死に装束を作りましょう
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ああ、エレノア。
きっと俺に会えずに寂しい日々を送っていることだろう。
泣かないでおくれ。
お前の涙は金色の雨になり、俺の心を湿らせる。
まるで食べ忘れたクッキーように。
一緒に湿らないクッキーを食べよう。
二人でサクサクとクッキーを食べれば、仕事もサクサク進むはず。
過去の過ちは水に流して、クッキーもお茶で流しこもう。
俺達はまた新しいクッキーを食べていくんだ。
口溶けの軽いクッキーは翼を授け、二人で大空に飛び立てるし仕事も片付くさ。
(王宮に来る時には、ジェシカの好きなチョコも用意してくれると嬉しい)
さあ、遠慮なく俺の胸に飛び込んでおいで。
待ってるよ、俺の大切なクッキー。(あとチョコも)
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——どうしよう、つっこみどころしかなくて震える。
ビリビリという音を立てて手紙を引き裂くと、エレノアはマリッサにゴミを渡す。
「呪いのクッキーポエムでした。火にくべて浄化してください」
「かしこまりました。油もかけて盛大に燃やしつくします」
マリッサは恭しく礼をすると、そのまま邸の中に戻る。
「浮気野郎の呪いを浄化ぁー!」とか叫んでいるが、聞こえなかったことにしよう。
ギャレットの後見人としての権限を取り上げて以降、邸の中が格段に心地良くなった。
悪趣味な家具等は排除され、ギャレットの息のかかった人間がいなくなったことで、使用人達ものびのびと職務に励んでいるのがわかる。
一部元気を取り戻し過ぎな人も見られるが、楽しそうなのでまあいいだろう。
「浮気野郎ということは、クズ王子ですよね? 何を言ってきたんです?」
言い直しても結局ろくでもないが、おおもとのナサニエルがろくでなしなのでどうしようもない。
剣を肩に担いだ青年はディランといって、ヘイズ家の騎士だ。
つまりエレノアの騎士であって、当然エレノアに対する態度がアレだったナサニエルのことは良く思っていない。
「クッキーとチョコ持参で胸に飛び蹴りを食らわせにおいで、というお誘いでした」
「では、急いで毒入りクッキーとチョコ、針を仕込んだ靴を用意させましょう」
真剣な表情には一切の容赦がない。
エレノアが許可すれば、すぐにでも執事に掛け合って一撃でナサニエルを仕留められる物を用意するのだろう。
「いえ、やめておきます」
実のところ、ループし続けて自暴自棄になったあたりで、ナサニエルに襲い掛かったことがある。
何をしても殺されるので、元凶であるナサニエルを消してしまえばいいと思い至ったのだ。
だが生粋の公爵令嬢の剣が、近衛騎士に守られた王子に届くはずもない。
当然の結果として捕らえられたエレノアは牢に入れられ、詳細は忘れたがとにかく死んだことだけは間違いない。
その時にヘイズ公爵家が王家に反逆を云々という扱いをされたし、今エレノアがナサニエルを仕留めても同じようなことになるはずだ。
残された使用人とまだ見ぬヘイズの後継者の安全のためにも、王家に歯向かうようなことはやめておいた方がいい。
「それじゃあ、今日のぶんを始めますか」
ディランに促され、エレノアも手元の剣を握る。
順調に終活を進め、今は生活習慣の改善に取り組み始めたところだ。
元気に死ぬには適度な運動ということで、騎士のディランに剣を教わっていた。
スプーンよりも重いものを持ったことがない公爵令嬢……と言いたいところだが、数多のループで色々と経験した結果それなりの運動神経と筋力が備わっている。
死んでやり直すのに何故筋力が引き継がれるのかは謎でしかないが、それを言ったら記憶もそうだし、そもそもループしていること自体が謎の塊。
深く考えるだけ無駄だろう。
結果、深窓の御令嬢のはずなのにいい動きをするという、ディラン大興奮の事態になっていた。
「いや、もったいない。幼少期から鍛えていたら、女性騎士の中で一番になれたでしょうに。公爵令嬢だなんて、本当にもったいない」
「そうですね。いっそ騎士として生きていれば良かったと思います」
練習用の剣は少し小さく軽く作ってあるけれど、最初は手にマメができて酷い有様だった。
それでも体を動かすことは面白かったし、少しずつ動きが身についていくのは満足感がある。
それからマリッサと一緒にクッキーを作ってみたのだが、そちらも段々上達するのがとても楽しい。
庭木の手入れも手伝ったが、それも新鮮で面白かった。
そうして使用人達と一緒にいれば、おのずとその関係性も把握する。
クッキーのお裾分けで使用人達に配った際の反応からして、ディランは恐らくマリッサに好意を持っている。
マリッサの方も、少なくとも嫌ってはいないはずだ。
ヘイズ公爵家では職場内恋愛を禁じていないし、毎日経過観察をしながらそっと応援していた。
