19. いつかの夜会⑥
広間を見渡したユーミリアは、テラスで一人佇むルディウスを発見した。
彼がエスコートしていた侯爵夫人は近くに見えないので、話し掛けても構わないだろうか。
ひとまず、ユーミリアもテラスへ出てみる。
屋外はまだまだ冷え込んでいたが、熱気で火照った肌には心地よい。
ヒールの音が届いたのか、ルディウスが振り返った。月明かりの下で、涼しげな双眸が瞠られる。
顔を合わせるのは随分と久しぶりだし、散々別人のような振る舞いを見た後だったので、ユーミリアはなんと声を掛けたものか、困ってしまった。
こちらの躊躇に気づいたのだろう。
「もしかして、婚約者の顔を忘れた?」
ルディウスが悪戯っぽく瞳を細めた。
ホッとして、ユーミリアはいつもの調子で悪態を吐く。
「今夜会えなかったら、怪しかったかもしれないわね」
「それなら、一安心だ」
肩を竦める彼に、からかうように続ける。
「お人好しなのはディーもでしょ。人のことを言えてないわよ」
「一緒にしないでくれる? 君のためにやったんだ」
殺し文句に聞こえなくもないけれど。
ユーミリアは間に受けなかった。
「私が居なくたって、ディーは彼女を助けていたわ」
「……半分くらいは本音だよ。ああでもしなかったら、ユミィがアッシュベリーの長女を引っ叩きそうだったから」
「そう。引っ叩かれたいのね?」
お約束のように形だけ右手を振り上げると。ぐい、と腕を引かれて、ユーミリアは彼に抱きすくめられた。
「な、なに……っ?」
突然のことに、あたふたする。耳もとで、ルディウスが囁く。
「君の友人たちを、安心させておこうかと」
腕の中で彼の視線を追うと、クラリッサとレイチェルが遠巻きにこちらを見ていた。気恥ずかしくて、ユーミリアはぐいっとルディウスの胸を押し返す。彼はあっさりとユーミリアは解放した。
安心させるというのは、ルディウスがユーミリアに無関心なのではないかと、クラリッサたちが心配していたことだろう。
「どうして知ってるのよ」
「思いっきり睨まれたから」
睨まれたという言葉に、ユーミリアはぱちくりと目を瞬かせる。彼の言葉が意味するものは――。
「クラリッサ嬢、だっけ。ユミィと口論になっていただろ? 俺への視線も踏まえれば、揉めていた内容は想像がつく」
「あなたねぇ……」
話したこともないのに、ルディウスがユーミリアの交友関係を把握していたことにも驚きだが。
ユーミリアに気づいている素振りなどまったくなかったのに。彼はしっかりと、会場にいる婚約者に意識を向けていたらしい。
嬉しくはあるけれど。
「職務中でしょう? エスコートそっちのけで別の女性を気にしたりして、夫人の機嫌を損ねても知らないわよ?」
「それこそ、夫人は本望だろうな」
ユーミリアのお説教に、ルディウスは苦笑した。
「どういうこと?」
「夫人との商談は別の場所で行う手筈だったんだ。ところが、君の予定を調べた夫人が急遽、会場の変更を申し入れてきた」
「どうしてそんなことをするの?」
「俺への嫌がらせ」
あんまりな理由に、ユーミリアは眉を顰める。
「夫人いわく、俺は顔色が変わらなくて面白みに欠けるらしい。婚約者との痴話喧嘩でも眺めてやろうと思い立ち、俺とユミィを鉢合わせさせた。生憎と君は冷静で、夫人の目論見は外れたわけだが」
ルディウスが肩を竦めた。
「そんな俺が夫人を放り出して、気が気じゃない様子の君のもとに駆けつけたものだから。常とは異なる俺が見られて、夫人はご満悦だ」
それでエスコートはお役御免、と。
「ディーが関わらないといけない方たちって……みんな、そんな風に悪意的なの?」
「俺の年で宰相なんて、まともじゃないから。面白がる人間が多いのは仕方ない」
ユーミリアを気遣ってか、ルディウスの表現はだいぶマイルドなものとなっていた。つまるところ彼は、日常的に悪意に晒されているということだ。
「大丈夫なの……?」
当たり前のように悪意を向けられたりして。ルディウスは平気なのだろうか。
「……だから、久しぶりにユミィと話せて嬉しいよ」
そう言って、嬉しそうにはにかむ。
直視できなくて、ユーミリアはぷい、とそっぽを向いた。
「そんな風に煽てても、私のエスコートを断っておきながら同じ会場にいた罪はなかったことにならないんだから」
「……あぁ、やっぱり?」
「最後に会ったのがいつか、覚えている?」
月明かりを孕んで輝く双眸に、複雑な色が滲む。
「……君の誕生日以来だから、最低でも半年は経っているね」
そう。半年だ。ユーミリアは半年ものあいだ彼と顔を合わせていなかった。
どれほど多忙であろうとも、婚約者との逢瀬のために時間を作る努力をするのが愛情だと。きっと、世間はそう言う。
