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伽藍堂は先生  作者: あ行
日常
20/25

20帰り道

「お疲れさん!また明日ね!よもぎ!」

「はい、お疲れ様でした。また明日です!」

 裏口の前。ここは一本の木が立っていて、しゃがむくらいの扉が裏口だ。もう陽が傾いてきている。

 坂本さんは風呂敷を片手に持って、ごうかいにわたしに向かって手を振ってくれた。

「良かったね。()い人がいて。」

「わ……!」

 後ろを振り向くと、坊ちゃん様(まだ呼び名が定まっていない)がいた。

「坊ちゃん……さま。もう、いきなり声をかけるもんですか、びっくりしちゃいましたよ。」

「んはは、なんだい。その呼び名は。」

 坊ちゃん様は死んだ目でこちらを眺めていた。わたしはもう一度、いや、それ以上おどろいた。

「ご、ごめんなさい……!失礼でしたよね。」

「いいや。坊ちゃんって呼ばれるの()だから、名前で呼んでほしいなあ。」

「なぜ。なぜよもぎさんが、貴方を下の名前で呼ばなければならないのですか。」

 聞きなれた心地よい声。

 後ろを振り返ると、先生がいた。先生は橙色の光のせいで、髪の毛の色が茶色へと変化している。

「せ、先生?」

「あらら、下の名前のどこかいけないのかね。まあ、俺を呼ぶ時は坊ちゃんって呼ばないでくれ。じゃあね。よもぎ。」

「しまった……。」と、先生が隣で呟いた後、男の人は家ではない方へ狐のしっぽのように去って行った。

「あの人は誰ですか。」

「この家のご長男様です。わたしに家のことを案内してもらって。」

 先生を見上げた。鼻の筋が通っていて、影がくっきりと映っている。道の奥にはまだまだ塀が繋がっていた。

「……。そうですか。」

 先生はわたしに顔を向けずに先へ歩いていくもんだから、わたしは駆け足で先生の隣についた。

「先生、」

 先生はわたしが呼んでも表情ひとつ変えなかった。夕陽がきれい。

「お迎えはいらないって言ったじゃありませんか。」

「ちょうど、よもぎさんとあの男を見つけたのでつい。」

 ずっとずっと遠くを見ていた。先生は夕陽を見ているはずなのに、その目は暗かった。國へ帰っていた時の目と同じである。

「……先生?どうされたのですか。体調でも優れませんか。」

 先生はわたしの目をすこし見た後、ご自分のごつごつした手を顔で覆った。

「……。ごめん、ごめんなさい。子供みたいなことをしてしまいました。ぼくはばかだ。」

 彼はわたしを指の間から平行に見上げ、頬をゆうやけで赤らめた。

 彼岸花を背景に、はじける。

「嫉妬してしまった。」

 先生また早足でわたしを置いて行った。

――――――――――

「あ、よもぎさん。」

 またすこしばかり歩いた頃、先生は花屋の前で止まった。下駄の青い緒が緑色になっている。

「お花を買いましょうか。」

「花?いいんですか?やった。どれにしますか。」

 そこはきれいな花屋だった。バケツの中にさまざまな秋の花が咲いていて、もちろん、植木の品揃えもよい。

「よもぎさんが好きなのを選ぶといい。今日は疲れたでしょう。すぐに調理できるものも買っておいたから、早くに寝なさいね。」

「先生……!ありがとうございます。うわあ……!どれにしようかな。」

 端っこに夕陽に負けないくらい黄色い菊が咲いていた。

「菊にしようかしら。いいですか。先生。」

「ああ。菊をひとつ。」

 先生は花屋の店主に"一"としめす。店主は男性で、優しそうな人である。

「まいど。」

「きれいね。作り物みたい。ありがとう先生。」

「ははは。それは良かった。」

 わたしは歩きながら花を見つめた。いくつもの小さい花弁が集まっている。先生がわたしのことを眺めているのがわかった。

 秋の風が吹く。

「…あら、なんだかいい香りがしますね。」

「本当だ。これは金木犀だね。金木犀は花が小さく星みたいなんだ。そして葉っぱもきれいなんだよ。」

「どんな葉なの?」

「ううんっとね、うねうね曲がっていて、濃い深い緑の色をしているんだ。普通、葉っぱはね太陽の下だと薄くなるんだけれども、金木犀は違うんだ。深い色をしすぎて、そのまま、白を反射する。面白いね。椿もそうさ。」

「椿も?見てみたいわ。」

「いつか見ましょう。花と共に。」

 先生はなんでも知ってるなあ。ほんとに、

「すてき。」

「ほんとうに素敵な香りだね。」

 先生はわたしにころころと笑いかけた。ずっと見たい幸せそうな顔。

「こんな日々が続くといいなあ。」

「うん、ずっとね。」

 家の門をくぐり、わたしたちはまた日常へと眠っていった。

ポストに何か入っている。

「先生へ

 誰もいないようなので、後日、またご訪問いたします。

          海浦」

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