悔いを残してください
低い声と鋭い眼差しと共に、ルークは男性とエレノアの間に立った。
もとの美貌と相まって、圧倒的な存在感を放つ青年の登場。
男性二人が息を飲んで一歩下がろうとすると、何かに阻まれる。
いつの間にか近くにいたらしいディランが、自分にぶつかった男性を無言で睨みつけた。
「な、何だよ。男連れかよ!」
少し上擦った声でそう言うと、慌てた様子で二人は立ち去る。
ルークは小さなため息をつくと、すぐにエレノアの隣に座った。
「エレノア、大丈夫ですか? 君みたいな可愛い子を一人にしたらこうなるとわかっていたのに、すみません。ちょっと頭がいっぱいで、うっかりしました」
「エレノア様、申し訳ありません」
「別に平気ですよ。楽しいことを教えてくれると言うので、話を聞いていただけですから」
二人に頭を下げられたので慌てて首を振ると、ルークの眉間に微かに皺が寄った。
ディランも表情を曇らせるが、すぐにルークに目配せすると礼をして離れていく。
恐らく、また少し距離を取って警護するのだろう。
「楽しいこと、ですか?」
「ちょうど、恋とは何なのかを教えてくれるところでした」
「あんな奴に教わるくらいなら、俺が教えます」
間髪入れずに言うルークを見て、エレノアはぱちぱちと目を瞬かせる。
「ルークは恋を知っているのですか?」
「エレノアに恋していますから」
にこりと微笑まれ、その青玉の瞳の輝きに鼓動が跳ねる。
好きだとか恋だとか、ルークの発する言葉はどうも刺激が強い。
これが純情な乙女ならばときめきと鼻血の出番なのかもしれないが、エレノアは歴戦の死亡者。
何があろうとなかろうと必ず死ぬという呪いのような事態が、まさか精神の安定をもたらす日があろうとは。
終活は本当に奥が深いとしみじみ感じ入る。
「それじゃあ、身体的にも精神的にも近付きたいと思うのですか?」
「あいつら、そんなことを」
珍しく舌打ちすると、返答を待つエレノアの手にそっと触れる。
「……もちろん、近付きたいですよ」
そう言うと、すくい取った手の甲にそっと唇を落とした。
それをじっと見て動かないエレノアに、ルークが少し困ったように首を傾げる。
「嫌、でしたか?」
「いいえ。慣れているなあと感心しました。神官なのに、破廉恥ですね」
正直な感想を告げると、ルークは困ったように笑い出す。
「それじゃあ、もっと破廉恥なことをしますか?」
ルークは握っていた手を引き寄せ、唇が触れるか触れないかという距離でエレノアをじっと見つめた。
本当にエレノアのことが好きなのではないかと錯覚してしまいそうなほど、その眼差しには熱が宿っている。
エレノアの口元が知らず綻ぶ。
それは羞恥や歓喜の微笑みではなく、自戒と自嘲の笑みだった。
「やめておきます。私に恋は、縁遠いので」
「俺としてみるのはどうですか」
「もうすぐ死ぬ相手と恋をしても、いいことはありませんよ」
「生きればいいでしょう」
まっすぐで希望に満ちたその言葉は、まるで光そのもの。
既に泥と闇の奥底に沈んだエレノアには、眩しすぎる。
光に焦がれて、もがいて、あがいて、ずっとずっと頑張って……もう、力尽きたのだ。
何も答えず笑みを浮かべるエレノアに、ルークは唇を噛みしめる。
「……どうしたら、エレノアは生きたいと思ってくれますか」
絞り出すようなその声は、聴いているこちらの方がつらくなる響きだ。
優しく業務熱心な神官に負担をかけたいわけではないけれど、偽りの願いを口にしたらきっと後悔するのだろう。
「別に生きたくないわけではありません」
「でも、死にたいのですよね」
「悔いなくその時を迎えたいとは思っています」
ルークは両手でエレノアの手を包み込むように握る。
まるで神に祈りを捧げるかのように、その手に自身の額をこつんと当てた。
「悔い、残してください。それでエレノアが生きてくれるのなら、俺は何でもします」
