もう愛されたいと願わない
……ああ、また死ぬのか。
お腹に突き刺さった剣を撫でると、温かく濡れた感覚が伝わってくる。
力が抜けて地面に落ちた腕が、血だまりでぱしゃりと音を立てた。
既に痛みはなく、体は動かない。
仰向けに倒れたエレノアの視界には雲一つない青空が広がっていて、それを美しいと思った。
あの綺麗な空に溶けてしまえたら、どんなに幸せだろう。
そう思う間にどんどん瞼が閉じていき空を失うと、あとはか弱い呼吸音だけが耳に届く。
他人事のようにそれを聞いていると突然慌ただしい足音が近付いて、誰かの腕がエレノアを抱き起こした。
「何故」とか「どうして」と言う声は若い男性のものだ。
ここは神殿の前だし、恐らくはその関係者なのだろう。
神聖な場を血で汚してしまったのは申し訳ないが、悪気があったわけではないので許していただきたい。
エレノアはもう死ぬし、男性も手遅れだとわかったのだろう。
悔しそうに何かを呟くと、ため息が聞こえた。
「何か、言い残すことはありますか」
「……死にたい」
男性の問いに、答えはすぐに出た。
死にたい。
今度こそ。
きちんと消えてなくなってしまいたい。
婚約者の王子に裏切られ、その浮気相手に殺されたのだから、恐らくは秘密裏に処理されるのだろう。
エレノアが死ねば後見だった叔父が爵位を継ぎ、その娘……王子の浮気相手である従妹は公爵令嬢として正式に婚約する。
エレノアの存在は誰にも必要とされていないのだ。
「そんなことを言わないでください。……神の愛を信じて」
「神は……愛なんてくれない。死すら、くれない」
神殿関係者からすれば酷い冒涜なのかもしれないが、これはエレノアがたどり着いた真理だ。
神が等しく愛をくれると言うのならば、エレノアはとうの昔に死んでこの世から消え去っているだろう。
「……もう、愛されたいと願わない」
エレノアは何度も何度も死ぬ人生を繰り返している。
死で終わりにしてくれないのは、永遠に苦しめという神の意思なのだろうか。
言葉に詰まったらしい男性が、そっとエレノアを抱く手に力を込める。
服が汚れてしまうだろうに、損な役回りだ。
「……エ……ノア……」
男性が何か言っているけれど、もう言葉を聞き取ることもできない。
今回のエレノアの人生は、もう終わりだ。
また繰り返すというのなら、今度こそ。
今度こそは、自分のために死んでいきたい。
********
「――ということで、終活したいのです!」
瞳を輝かせて訴えるエレノアに、目の前の青年神官ががっくりと肩を落とした。
エレノアは死に、そして死の一年ほど前にいつの間にか戻っている。
もう何度目か数えるのも飽きるほどの回数、それを繰り返していた。
今回は気が付いてすぐに神殿に駆け込んだのだが、訴えを聞いた神官達は困り果てた様子で部屋に案内し、姿を現したのがこの青年神官だ。
年の頃はエレノアよりも少し上だろうか。
鉄紺の髪に青玉の瞳の麗しい青年だが、その身に纏う神官服からしてかなりの高位に位置するはず。
大神官がいないとか何とか騒いでいる声が聞こえていたので、厄介者を押し付けられた形なのだろう。
かわいそうに。
何となく既視感のある顔と声だが、今まで散々人生を繰り返しているので、神殿に入ろうとしたり駆けこんだりも経験済み。
実際に何度か見かけているのかもしれないが、少なくともこうして顔を突き合わせて話をするのは初めてのはずだ。
「神官様、お名前は?」
「ルーク・オルコットです」
やはり、知らない名前だ。
ループにループを重ねたベテラン死亡人のエレノアではあるが、一応は貴族令嬢なのでそれなりに人の顔と名前を覚えるのは得意。
ルークという名前に心当たりはないのだから、正真正銘の初対面で間違いないだろう。
何だかスッキリしたエレノアとは対照的に、ルークの表情は曇りっ放しだ。
「それで、シュウカツというのは」
「人生の最期を迎えるための準備です」
「やはりそれですか。でも、何故」
「悔いなく死ぬためです!」
元気はつらつと答えるエレノアに、ルークが衝撃の余り目を見開いて固まっている。
気持ちはわからないでもないし、美青年は変な顔でも格好良いのでこちらとしては損はない。
「もう一度確認しますが、あなたのお名前は」
「エレノア・ヘイズです」
「次期国王とされる第二王子の婚約者で、名門公爵家の跡継ぎである、ヘイズ公爵令嬢で間違いありませんか」
「はい!」
勢いあまって手を上げて返答すると、ルークは肺の中の空気をすべて絞り出すような深いため息をついた。
「家柄も将来性も容姿も、すべて最高峰と言っていい女性ではありませんか」
「あら、ありがとうございます」
確かに、エレノアの対外的な立場はかなり良い。
もともと公爵令嬢な上に、婚約者は次期国王の王子。
金の髪は陽光を紡いだが如きと称賛される色彩で、瞳も珍しい楔石の色だ。
淡い緑色に鮮やかな赤や黄色にオレンジなどの閃光がきらめき、光を浴びると火花が散るように輝くという美しさ。
それに見劣りしない顔立ちも含めて、客観的に見てかなりの美少女の部類に入るだろう。
