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俺の彼氏は笑わない。全く、笑わない。
かれこれ恋人という関係になって一ヶ月が経とうというのに、俺は彼氏が笑ったところを見たことがない。……いや、見たことがないと言うと嘘になる。だって、
「笑ってるな……」
俺以外と一緒にいる時は、普通に笑顔を見せているから。
俺、三谷天馬が大学内で知らぬ者はいないってくらいのイケメン、青山流と恋人関係になったのは突然のこと。
学年は同じだけど学部が違うから、たまーにすれ違うことがあるとか遠くから見かけたことがあるとか、お互いの関係性はその程度。挨拶すら交わしたことは無かったと認識しているし、確か参加した飲み会が被ったのも入学して間もない頃、今から一年近く前に一度あったくらいだ。(因みに俺はその飲み会以降、友人の明郷から飲酒禁止令をだされているが、なにをやらかしたのか記憶がない……)
それなのにある日突然。偶然通りすがった彼に腕を掴まれ、話があると大学内で最もひと気のない場所に引きずられるようにして連れて行かれて。
「……あの?」
話があると言った割にずっと黙ったまま、しかも眉間に皺を寄せて地面を見ている有名人。一体何なんだと戸惑いつつも、イケメンは顰めっ面ですら格好いいんだなぁなんて呑気に考えていた。そしたらそのイケメンがいきなりズイ、と俺の顔の真ん前までその整った顔を近づけてきた。
悔しいかな、背の高い彼は俺に合わせて少し腰を折っている。
「俺と付き合ってください」
イケメンの口から出てきたのは、そんな突拍子もない言葉。ポカンと口を開けてアホ面を晒す俺に、もう一度。
「頼む。俺と、付き合ってください」
人形のように整った顔、色素が薄く透明感のある肌。満月のように輝く、思いの外野生的な瞳に間近で見つめられ、その上彼は俺の両手を拾い握りしめた。
低めの体温からじわりと伝わる、熱。
「は、はひ……」
ダメ押しのそれが、俺の口を『イエス』と動かした。───というのが俺たちの始まりである、一ヶ月前の出来事だ。
俺が彼に落ちるのは一瞬だった。
同性だとか周りの目がどうとか、自分がノーマルだとか相手がゲイなのかとか、そういうのを気にする暇すらなく俺は落ちた。もうそれは見事なほどに。
その要因に彼の見た目が関わっているのは間違いないが、彼の魅力はそれ以外にも溢れていた。
笑顔は見せてくれないが不器用な優しさを感じたのだ。どちらかと言うと優しさというより『甘やかし』に近いかもしれない。
あまり会話は弾まないが(だって笑わないし始終真顔なんだもん!)、俺の話はちゃんと相槌を打ちながらスマホも触らず聞いてくれるし、一緒に歩く時は車道側に回ってくれたし歩幅も合わせてくれたし。一緒に食事をした時には、なんと俺の口の周りについたソースも長く綺麗な指先で拭ってくれたのだ。
ほんの数回でもそんなことをされたら、『なにそれ!?』って胸がときめいちゃうだろ。
「はぁ〜、俺の彼氏まじでかっこいい〜」
遠くに、彼の姿を見つける。
友人たちと談笑している姿を見ているだけで幸せになれるって、彼は一体何者なんだろうか。
大学の敷地内には、そこかしこにランチや休憩を取るための簡易的なテーブル席が設けられている。そこで一人ほぅ……と惚気の溜め息をついたところで、後からやってきた友人の明郷に頭をボカっと殴られた。
「オイ、その見苦しい顔をどうにかしろ」
「ひっ、ひどくね!? 俺が見苦しいのは生まれつきですけど!?」
涙を浮かべながら殴られた頭をさする俺に、明郷がカラカラと笑う。こうして笑う明郷も中性的で綺麗な顔をしているのだが、いかんせん口が悪いので女子受けが悪い。
入学当初はそこそこモテていたのだが、新歓で彼に言い寄った学年一のマドンナに向けて、『オイ、人の腕に脂肪の塊押し付けてくんじゃねぇよ気持ち悪ぃなブス』と言い放ってからは誰も近寄ってこなくなった。
その時、マドンナとは反対の隣にいたのが俺だ。明郷とはそこから仲良くなった。
「で、いつになったら別れるわけ?」
「えっ!?」
言われた言葉に驚いて明郷を見る。
「え、なに、別れるって」
