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第5話 ユーミリアの心配ごと

 ある休日の夜。


 二十一時を少し回った頃、ユーミリアはルディウスの私室を訪ねた。


「ディー。いつもの時間だけど、忙しい?」


 戸口から室内を覗き込むと、絨毯の敷かれた床に書物と書類が山のように積まれていた。その奥に、二人掛けのソファに仰向けになり、書類に目を通しているルディウスの姿があった。


 ちらりと、視線が寄越される。銀灰色の双眸は冷たく輝いていた。どう見てもお仕事モードである。


 目が合うと冷めた色が薄まり、ちょっと弱ったように揺らめいた。

 

「時間がかかりそうなら、暇を潰して待つわ」


 本気で余裕がなさそうなので、胸に抱えていた本をそっと掲げてみせる。


「あ〜、いや、中断するよ。もうそんな時間なのか……。すまない、気がつかなかった」


 眉間の皺を揉みほぐしながら、ルディウスが気怠げに身を起こした。

 

 同じ屋敷で生活しているものの、二人が顔を合わせる時間は短い。ルディウスは食事以外では私室か執務室にこもりきりで、休日にユーミリアが気まぐれでお茶に誘うくらい。


 婚約している仲でそれはちょっと不健全ではないかということで、休日の夜二十一時に、必ずあるゲームをして共に過ごす習慣を設けている。


「……切羽詰まっているみたいね」


 戸口に立ったまま、ユーミリアは複雑な心境で呟いた。


 補佐官といっても、ルディウスの仕事の全てを把握しているわけではない。


 各省から寄越される宰相案件の書類を確認し、宰相へ上げるか元の部署に差し戻すかを判断するのは補佐官の仕事。なので、通常の宰相業務と各省から泣きつかれた案件は把握しているのだが。


 王族や上位貴族から内密にルディウスへと回される案件は、ユーミリアの管理外なのである。


「レイクウッドとの外交が、ちょっと。俺に回ってくることになりそうだから、急いで概要を頭に入れておきたくて」


 レイクウッドは西の友好国に当たる。

  

「レイクウッドとの外交って……支援要請の件? 難航してるとは聞いていたけれど、こちらが圧倒的に優位な交渉で手こずることがあるの?」


 近年、レイクウッドは国王の無茶な統治によって飢饉が続き、国内は非常に荒れていた。

 

 見兼ねた王弟サーシャルが国王を暗殺、王位を簒奪し、現在は前王派の残党と内戦状態である。

 友好国の王が無能すぎても迷惑なので、グレストリアは話が通じるサーシャル派。内戦鎮圧のための支援要請にも応じる方向に決まったのだが、具体的な内容をどうするかの会談が、今だに纏まらないようだ。

 

 一刻も早く国内を安定させたいレイクウッドは多少不利な条件でも呑むので、交渉はこちらが優位のはず。


「あるらしいよ」

「責任者は確か……」


 交渉担当が誰か、思い出したユーミリアは無意識に眉間に皺を寄せた。手こずってもおかしくない人が任されていたな、と気づいたからだ。

 国内で会談に臨んでいるのは、クライヴ・ディナ・グレストリア。御年二十三歳の、この国の第一王子である。

 

「後学のためにと、殿下を指名した陛下の判断が見事に裏目を引いたわけだ」


 多方面から甘やかされて育ったクライヴ王子は、謂わゆる問題児だった。主に、頭が弱いという意味で。

 

「お守りの補佐役が手綱を握りきれずに、相手方を怒らせでもした?」

「正解。あまりにも足元を見た条件と侮辱的な発言で、向こうの使者は相当お冠らしい。これでは、纏まるものも纏まらない」


 グレストリアから見てレイクウッドは小国だが、鉱山資源が豊富で、重要な輸入国である。持ちつ持たれつ、な関係を保つのが大事なのだ。

 

「ディーが尻拭いをさせられるのね」

「……それが俺の仕事だから。仕方ない」


 外交は外務省の管轄。本来なら外務省の高官が指揮を取って解決するのが仕事である。


「他の外務官ではダメなの?」

「……レイクウッドは殿下からの口頭での謝罪を求めている。再交渉はそれから。対して殿下の回答は否。陛下も小国相手に下手に出るつもりはないって、殿下の姿勢に賛同している」

「それ、陛下は殿下を指名した判断を責められたくないだけじゃない」


 可愛い息子に任せた判断を批判されたくないから、意地でもグレストリアの非とは認めない、と。


「……なんであれ、この板挟みを外務省だけで後腐れなく解決するのは厳しい」


 自国の王子様の思慮が浅くて交渉決裂と相成りました、は体裁が悪いのでなんとか纏める必要がある。


「この国って、王室と貴族に多種多様な困ったさんが揃っているわよね」

「そりゃあ、何しろ? ほんの三年前まで、レイクウッドと同じ道を辿りかけていたわけだから」


 前任の宰相は有能とは言い難く、一部の貴族のみが得する政策を許用し、政治は腐敗の一途を辿っていた。

 

 必然、蔑ろにされている貴族や市民の不満は高まっていく。議会では派閥争いが激化し、各地で暴動が起こる始末。いつ泥沼の内戦に発展してもおかしくない国内を立て直すため、宰相を継いだのが当時十八歳だったルディウスである。


 腐敗した王宮内部を粛清し、半壊していた行政をまともに機能させ、三年が経過した今では国内はある程度安定している。

 だが、たったの三年で利欲的な貴族や王族の意識が改まるはずもない。悩みの種は尽きなかった。

 

