第14話 パヴェータ族のヴァイスラ
ウカミ村の人々の多くは村の集会場に逃げ込んでいた。
ヴァイスラもヴォーリャに守られてそこにいたが、逃げ遅れた人々の悲鳴が聞こえ呆然としていた。
「ヴァイスラさん!どうしたんだ?しっかりしてくれよ」
ヴォーリャが話しかける声も耳に入らない。
ファノはどこ?どうしてここにいないの?と叫ぶも誰も教えてはくれなかった。
狼狽えるヴァイスラが気がかりだったヴォーリャだが、奮戦している夫達の援護もしなければならない。
村人が逃げ込んだ集会所の門の防衛戦は押されつつある。
ヴァイスラは普段、故郷から持ち込んだ様々な薬草を栽培し、薬を煎じて人々の治療をしている時は昔のままで凛としているのだが、今は我が子を見失っておろおろするただの村人だった。
ヴォーリャはヴァイスラにも戦って貰おうとするのを諦めて夫の援護に向かった。
◇◆◇
ヴァイスラは心ここにあらずといった体であった。
現象界からの声かけに意味はなく、彼女に話しかけるには第二世界、夢幻界から話しかける必要があった。それが出来るのはただ一人、彼女の姉、ペレスヴェータのみ。
ここでようやくレナートから離れたペレスヴェータが彼女の心を現実の世界に引き戻し始めた。
”ヴァイスラ、もう目覚めの時よ”
(姉さん?姉さん?何処にいるの?死んだ筈では?)
”そうともいえるし、そうでないともいえる。でも今はそんなことはどうでもいい。いい加減目を覚ましなさい。また娘を失うことになる”
(ファノが何処にいるのか知っているの?)
”ファノだけじゃない。レナートも”
(誰ですって?)
”あなたのもう一人の子供、あなたが忘れてしまった哀れな子。どれだけ突き放されてもずっと貴女に抱きしめて貰う事だけを夢見ていた”
(私に残った子供はファノだけよ)
”違う。このことでは私も謝らないといけないけれど、いい加減にしなさい。家族を全て失うことになるわよ”
ヴァイスラは夢の中で姉に平手打ちをされた気がした。
(なにを・・・)
”『残った子供』といったわね。貴方は子供達を失ったことを覚えている。私が忘れさせた筈なのに。もう記憶は回復しているのよ”
ヴァイスラも意識せずに出た言葉だった。
”あなたの心を助ける為にレナートを犠牲にした。でも十年も面倒を見てきて私の情もあの子に移ったわ”
(十年?犠牲?)
”話をしている暇はない。どうせこのままではあなたはここで死ぬ。あなたが再び死を迎えようと私はあの子を見捨てる事はできない、私は行く。・・・さようならヴァイスラ”
ペレスヴェータはヴァイスラにかけた記憶の封印を解いた。
レナートに乗り移ってから妹の事は他の精霊に任せていたのだが、どこかへ消えてしまっていた。古い友人の真似をしてみたのだが、うまくはいかなかったようだ。
(待って、姉さん!行かないで!)