しばらくそのままうつむいていたルークは、手を離すと懐から何かを取り出した。
青い石がきらめくそれがネックレスだと認識するよりも早く、ルークは手を伸ばしてエレノアの首にそれをつける。
意図がわからずとりあえず見てみるが、やはり青い石がついているし、恐らくこれは宝石だ。
大きさはそれほどでもないが、深い水の底のような澄んだ輝きが美しい。
「高そうですね」
「高かったです。だから、なくさないでください」
「普通、そこは否定しませんか?」
正直すぎる返答にエレノアが笑うと、ルークも困ったように微笑んだ。
「エレノアの心残りになって生きてくれるのなら、何でも使います。……ただのプレゼントのつもりでしたが、気が変わりました」
そう言うと、ルークはベンチから立ち上がる。
「エレノアは放っておいたら、俺を置いてさらっと死んでしまいそうです」
差し出された手を取ってエレノアも立ち上がると、そのまま歩き出す。
たどり着いたのは、王都最大の神殿だ。
白を基調とした建物は歴史と威厳を感じさせ、一番手前にある建物には多くの参拝者の姿が見受けられる。
ルークの職場であり生活の場なわけだが、何か忘れ物でもしたのだろうか。
エレノアも通されたことのある手前の建物を通過すると、ルークはそこにいた神官に声をかけた。
「二人で祈りを捧げたいのですが」
「一般のお祈りは手前の……オルコット様⁉ そちらはヘイズ公爵令嬢ですか⁉ お、お待ちください!」
転びそうになりながら走って行った神官を追いかけるように、ルークも神殿の奥に進んで行く。
明らかに一般人立ち入り禁止であろう雰囲気に少し困惑するが、それでもルークは足を止めない。
「ルーク、何をするつもりですか?」
「お祈りです」
これはもしかして、エレノアの信仰心を高めて死を遠ざけようという試みだろうか。
あるいは「エレノアが生きたいと思いますように」という願掛けか。
どちらにしても、わざわざこんな神殿の奥まで来なくてもいいような気がするのだが。
そのまま進んだ先にあったのは、こぢんまりとした祭壇のある部屋だ。
通過してきた手前の建物の祭壇の方が何倍も大きくて豪華だが、何故か心惹かれる。
一般的な神の像とは別に見慣れない像が並んでいて、球体の上に蝶が乗っているが、あれは何だろう。
全体は白っぽい石でできているのに、蝶の目の下の部分だけ黒いのも不思議だ。
まるで涙のようにも見えるが、縁起がいいものではないし、せめてもう少し明るい色でつくればいいのに。
「これは、王家の始祖が神から国を守る宝玉を賜ったことを表しています。蝶は王、玉は宝玉の比喩です」
神様からもらった宝玉が国を守るというのは、神話でも聞いたことがある。
だがあくまでもおとぎ話のようなものだと思っていたので、神殿の奥にそれを模した像があるとは驚きだ。
「では、この涙みたいな黒い線は何ですか?」
わざわざ色を変えて表現しているからには何か意味があるのだろうと思って尋ねると、ルークの表情が少し曇る。
「ここ数ヶ月で急にこうなりました。これは石や金属ではなくて、液体です。拭き取ってもまた出てくるし、その頻度は増す一方です。異常気象もそうですし……国を守る力自体が弱まっているのかもしれません」
「――お待たせしました」
声に驚いて振り返ると、部屋に入ってきたのは初老の男性だ。
昔、姿を見たことがあるし、その服装と威厳からして間違いなく大神官その人だろう。
エレノアが礼をすると、大神官はすぐに手を上げてそれを制する。
公の場ではないので大仰な挨拶は不要、ということなのだろう。
「お二人で祈りを捧げたい、と伺いましたが。……よろしいのですか」
次話「勝手な婚約」
ルークが取った衝撃の行動は。
「……俺にチャンスをください」
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