第31話 マリア・ルドヴィカ・ヴェルテンベルク
女騎士マリア・ルドヴィカ・ヴェルテンベルク。
彼女はフリギア家に仕えていた魔導騎士である。現在は18歳とまだ若いが魔導騎士として完全な装備を保有しており、一般人では千人でかかっても倒す事は出来ない。
遠征から戻ってきたサリバンが荒野の猛禽グワシに体を引き裂かれたライモンドを発見した。その連絡を聞いたマリアは肩を落とした。
魔石を作ってもらう為にレナートの所にいた彼女は心境を吐露した。
「本当にあれが正しかったのか。取り返しのつかない間違いをしてしまったのではないか・・・。どうしても心残りです」
レナートは首にきつく巻いたショールの位置を直しながらマリアに答えた。
「間違っちゃ駄目なの?」
「駄目なのって・・・もう彼らは死んでしまったんですよ?ライモンド以外は他ならぬ私の・・・この手でやってしまった」
マリアは貴族だし、避難民の代表として見られていて普段は周囲に弱音を吐ける相手がおらず、つい内心を吐いてしまったが、やはり子供相手にこんな話をするものでは無かったと後悔した。命の重みというものがわかっていない。
「取り返しがつかないものならかえって諦めがつくじゃん」
レナートはあっけらかんと答えた。
なんなんだろう、この子は。
人が死んでしまったのに、アスナールなどはただの痴情のもつれで無実だったかもしれないのに笑っている。マリアは不気味に思った。
「済みません、貴女にこういった話をするのはまだ早かったようです」
「そう?ボクそんなに子供じゃないよ?」
男性ならともかく自分の事を「ボク」という子が大人なわけがない。
魔石制作の作業はレナートの自宅の穴蔵で行われており、そこへヴァイスラもやってきた。
「レン、姉さん。魔石の制作は順調?」
「うん、ファノの訓練も兼ねてうまくいってるよ」
ファノという幼女はマリアの血を垂らした粘土を捏ねている。
魔石というのは魔術師の実験室で魔力の籠った血を結晶化させるものと思っていたマリアには本当にこんなことで魔石が作れるのか疑問だった。
というか姉さんって何?
「おにーちゃん。もう手疲れたよう」
「だーめ」
おにーちゃん?
「捏ねて♪捏ねて♪心を込めてどんどん捏ねて♪」
血を含んだ粘土を歌いながら捏ねる姉妹をマリアはますます不気味に思った。
マリアが押し黙ってしまったので今度はレナートから口を開いた。
「取り返しがつかないんだったらそれ以上考える必要ある?」
「考えなければ。同じ過ちを繰り返さぬように」
「世の中に同じ人なんていないんだから同じ過ちなんて起きないよ。起きると思っていたらそれは錯覚なんじゃない?みんな事情が違うんだから」
「悲しい事ですが、同じような事件はきっとまた起きるでしょう。今回の教訓は肝に銘じなければ」
アスナールに襲われた被害者がウカミ村側の人だったこともあり、マリアは率先して事情聴取し捜査して回るのを気後れしてしまった。皆の怒りを鎮める為の生贄として続くジュゼッペとエンツォ、その妻達の処刑にも同意してしまった気がする。
「同じような事件であって同じ人じゃない。もし死刑が絶対に正しかったのに生かした場合はそれに習うの?結局、前例に基づいて判断するのって、その事件に関わった人達の人間性を無視してるだけじゃないかな」
「本題から離れています。人を死なせてしまったら取り返しがつきません」
「生かしたって取り返しはつかないよ?真実がわからなかったら解放するの?また事件を繰り返されたら?」
「閉じ込めておくとか他にやりようはあるでしょう」
「そいつを閉じ込めて生かし続ける為にどれだけ食べ物が必要なの?監視するのに必要な人間は?その労力でどれだけの人間を生かしておけるのかな?今、そんな余裕ある?」
カイラス山に逃げ込んだ人々の食料に余裕はない。
無駄飯喰らいを飼う余裕はないのだ。
「言いたいことはわかります。ですが、人を殺すというのはそんなに簡単な事じゃないんですよ」
「うん、その簡単じゃない決断をしたお父さんをボクは誇りに思うよ」
「実際に手を下したのは私なんですよ!?」
「ボクだって家畜や獣を処分したことくらいあるよ?」
「彼は獣ではなく人間です」
「違いがあるの?」
この子は駄目だ、話が通じないとマリアは思う。
雑談の相手を間違えた。
「取り返しのつかない事なんて世の中いくらでもあるよ?そんなこと後悔して時間を使うのってものすごく後ろ向きじゃない?どうして今を大事にしてくれないの?そんな事してる暇があったらもっと人を幸せに出来るんじゃない?忘れたっていいと思うよ」
「ありがとう、レン」
ヴァイスラが涙を流して娘を抱きしめている。
