愛されたいと願って
ルシアンに手を引かれてやってきたのは王宮の奥、守護の宝玉が祀られた部屋だ。
確かにここならば人目もないし、殺すついでにエレノアの血を宝玉に捧げることも可能なので一石二鳥である。
それにしても、今回は王太子となった第一王子の婚約者として殺されるのか。
今まで数えきれないほど殺されてループしたというのに、まだ経験していないパターンがあるのだからエレノアの死は幅が広い。
だが今回はヘイズ公爵家をギャレットに乗っ取られて没落する心配はないし、遺言通り無難に後継者が決まれば問題ないだろう。
もう、悔いはない。
初めて穏やかな心で死を受け入れられる。
……終活して、良かった。
エレノアは口元を綻ばせると、両手を広げた。
「どうぞ」
「何ですか?」
首を傾げるルシアンはエレノアの知っているルークと同じ表情で、何だか少し嬉しい。
「剣で切るも刺すも、毒を飲ませるのでも、何でも。ルークの好きにしてください」
癖でルークと呼んでしまったが、どうせここで死ぬので気にすることもないだろう。
すると一瞬眉を顰めたルシアンは、ゆっくりとため息をついた。
「……わかりました。好きにします」
さすがに切られる瞬間を見たくはないので、エレノアはぎゅっと目を閉じてその時を待つ。
すると何故か手をすくい取られ、何かが優しく触れる。
事態を把握できずに少しずつ目を開けると、目の前にはエレノアの手を握ったルシアンが立っていた。
エレノアの指一本一本に、順に唇を落としていく。
それはまるで神に祈りを捧げる神聖な儀式にも見えて、エレノアは思わず息をのむ。
「な、何を……しているのですか」
「好きにしていいのでしょう?」
ルシアンはそう言うとエレノアを抱き寄せる。
「こ、殺すのなら、さっさとしてください。できれば血を宝玉に捧げてもらえますか」
血が付着しただけでは少し光る程度だったが、これで宝玉が直るかもしれないし、そうなればループが終わる可能性が高い。
せっかく死を受け入れて穏やかな気持ちになっているのだから、エレノアに触れたりしないでほしい。
「殺すわけがないでしょう。……ずっと、エレノアを想っていました」
「ずっと?」
一向に殺す気配がない上に妙な言葉が聞こえたので顔を上げると、ルシアンは困ったように微笑んでいる。
「昔、会ったことがあると言いましたよね。母が死んだばかりの俺に、エレノアは悲しい時は泣いていいと教えてくれ、抱きしめてくれました。それで俺はようやく泣くことができたのです」
第一王子の母親の二妃が亡くなったというと十年ほど前、ちょうどナサニエルと婚約したばかりの頃だ。
確かに第一王子と会ったような気はするが、詳細は憶えていない。
「でもエレノアはナサニエルの婚約者。だから幸せを願って王子としての俺は殺し、神官になりました。たとえヘイズ公爵家がナサニエルについたとしても、第一王子が健在なら王位継承争いは長引きます。あなたを巻き込みたくはなかったので。……あの時の俺は、それが最善なのだと思っていました」
少しずつ、ルシアンの眉間に皺が寄っていく。
「それなのにエレノアは蔑ろにされていて、死にたいと言いました。だから、我慢するのをやめることにしたのです。エレノアを助けたい。つらい時は俺が抱きしめるから、泣いていい」
言葉としては理解できるけれど、内容が理解できない。
茫然と見つめるエレノアに、青玉の瞳が優しく細められた。
「――好きですよ、エレノア。誰よりもあなたが大切です」
「それなら先程は何故、婚約したと明かさなかったのですか?」
別に、あの場で公表してほしかったわけではない。
だがルシアンの正当性を増すという利点があるのにあえて言わなかったからには、理由があるはずだ。
ナサニエルの王位を阻むという目的を果たし、ルシアンが王太子になると決定した以上、次に大切なことは守護の宝玉の修復。
エレノアの血でそれがなせるとしたら、死ぬかもしれない相手を婚約者として発表する必要はない。
……そういうことではないのか。
するとルシアンは少し目を伏せ、小さく息を吐いた。
「俺は、エレノアの幸せを願って神官になりました。そしてナサニエルから守りたくて、死んでほしくなくて、婚約をしました。……でも、エレノアは言いましたよね? 勝手だ、と」
それは確かに言った。
騙し討ちのような形で婚約したのだから、当然の言い分だと思う。
頷くエレノアを見て、ルークは困ったように微笑む。
「守りたいのも、死んでほしくないのも本当です。その気持ちは変わらない。でも俺は毎回、エレノアの気持ちを聞いていないと気付いたのです。エレノアが何を思い、どうしたいのか、確認できていない。……これではエレノアを利用したナサニエルと変わらない、と」
ルークはぎゅっと拳を握り締めると、エレノアをまっすぐに見つめる。
「陛下に婚約を公表しないようお願いしたのは、俺です。ナサニエルから守るという役割は果たしたので、エレノアが望むのならば婚約を解消します。ただ、俺の気持ちは変わらない。エレノアのことが好きで、そばにいたい。もし許されるのならば、このまま少しでも俺と共に過ごしてみてほしい」
ルシアンはそこまで言うと、ゆっくりと息を吐く。
「今度こそは、エレノアの気持ちを大切にしたいのです。エレノアが何を感じて、何を思うのかを教えてほしいし、もっとあなたのことを知りたい。どうしても俺では嫌だというのなら、他に好きな人ができるようなら……その時には潔く身を引くと約束します」
「……殺さないのですか」