「非礼の謝罪はせず、レイクウッドを強引に交渉の席につかせるの? 礼節も何もあったものではないわね」

「……陛下の意向を反映させるのが、俺の仕事だから」

「主君の誤った判断を正すのだって、宰相の責務じゃない?」


 ルディウスが困ったように苦笑する。


「そうなんだけど……」


 いくら国王が宰相の解任権を有しているといっても、ルディウスほど有能な人材をそうそう罷免できるとは思えない。

 多少強気に出ても良さそうなものだが、彼は国王に対して異様に従順だ。理不尽な命令にも忠実に従う。


 王族への忠誠心の表れなのか、はたまたユーミリアの預かり知らない事情があるのか。


 まぁ、彼を責めたいわけではないのでこの話題はここまでにしよう。


 戸口に立ったまま、ユーミリアは小首を傾げた。

 

「私の目に触れたらよくない書類は、ある?」

「ないから、気にせず入ってきていいよ」


 ソファの周りは書物と書類がとっ散らかっていて、足の踏み場がないとはこのことかという様相だった。目眩がするほどの、凄まじい量だ。

 これらすべての内容を頭に入れる労力を思うと、彼の時間を奪うのは申し訳なくなってくる。


「忙しいなら、今夜はやめても……」

「いや、休憩するのも悪くないし。息抜きにやろう」


 凝った肩をほぐすように、ルディウスがうん、と伸びをする。結構乗り気なようなので、それなら、とユーミリアは資料の山を飛び越えた。


 ルディウスの隣に腰を下ろし、ユーミリアはこほん、と咳払いする。

 

「えー、それではやって参りました。だいたい、だいたい週に一度の、勝負のお時間です」


 恒例のふざけた決まり文句を口にして。

 

「第……。えーと、えー、……第何回だったかしら?」

「わからないから第十五回にしようって、前回話した」

「じゃあ約十六回目の、『どちらが先に音を上げるでしょうか』勝負を始めましょう」


 ルールは単純。


 ルディウスに意図的に甘い言葉を発してもらう。

 ユーミリアを照れさせることができたら彼の勝ち。照れずに耐えることができればユーミリアの勝ちという、大変くだらないお遊びである。


 ちなみに、ユーミリアはこの勝負に一度も勝ったことがない。

 

「なんなら、こっちに来る?」


 ルディウスが自身の膝をぽん、と叩き、おいで、と手を差し伸べてくる。


「……膝に乗れと?」

「嫌?」


 細められた瞳に浮かぶのはからかいの色と――。


 ん〜、としばらく葛藤した末に。ユーミリアは重い腰を上げ、ルディウスの手を取った。


 されるがままに抱き寄せられ、大人しくルディウスの腕の中に収まると、彼は意外そうに目を瞠った。

 

「珍しい」

「一応、きっと、たぶん、将来の旦那様の疲れを癒すのも、婚約者の務めでしょうから。やぶさかではないわ」


 なるほど、と囁いたルディウスが、甘えるようにこつん、と額を合わせた。


「……ありがとう」


 猫っ毛の銀髪が、ユーミリアの目に掛かる。間近にある綺麗な顔は見るからに疲れていて、照れより心配が勝る。


(困った人たち……。ディーが倒れたら元も子もないのだから、もっと大事にしてくれればいいのに)


 ルディウスが宰相を務めているのは、本人の意志ではない。


 前任の宰相が頼りなかったのは、その前の代の宰相が後任を定めもせず、突然辞任したせいだ。混乱の最中で宰相に選ばれたのは、一部の貴族が傀儡とするために祭り上げたお飾り。それがルディウスの前任者。


 そして、急遽辞任した前々宰相というのはルディウスの父親――前レオンハルト公爵である。

 

 四年半ほど前、前公爵は精神病を患う妻の看病を理由に突如として宰相を辞任し、それから一年と少々で当時十七歳の長男に爵位まで譲ってしまった。

 現在彼は、妻とルディウスの弟リオンと共に公爵領で隠居している。


 その後の混乱の皺寄せは、一部のあいだで類稀なる天才として有名だったルディウスに来た。


 前公爵の政治手腕は確かなもので、優秀な宰相だった。彼が宰相のままなら、グレストリアは穏やかな治世を保てていたことであろう。

 国が荒れた原因は、レオンハルトにこそある。責任を持って、彼の家が国を立て直せ。


 利権を奪い合って国を荒らした貴族の手綱を握れなかった非を棚上げして、王室は十八歳のルディウスにすべてを押しつけた。


 当代のレオンハルト公爵として、あるとも知れない責を負わされ。

 国内が落ち着いてからも、才能と血統に縛られて日々、誰かしらの後始末をさせられている。


 ルディウスの人生はあまりにも自由がなくて。


 大貴族の家に生まれ、才覚に恵まれた者として義務が生じるのは理解しているけれど。

 彼に求められるものは、義務の域を超えているようにも思うのだ。


 私的な時間はほぼ無いに等しく、終わりの見えない職務に追われ続けるなんて。


 ルディウスが望んで仕事に人生を捧げているのなら、身体を壊さない程度に頑張ってね、と応援できる。


 だが、彼は宰相の仕事にやり甲斐や楽しさを見出しているようにはまったく見えず。国への使命感や信念なども窺えない。

 ただただ、義務感だけでこなしているように映るから。


 義務に縛られ続けて、いつかルディウスの心が壊れてしまわないかと、心配になるのだ。

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