こういう楽しみも、今までは経験したことがない。
「はい、ここまでにしましょう。素振りも安定していますし、本当に素晴らしいです」
「ディランの教え方が上手なのでしょう」
「それは……ありますね!」
用意されたタオルで汗を軽く拭くと、ディランが水を注いだコップを差し出す。
ミントで香りづけされた水を一気に飲み干すと、それよりも早くディランはコップを空にしていた。
「そういえば、最近北部の方で雪解けが妙に早くて雪崩が多いとか。水害が起きているとも聞きました。気候が変なのかもしれませんね」
「そうですか。早く落ち着くといいのですが」
ヘイズ公爵家の領地はないにしても、親族には関係する土地がいくつかあったはずだ。
必要ならば支援をした方がいいだろう。
ナサニエルに翻弄されていた今まではこういったことをすべて丸投げしていたのかと思うと、執事や使用人達には感謝しきりである。
「こんにちは、エレノア」
美しい声と共に庭に姿を現したのは、ルークだ。
今まで室内でしか会ったことはないが、こうして陽光を浴びると鉄紺の髪がきらめいて一層麗しい。
「ルーク。来てくれたのですね」
「暫く顔を見ていないので、心配になりまして」
そんなに時間は経っていないはずだが、わざわざ来てくれるのだから業務熱心なことである。
「生前整理でいらない服を売ったり、悪趣味駆逐祭りを開催したりしました。それから生活習慣改善で剣の稽古。クッキーを作ったりもしました」
「悪趣味……? 何にしても、笑顔が見られて良かったです。これなら、もう終活も必要ありませんね」
得意気に報告するエレノアを見て、ルークも嬉しそうに微笑んでいる。
「いいえ。全力終活中です! そうだ。ルークにもお裾分けを」
控えていた使用人に声をかけると、すぐにマリッサがクッキーをもってやって来た。
「呪いの浄化はどうしたのですか?」
「超高速で爆炎浄化しましたので、ご安心ください。塵も残しません」
マリッサとの会話に少し怯えた様子のルークに、小皿に入ったクッキーを差し出す。
「はい、どうぞ」
「……俺に? さっき言っていた、手作りですか?」
「はい。あ、毒は入っていませんよ? 毒殺されても毒は盛らないのがモットーです」
「何ですか、それは。大体そんな心配はしていません」
呆れたようにため息をつくと、ルークは一枚クッキーを摘まんで口に運んだ。
咀嚼しながら目元が緩んでいくのを見て、聞かなくても感想がわかってしまう。
「そんなにクッキーが好きなら、持って帰ります?」
「いいのですか」
ぱあっと明るくなるその表情だけで、クッキーづくりの労力が帳消しになってあり余るほど。
エレノアも容姿に恵まれているが鏡を見て楽しむ趣味はないので、こうして美青年を愛でるのもいい終活になりそうだ。
ちなみにナサニエルも一応麗しの王子様ではあるのだが、浮気に冤罪に監禁に殺害原因なので、好感度が容姿を超越してしまっている。
人は心次第で見たもののとらえ方も変わるのだ。
散々ループしてそれなりに人生経験……というか死亡経験が豊富になったが、終活で初めて学ぶことは多いものだとしみじみ感じ入る。
「エレノア。ドレスを一着、作りませんか?」
「ドレスですか? それなりに処分しましたけれど、まだ袖を通していないものもありますし。何よりも着る機会がないので」
今までは王子の婚約者として、色々な舞踏会や行事にも参加していた。
たとえエスコートされなくても、無視されても、立場上欠席するわけにはいかなかったからだ。
だが、今は晴れて自由の身。
終活に時間を使いたいこともあるし、ドレスを着るような場に行く予定もない。
「生きがいとして、着飾るというのも悪くないと思いますよ」
なるほど、それは一理ある。
今まではナサニエル関係で、ドレスを着ることを楽しむような精神状態ではなかった。
悔いを残さないという意味で、一度くらいは着飾っても損はない。
「死ぬ前に最後の一着を作っておく。いわゆる死に装束というやつですね」
「ちょっと違うのですが……そのドレス、俺が選んでもいいですか」
「高位神官の選ぶ、死に装束」
それは、かなりしっかりと死ねそうな響きだ。
エレノアの声が興奮で少し上擦る。
「是非、お願いします!」
うきうきする心を抑えられず、エレノアは満面の笑みをルークに向ける。
「これが生きがいというやつですね!」
終活は順調だ。
この調子でいけば、悔いなく最期を迎え、今度こそきちんと死ねるかもしれない。
笑顔のエレノアの隣で、ルークは少し寂しそうに青玉の瞳を細めた。
※活動報告でルークのアバターを公開しました。
次話「ルークは順番に片付けることにした」
エレノアが何故、終活などと言い出したのか。
その背景を知ったルークが、ついに決断する!!
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