ドキドキなんて、していない
「エレノア様、とてもお似合いですよ!」
御機嫌のマリッサに対して、エレノアの表情は曇っている。
「マリッサ。あなたは誰の味方なのですか」
ルークが謎の告白のようなものをしてデートなどと言い出したので、飲酒を疑ったエレノアはマリッサに確認をしてみた。
結果としてはただの紅茶だったわけだが、それだとルークの言葉のおかしさが際立つ。
ルークは終活相談員で、高位の神官だ。
尊い慈悲の心でエレノアの関心を死から生へと向けたいだけなのかもしれないが、そんなことで彼が今まで築き上げてきたものを失わせるわけにはいかない。
だがもしも、万が一、うっかりと。
エレノアに少しでも好意があるのだとしたら、それはそれで危険だし不毛なので目を覚ましてもらわなければ。
とにかく、デートとか言っていたお誘いは断るしかない。
そう思っていたのに、翌日エレノアに用意された服はどう見ても普段着とは違う、動きやすいのに可愛らしいワンピース。
デートの件はルークが帰り際にマリッサやディランに伝えた可能性があるとはいえ、主人の意見を差し置いてこの仕打ちは酷いと思う。
「悪趣味駆逐祭り以降、ずっと書類とにらめっこしているではありませんか。たまには庭以外の場所に出かけるのもいいと思いますよ」
マリッサは仕上げとばかりに編み込んだ髪にリボンを飾る。
このワンピースは両親が生きていた時に、街へのお出かけ用に作ったものだ。
淡い水色と白のストライプの生地に白いレースを合わせてあり、爽やかな印象である。
街中で悪目立ちしないように装飾自体は控えめで、丈も長すぎずに動きやすかった。
一度だけ、このワンピースを着て父と街に出かけたことがある。
もちろん護衛付きだし、移動のほとんどは馬車だった。
それでも冒険に出たかのようにワクワクして楽しかったのを憶えている。
もう戻れない、幸せな頃の象徴とも言えよう。
この思い出を昇華させるために、最後に出かけるのも悪くはないのかもしれない。
マリッサもここまで準備してくれたわけだし、終活終活と言い出したエレノアを使用人達が心配しているのはわかる。
そう、終活の一環なのであって、まったく他意はない。
デートなる言葉に少しばかりドキドキなんて、絶対にしていないのだ。
「ああ、ちょうどルーク様がいらっしゃったようですよ」
マリッサに促されて玄関ホールに向かうと、そこには鉄紺の髪の美青年が笑顔で立っていた。
ずっと白を基調とした神官服姿しか見たことがなかったが、今日は違う。
黒いシャツにズボンというごく普通の格好ゆえに、端正な顔立ちが引き立つ。
何だかんだで、ルークならば神官を辞めても顔で生きていけるような気がする。
そこそこ失礼なことを考えながらそばに行くが、ルークは楽しそうに微笑んだままだ。
少し気まずくなったエレノアは、眩い顔からそっと視線を外した。
「神官服ではないので、別人のようですね」
「惚れました?」
当たり障りない言葉を選んだのに、何という返し方だ。
これは朝一番から飲酒している可能性を疑わざるを得ない。
「そうですね。顔がいいので、何でもお似合いです」
ルークのペースに惑わされてはいけない。
努めて淡々と事実を伝えたのだが、何故かルークの顔がどんどん赤くなっていく。
「あ、ありがとうございます」
いや、ここはお酒の力で当然だとばかりに振る舞うところではないのか。
こんな風に頬を染めて照れられたら、こちらの方が恥ずかしくなってくる。
いっそ飲酒しておかしなことを言っているのならば、適当にあしらえるのに。
この調子ではどうやらルークは素面らしい。
よく考えればデートに誘っておいて朝一番から酔っているはずもないのだが、エレノアも色々あって混乱していた。
「エレノアも、とても可愛いです」
「ありがとうございます。この服は父との思い出の服なので」
「服も可愛いし似合っています。でも、それ以上にエレノアが可愛いです。とても」
まだ赤みの残る顔で、青玉の瞳を細めて見つめられる。
ナサニエル関係であれだったとはいえ、エレノアは一応公爵令嬢だ。
浴びたお世辞は、そこらの御令嬢では到底及ばない数。
それなのにたいしたことのないはずの一言が、何故こんなに心を乱すのだろう。
やはり死亡ループで負の言葉をかけられすぎたからなのか。
久しぶりの正の言葉に、耐性が下がって効果が割り増しされているのだろう。
ただでさえルークの顔は威力があるのだから、気を付けなければ。
まずは呼吸を整えようと、エレノアは小さく息を吐く。
「神官は、そういう言葉も学ぶものなのですか?」
「まさか。正直に言っただけですよ」
穏やかな笑みからして、嘘をついているようには見えない。
昨日は好きだとか言っていたが……まさか、さすがにない……はず。
ルークは業務熱心な神官だ。
積極的に死を迎えようとするエレノアを助けようとしても、おかしくはない。
ずっとナサニエルの婚約者として他の男性と接する機会もなかったし、死ぬ前に美青年とお出かけというのも悔いなく死ねそうでいいではないか。
自分の中でどうにか納得できそうな結論を導き出して少し落ち着いたエレノアの前に、ルークが手を差し出した。
「何ですか?」
「エレノアは街の中を歩いたことがないでしょう? 迷子になるといけません」
歩いたことは、ある。
だがそれは馬車で移動した上に、護衛に囲まれて父と手を繋いだ状態だった。
今はあの時よりも大人なのだから平気だと言いたいが、正直街中や人混みは未知の領域。
下手に意地を張って迷子になる方が迷惑だし恥ずかしい。
そっと手を重ねると、ぎゅっと優しく握りしめられる。
その手の大きさからルークは男性なのだと妙に意識してしまい、早速手を繋いだことを後悔した。
エレノアは終活中で、ルークは神官。
気にしてはいけない、気にする方がおかしい、気になるのは気のせいだ。
脳内で呪文のように繰り返すエレノアの横に来たディランが、小さく一礼する。
「我々は少し離れてついていきます。何かあればお呼びください」
そうだ、ディラン達がいるのだし、別に二人きりなわけではない。
万が一にも危険なことがあれば、ルークを連れて離れて貰えばいいだろう。
ようやく心が落ち着いたエレノアは、ルークと手を繋いだまま邸を後にした。
街は、活気に溢れていた。
父と歩いた時にはそれなりに周囲の人を減らしていたらしく、今回は沢山の人の中を縫うように歩くという初めての経験をしている。
ルークの提案は正解で、手を繋いでいなかったら既に三回ははぐれていたことだろう。
ディラン達がいるのでそのまま迷子になって行方不明ということはないだろうけれど、無駄に手間を取らせることもない。
ルークは街に慣れているらしく、歩きながらもお店に並ぶ商品を説明してくれる。
南国で採れるという鮮やかな赤い果物は見た目に反して酸っぱいとか、傷んでいるように見える肉は熟成させたもので調理次第では新鮮なものよりも美味しいとか。
目新しいものばかりで、エレノアは夢中になって話を聞いていた。
「ルークは物知りですね」
「エレノアが楽しんでくれたら、俺も嬉しいですよ」
その笑みは陽光に負けないほど眩しく、すれ違った女の子が小さな悲鳴を上げた。
「ルークは何故、神官になったのですか?」
「……守りたい人がいました。その人の幸せのために俺ができるのは、身を引くことだったのです」
次話「恋って、何でしょうね」
「……俺が、神官にさえならなければ」
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