6本音
ガラガラ
格子が空いた音がした。先生が帰って来たんだわ。あれ?もうそんな時間?
「先生、おかえりなさい。」
先生は「まだ起きていたの。」と不思議な顔でわたしの方をご覧になられているうちに、ご友人さんが口開いた。
「わはは!お前、先生と呼ばせてるのかい。お前は教師が嫌いなのに。」
「違うよ。よもぎさんがそう呼んでくれているんだよ。」
先生はご友人と一緒に帰って来ました。このご友人さんとちゃんと会ったのは初めてで、前より高貴な浴衣を召しています。
「よもぎさん、ごめんだけど一晩だけこいつを泊まらせようと思うんだ。こいつ、宿へ向かおうにも千鳥足で……」
「まだ酒はあるんだろう?」
「あるよ、よもぎさんお願い。」
「はい……!少々お待ちを。」
耳が愉快になって眠気も吹き飛びがら、わたしは台所へと歩いて行った。
「先生、ご準備が出来ました。どうぞ。」
「ありがとう。」
「それでは……」
わたしが部屋から出ようとするとご友人さんが、
「お嬢さん、僕らと呑もう。」
と、手招きされたのでわたしは困ってしまいました。
先生の方に助けを求めても、先生は二人の間を見つめてちっとも助けてくれません。
「ははは!愉快だ愉快。よもぎちゃん、」
先生はなんともなく、日本酒を嗜んでいた。いつもの先生である。
「はい……、なんでしょう。」
「僕ね、小説家なんだ。僕は幸せ者だ。何百、いや何千、何万という小説のなかから、僕の小説を貴重な時間をかけて読んでくれているんだ。僕は運がいいだけ。幸せさ。僕の小説を、世界を好きと言ってくれる人がいて、それは小説家の本望さ。ほんとうに幸せさ。」
「小説をお書きになるのね。」
「うん、今書いているのは"湯呑み酒"という小説を書いていてね。そのうち傑作が出来るぜ。なぁお前も小説家になりたかったんだろう。」
「その話はよそう。」
先生は顔色ひとつ変えずに、前のようにただ笑っていた。
「そう!こいつぁ、いい文を書くぜ。名作だ!!いっぺん読んだ方が良かろう。」
「……は、ははあ。」
先生の小説を読んだことがあるなんて、言えない。
「いやぁ、しっかしよもぎちゃん。美人さんだねえ。」
「いえ、そんな……」
「奥さんがいないんだったら、僕が貰おうかな。」
助けを求めて先生の方を見ても、先生はただ「はは。」と笑って、怒りも嫉妬も見えません。
「こいつぁ、いい奥さんになりぁ。」
「もう呂律が回ってないじゃないか。水でも飲んでおけ。」
先生は本当に笑っているだけだった。青が深い浴衣を着て、小さなお猪口を片手で持ちながら、目を細めて笑っていた。
「いいんだよ。せっかく美人さんと呑んでるんだから。それで、結婚はしないの?よもぎちゃん。」
「しますとも。」
「いつに。」
「そりゃ、わたしだって考えますもの。わたしの周りだって、次々と結婚していくもんですからこう見えて内心、焦っているんですよ。先生。」
先生の本音を知りたくなった。この場を使えば、婚約者がいるか分かるかもしれない。
「よもぎさんのご両親はなんと。」
案外にも普通な返しだった。知り合いに返すような、愛想笑いで挨拶を交わすような感じだ。
「わたしのお父様はもう亡くなっていて、お母様はその件については何とも。ほら、わたし、五人兄弟の末っ子だから、きっと見放されているんだわ。」
「そんな事ないとも!!世界にたった一人の娘だぜ?そんな事ないとも。」
先生はどうなんだろう。
よもぎはチロっと先生の方を見た。
やっぱり、無機質に笑っている。
わたしが勝手に恋をしているだけか。
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後日。いつの間にか、先生のご友人はお帰りになられていた。
「ご友人さんは、いつ、お帰りになられたの?」
「よもぎさんが寝てからすぐ。」
「あら、そうなの?わたし、ちっとも気付かなかったわ。またお会いできるといいですね。」
「もう会わない。」
先生はずっと遠くを見ていました。
「何故です。」
「あいつはずっと僕のことを下に見るんだ。いつも僕と比べて。そりゃ、僕だって悪いところがあったけれども、もういいんだ。」
「……じゃあ、もう、」
「うん、金輪際会わない。相手だって分かっているよ。」
それから先生は、ご友人さんの事を一切話さなくなりました。




