷き詰められていた。

 いくつもある大きな窓からは日光が差し込んでいる。

 まるでこれから聖なる儀式が始まるような荘厳な雰囲気を醸し出していた。


 ――異世界にでも来ちゃったみたいだ。

 

 そして私たち――岩村さんと私を取り囲むように、白い服の人たちがいた。

 男女問わずにいろんな人が、幾重にも輪を作って本を開いていた。


 聖職者なのだろうか、全員一様にシミもシワもない白い服を着て階段状に並んでいた。

 紋章のような飾りのついた布をさげている。

 彼らは何か教会のようなものに所属していることは間違いないだろう。


 そして全員が疲れているように見えた。

 まるで大きなイベントが終わった後のようだ。

 

 そして聖職者らしき人たちが作る輪の中心には岩村さんがいた。

 岩村さんはすっかり落ち着きを取り戻していた。

 胸を張り、あごを引いて悠然と振舞った。


 「ええそうよ、私が救世主」

 

 岩村さんは案の定得意げに立ち回っていた。 

 何をするかも知らないのに、そんな振る舞いができる強かさにうんざりしてしまった。

 

 ――またなんかやってるなぁ……。


 悠然と救世主ぶる岩村さんを、止めようという気力すらわかない。

 私は座りこんだまま事の次第を傍観していた。


「まて、何故救世主がふたりいるのだ? 伝承ではひとりのはずではないか!」


 上の方からヒステリックとも受け取れる男の声が響き渡った。

 私たちを囲んでいた白い宗教的な服を着た人たちが一斉に頭を下げる。

 最敬礼というものだろうか。

 私は子供の頃読んだファンタジー小説を思い出した。


「ふたりとも救世主なのか? もしくは片方は偽物なのか。説明をしろ神官長!」


 ヒステリックな声の先には、眉を吊り上げた美青年がいた。

 白い衣装ながらも随所に刺繍のほどこされた豪華な服を身に着けている。

 金糸のようなさらさらとした髪を短くきりそろえていた。

 その姿は、まるでおとぎ話の王子様のようだった。

 

 態度は非常に偉そうだが、強者の余裕みたいなものは微塵も感じられない。

 まるで失敗を恐れているような、そういう切羽詰まったような態度だった。

 神官長と呼ばれた人物が一歩前に出る。


「お、恐れながらエミリオ殿下……、伝承によればふたりともが聖女とは考えにくく……。おそらく召喚の際に、触れあうほどに近くにいたものを同時に呼び出してしまったと思われます……」

「何だと? ではそれは召喚の失敗ということか?」


 エミリオ殿下、と呼ばれたひとは冷徹に神官長に迫る。


「失敗……!? いえ、そのようなことは……! どちらかは必ず聖女です!」

「見分けがつかなければ意味はない! 貴様は王宮から去るがいい。赴任地は追って知らせる。その間に荷造りなど済ませておくがいい」


 神官長は青ざめ、震えている。

 両手を祈るように握って陳情している。


 「どうかお慈悲を、エミリオ殿下!」


 神官長は必死で訴えかけている。

 でもエミリオ殿下は取り付く島もない。彼は右手を挙げる。

 

 すると背後に控えていた兵士らが動いた。

 神官長を下げようとガシャガシャと鎧の音を立てて歩み寄る。


 流石にこれは物騒すぎて看過できない。

 思わず止めようと無理矢理声を出す。


「ちょっと……!」

「お待ちくださいエミリオ殿下!」


 私の声をかき消すように岩村さんは声を張り上げた。

 兵士も神官長も、エミリオ殿下も私も、みんな動きを止めて彼女を見た。


「私が本物の救世主、岩村明日花です。ですからその人を追い出す必要はありません」


 岩村さんは堂々と名乗った。

 その姿はその場にいる誰の目にも救世主のようにうつっただろう。


 でもそれは見た目だけ。


 私をいじめるときもその堂々とした態度で、己の正しさを信じて疑わない。

 自分勝手で傲慢な態度で、人を見下すのだ。

 そんな、よく言えばまっすぐな態度に、エミリオ殿下はほぅと息をついた。


「そうか。そこまで堂々と申すか。その自信、確かに救世主にしかなかろう。よい。では神官長の追放は取り下げよう」


 エミリオ殿下は再度右手をあげて兵士たちを下がらせた。

 神官長は自分を救った岩村さんを崇敬するように見上げている。

 

「それではそこの、土と泥にまみれた汚い女は何者だ。イワムラアスカとやら、説明せよ」

「ええ、ご説明いたしますわ」

 

 岩村さんは不敵ににんまりと笑った。

 いつものように、私をいじめるときのように。


 ――しまった、隙を与えた!


