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伽藍堂は先生  作者: あ行
16/25

16内容

 私の母は、強い宗教心を持っていました。江戸や明治を生き抜いたから仕方のない事なのですが、どうも私にはあまり理解は出来ませんでした。

 

 

 いつもいつも、(くう)に向かってなにか話しているのです。けれどもそちらを見ると何もない。天に向かって何か呟き、手を合わせている。どうも私が知っている宗教とは別物でした。私が母の真似をすると、

「あら、あんたもする?」

 と、嬉しがるので私は率先してそれをやるようにしました。幼かった私はそれが"普通"なのだと思っていたのです。

 ある日の夜。

 私はいつものように部屋で寝ていました。

 すると、母がいきなり部屋に入って来て、

「――、――――」

 なにやら話しているのです。ろうそくは、ぼうぼう点いている。眩しくて仕方がありません。母はいきなり「あはは」と大きな声で笑って話していました。寝ていたのですから、私の弱い心臓に負荷がかかり、すごく痛かったのを覚えています。

 そして「静かにして」といくら私が言ったって、話が通じません。翌る日は私の部屋で新聞を読み、翌る日は空間に話しかけていました。  

 私は今もその名残で、眠りが浅くなってしまいました。


  

 すると、私は神経衰弱で耳鳴りが常にうるさく響くようになりました。時には、人の声すら通らない大きな耳鳴りもしたのです。しかし返って母の方が煩かったので、その耳鳴りはなんとも思いませんでした。

 

 

けれど時々見せる、母の優しさは残っていました。だから、私はその人を、根から嫌いにはなれませんでした。母と過ごした十数年間は、信頼と言うものが確かにあったのです。

 

 

 私が学校から帰宅し、自分の部屋へと向かっていると居間からなにやら聞こえてきました。母と喋るのが億劫だったので、私はのぞいてその真相を明かしたいと思い襖を少し開けてみました。

「……許してください……わたしが何をしたと言うのですか……許してください」

 部屋の中には母以外、誰もいないようでした。そして母は床に仰向けになり、天に向かって謝っていました。身が硬直し、縄で縛られているようです。どうも私が知っている宗教ではありません。

 それを見ても、私は何も思いませんでした。

 

 

 翌日。私がそれを無視したからでしょうか、母は次第に容体が悪化していきました。私はまたもやそれを無視し、母の世話は父に任せていました。話が通じない母の世話など、私はしたくなかったのです。

 父は母の看病をいつの間にかやめていました。毎日、母の傍にいるので当然です。そして矛先が私に向き、仕方なく私は母の看病をしました。

 そして両親は次第に仲が悪くなっていきました。私はそれについて兄弟に話すと、

「まあ、何とかなるでしょう」

「気にしなくていい」

 と二人とも全く同じ意見を言うので私はこう言うものだ、と思うようになりました。


  

 父は母と仲が悪くなり、それまでは優しい、けれど、少し子供っぽいところがある人でした。

 ある頃、母が祖母の看病へ出向いていた時、父はしばしば母の愚痴をこぼしていました。

「あいつは、片付けへんもんは、片付けへんな」

 私もそこで首を縦に振ってしまいました。肯定してしまったのだから、父の中には益々その気持ちが高まったのでしょう。

 私が否定していたら、何か変わっていたのでしょうか。

 数日後、母が帰って来た頃、父は母にそっけない態度で話していました。母が話しかけても、「あぁ」や「うん」などしか言わないものですから、次第に母も話をしようとしなくなりました。

 私もそれを放置して、見て見ぬふりを永遠にし続けていました。

 私が、「何故喋らないの」と両方に同じ事を問いたら、また未来は変わっていたかもしれません。

 私が自室でくつろいでいていた時、父が仕事から帰って来ました。父に「おかえり」など言いたくありませんでしたので、聞こえないふりをしていた矢先、

「うっとうしい」

 父が階段を上がってくる足音と共にそう、母に対しての小言が聞こえました。毎日々々、帰ってくるたびに小さい声で呟くので私は手で耳を塞ぐぎ、その漏れてくる音を聞くしかありませんでした。あの時間は本当に苦手でした。

 けれど、父に私から話しかけるといつも通り話してくれました。何が不満なのか、何を恐れているのか。何も言わないので私は分からずじまいで、日々を過ごしました。


 

 私のせいなんです。

 私があの時、他人事のように扱ったので、このような末路になってしまいました。

 

  

 最初は二人は優しかったのです。


 

 私はその頃、書生だったのでそこにいると"普通"が分かって来ました。あの頃、学校に通っていなかったらと思うと身の毛がよだちます。

 普通の学校でした。満足していました。しかし先生からは、

「君の作品は犬の糞のようだね」

 と心無い言葉を投げつけられました。その一言で私は、人に作品を見せるのが不得意になりました。

 だから私は、教師というものが苦手なのです。

 

 

 私はやっぱり両親は仲良くして欲しいという願望を持っていました。

 幼心がまだあった私は、仲睦まじい両親を見て来た私は、仲良い夫婦をまた見ていたかったのです。

 妹はまだ幼すぎたので、一度、私は兄に相談しました。

「なあ、兄さん。父と母はなぜああなったと思う」

「大人とはそうなるものや」

「けれど、昔は仲が良かったじゃないか。僕は彼らの一度きりの人生だから仲良くしてもらいたい」

「ああ。けれど大人とはそういうものや」

 無理でした。

 

 

 私は時々こんな夢を見ます。

「次、休日、どこか遊びに行こうか」

「いいなあ、どこ行こか」

 両親が仲良く話している様子を度々見ました。心のどこかでは「あれ、こんな感じだったっけ」と思うのですが、言ってしまうと無くなりそうな予感がしましたのでいつも言えず、その様子を笑顔で見るだけでした。

 ハッと夢から覚めると現実です。

 畳の波を見ながらいつも無常感に浸っていました。


  

 母が亡くなって今、数年経ちます。そして私は逃げるように國を離れ、東京につきました。私は家族という関係から開放され、愚弄も、翻弄もなく、一人になりました。私は昔の母を思い出して、宗教がなければこんな事にはならなかった。友人のように親孝行をしていたのだな、とたびたびあらぬ将来を想像し、枕を濡らしていました。


 私は二人が目の前から居なくなればいい。ずっとそう思って生きて来ました。

 どこかで幸せに暮らしてでもいいから、どこかで生きていてもいいから。亡くなれなんて、滅相も思いません。私のせいで亡くなるのは人間として悲しいですから。とにかく、私に触れないで欲しかったのです。

  


 本当に父母は優しい方でした。その点は取り違えぬよう願います。

 母に冷たくされても、父から暴言を聞いても、私は両親の事が嫌いにはなれませんでした。嫌いにはなれなかった理由は、多分、今の両親が好きではなく、昔の仲睦まじい両親が好きなのでしょう。

 

 だから、私は毎朝、母に線香を焚いていました。

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