今度の死は明るいですよ
エレノアは軽快なステップを踏みながら、王宮の回廊を進んでいた。
気分爽快とは、まさにこのことである。
「やった、やった。婚約解消ですね!」
今までのループの中でも、ナサニエルに婚約解消の打診をしたことは何度もあった。
だがあれだけジェシカを寵愛しエレノアを蔑ろにしているくせに、いざ婚約解消となるとナサニエルはぐずぐずと煮え切らない。
その間に嫉妬したジェシカに殺されてしまうのだ。
だが今回はこれ以上ない規模の公衆の面前で、婚約解消を申し入れた。
もはやエレノアからの婚約破棄宣言と言ってもいい。
これをなかったことにはできないし、速やかに話が進むことだろう。
ジェシカからすれば願ってもいない話なのだから、これで終活する時間くらいは確保できたはずだ。
何故かナサニエルは衝撃を受けた様子で口をパクパク動かしていたが、あれは何なのだろう。
ループ前まではそれなりに淑やかに振舞っていたので、その違いに驚いたのだろうか。
エレノアとしても、ナサニエルに何の情もなかったわけではない。
もともとは婚約者として寄り添おうと努力していたし、ジェシカとの浮気を知ってショックだったのだから、それなりに好意もあったと思う。
だが、散々死んで死んで死にまくり。
その原因のほとんどがナサニエルとなれば、残っていた好意もきれいさっぱり消え去るというものだ。
「ああ、何だか凄くすっきりしました!」
通りすがりの使用人達がぎょっとして見ているが、こんなに晴れやかな気持ちは何年……いや何ループぶりだろうか。
ステップを踏む足も鼻歌も止まらないが、どうか見逃してほしい。
こういう時はいちいち注意されない公爵令嬢という身分に感謝である。
いずれ殺されるにしても、モヤモヤとした気持ちがないだけでちゃんと死ねそうな気がした。
そう――今なら、死ねる!
「……ああ、駄目です。まずは終活ですよね」
逸る死への気持ちを抑えようと、その場に立ち止まる。
どうせ死はやって来るのだから、いまは万全の準備で迎えなければ。
「エレノア!」
清々しい気持ちに似つかわしくない怒号に振り返れば、叔父であるギャレット・アシュトン子爵がこちらに駆け寄ってくるところだった。
どう見ても怒っているギャレットがぜいぜいと荒い息を吐く間も、エレノアは笑顔で待つ。
心にゆとりがあると、他人にも優しくなれるのだ。
「婚約解消だなんて、どういうつもりだ⁉」
「殿下とジェシカはとてもお似合いです。ずっと婚約者そっちのけで公の場で恥ずかしげもなくいちゃいちゃしていましたし、二人の関係は周知の事実でしょう? いい機会ではありませんか」
「いや、それは」
事実を述べただけなのだが、さすがに娘の行動が正しいとは言えないようでギャレットは言葉に詰まる。
「二人が婚約すれば、ジェシカはいずれ王太子妃。ゆくゆくは王妃です。おめでとうございます。叔父様も忙しくなりますね。私のことはどうぞお構いなく。それでは、ごきげんよう!」
王妃という言葉にギャレットの頬が緩んだ隙に、エレノアは颯爽とその場を立ち去る。
ナサニエルは忌々しい婚約者と別れ、愛するジェシカと一緒になれる。
ジェシカは邪魔な従姉が消えて、愛する王子と将来の王妃の座を獲得。
ギャレットはいずれ王妃の父という立場を手に入れる。
全員に利点しかないのだから、これでしばらくは大人しくしているだろうし、エレノアのことは忘れるはず。
その間に、しっかりと終活を進めよう。
「今度の死は、明るいですよ!」
だが、うきうきで帰宅したエレノアのもとに届いたのは、国王からの呼び出し状だった。
爽やかな婚約解消申し入れの翌日。
王宮の一室には、まったくもって爽やかではない面子が集まっていた。
国王の表情は曇っているし、ナサニエルの眉間には皺が寄っている。
ジェシカはさすがに表情こそ穏やかだが、その気配からして不機嫌なのは間違いない。
だが、誰よりも不満を抱えているのはエレノアである。
褒められこそすれ止められるはずもないと思ったのに、何故呼び出されているのだろう。
それとも、正式な書類に署名でもするのだろうか。
何にしても、早く帰りたい。
エレノアの残り少ない人生は終活という予定で一杯なのだから、邪魔しないでいただきたいものだ。
「ナサニエル殿下には、心から愛する方と幸せになっていただきたいと思います」
エレノアの言葉にジェシカは勝ち誇った笑みを浮かべ、国王とナサニエルの表情が一段階曇った。
「おまえは、それでいいのか」
「いいからこそ、お伝えしています。おめでとうございます」
そもそもはナサニエルがきちんと国王にジェシカへの愛を伝えるなり、エレノアが嫌だと伝えないからこんな場を設けられたのだろう。
最後くらいもう少ししっかりしろと言いたいが、下手に刺激して死期が早まるのは困るので笑みを絶やすことはない。
「その。身分のこともあるし、エレノアを王妃にして、ジェシカは側妃という形でも」