 産毛が逆立つ感覚。

 私はまたいいおもちゃとして扱われるんだ。

 岩村さんは、止める間もなくつらつらと『私が考えたコイツの設定』を述べた。


「この者は私のいた場所では穢れとして扱われていました。触ればそれがうつる不吉な女です。さらに救われないことに愚図で愚鈍。本当に愚かで馬鹿な生き物です。同じ人間と思うことすらおぞましい。エミリオ殿下。こちらが間違いなく偽物。いえ、或いは世界の破滅すらもたらすかもしれません。この者こそ追放すべきです」


 ――世界の破滅とは大きく出たなぁ。


 恐怖を通り越して呆れてしまう。

 確かに私は学校では穢れ扱いだ。

 私がうっかり他人に触れれば、感染するぞと鬼ごっこのようなものが始まる。

 通りすがれば罵倒され、浄化だと言って教科書の一部は燃やされて買いなおした。


 さらに昼休みや放課後は呼び出されて殴られ蹴られするのが当たり前だった。

 でも流石に「世界の破滅をもたらす」はちょっと言い過ぎだと思う。


 一方でエミリオ殿下はそれを聞くと大きく頷いた。


「で、あるならば。イワムラアスカの言葉を信じるなら、貴様は処刑が妥当だが……、魔女は死の間際に瘴気を吐くという。王都に瘴気を蔓延させるわけにはいかんな」


 エミリオ殿下が座りこんだままだった私と目を合わせる。

 それを好機と考えたらしい岩村さんはさらに言葉を重ねる。


「ご覧ください。こんな薄汚い、穢れた救世主がいるでしょうか」


 岩村さんは私を手で示す。

 蹴られて転んで起き上がって殴られたせいで、制服は少しほつれている。

 それに校舎裏の湿った土のせいで全身泥だらけだ。

 私をぼろぼろにした張本人が、私をさらに貶める。


「放っておけばこの国に災厄をもたらすでしょう。言葉を聞けば惑わされる者もいるかもしれません。この女は魔女です。偽救世主として人々を洗脳する魔女なのです」


 岩村さんの演説にも熱がこもる。

 みんな彼女の言うことを心から信じ、大げさにうなずき驚いている。


「なんてことだ……」

「何故そんなものがこんなところに」

「追放すべきではないか?」


 自分の信者を増やせた岩村さんは満足げだ。

 こうして彼女は仲間を増やして、私をいじめる大義を得るのだ。


 なのに私は何も言えなかった。

 岩村さんの言葉にいつものようにのどがつまったような感覚を味わった。

 呼吸が細かくなり、無意識に歯を食いしばってしまい何も言えなくなる。


 黙ったままの私を見て、エミリオ殿下はにんまり笑った。

 エミリオ殿下の笑顔は、何故か岩村さんのものとよく似ていた。


「確かに、ふたりの救世主などありえないのなら、片方は魔女であろう。そして、この場において最も救世主であろうとしたものはイワムラアスカ、そなただ。国を憂い、国民を憂いた。ならば救世主はそなたであろう」


 何かを言う前に、どんどん話が決まっている。

 岩村さんは目線をそらして俯いて肩を震わせ笑っている。

 嫌な予感がする。

 心臓が高鳴る音と共に全身に鳥肌が立つ。


「名乗る必要もない、救世主を騙る魔女め。貴様はサイハテの地、クレメンテ地区修道院に送る。けがらわしい貴様にお似合いの、瘴気の森の果てで野垂れ死ぬがいい」


 ――サイハテの地クレメンテ地区?


 一体どういうことだろう。

 しかも修道院? ということは家に帰れないの!?


