ルークは順番に片付けることにした
エレノアは美しく淑やかで優しくて、使用人達にも自慢のお嬢様だった。
次期国王とされる第二王子とも婚約し、将来も安泰。
誰もがそう思っていた。
だがヘイズ公爵夫妻が事故で亡くなり、エレノアの人生の歯車が狂い出す。
後見人である叔父のアシュトン子爵がでしゃばり始めたのも、その頃からだ。
次第に第二王子はエレノアを蔑ろにするようになり、アシュトン子爵令嬢をそばに置くようになる。
どうやら元々浮気していたらしいのだが、公爵夫妻の死後は公の場で取り繕うことすらしなくなったらしい。
両親の死、婚約者の浮気、従妹の裏切り、叔父の横暴。
次第にエレノアは表情を失い、このままでは体調すら崩しかねないと使用人達も心配するほどだった。
そんなある日、エレノアは変わった。
それも、劇的に――おかしな方向に。
終活などとわけのわからないことを言い出した時には使用人一同混乱したが、両親の死をはじめとする諸々で精神が不安定なのだろうという結論に至る。
当初は怪しい神官に騙されているのではと危惧する意見も多かったが、今のところ直接被害が出るようなことは起きていない。
それどころか横暴だったアシュトン子爵の後見人としての権限を取り上げ、悪趣味駆逐祭りを開催。
剣を習ったりクッキーを作ったりと色々なことに挑戦し、笑顔も見られるようになってきた。
名目はともかくとして、エレノアも少しずつ両親の死を乗り越えようとしているのだろう。
第二王子との婚約解消で世間的にはエレノアに傷がついたが、本人にとっては良かったのだと思う。
もっと笑ってほしくて、手伝いたくて。
声をかけると「いざという時にはよろしく」と言われた。
「俺は嬉しくなって、ヘイズの騎士としてエレノア様を必ずお守りしますと伝えたよ。そうしたら、何て言われたと思う?」
ディランの長い話をじっと聞いていたルークは、問いかけられたことに一瞬気付かず、慌ててうなずく。
「『私のことは守らなくていいので、いざという時には離れてください。死ぬのは私一人でいいから』だぞ⁉」
声を荒げたかと思うと、ディランはがっくりと肩を落としてため息をつく。
エレノアの終活に関連してヘイズ公爵邸を訪ねるようになって、すっかり使用人達とも打ち解けていた。
ディランの言うように当初はエレノアを惑わす悪徳神官の疑いをかけられていたようだが、ルークが終活を思いとどまらせようとするのを見て誤解は解けたらしい。
ヘイズの使用人達は皆気さくで、毎回神殿に帰る時には手土産まで持たされるほどだ。
だが、のどかに見えてそこは由緒正しい公爵家。
エレノアの許可を得てアシュトン子爵とその関係者を排除する手際や、ゆるゆるに見えて一切の不審者を寄せ付けない鉄壁の警備などはさすがと言わざるを得ない。
「冗談だとは思いたいが。そんなことを口に出すくらい、何かに追い詰められているんだ」
美しい公爵令嬢が終活などと言い出した理由がわからなくて、エレノアはもともとそう言うことを言う人なのかと尋ねた結果が、これだ。
いっそ常日頃から変なことを言うのなら良かったのだが、ディランの話を聞く限り事態はあまり楽観視できない。
「誰か、エレノアの支えになる人はいないのですか」
恐らくは、いない。
わかってはいても気になって問うと、ディランの眉間に深い皺が刻まれる。
「一番の支えになるべき婚約者が、浮気野郎……いや、クズだったからな」
言い直しても結局非難していることに変わりはないが、それでも足りないと言わんばかりにディランの語気は強い。
「後見人だった叔父のアシュトン子爵は一見優しいが、裏ではエレノア様を都合良く使っているし、公爵の座が狙いだろう。アシュトン子爵令嬢は一番近しい従妹だがもともと露骨にエレノア様を敵対視していて、第二王子に手を出したのもそのせいじゃないかと言われている。他の親族で近付いてくるのは、公爵位に目が眩んだ連中だ」
何度か聞いた内容とはいえ、エレノアを見守ってきた騎士が言うと説得力が違う。
「一応、優秀な親族もいるんだ。ただ、今は北部の異常気象の対応に追われていて、王都に戻る余裕がない。落ち着くかと思えば南部の方では干ばつの兆しがあると言うし、本当にタイミングが悪いよな」
「異常気象、か」
たしかに最近は北部の状況がみるみる悪化しているし、それに触発されるかのように南部の方も不穏だ。
このまま沈静化しなければ、いずれは国中に大きな被害が出るだろう。
すべては公爵夫妻が亡くなった半年前からしばらくして、始まっている。
ルークは知らず、拳を握り締めた。
「俺達はエレノア様のことをずっと見ているし、大切に思っている。だが、できることには限界がある」
そう言うと、ディランはコップに入った水を一気に飲み干した。
「一度、皆で話し合ってエレノア様を少し離れた別邸にお連れしたことがあるんだ。だがすぐにアシュトン子爵が連れ戻した。エレノア様は最高の駒だから、手放すはずがない。それに別邸に行っても結局は一時的な逃避にしかならない」