だからこそ第二王子であるナサニエル・アーテリーの婚約者になったわけだが、そのせいで死亡とやり直しを繰り返しているとも言えた。
せめてナサニエルが次期国王でなければ、叔父や従妹もそこまで執着しなかったのかもしれない。
だが、ナサニエル以外の王子は第一王子一人だけ。
小さい頃に一度だけ挨拶をしたことがあったと思うのだが、どうやら病弱だったらしくこの十年は公の場に姿を現していなかった。
既に死んでいるという噂すらあるし、生きていても公務すら果たせない体調ではどうしようもない。
「どこに死を考える要素があるのですか」
「まあ、色々と」
婚約者の王子が浮気をし、相手は従妹で、嫉妬などでエレノアを殺す。
それを回避しても、叔父と親戚の爵位をめぐるゴタゴタでエレノアを殺す。
飽きるほどのループで様々な方法を試したが、何をしてもしなくても、エレノアは殺される。
そして両親の死後に戻ってもう一度やり直すのだ……とは、さすがに言えない。
上手く説明できずに困っていると、ルークは小さく息を吐いた。
「ご両親を馬車の事故で亡くして半年だと伺っています。きっと、まだ混乱しているのでしょう」
あまりにもループしすぎたために、エレノアの体感としては何年も経過しているのだが、それもまた言うわけにはいかない。
「何でもいいので、終活では何をすればいいのか教えてください」
「まあ、気持ちの整理に繋がるのであれば。一般的には生前整理、資産の把握、生活習慣の改善、葬式やお墓の準備、いざという時の意思確認、遺言。それから、生きがいなどですね」
大体は予想できる内容だったのだが、最期の一言にエレノアは首を傾げる。
「生きがい、ですか? 死ぬのに?」
「その死までを健やかに、悔いなく最期を迎える準備をするためですね」
なるほど、死ぬためにはきちんと生きろということか。
確かに今まで散々死にまくって追いつめられて自殺したことすらあるけれど、それでもループしてしまうのは、そのあたりが満たされていないからなのかもしれない。
目から鱗とはこのことだ。
「ありがとうございます。ひとつずつ片付けて、悔いのない最期を迎えたいと思います」
「……何か、重い病でも?」
「いいえ。すこぶる健康です」
にこにこと笑顔で答えると、ルークの眉間に皺が寄った。
「何だかとても心配なので、また神殿に来てくれますか」
「はい。経過報告と終活相談ですね」
「そうではなく……」
頼もしい相談相手を見つけたことだし、早速動き始めよう。
エレノアはいずれ殺される。
のんきにしている時間はないのだ。
「まずは、終活する時間の確保からですね」
「何をするつもりですか?」
「――諸悪の根源を、絶ちます」
ルークの問いにエレノアはにこりと微笑み、楔石の瞳がきらめいた。
王家主催の夜会。
輝くシャンデリアの光の中、ナサニエルは婚約者のエレノアを差し置いて、その従妹のジェシカ・アシュトン子爵令嬢と楽しそうに踊っていた。
ちらちらとこちらを見て笑うのが昔はつらかったけれど、今はどうでもいい。
かえってダンス中の方が人目を集めていい感じだ。
ナサニエルと目が合ったエレノアはにこりと微笑むと、そのまま近付いていく。
婚約者の王子に放置された公爵令嬢という時点でそこそこ視線を集めていたエレノアだが、ダンスする二人に近付くにつれてざわめきが大きくなっていくのを肌で感じる。
二人の目の前に立てば、他の招待客同様、ナサニエルとジェシカも踊りを止めざるを得ない。
何事かと見つめる多くの眼差しに、ナサニエルが舌打ちをした。
「一体、何のつもりだ」
怒りを隠すことのないナサニエルに、エレノアは変わらず笑みを湛えている。
「殿下にお話が」
「今、ここでか。空気の読めない女だな。何か言いたいとでも?」
怖がるように、そして勝ち誇ったようにナサニエルに縋りつくジェシカに、エレノアはやはり笑みを向けた。
「言いたいことなら、色々とありました。婚約者がいるのに堂々と他の女性をエスコートしてダンスするという常識もマナーも木っ端微塵の行動に国の将来が不安になりますし、不貞行為を人前で見せつけて自慢してくる従妹の性格の悪さと貞操観念もだいぶ心配でしたが……それらはもうすべてどうでもいいので省略します」
「していないだろう! つまりあれか、自分をもっと尊重しろと言いたいのか」
「いいえ、まったく。私のことは、どうぞおかまいなく」
「それなら、何だ」
ジェシカのエレノアを見る目は、まさに負け犬を蔑む眼差し。
確かに、エレノアは婚約者を何度も奪われた負け犬なのかもしれない。
だがいつまでも無駄な勝負を挑むほど馬鹿ではない。
負け犬のおさがりで良ければ、リボンを巻いてプレゼントしてあげようではないか。
「ナサニエル殿下――私との婚約を、解消してください」
この上ない笑みと共に、長年の腐りきった関係に終止符を打とう。
エレノアの楔石の瞳が、炎のようにきらめく。
――さあ、終活の始まりだ!
新連載開始しました。
いつも通りすべて書き終えています。
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次話「今度の死は明るいですよ!」
楽しそうに死に向かうエレノアをどうぞ。