19働く
朝。おてんとさまは、今日も清々しく照っていました。玄関の掃除をしていると、空に白身魚の刺身のような雲が浮かんでいて、くすっと笑ったのを覚えています。
「ああ、そうか。今日だもんね、働く日。」
「ええ、そうですよ。頑張って働いてきますね。」
朝食時。
わたしは先生の話を聞きながら、ほうれん草の煮浸しを食べた。
「次から朝ごはんは僕が作るよ。迎えはいるかい。」
「いいんですか。じゃ、お言葉に甘えてご飯は作っていただこうかしら。けれど、慣れてきたら、わたしが料理をしますわ。迎え大丈夫ですよ。一人で帰れます。ありがとう、先生。」
「そう。」とおっしゃった後、先生はなにやら、他の皿にナスを避けているようです。
「先生、好き嫌いはだめですよ。」
「だって、苦手だもん。」
先生はナスを見つめている。
「だもんって……子供ですか。」
「子供だったら許されるのかい。……そういう訳じゃないよな。」
しゅんと童のように、先生は下を向かれた。
「けれど、子供になれたのならそれはそれで寂しい。」
先生はナスを一口食べる。
「なぜ?なぜ悲しいの。」
「子供はなにも出来ない、非力だからね。ただ、花の育て方を知らない。それを見つめていいのか、貪っていいのか、愛でてもいいのか分からないんだ。けれど、たかいたかい周りを見てみると皆、大切な何かはしている。花の育て方は、正解なんてものがない。ようやくして、水やりが普通なのだと、失敗なのだと気付く。才能も同じさ。その積み重ねが大人になってゆく。させてゆく。」
よもぎは先生を、かたく見つめた。さっきまでよもぎは顎を使って食べていたのに。
「……ご、ごめんね。何でもない。」
「いいえ、先生のそう言うところ好きですよ。」
こんどは先生が数秒間、少し目を開いて私を眺めた。
「い、いやあ、へえ。……そうだ、もう食べ終わったから小説でも読もうかな。ご馳走様でした。」
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先生はとっくに学校へお出向きになったのち、わたしも働く身支度をしていた。
「よし!準備もバッチリ。さてと、がんばりますか!」
片手に風呂敷を持ち、わたしは家を出た。
「うわあ……すごい……」
わたしは目の前の家で立ち尽くした。家と言うよりかは大きな門だ。わたしは大きな門の前で立ち尽くしていた。
「ごめんください!今日からお世話になるよもぎです!」
「あらら、君かい。女中さんは。」
門にちょうど人がいた。男の人であった。二十五歳くらいであろうか、ゆったりとした印象がある。
「はい、よろしくお願いします。」
「や、そんな頭を下げないで。俺は頗るエライ人じゃないからな。案内するよ。ついてきて。」
男の人についていくと、庭には何個もの倉があって、途中、子供たちがまりで遊んでらっしゃった。
すると突然、男の人は止まった。
「ああ、俺はここまで。貴女はあすこに見える大きな家をお尋ねなさい。そこに行ったら厳しい女の人がいるから、その人に言うんだよ。俺のことは内緒にね。」
しっ、と男らしい人差し指を唇に添えて、わたしにニカっと笑った。
「はい、分かりました。ご丁寧にありがとうございます。」
「いいえ〜。んじゃあね。」
親切な人がいてよかった。あの人はこの家のどんな方なのかしら。
そう思いながら、大きな家へ向かおうとすると、
「坊ちゃん。」
紫の着物を召したご年配の方が、男の人を呼び止めました。気品、といった感じです。
「どこに出かけていたのですか。いつもいつも坊ちゃんはどこかに行かれて……。坊ちゃん、ことの重大さを承知していますか。」
「……あ…………、ごめんね。そうそうこの人、今日から手伝ってくれる人だよ。」
坊ちゃん?!まさか、この人が偉い人なんて思いもしなかったわ。
男の人はわたしの肩をお掴みになって、自分の方へと近づけた。
「この人が厳しい人、ね。」
「……はい。」
耳元で甘い声で囁かれる。相手には聞こえていないようだ。
「承知しております……。あなた。あなたはまた教えるので、まず……」
ご年配の方が下を向いた直後、男の人は何も言わず、どこかへ行かれました。
「坊ちゃん……!坊ちゃんがおりませぬ。あのお方はすぐにどこかへ行かれる。もうじき、宴会が開かれるって言うのに……。」
「ああ、坊ちゃん……さまはああ言う方なのですか?」
「ええ、小さい頃からずっと。わたくしめは坊ちゃんを追いますので、坂下という女を尋ねなさい。いいですか坂下ですよ。」
「分かりました。坂下さんですね。ありがとうございます。」
――――――――――
「ああ、あんたが新しい子かい。あたしの名は坂下。気軽に坂下って呼んでくれ。」
「坂下さん……!今日からお世話になります!」
坂下さんは結った毛を雑に束ね、頭には三角巾を被っていた。わたしより背がずっと高く筋肉質なお方である。
「はっはっは!行儀のいい子だねぇ!なら、さっそくかっぽう着を着ようか。」
「は、はい!」
その後、わたしは洗濯の仕方や、料理、洗い物、掃除までいろいろ教わりました。
「う〜ん。頭が爆発しそう……」
ちょっとばかりの休憩を貰いましたので、わたしは外の小さい石の上で座っていました。
「はっはっはっ!大丈夫かい?慣れたらどうってことないよ!」
「坂下さん……!わたし……もう手足が動かないです。」
ぷらぷらと空気の中で手首を振る。それから、坂本さんはわたしの隣に腰を下ろした。
「こんなもん明日になったら、終わってるさ。しっかし、」
坂下さんは肘を立て、大袈裟にふう、とため息をつかれた。
「大学の祝いにこんな人がいるもんかねえ?坊ちゃん……っていう方が大学を卒業したからって、こんなに大きく……どんなに財産持ちなんだって話だよ!」
「まあ、嬉しいことですからね。」
坂下さんはニカっと海上の太陽のごとく笑いになった。
「そうだね。誰だって子供の成長は嬉しいもんさ!あたしの子供だって立派な子だよ!よもぎの方はどうだい?」
「ああ……わたしはまだお恥ずかしながら結婚していなくて……子供はまだまだと言いますか……」
バーンっと背中を叩かれる。転びそうになった。
「大丈夫だって!あんたはまだ若い!」それに、好きな人だっているんだろう?」
「……そ、それは。」
体温が高くぽっとなる。先生のことを思い浮かべてしまった。
「だははっ!やっぱりね。そんな気がしたよ!大丈夫、誰にも言わないさ。」
「…………、」
よもぎは背中を横に曲げて、赤い顔で地面を見つめていた。