「クレメンテ地区! 並の人間でも三ヵ月もたないと言われるあの!」

「死ぬまで浄化の義務が課せられるサイハテの地だぞ」

「いや、偽の救世主には瘴気に満ちた土地がお似合いだ」

 

 何も分からない私だったが、クレメンテ地区はいいところではなさそうだ。

 私が混乱している間に、エミリオ殿下は右手を挙げた。

 エミリオ殿下の後ろに控えていた兵隊たちが私を無理やり立たせてくる。

 

 がちゃりと背後から私に首輪がはめられる。

 待ってください、と言おうとしたができなかった。

 口からはかすれた、言葉にならない吐息しか出ない。


 ――どういうこと? 話せない!


「到着まで口を開くことを禁ずる。その首輪には声を封印する効果があるのだ。神官長が失敗したら使う予定だったが、はは。存外似合っているではないか」


 王子さまは楽しそうに笑っている。

 勿論岩村さんもだ。にんまりと、嫌な笑みを浮かべている。

 お願い、話を聞いてください。

 それでも私の口はぱくぱくとしか動いてくれない。

 

「クレメンテ地区での強制労働期間は貴様が死ぬまでとする。案ずるな。送致はしてやる。どのような待遇になるかは貴様の態度次第だがな!」


 どうして、どうして誰も私の話を聞いてくれないの。

 岩村さんの話しか聞いてくれないの。

 私は何も言えない、出来ないまま、罪人のように牢屋へ入れられた。


 牢屋の鉄格子は私の力では開けることはできない。

 揺らすことはできたが、誰もいないところでアピールしてもむなしかった。

 地下だからだろうか、それとも隙間風のせいだろうか非常に寒い。


 ――私、これからどうなるんだろう。


 それから何時間たっただろうか。

 私が牢屋から出されたのは、疲れて眠りについた後だった。



 △▼△▼△▼△▼△



 ガタンと大きく馬車が跳ねて、私の身体が一瞬浮いて、固い床にたたきつけられた。

 痛い、という言葉もかすれた呼吸音になった。

 ガシャガシャと入り口の格子戸が不快な音を響かせた。

 ほろのない馬車に檻を乗せただけの、粗末な馬車だ。

 周囲からは悪意にまみれた好奇心と嘲笑の声が聞こえてくる。


「おっアレが偽救世主か!」

「随分汚いな」

「偽物っていうのも納得だ」


 ――見世物扱い、かぁ。

 