ようやく絞り出した声は上擦っていて、それでもルシアンは笑みを返してきた。
「殺しませんよ。俺にとって、大切な人ですから」
そっとエレノアの頭を撫でるその手つきは、優しくて。
ルシアンの言葉を噛みしめていると、だんだん胸の奥が熱くて苦しくなってくる。
「嘘……嘘です。だって、今まで何をしてもしなくても必ず殺されて。誰も、私の話なんて信じなくて。誰も。だって……」
喋れば喋るほど声が震え、視界が滲んでいく。
頬を伝う何かをルシアンがすくい取るのを見て、エレノアはようやく自分が泣いていることに気が付いた。
ぎゅっとルシアンに抱きしめられ、苦しいのに何故か安心できて、自分でもよくわからない感情が溢れて涙が止まらない。
「いやです。だって、嘘だもの。もう、裏切られて捨てられて殺されるのはいや……いやなの……」
どうせまた殺されるのだという諦めと、殺されないかもしれないという希望が、エレノアの心を引き裂かんばかりに揺さぶる。
もうつらいから希望なんてもたないと諦めたはずなのに、なんて脆い決意なのだろう。
「終わりにしたいの……死なせてください」
「裏切ったりしませんよ。ずっとそばにいます。エレノアが大好きです。……エレノアも俺のこと、嫌いではないでしょう?」
少しいたずらっぽい声に顔を上げると、涙を指で拭われる。
「はい」
「人並み程度には、好きですか?」
「いいえ」
即答するエレノアを見て、ルシアンは少し悲しそうに目を伏せる。
「そうですか。まだまだ先は長そうですね」
「……人並みよりは、好きです」
ずっと終活の相談に乗って、エレノアのことを気にかけ、好意を伝えてくれた人。
王子だから利用するためにそばにいる、いずれは殺される、と思って心に壁を作ったはずなのに、いつの間にか壁は崩れてしまったらしい。
ぽつりとこぼれた言葉にルシアンの肩がびくりと震えたかと思うと、その頬が見る間に赤く染まっていく。
「そう、ですか。それは誤算でした」
「迷惑ですか?」
「まさか。嬉しいに決まっています」
好意を伝えて、それを受け入れてもらえるという経験はどれくらいぶりだろう。
何だか心の奥がほかほかと温かくて、ただそれだけでまた泣きたくなる。
「でも……ずっと悔いのない最期を迎えることしか考えていなかったので。どうしたらいいのか、わかりません」
ルシアンのことは好きなのだろうと思う。
それでも数多のループで染みついた不安は、完全には消えない。
こんな半端な状態で、一体何をどうすればいいのだろう。
「エレノア。俺の名前を呼んでください」
「……ルーク?」
「違います。本当の名前です」
「ルシアン殿下」
あらためて口にすると何だか恥ずかしいが、今のルシアンにはこの名が似合っている。
だが、ルシアンは小さく首を振った。
「敬称は必要ありません。ルシアン、でいいです」
「……ル、ルシアン」
「もう一度」
「ルシアン」
ただ名前を口にしただけなのに不安が和らぐのは、王族の力なのか。
いや、ナサニエルの名前を呼んでも不快だったので、これはエレノアの受け止め方の問題なのだろう。
「そう。何かあればその名を呼んでください。俺が必ず、駆けつけます」
ルシアンはエレノアを抱き寄せたまま、片方の手をその頬に滑らせる。
「エレノア。愛されたいと願ってください。俺にそれを叶えさせて」
「……いいの、ですか?」
殺されるばかりだった、死ぬ運命だったエレノアが。
愛を願っても。
生きていても。
……いいのだろうか。
エレノアの心の内を読んだかのように、ルシアンは大きくうなずいて微笑む。
その笑みに背を押されたエレノアは、手を伸ばしてルシアンの頬を撫でる。
するとルシアンが手を重ね、そしてエレノアの手のひらに唇を寄せた。
ただそれだけのことで好意が伝わって、包み込まれるようなその眼差しに胸が苦しい。
エレノアは、死にたかった。
消えてなくなってしまいたかった。
誰もエレノアを必要とせず、その死を願っていたから。
ずっとずっと、死にたかった。
それくらい、誰かに必要とされたかった――愛されたいと、願っていたのだ。
「ルシアン。私のこと愛して。いっぱいいっぱい、抱きしめて」
エレノアの精一杯のわがままに、ルシアンはこの上ないほど嬉しそうに微笑む。
「もちろん。――愛していますよ、エレノア」
ルシアンの手はエレノアの頬を撫で、そのままゆっくりと唇を重ねる。
その瞬間、周囲に眩い光が溢れた。
「きゃあ⁉」
「何だ⁉」
ルシアンに庇うように抱きしめられるが、それでも眩しくて目が開けられない。
ようやく光が引いて二人が目にしたのは、深い緑に鮮やかな緑、黄色、赤、オレンジの閃光が浮かぶ、衝撃的な美しさ。
綺麗な球体の守護の宝玉が、エレノアの楔石の瞳に映っていた。
これで「終活令嬢」は完結です。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
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今回は少しシリアス寄りだったので、次はいつものアレなラブコメ方向……だと思います。
各種作業の合間に連載用を執筆&すべて書き終えてからしか投稿しない完結投稿派のため、また少しお待ちいただくことになります。
動きがありましたら、活動報告でお伝えします。
待っている間は、他の書籍等をお楽しみくださいませ。
(プロフィールに載っているウェブサイト「西根羽南のページ」で現在発売中の書籍等の情報がわかります)