それなら、ルディウスはユーミリアを愛していないということになるのだろうか。
わからないし、ユーミリア自身、ルディウスを愛しているかと問われると答えに困ってしまう。
気心の知れた幼馴染。ユーミリアにとっての彼は、それ以上でも以下でもないのだ。
ただ、婚約が決まった以上は、婚約者として彼を大切にしたいと想っている。
どうすればいいのかは、手探り状態だけれども。
せっかくなら、婚約者がユーミリアでよかったと彼に思ってもらいたい。
今のところ自分は、彼の自慢の婚約者とは言い難く、努力すべきことは山ほどある。
「それだけ放り出しておいて、どう埋め合わせしてくれるのかしら?」
「俺のお姫様は、何をお望みで?」
「また、すぐに、そうやって〜〜っ」
ユーミリアが真っ赤になると、ルディウスはクスリと笑み、表情を引き締めた。
「ユミィのお望みは?」
「私、官吏になるの」
「……知ってる」
「驚いた?」
試験に落ちたら格好がつかないので、前回会った時、卒業後はどうするのかを尋ねられて考え中とはぐらかしたのだ。
「意外ではあった、な。君は司政に興味はないはずだから」
「寂しがりやの誰かさんのために、顔を合わせる機会を増やしてあげようかしらと思って」
我ながら不純な動機だけれど。
愚痴の一つでもこぼしやすい気心知れた存在が近くにいれば、多少はルディウスの気が休まるかと思ったのだ。
「寂しがっていたのは君もだろ?」
「ディーの名誉のために、否定しないでおいてあげる」
しばし沈黙してから、ルディウスが浅くため息を吐いた。
「……ご両親は反対しただろうに」
「あら。ディーでも予想を外すことがあるのね。特に反対されなかったわ」
ユーミリアの両親は頑張ってね、とあっさり賛同してくれた。
「……君たち一家は、とことん俺に甘いな」
「ディーが心配なのもあるでしょうけど。私の一番やりたいことだから、応援してくれているのよ」
ユーミリアの両親はそういう人たちだ。
「結果的に、内緒にしていたのは正解だったみたいね。事前に話していたら喧嘩になっていそう」
ルディウスの渋い反応を見るに、彼はユーミリアの進路に反対なのだ。
「女性の官吏は増加傾向にあるとはいえ、まだまだ差別的な扱いを受けがちだ。苦労が多い職場と知っていて手放しに賛成はできない」
「もう手遅れだから、保護者を気取るのはやめてくれるでしょう?」
「……君が本心からやりたいことなら、どのみち折れるのは俺の方だよ。事前に相談されていたとしても」
苦笑するルディウスに、にっこりと微笑みかける。
「でね、話を戻すのだけれど。ディー、補佐官を取っ替え引っ替えした挙句、今は替える部下すら居ないらしいじゃない?」
「気が利くどころか、命じたことを命じた通りにこなしてくれる人材すら不足していてね。仕事を増やされるくらいなら居ないほうがまだマシだから」
疲れたように、ルディウスの口から嘆息がこぼれ落ちた。
「目に余る職務態度の者には容赦しないと周囲に印象付けてからは、補佐官は付けていない」
「私に、賭けてみるのはどう?」
「ユミィに?」
ルディウスが意表を突かれたように目を丸くする。
「私の働きぶりを見て、使えると判断できたらディーの直属にしてほしいの」
「……俺の補佐官を志望する訳は?」
「それはもちろん、どうせなら一番やり甲斐のある部署で働きたいじゃない?」
どの部署に配属されるより、補佐官になるのが最もルディウスの仕事量を減らせるはず。
こんな本音、口が裂けても言わないけれど。
ルディウスのことだから、見抜いていそうだが。
「直属の部下が婚約者だと、外野がうるさいかしら?」
「俺の補佐官はハズレ部署。君が貧乏くじを引かされたとて、感謝されこそすれ、非難は集まらない」
「よかった。不都合はなさそうね」
ホッとしたユーミリアは。ん、と気づいた。
「不都合がないのは、偶然?」
「まさか。後々、目ぼしい人材を見つけた時に家柄や派閥を理由に、外野に難癖をつけられても面倒だから。誰を選ぼうと支障を来たさないよう撒いておいた布石が偶然、ユミィに機能しそうなだけ」
ルディウス自身は完璧主義者だが。他人にまで求めるのが愚行だとわからないはずないから、何か意図があるのだろうと思っていたが。
「抜け目のないことね」
「使えるなら、でいいんだ?」
ユーミリアはじとっとした目で答える。
「そこまで図々しくも、自信家でもないわ」
「……ユミィの仕事ぶりを楽しみにしておくよ」
そう言って、ルディウスは意味ありげに微笑んだ。
ユーミリアが知っている以上にルディウスはとんでもない人だったので、この意味深な笑みが、全ての過程をすっ飛ばして補佐官に任命し、使えるかどうか直接確かめてやろうという魂胆のものだったと気づくのは、もう少しだけ先のこと。




