第8話 一石三鳥
そこからのユーミリアの行動は、早かった。
取り繕う必要もないので、反抗的な官吏にちょっぴりお灸を据えますね、とイーサンの上司に部下を借りる許可を取り。その後、子爵領に纏わる資料をまとめて、イーサンに届けた。彼は明日から子爵のもとへと出張である。
中途半端になっていた資料の整理を終わらせてから執務室に戻ったユーミリアは、さっそく一連の出来事をルディウスへと報告した。
「……それで、その生意気な官吏にクローク子爵の案件を託した、と?」
「ええ。どう思う?」
書類に目を通しながら、ユーミリアは相槌を打つ。ルディウスはルディウスで、決裁の手を止めることなく、会話を続けた。
「一石二鳥どころか、三鳥は狙えそうだ」
ちょっと乗せただけでころっと騙されてくれた新人官吏と違って、ルディウスはユーミリアの魂胆など容易く見抜いてしまう。
クローク子爵というのは、毎年毎年懲りずに厳罰を喰らわない巧みな塩梅で私的な浪費を領地経営の費用と偽り、収支を誤魔化す困った人物である。
グレストリアでは、領主はその年の収入の一部を国に納める義務がある。納税額は収入によって変わるので、正確な収入額がわからないと租税を通達できない。
財務官はクローク子爵に言いくるめられ、一昨年はルディウスが。昨年はユーミリアが現地に赴き、あの手この手で子爵から失言を引き出し、収入額を正した。
その役目を今回イーサンに託したというわけである。
だが――。
「あれほど自尊心の高いお坊ちゃまが子爵の嫌味に忍耐強く対応して、誤魔化している出費の追及などできるはずないわ。矜持にこだわって自力で解決しようとするのか、第三者に助けを求めるのか。どうするのかしらね?」
クローク子爵は偏屈で言葉がいちいち嫌味っぽく、とにもかくにも、気難しいご老人なのだ。
収支を誤魔化しているのだって、暇だから役人を困らせて遊んでいるだけである。そんなだから、対応にはコツが要る。
罵倒して悦に浸るよりも、こいつとは良好な関係を築いておいた方が得になりそうだ、と子爵に思わせることが大事なのである。
イーサンは子爵がただただ相手を困らせて楽しんでいるだけの老人だとは見抜けないだろう。絶対に音を上げて途中で投げ出すと、断定できた。
「子爵の問題は不正を正そうとすればするほどドツボにハマる。いずれ心が折れて外部に助けを求めるのは目に見えているが、クローク子爵の偏屈っぷりに、財務省は毎年匙を投げている。対応できるのは俺と君だけ」
イーサンが財務官の先輩に助力を求めても、彼らは袖にすること間違いなし。誰だって、面倒な仕事は他人に押し付けたいのだ。上司も同じ。財務省の高官は、宰相室に持ち込めと助言するだろう。毎年そうやって、逃げてきたのだから。
ルディウスが、淡々と未来予想を口にする。
「新人の官吏に俺を頼る度胸などあるはずもない。必然、泣きつく先はユミィに限定される」
ユーミリアは端から、イーサンの性格では達成困難かつ、助力の求め先がユーミリアに限定された案件を選んで託した、というわけである。
あれだけ舐めて掛かった相手に頭を下げ、助けてくださいと懇願するのはさぞ屈辱的だろう。
「どんなバツの悪い顔が見られるか、今から楽しみだわ」
この一件が広まれば、第二のイーサンのような新人に悩まされる心配を今年はしなくて済むだろう。
ユーミリアに要らぬ喧嘩を売るよりも、波風を立てない方が賢いと思うようになるはずだから。
また、イーサンが今後同僚を顎で使う行為を改めさせることもできる。助力する代わりに、職務態度を改めることを条件として提示すればいい。
イーサンを借り受ける際に彼の同僚への接し方に問題があるので気を配るよう、財務省の高官に伝えておいたが。どこまで当てになるやら、なのでしばらくはユーミリアも目を光らせておくつもりだ。
それから、子爵が誤魔化しているであろう経費の調査をある程度イーサンが進めるはずなので、結果的に仕事量がちょっぴり減ることも期待できた。
ルディウスが最初に口にした通り、一石三鳥というわけだ。
「……王宮で君に喧嘩を売っても、損をするだけ。良い教訓になるだろう」
「本当だったら、無礼な新人さんは張り倒されても文句は言えないって教訓を植え付けてあげたかったわ」
あんなに言いたい放題言われても、手を出したら社会的にはユーミリアが劣勢になるのだから、世の中はどうかしていると思う。
「けっこう冷静だよね、ユミィ。俺には脊髄反射で怒るけど。その手の対応は間違えない」
「時と場合は弁えてるわよ。引っ叩きたくて引っ叩きたくて、仕方がなかったけど。ものすっっごく頑張って堪えたんだから……っ」
腹の虫が収まらずにぷんすかするユーミリアを見て、ルディウスが苦笑した。
「それじゃあ、大人の対応をしたユミィを俺が労おう。今週末、時間を作るから君の行きたい場所に付き合うよ」
思いもよらなかった申し出に、パッと瞳を輝かせる。
「本当っ? ちょうどいいわ」
「ちょうどいい?」
ルディウスがあどけなく瞳を瞬かせた。
二ヶ月前、モリンズ伯爵領の問題を解決した際のごほうびに、と考えていたおねだりがあったのだけれど。ちょっと都合が悪くて断念した計画があるのだ。
「私ね、クッキーが食べたいなって気分なの」
「君の好みに合いそうな店をいくつか探しておくから、当日までにどこがいいかを選んで――」
「私の理解度百点満点なディーでも、流石に候補に挙げられないと思うわ」
「……どういう意味?」
ルディウスが訝しげに眉を顰める。
ユーミリアはふふっとはにかんだ。但し、かなり邪悪寄りの笑みである。
「私が所望するのは、ディーお手製のクッキーよ」
「は?」
大いに戸惑っている婚約者殿に、上機嫌で微笑みかける。
「有名なお菓子職人さんの高級クッキーも素敵だけど。婚約者の愛情がたっぷりこもった手作りクッキーが食べたい気分なのです」
「……当たり前のことを言うけど。俺、料理なんかしたことないよ?」
ルディウスは困惑しきりだ。
「百も承知よ。ディーが初めての体験に四苦八苦する様を眺めて楽しむのが趣旨なんだから」
――ああ、と。合点がいった様子でルディウスの顔から戸惑いの色が引いた。
「どうしてこんな破茶滅茶なことを言い出したかと思えば、なるほどね。ブラッドリー殿の発言、相当お冠なんだ?」
「当たり前でしょ。引っ叩くくらいはしないと気が収まらないけど、そういうわけにもいかないからディーに八つ当たりして、憂さ晴らしするの」
ユーミリアのとんでもない言い分に。
「まぁ、いいけど」
(……いいのね)
ルディウスは、大して気にしていない顔で相槌を打った。
この幼馴染は大概、ユーミリアに甘いのである。
「軽い気持ちで提案したら、斜め上の要望が飛んできたな。とんでもない劇物が出来上がっても知らないよ?」
「それはそれで、楽しそう」
想像したら可笑しくて、ユーミリアはクスクスと笑う。
そんなこんなで、週末はちょっと変わった過ごし方をすることに決まったのだった。