まだ付き合って一ヶ月しか経ってないんですけど。そんな俺の心の副音声が聴こえたのか、明郷が呆れた表情を浮かべた。
「だってあんなの、どうせ罰ゲームかなんかだろ」
「それは……」
「天馬と青山に接点なんてなかったし、どう考えたっておかしい。お前だってそう思うだろ?」
俺は思わず口をつぐんだ。だってそんなこと、言われなくたって分かっているのだ。
俺たちの間には何の接点もなくて、いきなり恋がスタートするはずがない。しかもその疑惑を後押しするように、一ヶ月付き合った俺たちの間に性的な接触はまだ一度もない。手すら繋いだこともなければ、意思を持ってその体の一部に触れたことすらない。
デートらしいデートだってまだしたことはないし、なんとかギリギリ大学からの帰りに一緒に飯を食いに行ったことが二度ほどあるだけだ。
「恋人同士で、笑った顔見たことないってヤバい案件だろ。さっさと別れろよあんな奴」
「でもさ、まじでかっこよくない? あの顔を見てるだけでも至福の時っていうかさぁ」
もう一度恋人であるはずの男の方に視線を戻す。と、友人たちと話していたはずの彼の視線がこちらを向いていた。
「あっ、」
目が合ったことに嬉しくなって思わず手を上げるが、
「あ、あぁぁ……」
上げた手も虚しくスッと視線を逸らされ、そのまま友人たちとこちらに背中を向けて去っていく。
「あれが恋人のとる行動か?」
そう言われればぐうの音も出ない。
「でも、一応付き合ってること周りに隠してるし……」
「それ、どっちが言い出したんだよ」
「……向こう……だけど……」
「向こうから告白してきておいて? 周りにはバレたくないから話しかけんなって? へえ、それはそれは」
何が言いたいかなんて皆まで言われずとも分かっているつもりだ。
「話しかけるなとは、言われてないけどさ」
「でもあの態度はそういうことだろ」
「ぐっ、」
そう、その通り。だからこそ極力大学内で会った時も話しかけないようにしている。
会話は基本的に連絡アプリのみ。一応毎日やり取りはしているが、俺が送ったことに一言返事が返ってくるくらいで向こうからのアクションはほぼ皆無で返信も遅い。
過去二回だけ一緒に行く機会を得た食事の場も、誘ったのはどちらも俺からだった。
「これ以上お前が傷つく必要、全くないだろ」
言い方はキツいが裏に隠された明郷の友情を感じながら、俺は恋人である男が消えていったその先を見つめていた。
*
「あれっ、青山くん?」
その日最後の講義が終わり大学を後にしようとすると、門の側には一際人の目を惹くイケメンが立っていた。
「こんなとこで何やってんの?」
帰りに会えるなんてラッキー! なんて、それこそ恋人関係とは思えないことを心で思って彼に駆け寄る。もしも俺が犬だったなら、今はきっと尻に生えた尻尾をブンブンと振り回しているだろう。
「待ってた」
「え、」
それだけ言った後、なぜか青山くんはチラリと俺の後ろを伺った。
「なに? 後ろになんか……」
「行こう」
急に現れた恋人は相変わらず笑顔ひとつない真顔のまま、すたすたと前を歩く。
一体何を確認したのか分からぬまま慌てて後を追いかけた。相手の足はとても長いから進むのが早くて、少しでも油断したら置いて行かれてしまいそうだ。
「ご飯、食べに行こう」
振り返ることなく素っ気ない声音で言われた言葉に、だが俺は感動した。だってこれは、付き合ってから初めてのお誘いだったから。
「え、まじ!? これから!? 行く行く!」
「……何が食べたい?」
立ち止まってやっと振り返った青山くんはやっぱりイケメンでとても直視できない。
付き合ってから初めて相手から誘われた食事。これってもしかしてデートなのでは!? 俺は自分の顔が熱を持つのを自覚して、両手で顔を隠して叫んだ。
「青山くんのオススメで!」
分かった、と小さくつぶやいて再び歩き始めた青山くんが悶える俺の腕を引いて歩く。
実質これが第一の触れ合いで、嬉しくて嬉しくて歩く脚は自然とぴょんぴょんと弾んだ。
(明郷! やっぱ俺、まだ自分からは別れらんないよー!)
だがそんな喜びも束の間。オシャレなカフェ飯を前に俺は、なぜかその後青山くんからずっと、尋問のようなものを受けつづけたのだった。