20. 王太子殿下の婚約騒動①
*本エピソードの時系列は最新のものとなります(『二人の休日』より後)
この日。なんとなく、本当になんとなくなのだけれど、ユーミリアは嫌な予感を覚えてはいた。
爽やかな夏の気配を感じ始める、初夏の半ば。
本日ユーミリアは、ひと月後に開催される建国記念式典の準備で忙しくしているルディウスの名代で、とあるご令嬢の誕生日パーティに参加していた。
宰相補佐官としてではなく、レオンハルト公爵の婚約者として挨拶回りをし、招待客たちと和やかに歓談し――それなりに居心地のよかったパーティは残念ながら、つつがなく終了とはいかなかった。
「アガーテ・オルニール。今日この日を持って、君との婚約を破棄させてもらう!」
煌びやかに飾り立てられた、オルニール公爵邸の大広間。
その片隅で、何かのお芝居かと思うような台詞を高らかに告げたのは、クライヴ・ディナ・グレストリア――御年二十三歳の、この国の第一王子様だった。
華やかな金髪に、切長の青の瞳。体つきはすらりとしていて、それなりに整った造作をした王子様は、言ってやったぞと言わんばかりの得意げな面持ち。
一方、唐突に婚約破棄を突きつけられた令嬢――今日のパーティの主役である公爵令嬢アガーテが、驚きで固まっていた。
癖のない艶やかな黒髪のアガーテは、繊細そうな印象を受ける、血筋のよさが全身から溢れんばかりに滲み出た深窓のお嬢様である。
アガーテは何を言われたのかわからない、といった様子で愕然と瞳を見開いている。驚きのあまり、言葉を失っていた。
二人の婚約は、幼少の頃に定められたもの。純然たる政略である。当然のことながら、王子の一存で破棄できるような契約ではない。
和気藹々としていた会場の空気は、一気に凍りついた。
遅れて会場に現れたかと思えば、登場して早々に婚約破棄を宣言。相も変わらず、クライヴという王子様は頭の痛い存在だった。
「……正気の沙汰とは思えませんが、聞くだけ聞いておきましょう。娘が何か、殿下に非礼を働きましたかな?」
ざわつく広間で王子の前まで進み出たのは、アガーテの父親、オルニール公爵。議会の有力貴族で、国内でも大きな影響力を有する権力者だ。
「強いてあげるならば、真面目過ぎてつまらないきらいがあるが。理由はそこではない。彼女にある」
彼女というのが誰を指すかは明白だ。クライヴにしなだれかかる、妙齢の女性だろう。
二十代前半の、色香をたっぷりと含んだ美しい女だ。但し、綺麗な女性ではあるが、一つ一つの所作が洗練されているとは言い難く、一目で貴族の出でないとわかる。
空気を読んで皆見て見ぬふりをしていたが。あろうことかクライヴは、婚約者の誕生日パーティに別の女性を同伴していたのである。それも、かなり親密な様子で。
最近、第一王子が婚約者ではない女性に懸想している、なんて噂は耳にしていたけれど。噂は事実だったらしい。
「昨今は恋愛婚も増えてきているだろう? 私はこのエルザと結婚する。よって、アガーテとの婚約は白紙に戻す。これは、王太子からの決定事項だ!」
次期国王様からの宣言に周囲は騒然となり。遠巻きに騒動を眺めていたユーミリアはといえばーー手にしたグラスを持つ手に、力をこめていた。
(こんなことなら。こんなことなら、シャンパンでもぶっかけてあの王子様を早々に退場させればよかった……っ!)
彼が別の女性を伴って会場に現れた時点で、事故でも装ってグラスの中身をかけて帰らせればよかった。
冗談でもなんでもなく、ユーミリアは本気でそう思った。
嘆いたところで、もはや手遅れである。
一方的に婚約破棄を突きつけられた公爵令嬢は、驚愕と羞恥心で半泣き。誕生日という晴れの日に娘を手ひどく侮辱された公爵は、怒りで顔を真っ赤にしており。
自身のしでかした事の重大さを理解していない王子様は、優雅にワインを傾け、恋人とやらを侍らせている。
収拾がつかなくなり、混沌と化した大広間でユーミリアは――。
(お願いだから、お願いだから。ディーのお仕事を増やさず、自力で解決してちょうだい……っ)
王家が自ら事態の収集をつけてくれ、と。
そう、切に願うのだった。




