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伽藍堂は先生  作者: あ行
13/25

13婚約

 わたしと妹様は縁側に座りました。客間に案内すると、「こんな息苦しいところ御免よ。」と言われましたので、縁側となりました。

「それでね、話って言うのはね、聞きたい事があるの。」

「なんです。」

「貴方は兄さんの事が好きなの?」

「……ぇ、」

 頬が椿のようにぽっと赤くなりました。けれど、庭の椿はまだ(つぼみ)が出来上がったところです。きっとその箱には、たくさんの花弁(はなびら)が詰まっているでしょう。

 そして妹様はまたリボンを揺らしながらキ、キ、キと笑いました。

「やっぱりね。やっぱりなのね。そうだと思ったわ。あたしが最初にここへ話に来た時、貴方、酷い顔をしていたわよ。」

「え、わたしの顔、大丈夫でしたか?」

「大丈夫もなにも、誰でもそうなるわよ。乙女心がある証拠ね。」

 妹様は口元に添えていたハンケチを、手元に下げました。

「そう、兄さんが好きなのねぇ……。へぇ。」

 すると、突然わたしに指差しました。わたしは妹様は手を差し出すように指すと思ったので、余計驚きました。

「けどね、あたしが最初に兄さんを好きになったんだからね。分かった?」

「……はい。」

 わたしは返事をするだけしか出来ませんでした。

「あたしはもう結婚した。もう無理よ。世話の焼ける兄さんだけど、誰にでも困らせる兄さんだけど、」

 妹様は憂いの、けれど純粋潔白な目をしていた。

「大好きだったの。」

 妹様の眼は曇りの白い光に照らされていました。その"大好き"は恋心の憂いを帯びた響きでした。

「貴方は兄さんのどんな所が好き?貴方、「全部。」なんて言ったら引っ叩くわよ。」

「分かってます……!分かってます。えぇ……と、」

 妹様はわたしへ優しく見つめて、次に庭の方をご覧になりました。

「先生の気付きが好きです。」

「気付きって?」

「はい、先生は様々な事をお気付きになるんです。夜の雲とか、キキョウが向日葵みたいだとか。」

 わたしは庭の端に落ちている烏の羽へ目を移した。

「そういう気付きがわたしの生活を豊かにしてくれました。」

 その羽は漆黒で何色にも染まらない強き色でした。

「わたし、先生の事が好きなんです。」

「ふぅん、そう。」

 妹様は自分で聞いたのにも関わらず、あまり興味を示しません。

「ねぇ、貴方。貴方って兄さんのことを名前で呼ばないのね。先生だなんて堅苦しくない?」

「いえ……!先生は先生なので、名前なんてわたしなんかが呼べません。」

「ふぅん、またいつか呼んであげたらどうかしら。きっとあの子も嬉しがるわ。」

「……そうですか、分かりました……。」

 目の前で青トンボが飛びました。自然の青ではなく、人工のペンキのような色で魔法(マジック)のごとく不思議でした。

「あんな男とずっと一緒にいるつもり?」

「えぇ。」

「余ッ程好きなの?」

「えぇ。」

 妹様はハンケチで口を添えた。

「なら、話してあげる。兄さんの婚約の話。」

――――――――――――

「兄さんは今年で三十になることはご存知よね。法律で三十歳になるまでは親の許可がないと結婚できない。つまり、兄さんの妻を父さんが探したってわけよ。

 父さんが見合いに来いと東京に手紙を送っても、ちっとも兄さんは来なかったけれど、庄一兄さんの葬儀でお國へ帰った時、やっと話が進んだみたい。そして兄さんは相手の顔を知った。

 一度、兄さんが東京へ戻った後も父さんは手紙を何通も送ったわ。また兄さんは無視した。そしてあたしが此処に来させられたってわけよ。あたしだって観光とかしたいのに。

 今兄さんがお國へ帰っているのは、結婚を取り下げるため。けれど、今この時間、お見合いをしていると思うわ。父さんはああいう性格だもの。」

 妹様は明るい顔でわたしを見た。いや、わたしが暗い心持ちだったからそう見えただけかもしれない。

「ね、分かった?」

「……あんまりです。」

「仕方がないことよ。父さんは兄さんを思ってしていることだもの。十割十分十厘、善意でやってるわ。だから、貴方の恋も此処までかもしれないね。」

「…………、」

 わたしは分からなかった。わたしは、わたしと言う女は、先生に居候させてもらっていて、この家の手伝いをしていて、もし先生に綺麗な奥さんができても、全力で尽くすだけだった。