ディランに手渡されたコップを受け取りながら、ルークはうなずく。
子爵に連れ戻されたと言うが、それで済んだのだから幸いだ。
最悪、エレノアを誘拐したという冤罪で心ある使用人を一掃される可能性だってあっただろう。
身分とそれに伴う権力というのは、こういう時には横暴を正義に変えるのだから。
「誰かもっと、権力のある人。死ぬのは自分だけでいいなんて言わないようにエレノア様を……その心を、守ってくれる人がいればいいのに」
「そうですね」
ルークはコップを揺らして輝く水面を見つめる。
エレノアは、美しい。
由緒正しい血筋のお嬢様で、国でも上位から数えた方が早いほど身分が高い、高貴な女性だ。
生家の財力も申し分なく、次期国王とされる第二王子の婚約者として幸せに暮らしているのだと思っていた。
それがまさか、こんなことになっていたとは。
神殿暮らしでは、さすがに社交界の話までは届かない。
確認してみると、ヘイズ公爵夫妻が亡くなる前から第二王子の浮気は噂になっていたのだという。
それが公の場でさえ取り繕わなくなり、エスコートしないのは基本でファーストダンスも浮気相手。
それなのにエレノアが男性と話をしていると浮気を疑って、罵声を浴びせたりしていたらしい。
まったく、聞いているだけでも腹立たしくてたまらない。
周囲の貴族から見ても明らかにエレノアの表情がなくなって何も反応しなくなり、さすがに危険なのではと声が上がるほどだったという。
それが急に変わったわけだが、ディランに話を聞いても理由は不明のまま。
ストレスに耐えきれずに爆発した……にしてはおかしな方向だが、婚約解消で笑顔が出てきたのは良い傾向だ。
「ディランは夢で大切な人に『死にたい』と言われたら、どうしますか」
「何だ、それ」
突拍子もない話だとはわかっているけれど、聞いてみたくなった。
真剣に尋ねているのが表情でわかったのか、ディランは腕を組んで何やら思案している。
「そうだな、夢でもショックだな。きっと自分に負い目があるんだろう。何よりも現実で、その人のことを大切にするべきじゃないか」
「現実でも、同じようなことを言われたら?」
「まるでうちのエレノア様だな」
ディランは笑うと、ルークとの間に置かれたクッキーの皿に手を伸ばす。
「その人のことはわからないが、そう言うしかない状況に追い込まれているってことだろう? それなら、助ける一択だな。……というか、あんた神官なのにそんな人がいるのか?」
驚異的な速度でクッキーを食べるディランに感心しつつ、自分のぶんを確保しようとルークも皿に手を伸ばす。
「例え話ですよ」
「ああ。まあ、色々な相談に乗っているだろうし。神官様も大変だな」
実際のところ大神官に次ぐ高位の神官であるルークは、一般人の相談相手をすることはない。
神殿の祭事すら免除される立場だが、余計なことは言わないでおこう。
「それで、相手が助けを求めていなかったら? かえって迷惑なのだとしたら、どうしますか」
「そんなもの、謝ればいい」
「……は?」
想定外の答えに固まっている間に、最後のクッキーがディランの口に吸い込まれていく。
「だって、放っておけないんだろう? 死んでほしくないんだろう? それなら、助けてから考えればいい。死んだら、何もできないんだ」
ディランはからのコップに水を注ぐと、小さく息を吐く。
「旦那様が生きている間に、アシュトン子爵を遠ざけて貰えれば。……いや、今更だし、一介の騎士がお願いすることではないが」
ディランがここまで言うからには、公爵夫妻が存命の頃からそれなりに問題があったということか。
「とにかく、後悔は生きているうちにした方がいい」
そうだ、まずは死なないことが……生きることが最優先。
悩むのは後でいい。
ルークは勢いよく水を飲み干し、コップを置く。
「俺は彼女を守りたいし、俺の隣で笑ってほしいです」
「……神官って、非婚だろう? あんたも難儀だな」
「告白できない人には言われたくないです。マリッサ、でしたか」
「何故それを⁉」
慌てすぎてコップの水がこぼれているが、顔を赤くしたディランは気付いていない。
「一目瞭然ですよ。使用人同士の恋愛は問題ないのでしょう?」
「も、物事には順序ってものがあるんだよ!」
照れ隠しで水を飲もうとしたようだが、ディランのコップは既に空だ。
服が濡れていることに今更気が付いたらしく、慌てる様が面白くて笑ってしまう。
「そうですね。……まずは、順番に片付けていきますか」
水差しの中身までぶちまけて混乱状態のディランには、ルークの言葉は届かなかった。
次話「会いたくて来ています」
後継者選びに悩んでいるとルークが「後継者なら作ればいい。エレノアの子供なら問題ないでしょう」と言ってきて……⁉
ランキング入りに感謝いたします。
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