「――嫌です」
エレノアとジェシカの声が綺麗に重なり、思わず顔を見合わせてしまう。
死亡ループで顔を合わせまくった相手だが、意見が合ったのは初めてかもしれない。
少し感動するエレノアに対して、ナサニエルの表情は更に曇っていく。
名ばかりの王妃で仕事を押し付けられるのは目に見えているし、ジェシカにも恨まれるのだから王妃になっても何ひとついいことがない。
大体、今更ナサニエルと夫婦になどなれそうにないし、なりたくもなかった。
「二人はお似合いです。どうぞ二人で幸せになってください。二人だけで、是非!」
笑顔で押し切ろうとすると、ナサニエルが慌てた様子で首を振る。
「それは困る」
「何故ですか!」
またしてもジェシカと声が重なると、それを見ていた国王が深いため息をついた。
「この様子では、婚約を継続しても上手くいかないだろう。公の場であれだけの騒ぎになって、今まで通りというのは難しい。ナサニエルがエレノアを尊重していなかったのは周知の事実。ひとまずは婚約を白紙に戻すべきだろうな」
「そんな!」
ナサニエルは何故か焦った様子で声を上げるが、国王の一瞥で言葉を飲み込む。
「この事態を招いたのは自分だ。きちんと今後のことを考えるように」
うなずくしかない圧に負けたナサニエルを見て、エレノアの心の中で大輪の薔薇が一斉に開花した。
「今後はお二人で末永くお幸せに。遠く遠くはるか遠くから祈っていますので、私のことはどうぞお忘れになってくださいね」
背に羽が生えたかのように軽やかな足取りで、エレノアは王宮を後にした。
今までのループでの死因は、大半がナサニエル関係だ。
ナサニエルに好かれようとすると、ジェシカに殺される。
ナサニエルに嫌われようとすると冤罪で監禁され、ジェシカに殺される。
身を引くと伝えると、ナサニエルに監禁された挙句ジェシカに殺される。
「……というか、ほぼジェシカですね」
ジェシカ自身が剣を突き立ててくることもあれば、毒殺や依頼など、形は変わってもナサニエルに関係すると殺されることは間違いない。
これに関しては婚約が解消されたので、当面の危機は去ったと言っていいだろう。
「ナサニエル殿下関連は殺される時期が早いので、これで終活の時間をとれるでしょう」
次に多いのは、親族の争いによる死だ。
後見であるギャレットに公爵位を譲ると、ヘイズ公爵家は没落する。
後見を変えようとするとその座を狙う親族が何だかんだで、エレノアがとばっちりで死ぬ。
争いのもとをなくそうとヘイズ公爵家を王家に返還しようとすると、親族総攻撃に遭って死ぬ。
結局のところ、何をしようとも親族がもめるし、もめたらエレノアが殺されるのだ。
「死ぬのはいいとしても。きちんとした後継者を探すなり、何か対応を考えないといけませんね」
この問題が片付けば、安心して死ねること請け合いだ。
とはいえ、下手に親族に相談しては争いが始まってしまうし、神官のルークに言っても貴族のことはわからないだろう。
なかなか難しい話である。
「そういえば、神の道に入ろうとしたこともありましたね」
ループの回数を数えるのも嫌になった頃、俗世から離れて静かに過ごしたいと神殿に身を寄せようとしたことがあった。
結局はナサニエルに止められ、それに嫉妬したジェシカに殺されたわけだが。
「いや、何をしても殺されるって凄いですね、私」
自らの死の才能に改めて感心してしまう。
ナサニエルにとって、エレノアはどうでもいい相手だ。
ジェシカにとっては、ただの邪魔者。
ギャレットにとっては、都合のいい駒。
親族もヘイズという名門公爵家を見ているだけ。
エレノア自身を見てくれる人など、もういないのだ。
「本当に……何で生きているのでしょうね」
渇いた笑いをなだめるように、紅茶を口に運ぶ。
最初は、つらかった。
ナサニエルに嫌われるのも、ぞんざいに扱われるのも嫌だった。
ジェシカに恨まれて嘲笑われるのも、殺されるのも嫌だった。
……死にたくなかった。
何度も殺されて、それでも同じことを繰り返して。
もがいて、どうにか回避しようと努力して、できなくて自暴自棄になって。
そして今、エレノアはすべてを諦めていた。
「そういえば、基本的に死ぬことに変わりはないけれど。ナサニエル殿下自身に殺されたことはありませんね」
それどころか身を引くと言った際にはエレノアがどこにも行けないようにと、監禁までされて執着を見せた。
「まあ、そのせいでジェシカに殺されるので、結局はナサニエル殿下のせいなのですが」
エレノアのことが嫌いでジェシカを選んでいるのに、あれは一体どういうことなのだろう。
次話「俺では、駄目ですか?」
ナサニエルが婚約解消を渋った理由。
そして終活相談で神官が妙なことを言い出して……⁉
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