 私は王宮から街の大通りを通ってクレメンテ地区へ送られていく。

 そこの修道院は王子に歯向かったり、不良債権の令嬢が送られる場所らしい。

 瘴気に覆いつくされた土地との境界に建てられている。

 よく言えば見張り台、悪く言えば人身御供のような修道院だという。



 ――どうして私がこんな目に。


 出発前のエミリオ殿下の言葉を思い出す。


「これは罪人用の護送車だ」


 エミリオ殿下の嬉しそうな、楽しそうな言葉。

 彼の腕にしなだれかかりながら、岩村さんがにんまり笑っている。

 檻に縋りついている私を見て嘲笑っていた。


「お前のような、偽救世主に使うのはもったいないほどだ。しかしクレメンテに向かうまでに死んでしまってはもったいない。きちんと我が国のために力を尽くしてから死ね」

「エミリオ様はお優しいですわね。国を傾けようとした大罪人にも贖いの機会を差し上げる。それこそ未来の王ですわ」


 扇を片手に微笑む岩村さんは、制服を着ていなかった。

 かわりに真っ赤なドレスを身にまとって、エミリオ殿下の隣に侍っていた。


 肩を大胆に出したデザインで、キラキラした宝石が随所にちりばめられている。

 豪華なドレスは岩村さんに憎らしいほど似合っている。

 まるで中世のお姫様のようだ。


 エミリオ殿下も先ほどとは違う真っ白なタキシードを着ている。

 随所にきらきらした飾りや宝石のついていて、見るからに王子様のようだった。


「私が王となったあかつきには、アスカを正妻として迎えよう。その時は豪華な披露宴を開くぞ。誰もが私たちを祝福するだろう!」

「素敵……! そのために救世主として励みますわ、エミリオ様!」


 私を見下しながらふたりだけの世界で楽しそうに笑っていた。

 去り際に岩村さんはささやくように言った。


「お前の陰気な顔を見なくていいと思うとせいせいするわ。とっとと死んでね。藤堂小夜さん」

「…………」


 きっと私は、首輪がなくても最後まで何も言えなかっただろう。

 彼女たちに相対しながら、全身の震えが止まらなかった。


 ――私、いつまでたっても弱虫だ。



 人々の歓声のような怒号が轟き、私の意識は現実に引き戻された。


 罪人の護送は一大イベントらしい。

 見物客が私を見ながら楽しそうに石を投げている。

 たまに色んなものが檻の中に飛び込んできて当たりそうになる。


「死ね偽救世主!」

「俺たちを滅ぼそうとした大罪人め!」


 憎しみより、愉悦。楽しいから投げているようだった。

 岩村さんと同じ。私のことを、音の出るおもちゃとしか思っていない。

 私はここまでされることをしただろうか。

 まだ何も、言葉すら交わしていないのに。


「くたばれ!」


 男性だろうか、野太い声がした。

 その石はまっすぐ飛んできて私の頭に当たった。


「…………っ」


 首輪のせいで痛いと叫ぶことも出来なかった。

 どろどろと何かで頭が濡れた。

 

「ははっ魔女も血は赤いか!」

「うわばっち~~」


 嘲笑うその言葉に驚きながら、頭に触る。

 痛い。傷口は思いの外大きいようだ。

 どろりと濡れた手のひらには真っ赤な血が付いていた。


 ――私は、ここまでされることをしただろうか。

 

 投げ込まれたごみの中には、新聞があった。

 案の定文字は読めなかった。

 でもそこには、幸せそうに笑う赤いドレスの岩村さんがいた。

 となりには白いタキシードのエミリオ殿下もいた。

 

 私は彼女たちに、何もしていないのに。

 頭がずきずき痛む。

 岩村さんのそばにいたくなかった。


 頭は痛いままだったけれど、流血はおさまった。

 白かったセーラー服は真っ赤に染まってしまった。

 着替えたかったけれど、そんなものはなかった。


 今はどの季節だろうか。半袖のセーラー服ではかなり寒い。

 毛布やタオルがあればよかったが、さっき投げ込まれたごみの山と新聞しかない。

 せめて丸まって寒さをしのごう。

 

 湿った雨の匂いがする。

 遠くの空を見れば、雲が雄大に動いているのが分かった。

 

 雲行きが怪しい。灰色の空だった。

 遠くでゴロゴロと雷の音がしている。

 夜になってこれからもっと寒くなったら、と思うと恐ろしかった。


 ――寒いよ、お母さん、お父さん……。


 声に出したがかすれた吐息しか出ない。

 泣いたところで無意味と分かっていても、目の前がぼやけてくる。

 できることも、足掻けることもない。

 牢屋の扉は冷たくて硬くて、何でもない私に開けることはできなかった。


 仕方ないから眠ることにした。

 岩村さんや住民たちからの暴力ですり減った心を回復したかった。

 ベッドなんてないし床は固くて痛かったけれど、岩村さんの暴力よりはいい。

 

 頭がまだずきずきと痛んだ。

 新聞紙はあったかいのに床はちっともあったかくならない。

 熱が全部吸われていくようだ。


 悪い夢なら覚めてほしい。

 そう、全部悪い夢なんだ。


 起きたら家のベッドで、お母さんもお父さんもいて。

 岩村さんもいなくって。

 いじめなんてなくって。

 そう願いながら私は眠りについた。



 △▼△▼△▼△▼△



 雨の冷たさで目を覚ました。

 変わらない現状から、ここが夢でないことを知った。

 この馬車にはほろなんて立派なものはないから、風が吹くたび雨が吹き込んできた。

 吹きさらしの牢獄は、新聞紙の布団を一枚でも多く剥がそうとしている。


 ――寒い、し、お腹もすいた……。


 今が何時かはわからない。

 それでも牢屋でパンを食べてからだいぶたったのは確かだ。

 御者さんは基本的に何も言わない。

 でもたまに独り言をぼやいたりする。

 

「何で俺がこんな目に……。給料あげりゃやると思いやがって……」


 そのたびに馬車の運転が荒くなる。

 少し身体が浮いて床に打ちつけられる。痛い。


 それでも彼を見ていなくちゃならない。

 何故なら彼がご飯をとるタイミングで、私もご飯が食べられるのだろうから。


 私にはどうしようもない。

 声をあげることも、牢を破ることも出来ない。

 せめてご飯まで寝転がって待つことにしよう。

 きっと御者さんだって、お腹がすくはずだから。


 ガタンと馬車が止まった。


 聞くところによるとクレメンテ地区までは馬車で五日かかるらしい。

 それをこんな、鉄の上で過ごさなければならないのか。

 着替えもなければ布団もない、屋根はあってないようなもの。

 何度と知れないため息をついた。


 御者さんは何も言わず何処かへ行ってしまった。

 新聞紙の隙間から外をのぞけば、そこにはお店のようなものがあった。

 あったかそうな光が漏れて、にぎやかな人の声がした。

 

