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伽藍堂は先生  作者: あ行
17/25

17縁側

「……あんまりだわ。……あんまりだわ。」

 柔らかい繊細な頬に一筋の光が落ちていく。

「先生はあんなに優しいお方なのに……あんまりだわ。」

 ころころした笑顔の裏でこんなにも辛い過去があったなんて。

 わたしはずっと、のほほんと暮らして来た。子供の頃も今になっても。わたしは運が良かったのだ。

 一生を捧げて先生のお側にいようと心に決めた。

――――――――――――

「涼しくなったね。一寸(ちょっと)寒い。」

 しばらくして先生がご帰宅になられ、それから、わたしと先生は色付いた縁側にて話をしていた。

「ええ、虫の音が綺麗。」

 玄関から今に至るまで、先生は手紙の事を一切話していません。

 手紙について触れるのが少し怖いです。

「せ、先生。」

「なあに。」

 わたしはどこも見れなくなって、自分の指を見ました。なんとなくそれを絡ませました。

「手紙、拝読しました。」

「……読んでくれたんだね。読んでくれなかったら、どうしようかと思っていたよ。」

 先生はなぜかこんな場面でも、目を細めて笑った。普通、恐怖心で笑顔なんて作れないはずだ。先生の裏の部屋は伽藍堂(がらんどう)である。

「よもぎさん、君に迷惑や心配をかけて、」

 先生は親指を床に立てて、わたしの方へ向く。わたしも正面を向いた。

 くしゃっと強く着物を握られています。

 そして、頭をお下げになりました。

「本当にごめんなさい。」

 椿の(つぼみ)は先端だけ紅色に染まっています。ふと、一香さんの事を思い出しました。

「先生、頭をお上げになすって。わたし、先生の事を"先生"と呼んでいる理由、ご存知?わたし、先生の事を尊敬しているの。立派な人だって。だから、わたし先生に一生を捧げますわ。」

「一生を?どこかへ行ったりしないのですか。」

「ええ、先生以外、考えられませんわ。もしわたしが先生に見つけられなかったら、他の家でこき使われているに違いないわ。わたし、ここに来て幸せなの。」

 先生はころころ笑った。写真を向けられて作る笑顔ではなく、夏祭りにてりんご飴を貴方に渡すように。

「良かった。」

 わたしは先生に惚れた。

 ガコッ

 門の方から音がしました。まるで世界が切り替わったように思われます。

「あら、手紙が来たようだ。」

 と言って、先生はちょうど庭においていた草履を履いて投函口(ポスト)へ向かわれました。わたしもその後を追いました。

「ああ、英語の先生からだ。」

 わたしは胸の中で安堵した。手紙と言うと、最近嫌なことしか起きていないから。

 先生は差出人を見て、玄関門の前で微笑んでいた。(投函口の札にはLetterと書かれている。)

「…………。」

 すると、先生の表情がいきなり曇る。花を眺めた後、地獄の窯を覗くような。

「どうされたのです、先生。」

「なんでも……いや、君にもう隠さないと決めたんだ。僕は、友人から何年もずっと手紙のやり取りをしていたから、ふと思ってしまってね。」

 先生は空を見上げる。わたしも空を見上げた。その空は高く、キキョウが浮かんでいてもおかしくない薄い色をしていた。

「友人とずっとだったから、思い出が彼方此方(あちらこちら)にこびりついている。友人として好きな人が嫌いになってしまった。けれども、亡くなってしまえばいいなんて思いません。そのような稚拙な考えは、したくありませんから。それに、本当にそうなってしまうと怖い。僕はあいつが幸せに生きていても良いんです。僕の目の前からいなくなればそれで良いんです。そして、あわよくば記憶を消したい。楽しかった記憶でさえも。」

 先生は買った花を強く握りしめているように、憂いを成していた。

「そんなことは出来ないね。出来ないね。思っていたって無駄だ。他のことを考えていたい。」

「例えば?どんなのです。」

「そうだな……。小説。小説……が一番。」

 先生はまた、友人さんのことを思い出したのでしょう。それをわたしがしてしまった。失格だ。失格だわ。

「あれ、国語の先生ですがな。次ここに住むのは先生か。こんにちは。」

「本当だ。先生、ご結婚してらっしゃったんだね。こんにちは。」

 すると二人の学生さんが来て、先生に挨拶をした。一人は小柄で目が垂れている。もう一人は大柄で目がつっている。

「こんにちは。あれま、見つかっちまったね。」

「ええ、以前より学校の近くに越したのですからね。」

 その夫婦は仲良く笑い合っていた。

「先生、全くご自分のことをお話しにならないですからね。小説が好きって事とか、授業が格別に興味深いって事しか知らないですからね。」

「そうですがな。他の先生方はいっぱい話してくれますがな。家族で旅行したとか、野良の子犬が怖いとか。英語の先生は以前、自転車に初めて乗ったそうですがな。」

 先生は外ではそんな感じなのね。全然知らなかった。新鮮でなんだか安心して、もっと見ていたいわ。

 先生は門の石に体重をのしかかって話を聞いていらした。

「けれども、誰も住所までは話さないでしょう。君、授業を遅らせる魂胆(こんたん)ですね。」

「違いますがな。違いますがな。先生のことを尊敬しているから、もっと知りたいんですがな。」

「うん、そうだね。夏休み明けにいきなりは辛かったなあ。」

「先生、少しくらいはいいんじゃないでしょうか。話をした方が楽しいですもの。」

「よもぎさんまで……。いいから、君たちは勉学に励みなさい。」

 二人はつまんなそうな顔をしている。

「しかし、先生の家に上がってみたいものですな。きっと面白い書物がたくさんあるんでしょうな。」

 きらりと丸いメガネが光る。

「なら、海浦(うみうら)くん。いつかおいでなさい。きっと良い書物が見つかりますよ。しかし他の生徒には内緒に。」

「本当ですがな。本当ですがな。このご恩は必ずしも返上いたしますがな。」

 小柄な海浦くんは走ってどこかへ、大柄な子は「先生、さようなら。」と言ってその後をついて行った。

 先生はわたしの方へ向き直ってこう言った。

「さて、僕らもそろそろ内へ入りましょうか。」

「ええ。先生、今日の夕飯は煮魚ですよ。」

 ようやく二人の日常が戻ってほっとした。

 そうしてよもぎは微笑みながら、先生の後ろ姿を眺めた。

海浦→先生の生徒

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