「ねぇ、貴方はどうするの。」

「わたし、わたしは……」

 いざ、先生がご結婚されるとなれば、なんだか心がざわついた。嫌になった。

「先生を愛し続けます。」

「……あら、」

「たとえ、わたしの恋が叶わなくても、遠くで先生のころころとした笑顔が見れればそれでいいんです。わたしのことを愛していなくても……」

 何故だろう。胸が痛い。

「大丈夫……大丈夫よ。強がらなくても、ここには一香しかいないわ。」

「一香さん、わたし……ほんとは、一番近くで先生のお側にいたい。」

 一香さんはわたしの背中を摩りました。優しい優しい手でした。

「……一香さん、その傷、腕の傷……」

「……!これはほっといて頂戴。貴方は何も見なかった。」

 わたしは買い物の際、一香さんと旦那様を見つけたのを思い出した。

「旦那様にやられた傷ですよね。」

「……っ、何故それを知っているの?」

「わたし、見たんです。買い物に行っていた時、一香さんに旦那様が手をあげていらっしゃるのを。」

「……。」

 一香さんはハンケチをそっと外して、真剣な表情をされました。しかし次の間には、ふっと力が抜けたような顔つきになられました。

「ふふっ、知ってたのね。知ってたのね。貴方にはもう隠すことはないわ。ここに夫もいないものね。そう、あたし、夫に暴力を振るわれているの。」

 わたしは一香さんの寂しい顔を見るのが耐えれなくなり、またあの黒い羽を見つめました。

「結婚した当時はそんなことなかったの。優しくて頼れる人だったの。けど、仕事の方で上手くいっていないのか知らないけれど、あたし強く当たるようになったの。あたし、本当に知らなかったのよ。夫は何も喋らないから分からなかったの。相手は何かしらいっぱい、沢山、思っているんだろうけれど、あたしにとって、それは無音なの。それで、分からなくなって、日に日に過剰に増していって今日に至るわ。」

「……そんな事が。ごめんなさい。わたし、何も止められなくって。」

「なぁに貴方が謝ってんのよ。貴方は悪くないわ。」

 無理に口角を上げていらっしゃる。笑顔は作るとすぐにわかる。

「大丈夫よ。あたしは何があっても死なないから。強く生きるの。そしたら、きっと何かが変わる。」

 一香さんは数年後、チフスで息を引き取られました。

「はい……、はい……!変わりますよ。きっと。」

「えぇ。」

 この会話が最期でした。それ以来、一度も会えずに一香さんはこの世を去ってしまいました。

「ねぇ、貴方のお名前はなぁに?」

 一香さんは優しかった。

「よもぎです。」

「そう、そう。可愛い名前ね。」

 そして、柔らかく温かな一香さんの手でわたしの手を握ってくれた。指輪だけが冷たかった。

「よもぎちゃん。」

――――――――――――――

 数日後。先生はお國から帰られた。

「ただいま。」

「おかえりなさい、先生。」

 わたしは聞いてみようと思う。

 一香さんに、思っているだけじゃ伝わらないと教わったもの。

「ごめん、今日はご飯いらないや。」

「お風呂はどうなさいますか。」

「いい。」

「先生、何があったんです。」

 先生はわたしを数秒間凝視して、

「よもぎさん、後で自室に来なさい。話したい事があります。遅くなってごめんなさい。」と言って戻られました。

「……先生。よもぎです。大丈夫でしょうか。」

「うん、入っておいで。」

 襖を開けて、わたしは先生の正面に座った。

「よもぎさん、ごめんなさい。」

「謝らないでください。わたしは先生にどうして國へ帰ったのか聞きたいの。」

「……僕がお國へ帰ったのは……結婚を破棄するために行ったんです。」

 やっと先生の口から事実が聞けました。けれど一寸(ちょっと)悲しいです。

「父が、僕の父が、勝手に結婚をさせようとしているんです。三十までは……両親の許可なしに結婚はできないから、それを利用して……偉い娘と結婚させて父の権威を上げようとしているんだ。」

「……え、」

一香さんの話とは違いました。一香さんは父は善意でやっていると。

「僕はそんな相手と、父の勝手と結婚したくない。」

「見合いはどうだったんです。」

「見合いは、今週行った見合いは無理矢理……僕が遠くに逃げていても、部屋に籠っていても……させられました。相手は父の事がお気に入りだったから、どうしても結婚させたいらしい。」

 先生はわたしを真面目に見つめた。

「僕は三週間後、三十になる。どうか、それまで迷惑をかけると思いますがよろしくお願いします。」

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