 そこでようやく、私はすべてを理解した。

 ああ、御者さんはあそこでご飯を食べるんだ。


 ――私、ご飯貰えないんだ。

 

 大罪人という言葉の意味をようやく理解した。

 私には今、何もないんだ。

 日本にいたころは罪人もちゃんとご飯が食べられたし、ちゃんと風雨がしのげる建物がある。

 

 でも私には何にもない。

 ご飯もない。家もない。自由ももちろんない。

 水も貰えるかわからない。

 そんな状況で、私は生きなきゃならない。


 心を黒くてざわざわとしたものが覆ってくる。

 いじめられている時の先が見えない感じによく似ていた。

 

 雨音がどんどん強くなる。

 風が吹き込む度、新聞紙が暴れた。

 ただでさえ寒いのに、少しずつ新聞紙が剝がされていく。

 仕方ないから床に座って、寄りかかるようにして新聞紙にくるまる。


 新聞紙ですっぽりまるくなる。

 雨が上がるまでこの姿勢で耐えなければならない。

 早く雨がやんでほしかった。

 そうじゃないと、死にたい気持ちで頭がいっぱいになってしまいそうだったから。


 結局、雨は次の日も降り続いていた。

 ご飯も与えられることはなかった。

 仕方がないので水は入ってくる雨を飲んだ。

 それを見た御者さんはあからさまに嫌そうな顔をしていた。


「きったねえな。メシくれってなら言えっての」


 彼は私が今話せないことを知らないらしい。


 次の宿屋では黒いパンが投げ込まれた。

 焼き上げてもう数日たったのだろう。

 味わう前に噛みきれなかった。


 ――硬っ、ていうか苦っ!


 思わず眉間にしわを寄せる。

 それでも少しずつふやかして何とか削って食べた。


 一口未満、焦げの塊みたいなそれは、一応表面だけだった。

 中身が見えてもぱさぱさして、おいしくない。

 小麦の味なんて飛んでて、紙を食べているような気分だった。


 それでも大事な食糧なので、少しずつふやかして食べた。

 数日は朝起きて、またパンを削って食べる作業で飢えをしのいだ。

 

 雨は小降りになってきた。

 でも止みそうもない。


「うざったいなぁ」


 御者さんはフードをかぶりながら雨をしのいでいた。

 それでも私には恵みの雨だった。

 そこからしばらく無言で運転していた。

 雨はまだしとしとと降り続いている。


「げっ。こんなとこまで瘴気あんのかよぉ」


 瘴気、と呼ばれたそれが何か気になって、外に目をやる。

 紫色の煙が、灰色の地面から立ちのぼっていた。

 御者さんは口元を覆って引き返した。


「あーあ。これじゃ一日のびちまうよ。とっとと帰りてぇなぁ」


 とっとと帰りたいには、同意見だった。

 どうやって帰ればいいのか皆目見当がつかないこと以外は。

 だから御者さんがとてもうらやましく思えた。


 少し元気が出てきた。

 身体もやけにぽかぽかする。

 おそらく負けていられないとなったのだ。


 雨も止んできた。

 久方ぶりの青空だった。


 照らされてよくわかる。ぼろぼろだ。

 汗や雨の染みがついて本当に制服が汚れてしまった。

 不快でしかなかったけれど、もう大丈夫。

 どんな地獄でも私は乗り越えてみせる。



 その後、私はクレメンテ地区修道院で聖女となる。

 瘴気に包まれた聖獣を助けた私は、黒騎士様と出会い、やがてこの国を救う真の聖女として岩村さんと対峙することになる……のだが。


 それは、もう少し後の話。

ここまで読んでくださりありがとうございます!

アルファポリスにて同名タイトルの連載版を投稿しております。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
短編詐欺ですね。キーワードにせめてエピローグとか書いといてよ
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