第6話 照れたら負けです
しばらくのあいだ、大人しくルディウスに抱き締められていたユーミリアは――。
「ねぇ」
互いの体温が伝わってくる密着状態と長い長い沈黙に耐えきれなくなり、とうとう口火を切った。
「なに?」
「この膠着状態はいつまで続くのかしら?」
癖のないユーミリアの髪を指先に絡め、弄んでいたルディウスが、かくりと首を捻る。
「さぁ、いつまでだろ?」
「勝負が始まってからけっこう経つわよ? 思い浮かばない?」
「んー? 言ったらユミィは逃げるだろうから。迷ってる」
「耐えられるかもしれないじゃない」
むっとして言い返す。
なぜユーミリアが逃げる前提なのか。
「…………」
「何よう、そのちっとも信じてなさそうな顔はっ」
ユーミリアの反論を、ルディウスはこれっぽっちも信じていなさそうだった。
「今夜こそ、顔色一つ変えずに対応してみせようじゃない。お任せあれよ」
「……そう。それじゃあせっかくの機会だし、この爪の先から髪の一筋に至るまで、俺に愛されてるって自覚を持ってもらおうかな」
ルディウスは壊れものでも扱うかのような優しい手つきでユーミリアの髪を一房すくい上げ、毛先に軽く口づけた。間近から上目遣いに見上げてくる瞳は蠱惑的で。
至近距離で見つめ合うこと、数秒。
「……っ、無理っ!」
耐えきれずに、ユーミリアは勢いよく顔を逸らした。
「はい、ユミィの負け」
ルディウスがパッと手を離す。ユーミリアはちょっとだけ距離を置いて、ソファに座り直した。
勝敗が決したからといって、特に何かがあるわけでもない。
この勝負は婚約者として戯れあう時間を持とう、というよりは。ルディウスの甘い言葉にたじたじなユーミリアが慣れるための、特訓の意味合いが強かった。
火照った頬を冷ますべく、パタパタと手のひらで仰ぎながら、ユーミリアは幼馴染をジトっと見据える。
「毎度毎度、どうしてそんな歯の浮くような台詞を思いつくの? 天性のタラシなのね?」
「もしかしなくても、貶されてる?」
「褒め言葉よ、たぶんね。才能を評価しているのだもの」
不服そうな彼に、いつもの調子を取り戻すべく、悪態を吐く。
「よくもまぁ、そんな胡散臭い口説き文句がすぐに思い浮かぶものだわって感心しているのよ」
何事かを言い掛けたルディウスは、思い直したかのように一度言葉を呑み、ふっと笑んだ。
「けど、嘘は言ってない」
「だから照れるの……っ!」
憎まれ口が返ってくると思っていたのに、別角度からの反撃が飛んできた。ユーミリアは真っ赤になって打ち震える。
こちらが慌てふためく様を楽しんでいる彼だけれど。心にもないことを口にしたりはしない。そう心得ているから、どうしても照れるのである。
「律儀だよね、ユミィは。慣れようとする辺りが」
「あなただけ余裕なのは悔しいもの」
「負けず嫌いな君らしい」
くすりと笑むルディウスは、ユーミリアの言い分に納得したらしい。
対抗心もあるにはあるが、一番の理由はそこじゃない。
言葉にするかどうか迷い。何度か躊躇ってから、一応は確認しておくか、と思い、おずおずと尋ねた。
「……それに。ディーだって、婚約者は可愛い女の子の方が嬉しいでしょ?」
せっかく愛を伝えても相手がこの反応では、口説き甲斐がないだろう。ただでさえ疲れているところを構ってくれているのに、肝心の婚約者がこれでは、余計に疲れるのではないだろうか。
可愛げのある婚約者の方が癒されて、彼にとっても理想的なはず。
ユーミリアのお伺いに、ルディウスがぱちくりと目を瞬かせ。
燭台の灯りに照らされる双眸が優しく輝いた。
「その発言自体が可愛いことに気づいてないユミィさんは、最大級に可愛いですよ」
「面と向かって可愛いはやめて! 犯罪なんだからっ」
条件反射で怒ってから、頭を抱える。
「こういう、ところを〜〜っ」
どうしてこう、素直ではないのか。
大抵のことは器用にこなせるユーミリアだが、生来の性格というのはどうにもならない。
ルディウス相手だと気を遣わなくていい分、照れ隠しで言葉が強くなりがちだった。
ユーミリアが理不尽にぷんすかしたって、ルディウスは腹を立てたりしない。今もははっ、と声を立てて笑っている。
楽しげな彼の横顔を、じっと眺める。
「楽しい?」
「ああ。すごく」
「……なら、いいわ」
相も変わらず可愛げのない反応を返してしまったけれど。息抜きにはなっているようで、ホッとする。
「俺は別に気にしないけどね。百面相してるユミィが面白いし」
「私は嫌。からかわれっ放しは癪だもの。私だって偶には慌てふためくディーを眺めて、嘲笑いたいの」
ルディウスが思いっきり眉根を寄せた。
「しれっと、さも俺が普段君の反応を嘲笑っているかのように捻じ曲げないでくれる?」
「だいたい合ってるでしょ? だいたい。大雑把に解釈した場合」
「いやいや、語弊にも程があるから」
物凄く心外そうな彼に、ユーミリアはふふん、と一般論を突きつける。
「この手の問題って、言われた側がどう感じているかが大事なのよ? つまり、私が嘲笑われたと感じていたらそれが事実になるの」
「人はそれを冤罪と呼ぶんですよ、ユミィさん……」
楽しくなってきて、ユーミリアは呆れた色を灯す銀灰色の双眸を、悪戯っぽく覗き込んだ。
「嘲笑ったことは一度もないと言い張るわけね?」
「嘲笑うって言葉の意味、わかってる?」
「文字通りに、『嘲笑』」
「それなら、どう拡大解釈しようと俺は潔白だろ?」
「う〜ん……。まぁ、判決は無罪かしら。犯罪ではあるけど」
「犯罪といえば」
徐に、ルディウスがユーミリアの手を取った。
「な、なに?」
突然右手を握られたので、狼狽えてしまう。
「慌てふためく俺が見たいなら、協力しようか?」
そう言って、ユーミリアの手のひらを彼の頬へと誘った。温かな体温と滑らかな肌の感触に、ますます平常心をかき乱される。
ルディウスは甘えるように頬を擦り寄せ。
「君に余裕を奪われるのも楽しそうだ。好きにしてくれて構わないわけだけど。どう?」
「どうって……」
ルディウスの瞳は、意地悪く輝いていた。完全にからかいモードである。
上目遣いにこちらの反応を窺う彼の頬を――えいっ、と軽く摘んでやる。
さほど力は込めていないので、痛みはないはず。
彼が驚いている隙に、握られていた手をするりと振りほどき、ユーミリアはソファから立ち上がった。
「……っ、今夜はお開きよっ。また今度ね」
真っ赤になったユーミリアを見上げて、ルディウスがクスリと笑う。
「慣れるのはいつになるやらだ」
同感である。
ユーミリアは自室から持ち寄った本を拾い上げた。
それからお仕事がんばってね、と残して部屋から出ていくつもりだったのだが――。
ふと、思い直した。
くるりと踵を返して、再びルディウスの隣に腰を下ろす。
書簡を手にしたルディウスが、意外そうに尋ねてくる。
「戻るんじゃ?」
ユーミリアは、胸に抱いた本をそっと持ち上げた。
「ここで読むわ。だめ……?」
銀灰色の双眸がゆっくりと瞬き――。
「……いいね」
そう囁いて、ルディウスは嬉しそうに口許を綻ばせるのだった。