ヴァイスラがいくら話しかけてもペレスヴェータは振り返らず、分霊を統合してレナートの元へ戻っていった。
◇◆◇
「姉さん!!」
ヴォーリャは久しぶりにヴァイスラの声を聴いた。
今、思えば日常会話は過去十年、普通にしていたもののその声に心が籠っていなかった気がする。
叫び声にヴォーリャは振り返り、怪訝に声をかけた。
「ヴァイスラさん、どうかしたのか?こんな時に。『姉さん』って、もういないだろ。あの人は」
「あ、ああ。そうなのね。・・・ファノは?」
「ファノはレンやオルスさん達が探しに行ってるはずだ」
「レン・・・?」
「レナートだよ。どうしたんだ?いつもいつもあの子だけ仲間外れにして。レンが何したっていうんだ!」
ヴォーリャにとっては古い友人で、族長の娘で、恩を返さなくてはならない対象だったが、怒鳴り声をあげた。こんな時にまでいい加減にしろ、と。
「ああ、本当に、本当に、本当なのね。もうあれから十年以上経ってしまっていたのね」
ヴァイスラは双子を産み、その片割れを失った。
レナートと名付けた息子の方にはお乳をやることもなく、死んだ娘をいつまでも抱いて泣いたまま暮らしていた。その前にも二人も子を失い自分は欠陥品だという思いに苛まれていた。死んだ子供を思って泣いて暮らし、ある日子供達の所に行こうとしてから記憶が無かった。
それからずっと夢を見ているようだった。
死んだ子供達と共にレナートの事も忘れていたつもりだった。
しかし、全て覚えている。
姉が思い出させてくれた。何故、彼女がここにいて呼びかけて来たのか、それはわからないがレナートには酷い事をしてしまった。
取り返しのつかない心の傷を負わせてしまった。
ある時は泣きじゃくる息子を夜中に畑の中へ置き去りにした。
ヴァイスラはうちの子じゃない、何故、よその子が家にいるのか、とレナートを畑に捨ててきた。自分が悪い事をしたのじゃないかと思って泣いて謝るレナートを突き放し、追ってくる子供をひっぱたき、蹴り飛ばして追うのを断念させてしまった。
どう詫びてもあの子には詫びようがない。
それでも自分の罪に向き合わなければならない。
何から始めればいいのか。
心に焦りがあった。
姉は何といっていたか。
残った家族をすべて失う?
オルスもファノも、そして十年以上育児放棄し虐待してきたレナートのことも、全て?
レナートはいつの間にか娘のように振舞って気に入られようとしていた。
しかし、夢現《ゆめうつつ≫の自分はそれを憎んでいた。
自分の殻に閉じこもって取り返しのつかない酷い事をしてしまった。
「ヴォーリャ、私の籠手は?」
「え、ああ。ここに」
ヴァイスラは渡された籠手をつけて歩き出した。
彼女の異様な雰囲気に押されて村人達は道を開ける。
「ヴォーリャ、水を」
ヴァイスラは村の雨水を溜めておく貯水槽を指した。
「ああ」
ヴォーリャは魔術でそこから水を天高く放出し村全体に撒き散らした。
その魔術で拡散された水を通して村に侵入した敵兵の位置、数を把握する。
”凍れ”
村全体に降り注ぐ水をヴァイスラは凍らせた。
門を巡る攻防戦で集まっていた敵兵も水で濡れた部分から凍結し、動けなくなる。
彼らは領主の兵と傭兵だった。魔術の事は何も知らないただの一般兵だ。
近づいてくるヴァイスラを恐怖の目で見つめた。
「邪魔よ」
ヴァイスラは門の傍に立っていた敵兵の膝を蹴り砕いた。
凍れる大地に生きていた彼女の靴底にはスパイクがあり、凍っていた敵兵の膝は一蹴りで粉砕され飛び散った。
それを見て恐怖のあまり逃げようとした敵兵達はもがいた勢いで凍った部分が勝手に折れていく。恐慌状態に陥った敵兵をやかましい、とヴァイスラは魔獣の骨から作った籠手で殴って粉砕する。そこら中に氷の破片が散らばり、ヴォーリャが後ろからついていった。
「テネスさん。お久しぶり。夫はどこ?」
「あ、ああ、南の方に行ったはずだが」
「娘達は?」
「まだだ、わからない」
「そう・・・あの人ったら何をぐずぐずしているのかしら。申し訳ないけれどテネスさんとヴォーリャもここをお願い。この地形ではテネスさんも戦いづらいでしょうし」
周囲の地面を片っ端から凍らせてしまったので乗馬したままのテネスは動きが取れなくなっていた。
「ヴァイスラさんは?」
「私は一人で十分」
怒れる母の鉄拳が唸る