マリアには事情はわからなかったが、どうも自分に向けられて発した言葉では無いらしいことを悟った。
◇◆◇
「できたー。おにーちゃん、これでもういいよね?」
「んー、どれどれ?おー、なかなかじゃん」
魔石は安定化していた。
血液に含まれた魔力は体外では時間が経つにつれて失われるが、魔石化すれば安定して引き出さない限り失われなくなる。魔導騎士達はこうして装備や自分の体に埋め込み、必要な時に引き出して己を強化する。
装着しているだけでも他者の魔術による抵抗力が跳ねあがり、マリアの力は大幅に強化された。
「有難うございます。でも何故貴女のような少女がこんな技を知っているのですか?」
「ボクというかボクのおば・・・」
誰かにガツンと殴られたかのようにレンの頭が揺らぐ。
「ボクの中には美人のお姉さんが同居していて、いろんな事を教えてくれるんだ」
「どういう事なんです?」
マリアの疑問にはヴァイスラが答えた。
「この子には私の姉が守護霊として取りついているのです。もとは男の子として生まれましたが、今はこの通りの可愛らしい女の子。少しばかり変わった事があっても広い心で接してくださいね」
「は・・・はあ」
「まあ、戸惑うよね」
レンはあはは、と笑う。
彼女にどこか狂気を感じた。
「エイラ殿がおっしゃっていました。貴女は問題と向き合う事を避ける傾向にあるようだと。先ほどの話でもそうです」
「さすがお医者さん。そんなことも分かるんだ。でも、避けちゃ駄目かな?」
「駄目、というか克服し、成長しなければ」
「マリアさんは凄いな、完璧主義者なんだね」
「出来るだけそうありたいとは思いますが、そこまででは」
マリアは言葉通り受け止めたが、レナートはそのままの意味で言ったわけではない。
「でも、完璧じゃないと駄目?完璧じゃないと人には生きる価値はない?お父さんが判断を間違ったとして、それがそんなに問題?完璧じゃない人間には従えない?完璧な指導者が得られるまで次々首をすげ替えちゃう?」
「い、いえ。そんなつもりはありません。彼の事は私も尊敬しています。ただ、我々はもっとよりよい組織になれると思って」
「そうかもしれないけどボクは現状に満足してるよ。マリアさんはもっと幸せになれるだろうに放棄してるみたいに思える。マリアさんはとっても強いのに、率いていた人たちの中に家族や友人がいるわけでもないんでしょ?フリギア家って所にはもう仕えているわけじゃないっていうし、どうしてそんなに大変な事を?」
「弱者を守る。それが騎士の務めです。私は己の未熟さゆえに二人の主君に見放されました。せめて残りの人生は騎士の本分に務めたいのです」
「まだ18歳なんでしょ?余生の事考えるなんて早すぎない?ね、ね、もっとマリアさんの事聞きたいな。いちおう改めて自己紹介するとボクの名前はレナート、愛称でみんなレンって呼んでくれるけどね。マリアさんにもレンって呼んでもらえる方が嬉しいな」
まだまだ理解が難しい相手だが、これからの長い共同生活を鑑みてマリアも自分の事を話す事にした。
「私は帝都北西部の山中に小さな領地を持つヴェルテンベルク家に生まれました。貧乏貴族で将来の道に困っていましたが、帝都の学院でエイラシルヴァ天爵に会い、幸いにも彼女に仕える事が叶いました」
「ああ、この大混乱の引き金になったっていう被害者の」
「そうです。友人と一緒にフォーンコルヌ家に対して調査を行い復讐をしようとしていましたが、友人も謀殺されました。その後、フォーンコルヌ家打倒の為にフリギア家に仕えましたが、実は天爵様が生きておられたと知って主君を変えようとし、結果両家に裏切者として捨てられました。あの時は理解出来ずお恨みもしましたが今となっては当然の結果と受け止められます。他の騎士達は主君亡きあともずっと亡骸を守っていたのに私は成り行きに流されて次々と主君を変えようとしたのですから」
「騎士様も大変だね。だから今度は判断を間違えないようにって心がけてるんだ」
「確かにそういう面もあるかもしれません。他人に完璧な正しさを求めてはいけませんでしたね・・・」
マリアは自分の足跡、帝国政府の重鎮たちが行ってきた事を思い返した。
十分な経験を持った貴族の政治家達が道を誤った結果、帝国は滅び夥しい人名が失われた。
組織の長として未熟なオルスも自分も何もかもうまくいくような、誰も彼も助けられるような名案は思い浮かばなかった。悔やんでも悔やみきれないが、これ以上過ちを繰り返さずに、この脆弱な組織が崩壊しないように努めなければならない。
「悪い事じゃないと思うよ。でもお父さんが間違っていても助けてあげてね」
「はい、それは信用してください。二度と誓いは裏切りません」




