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伽藍堂は先生  作者: あ行
9/25

9三人

「いってきます。」

「ええ、先生。いってらっしゃいませ。」

 先生が学校へ向かった時、お兄様が起きてきた。

「おはようございます。朝食は机の上に置いていますから、いつでも食べてくださいね。」

 お兄様は頭をぽりぽりとかいている。わたしは昨日の事があったので、少し警戒していた。

「……あいつは、毎朝母さんへ線香を焚いとるんか。」

「ええ……。」

「……そうか。」

 そうしてお兄様は熊のように歩き去った。

 朝食をお召し上がりになっている時、わたしは隣で小説を読んでいた。

「弟は……東京にいる時、母さんやら、父さんやら、俺らのことは言ってたか。」

「え、」

「…………、」

 私の方は見ず、飯を見ておられました。口を豪快に開けてかき込む。先生とは真逆の食べ方でした。

「言ってません……」

「……そうか。」

 お兄様はまた静かに口を開いた。

「弟は……まだ小説を読んでるんか。」

「はい、お読みに……」

 お兄様はまたもや「……そうか。」とおっしゃった。小説を書いているなどは、お聞きにならなかった。きっとお兄様は先生が小説をお書きになっている事を知らない。

「じゃあ、いってくる。」

「はい、気をつけてお帰りください。」

 お兄様は一寸の間、わたしを凝視しガラガラと静かに格子を開けて出て行った。

「よし、わたしは買い物にでも出かけようかしら。」

 ガヤガヤ

 今日は、駅前近くの商店街で買い物です。たくさんの黒いチョンチョンで、昼からでも賑わっている。

「あ、今日はライスカレーにでもしようかしら。作ったことはないけれど、雑誌で調理の仕方も書いてあったし、まぁ大丈夫でしょう。」

 と、にんじんとじゃがいも、玉ねぎなどを買って、風呂敷に詰めた。

「重い……あら、お兄様だわ。」

 頑張ってらっしゃるのね。一寸、声をかけようかしら。

「……!女の人……?」

 お兄様は綺麗な女性の隣を歩いていて、鼻の下を伸ばしていた。黒曜石のように黒い、乱れた髪の毛が印象に残った。

「……いいえ、きっと仕事を見つけるために、一緒にいるのだわ。きっとそうよ。」

 わたしは声をかけずに商店街を後にした。

「うん!いい感じ!」

 ぐつぐつと煮えたぎる鍋の前で呟いた。カレーのいい香り。きっとこの匂いは、外にも伝わっているはずだ。

 ガラガラガラ

「……あ、誰かお帰りになったみたい。」

「おう、なんやここまで来てくれたんか。」

 お兄様だった。行く前と全く表情が同じなので、良い仕事先が見つかったか、それだけでは分からなかった。

「お帰りなさい。今日はライスカレーですよ。」

「ふぅん……そうか……うん。」

 と、またもやわたしを凝視した。

 夜。先生も帰って、三人で夕食を食べることになった。一寸(ちょっと)、気まずい。

「「「いただきます。」」」

 ご飯を食べていく。みんな、無言だから、話題を吹きかけないと、と言う使命感にわたしは囚われた。

「お兄様、仕事の方はどうです?」

「……あぁ、土木作業が一つと、新聞会社が一つやな。俺は文字とか分からへんし、土木にしようかと思っちょる。」

「いいじゃありませんか。素敵な仕事ですね。」

「あぁ。」

 先生は会話に入って来ず、一人で黙々とスプウンでカレーを頬張っていた。

「味はどうです。先生。」

「うん、美味しいよ。」

 いつものように、今日あった出来事を話さないので心配になった。

「お兄様は?」

「うまい、うまい。ろくに良いもんを食ってへんかったから、ちゃんとした食事が出来て良かったわ。」

「それは良かった。」

 わたしが笑顔で二人を見つめると、お兄様はまた唖然とわたしを見つめ返し、先生はカレーを食していた。

 すると、今度はお兄様の方から先生に喋りかけた。

「お前は母さんに線香焚いとるんか。」

「……うん。」

「なんでや。なんでそんなに母さんのことを。お前、いつも当たり障りのない返事しとったやんけ。」

「母さんだから。」

 先生は無機質に笑った。

 お兄様は先生のことを少し見てから、

「……そう。」

 と、下を向きました。

 わたしは、二人の間に長い長い距離を感じた。

――――――――――――

 翌日。今日は曇りでした。ぶどうの皮のようにどんよりとした天気です。

「あぁ……!無理やった……駄目やった……なんでや……」

「大丈夫ですか……?」

 お兄様の仕事はうまくいってない様子です。

「大丈夫もなにも……」

「他の仕事はあるのですか?」

「……ある、あるけど新聞は俺には無理や…………!」

 お兄様は畳の上で四つん這いになっている。

「なら、大丈夫です!わたしなんて最初はだめだめで、皿を何枚割ったやら……」

「……ほんまけ?」

「はい、ほんとです。」

 お兄様の中にふと先生がいた。気が弱くなる所がそっくりだ。

「じ、じゃあやってみる。お前、よもぎ()ったか。ほんま堪忍な。」

「いいえ。」

 次にお兄様は、机の上に置いていた茶をぐいっと飲み干した。

「なぁ、よもぎはんは弟の何なんや。」

「わたしは先生に居候させてもらっているんです。わたしが丁度、困っていた時に先生が助けてくだすったの。」

「なら、女中とちゃうんけ。」

「わたしも女中として名乗っても良いのですが……先生が私のこと、居候と呼ぶもんで。」

「……ふぅん、そうか。」

 昼が終わった狭間の、何とも言えない時刻。風が涼しく吹くようになった。

「弟を"先生"と言うのは何でなんや。確かにあいつは教師やけど、貴女(あんた)の教師やないやろ。」

「はい……そうなんですけれども、名前で呼ぶのはちぃっと恥ずかしいと言いますか……恐れ多いと言いますか……」

「好きなんか。」

「いえ!そんな滅相もない……!」

 また、お兄様はわたしをじっと見つめた。

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