4呑み過ぎ
「……?原稿?」
わたしは押し入れを掃除していると、古い箱に入っている紙の束を見つけた。
「すごい……たくさんあるわ。誰が書かれたのかしら?先生が買ったのでもしたのかしら?」
題名は『もものはな』と筆で書かれていた。わたしが一番好きな花だったから、一寸だけ読もう。
「…………きれい、」
――――――――――
「ただいま。」
「……!先生、」
もうこんな時間だったとは……あれ?今日はお早いのね。
急いで元のところに戻して、先生がいる玄関へ走った。
「今日は早よ、終わったんだ。」
「おかえりなさい。まだ夕飯の支度終わってなくて。少々お待ち下さい。」
先生、ちょっと方言が混じってる。珍しい。
「分かった、小説でも読んで待っとくよ。あ、それと僕の友人から手紙来てたかな?」
「いいえ。」
「あ、そう。」
先生は子供みたいに眉をひそませたまま、自室へと向かいました。
――――――――
「「ご馳走様でした。」」
夕飯後、先生は珍しくお酒を嗜むようです。
「よもぎさんも呑むかい?」
「いいえ、わたし、酒はちょっと……」
「そう、お酒は人と呑む方が美味しいんだけどな。」
「じゃ、一寸だけなら……。」
先生を見ずにお猪口を差し出しました。先生はころころと猫の鈴のように笑っています。
「うん、一緒に呑もう。」
「先生、今日はどうでした。」
「今日はね……」
虫の音を聞きながら、先生は上の階から持って来た蓄音機にレコードをかけました。月が出た出た、と陽気に歌っておられます。
「僕は今日ね、先生に君は恵まれているねと嫌味を言われたんだ。」
と、先生は少し頬を赤らめて肘をつきながら、上目でわたしを見た。
「聞いてくれる?僕のはなし。」
「はい、わたしでよければ。」
「んじゃあ、今日はたっくさん呑もうね。」
先生は幸せそうに、憂を帯びた笑顔をわたしに向けた。
「僕は教師が苦……嫌いだ。先生と言うものが嫌いだ。あの人、僕が一軒家を持っているからって、僕に嫌味を言ったんだ。羨ましいからって、毎日のように言われたら御免蒙る。」
「ははあ、先生も色々あるんですね。」
「うん、そうなんだ。僕も先生だけどさ、教師である僕が先生嫌いなんて、可笑しいよなぁ……」
「…………、」
わたしはどう答えたらいいか分からずじまいでした。なので先生が先に口を開けてしまいました。
「よもぎさんも今の内に不満を言っておけばいい。明日には忘れているから。」
「そんなにお呑みになるつもりですか?体を壊しますよ。ご両親から貰った丈夫な体なのに。」
「いいんだ。」
先生は虚ろな眼をして、照明の光に唯、黒目当てられていました。
次に先生は、「あ、そうそう。」と空に指を差した。
「僕の家のことだけどさ、もしここに僕の兄弟が来たら門前払いしてくれ。いっそのこと、僕は死んだと伝えてくれ。」
「えぇ、どうして?」
「どうしてもさ。よもぎさんにはいつか僕の家のことを話すつもりだ。けど、もう少し待って下さい。僕の心の準備がまだかかりますから。もう少しだけ。」
「分かりました。いつまでも待ちます。」
「ありがとう。」
先生はくいっとお酒を飲み干した。それを見て、わたしもちびっと飲んだ。
「……、」
先生はお猪口を照明に上げ、ふふっと笑った。
「〜♩あんまり煙突が高いので、さぞやお月さんけむたかろ……サノヨイヨイ……♩」
わたしはその歌に見惚れていると、急に先生はわたしの方をご覧になった。
「いい歌だね。」
「はい。ヨイヨイですね。」
「ふふっ。」
わたしは先生を見て気になった。あの原稿は誰が書いたのか。作者の名前が書いてなかった。
「先生、」
「ん。」
わたしは少し、どきっとした。いつもより目をトロンと見つめて、頬を赤らめて、ちょっとだけ口を微笑させている先生から色気を感じたから。
「なんでもないです。」
「そう。」
聞きそびれた。
すると、今度は逆に先生がわたしに問いた。
「よもぎさん、この仕事は好きかい。」
「はい、とってもいい暮らしです。」
この生活はいつまで続けるだろう。
「良かった。」
先生は格子窓からチロチロ見える月を眺めた。
「本当に好きな事を仕事にする人は才能があるね。僕には無理だ。ね。ほら、僕は嫌々教師をやってるんだ。好きな事を僕は根から好きではないかもしれない。飽きてしまう。それでも、好きなことは好きだ。」
それから先生は笑った。
「けどあいつは出来た。」
「あいつ?」
「僕の友人。」
わたしが、ご友人は何のお仕事をしてらっしゃるの?と聞こうとしたら、またもや先生が先に口開いた。
「いい気分だ。」
先生は肩を揺らしながら、ころころ笑った。
「先生は小説をお書きにならないの?」
「……なぜ。なぜそう思ったのです。」
「だって、先生、小説好きじゃないですか。」
「書いてたよ。」
先生は淡々と答えるので一寸驚いた。
「そ、それはどこに?」
「ここにあるよ。ここの宅に。」
「え、」
あの原稿は先生が書いた小説だったのね。わたし、勝手に読んじゃった。
「探して見つけて、読んでもいいけれど、僕に感想は必ず言わないでくれ。」
どうしてだろう。あんなに綺麗な文章だったのに。
先生はずっと遠くを見つめていた。
「……分かりました。」
「うん、約束ね。」
「けど、どうして……」
「あのような恥ずかしい小説に価値などないよ。読みにくいし、どうなっているか分からないし、あんな小説……あんな小説……」
「先生、」
わたしはいつか先生の本当の名前を言えるのだろうか。
「先生、あまり自分を否定しないでください。」
「ご、ごめん。」
先生は酒を一口、呑んだ。だいぶ酔いが回ってそうだ。そうで無いとわたしが倒れてしまう。
「……よもぎさん、もう呑めない?」
「えぇ、ちぃっと酔って来ました。」
「無理しなくていいよ。もうこの辺でよしなさい。」
「いいえ、まだ……まだ先生のお側にいます……。」
視界がくらくらする。
バタっ
「んはは、困ったね。どうしようか。」
先生はよもぎに布団をかけた。
「〜♩好いて、好かれて、暮らすのなら……夢に黄金の花咲く。」
――――――
わたしはこんな夢を見た。
「月が出た出た月が出た。ア、「ヨイヨイ。」」
先生と一緒に祭りに行く夢。賑やかなのか、屋台があったかは分からないけど、二人で並んで歩いたのは確かだ。
二人で笑い合って、歌って、幸せだった。
――――――
「ふふっ。〜♩サノヨイヨイ。」
『炭坑節』より一部引用




