やらないで後悔するよりはいい
「ええ⁉ ですが、私は色々あれなので」
ナサニエルと婚約解消したので、恐らくはその話題を振られるだろう。
何を言われてもどうでもいいが、それに付き合うのは面倒くさいし、時間がもったいない。
「仮面を着用するので大丈夫ですよ」
「そもそも、神官がそんな所に行ってもいいのですか? というか、神官は非婚でしたよね⁉」
騙し討ちの婚約の衝撃で忘れていたが、本来神官は結婚できない。
つまり婚約も無理なはずだ。
「もうじき神官ではなくなるので。問題ありません」
「問題しかない気がしますけれど」
じろりと睨みつけるが、ルークに気にする様子はない。
この様子では、諦めてもらうのは難しいのだろう。
「まあ、仮面をつけるのなら誰だかわからないでしょうし。死ぬ前に一度くらいそういう経験もいいかもしれませんね」
今までにできなかったことをしてみるというのも、悔いを残さないためには大切なはずだ。
「ありがとうございます。明日を楽しみにしていますね」
ルークは流れるようにエレノアの手に唇を寄せると、そのままじっと見つめ、微笑んだ。
「好きですよ、エレノア」
「な、何ですか⁉」
夜会の話だったはずなのに、何故急にそんなことを言い出すのだ。
「まずは意識してもらうのが先決です。エレノアは俺のことを終活相談係だと思っているでしょう?」
「はい」
即答すると、ルークは困ったように笑い、顔を近付ける。
「俺は、あなたに恋する一人の男ですよ」
耳元でそっと囁かれ、その吐息と声の色っぽさに思わず身震いする。
そのまま手に唇を落としたのだが、それにしても距離が近いし、顔がいい。
人生初の経験ばかりでドキドキと驚きが衝突した結果、エレノアの心は謎の凪状態に入っていた。
「やりすぎは逆効果だと思います」
「やらないで後悔するよりはいいので」
そのまま神殿の出口に向かうと、そこにはヘイズ公爵家の馬車とディランが控えていた。
ディランはわかるが、何故馬車がここにいるのだろう。
「ここに到着した時点で手配しておきました。ずっと歩いて疲れたでしょう? 本当は俺が送りたいのですが、ちょっと色々片付けることができましたので。また、明日」
「……はあ」
茫然とした状態のままヘイズ邸に到着すると、そのままソファーに腰かける。
ディランがついてきているのは恐らくエレノアの反応が鈍いので心配しているのだろうが、とりあえずゆっくりお茶を飲みたかった。
マリッサが淹れてくれたのは、エレノアが好きな花の香りの紅茶だ。
鼻を抜ける華やかで甘いそれに、ようやく心の何かが落ち着いていく。
「お疲れの御様子ですが、お出かけはいかがでしたか?」
「はい。婚約しました」
前後を省略した簡潔な報告に、マリッサとディランの動きが同時に止まる。
かと思うと、胸一杯に空気を吸い込んだ二人の悲鳴がこだました。
「な、何故⁉ お相手はどなたですか。まさか浮気とクズの化身が無理矢理よりを戻して……⁉」
「いや、もしかして……ルークですか?」
ディランの質問にうなずくと、二人は顔を見合わせ、そして深いため息をついた。
「私達はエレノア様が選んだ方なら。幸せになれるお相手ならば、応援いたします」
「いえ、私が選んだわけではないのですが」
とはいえ、そう簡単には婚約解消もできない。
国王に謁見を申し込まなければいけないけれど、一体いつになることやら。
「ご両親が亡くなってから色々とあって、お疲れなのです。もっと他の人に頼って、甘えて、ゆっくりとなさってください」
マリッサが提案したのは、すべて今までには無理だったことだ。
頼った相手には裏切られ、甘える相手などおらず、心休まる時はなかった。
それに、何がどうなろうともエレノアはじきに死ぬのに。
「今更、ですか?」
思わず愚痴のような言葉がこぼれると、マリッサはうなずく。
「どんなことでも、やり始めるのに遅いということはありません」
「そう、でしょうか」
「エレノア様は融通が利かなくて極端なところがあります。もっと気楽に考えてください。ルーク様がいらしたら『疲れたから抱っこして』とでも言いましょう」
「出会い頭に疲れているのですか?」
衝撃的な提案に驚くと、マリッサが優しく微笑む。
「ものの例えです。大切な人にはわがままを言われたいと言う男性は多いと聞きますよ。ましてエレノア様はいつも我慢なさいますから」
「それなら、見本が見たいです」
「はい?」
マリッサが笑顔のまま首を傾げるのに構わず、エレノアはディランに顔を向ける。
「ディランに言ってみてください」
マリッサの笑顔が引きつり、何やらぶつぶつと呟く。
期待を込めた眼差しで見守っていると、どうやら決心したらしく大きく深呼吸をした。
「つ、疲れたから抱っこ、して」
マリッサが言い終わるが早いか、風のように動いたディランがあっという間に抱き上げる。
共に顔がどんどん赤くなるのは、見ていて少し面白い。
「それでは、ディラン。そのままマリッサを甘やかして、ゆっくりしてください」
「承知いたしました!」
「エ、エレノア様ぁぁ‼」
マリッサを抱えたままとは思えぬ速度で、ディランがあっという間に部屋を出て行く。
きちんと扉を閉めるあたりは、彼らしいと言えよう。
「ああいうのが、恋する二人というものなのでしょうね」
口元を綻ばせながら、紅茶を楽しむ。
ルークには申し訳ないが、エレノアには無理だ。
終活の相談に乗ってもらっているし、人としては信頼しているけれど、そういう対象ではない。
ルークはエレノアに同情しているか、終活する令嬢という衝撃がこじれているのだろう。
好きと言ってくれたその言葉を疑うわけではないが、人の言葉と心は必ずしも一致しないのだとエレノアはよくわかっていた。
それに、もしも。
万が一、本当にルークがエレノアのことを好きで、このまま婚約し続けて。
その上でエレノアを殺すとなれば……最後に残ったひとかけらの魂すらも粉砕されてしまいそうだ。
でも、それで消滅して終わりになるのならば……悪くはないのかもしない。
「いえいえ、駄目です。今回は悔いのない最期を迎えるのですから。魂を粉砕するのが目的ではありません! 頑張って終活して、元気に死にますよ!」
エレノアは拳を握り締めると、終活への決意を新たに腕を空に掲げた。
次話「まさかの報復をされました」
「もっと早くエレノアに会いに行けば良かった」
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