20帰り道
「お疲れさん!また明日ね!よもぎ!」
「はい、お疲れ様でした。また明日です!」
裏口の前。ここは一本の木が立っていて、しゃがむくらいの扉が裏口だ。もう陽が傾いてきている。
坂本さんは風呂敷を片手に持って、ごうかいにわたしに向かって手を振ってくれた。
「良かったね。善い人がいて。」
「わ……!」
後ろを振り向くと、坊ちゃん様(まだ呼び名が定まっていない)がいた。
「坊ちゃん……さま。もう、いきなり声をかけるもんですか、びっくりしちゃいましたよ。」
「んはは、なんだい。その呼び名は。」
坊ちゃん様は死んだ目でこちらを眺めていた。わたしはもう一度、いや、それ以上おどろいた。
「ご、ごめんなさい……!失礼でしたよね。」
「いいや。坊ちゃんって呼ばれるの嫌だから、名前で呼んでほしいなあ。」
「なぜ。なぜよもぎさんが、貴方を下の名前で呼ばなければならないのですか。」
聞きなれた心地よい声。
後ろを振り返ると、先生がいた。先生は橙色の光のせいで、髪の毛の色が茶色へと変化している。
「せ、先生?」
「あらら、下の名前のどこかいけないのかね。まあ、俺を呼ぶ時は坊ちゃんって呼ばないでくれ。じゃあね。よもぎ。」
「しまった……。」と、先生が隣で呟いた後、男の人は家ではない方へ狐のしっぽのように去って行った。
「あの人は誰ですか。」
「この家のご長男様です。わたしに家のことを案内してもらって。」
先生を見上げた。鼻の筋が通っていて、影がくっきりと映っている。道の奥にはまだまだ塀が繋がっていた。
「……。そうですか。」
先生はわたしに顔を向けずに先へ歩いていくもんだから、わたしは駆け足で先生の隣についた。
「先生、」
先生はわたしが呼んでも表情ひとつ変えなかった。夕陽がきれい。
「お迎えはいらないって言ったじゃありませんか。」
「ちょうど、よもぎさんとあの男を見つけたのでつい。」
ずっとずっと遠くを見ていた。先生は夕陽を見ているはずなのに、その目は暗かった。國へ帰っていた時の目と同じである。
「……先生?どうされたのですか。体調でも優れませんか。」
先生はわたしの目をすこし見た後、ご自分のごつごつした手を顔で覆った。
「……。ごめん、ごめんなさい。子供みたいなことをしてしまいました。ぼくはばかだ。」
彼はわたしを指の間から平行に見上げ、頬をゆうやけで赤らめた。
彼岸花を背景に、はじける。
「嫉妬してしまった。」
先生また早足でわたしを置いて行った。
――――――――――
「あ、よもぎさん。」
またすこしばかり歩いた頃、先生は花屋の前で止まった。下駄の青い緒が緑色になっている。
「お花を買いましょうか。」
「花?いいんですか?やった。どれにしますか。」
そこはきれいな花屋だった。バケツの中にさまざまな秋の花が咲いていて、もちろん、植木の品揃えもよい。
「よもぎさんが好きなのを選ぶといい。今日は疲れたでしょう。すぐに調理できるものも買っておいたから、早くに寝なさいね。」
「先生……!ありがとうございます。うわあ……!どれにしようかな。」
端っこに夕陽に負けないくらい黄色い菊が咲いていた。
「菊にしようかしら。いいですか。先生。」
「ああ。菊をひとつ。」
先生は花屋の店主に"一"としめす。店主は男性で、優しそうな人である。
「まいど。」
「きれいね。作り物みたい。ありがとう先生。」
「ははは。それは良かった。」
わたしは歩きながら花を見つめた。いくつもの小さい花弁が集まっている。先生がわたしのことを眺めているのがわかった。
秋の風が吹く。
「…あら、なんだかいい香りがしますね。」
「本当だ。これは金木犀だね。金木犀は花が小さく星みたいなんだ。そして葉っぱもきれいなんだよ。」
「どんな葉なの?」
「ううんっとね、うねうね曲がっていて、濃い深い緑の色をしているんだ。普通、葉っぱはね太陽の下だと薄くなるんだけれども、金木犀は違うんだ。深い色をしすぎて、そのまま、白を反射する。面白いね。椿もそうさ。」
「椿も?見てみたいわ。」
「いつか見ましょう。花と共に。」
先生はなんでも知ってるなあ。ほんとに、
「すてき。」
「ほんとうに素敵な香りだね。」
先生はわたしにころころと笑いかけた。ずっと見たい幸せそうな顔。
「こんな日々が続くといいなあ。」
「うん、ずっとね。」
家の門をくぐり、わたしたちはまた日常へと眠っていった。
ポストに何か入っている。
「先生へ
誰もいないようなので、後日、またご訪問いたします。
海浦」




