第18話 家族の再会
ヴァイスラがレナート達の所に辿り着いた時には戦いは終わっていた。
白銀の神域は去り、凍った大地は幻のように消え、吹雪の跡だけが残っている。
レナートは気が抜けたという表情でただ立っていた。
地面に伏せていたドムンはファノを腕に抱えてやって来たヴァイスラに「皆無事です」と声をかけた。しかし、ヴァイスラはそれにも気づかずレナートに向かって「姉さん?」と口にした。
ヴァイスラはそろそろ四十近い。
今でも美人だがレナートが姉に見えるわけもない。
レナートの容姿は二十歳前後くらいにまで変化してしまったが、本人の面影は十分ある。
体型は少しふっくらとしているが、北方圏の人々は寒さに耐える為にやや脂肪を溜め込みやすいからだ。帝国人は豊満で骨太で頑健な体格をしているが、北方人は締まるところは締まっている。グランディがうらやましがった体型だ。
「ボクは・・・ボクはレナートだよ、ボクの事やっぱり忘れちゃった?」
今まで見ていた姿が錯覚だったかのようにレナートの体は元に戻った。
母子は正面から向き合った。しかし二人とも怯えているようにドムンには見えた。
先にヴァイスラの方から恐る恐る声をかけた。
「レナート・・・レナート。本当にレナートなのね?」
母に名前を呼ばれた。
生まれて初めて、目を見て話しかけて貰えた。
それだけでレナートの瞳には熱い涙が溜まり始めた。
「ボクがわかる?もう忘れたりしない?」
「ええ、御免なさい。どう謝ったらいいのか・・・」
「謝ったりなんかしなくていいよ。ボクはそんなことより・・・」
レナートはそこから先を言い淀み、口に出せなかった。
「抱きしめて欲しいんでしょう?ほら、おいで。さあ」
ヴァイスラは両手を広げて近づくがレナートはその分後ずさる。
また忘れられてしまうのが恐ろしいのだ。
もう十年間、諦めと共に生きてきたのに希望を与えられて、そのあと絶望に落とされたら立ち直れないかもしれない。初めて手を取られ連れ出され喜んでいたら、この子はうちの子じゃないと真っ暗闇の畑の中に捨てられた思い出が蘇る。
「ボク、もうそんなに子供じゃないし。ほら、見ての通り」
そういいながらレナートは自分の体を見下ろしたが、いつの間にか少女くらいに戻っていた事に気が付いた。完全に戻ったわけではなく少し成長してしまっている。
「あれ?ま、いいや。そうそう、ファノを長老様か誰かに診て貰わないと」
レナートは取り繕うような声を出したが、ドムンが「ファノなら平気だ」と掲げてみせた。ファノは「くかー」と呑気な寝息を立てている。
なんだかよくわからんがじれったいから背中を押してやろうかと思ったドムンだが、他にもそう思った人がいたようで、レナートはとんと押されたようにつんのめってヴァイスラの胸に飛び込んだ。
「どうしたの?どこか怪我でもしてるの?」
「ボクの事心配してくれるの?」
半信半疑の眼差しで見つめてくるレナートをヴァイスラは抱きしめたが、抱き返してくる力は弱い。
「当たり前でしょう。私の可愛いレナート。御免なさい。もう二度と忘れたりしないから」
「もう・・・本当に平気なの?」
「ええ、姉さんのおかげでね。今もいる?」
「うん。じゃあどうやら完全にボクに移っちゃったみたいだね。戻って欲しい?」
「いいえ、私はもう平気。姉さん、レナートの事をお願いね」
姿は見えていなくても彼女が頷いたのが二人には分かった。
レナートは生まれて初めて母に抱かれ、名前を呼んでもらった喜びを噛みしめて最初はじんわりと、のちに堪えきれずに大粒の涙を流し始めた。
◇◆◇
「何なの?どうなってるの?」
邪魔しちゃ悪いと思ったのかスリクがドムンに小声で尋ねてきた。
「よくわかんないけど、レンが女になったことに関係あるんだろう」
「さっき一瞬凄い大人っぽくなかった?」
「ああ、なんだろな。後で聞いてみよう」
彼らの所に傷口を縛って応急処置をしたオルスもやってきた。
人が集まってくると照れくさくなったのか、レナートはヴァイスラから身を離した。
「あ、そういえばドムンもファノの事ありがとう。温まるまで抱かれてあげる約束だったよね。じゃ、どうぞ」
おいでーとレナートは両手を広げた。
「どういうことかしら?」
ヴァイスラの目がぎらっとしてドムンに向いた。
「お、おい馬鹿。そんなの後でいいよ」
「あと?じゃあ今晩?この前みたいに一晩抱かれてあげればいいのかな?」
つい先ほどまでは幼子のように泣きじゃくって母に甘えていたレナートだったが、融合を解いた後も完全に元には戻れず少し大人びた部分が残っていた。ペレスヴェータも一緒になって意味深にくすっと悪戯っぽく笑うレナートに骨抜きになってしまうドムンとスリクだが、両親は激怒していた。
「どういうことだレン。何をされた」
「ぼうや、もううちの子に手をつけたの?しかもファノを助ける代わりに体を要求?」
スリクはそっと距離を取り、ドムンは必死に弁解したが大人になった状態のレナートに下心混じりで約束したので少々苦しい言い訳だった。
「ボクね、この前ドムンに押し倒されたの。一晩中天井を見てるしか無くて凄く怖かった」
レナートはもう一度母の胸に飛び込んでわざとらしく悲しみ、怯えてみせた。
その後のヴァイスラの怒りたるや再び氷の女神の神域が出現したように、その場にいる人間全ての者の魂が凍り付いた。
怒るヴァイスラにレナートが冗談だよ、というのが遅れればドムン以外のものまでとばっちりを受ける所だった。




