第12話 寒村の少年
レナートは妹より世間の状況を少しは心得ていた。
しばらく前に蛮族に国境線が破られたらしいこと。
それ自体はたまにある事だったが、今回は皇帝が死んだばかりで後釜を巡って領主様たちが争いあっているのが不味いと大人達が噂していた。
自分たちのいる地方にまでやってくるには高山を越え、荒地を踏破してくる必要があるのでここまでは来ないで適当な都市を荒らして帰っていくんじゃないかという楽観論もある。
ファノがジーンを追いかけて村の外に出てしまったのを見かけた者がいるらしく、レナートとドムンとスリクは探しに出ていた。彼らは狩りの最中に失敗して手負いの獣に逆襲された村人がいるとしかこの時点では聞いておらず、村の外に出るのをそれほど危険だとは考えていなかったが一応武器は持っていた。
しかし刃物は短剣だけ。まだ子供らには本格的な武器は許されていない。
それでも弓と矢があれば十分だと考えていた。
「レン、鐘が鳴ってるぞ」「村に帰らなきゃ」
ドムンやスリクは生まれて初めての緊急事態に不安な面持ちを隠せなかった。
「関係ない」
ファノが見つかるまで帰るわけにはいかない。
ドムン達の止める声にレナートは振り返りもせず歩き続け、声を張り上げた。
「ファノ!ファノ!!」
「これ以上は不味いって。嫌な予感がする」
段々と鐘の音も遠ざかってきた。ファノがここまで遠くに一人で来るだろうか、とスリクは疑問に思い声を落とし周囲をきょろきょろと見まわした。
「臆病者!」
「いや、待て。スリクの言う通りだ。ヘンな匂いが・・・あっ」
ドムンが村の方を振り返ると煙が上がっていた。
炊事の煙ではない、火事だ。それも大規模な。
「やっぱり不味いよ。何があったのか分からないけど帰らなきゃ。ファノとも入れ違いかも」
「じゃ、スリク達だけ帰って。ボクはまだ探す」
スリクとドムンは顔を見合わせた。
「俺がレンに付き合う。お前は帰れ」
「わかった」
スリクが足早に立ち去るのを見て、レナートはドムンにも家に帰るよう言った。
「ドムンも帰っていいよ。ボクは一人でいいから」
「俺はいいんだよ」
「どうしてさ」
「スリクには家族がいるけど、俺にはいないし。それに俺が小さい子らの面倒任せられてたんだからほっとくわけにはいかない」
ドムンはもう14歳、都市部だとまだ学校に通っている者も多い年齢だが辺境の村では家業の手伝いをしている頃だった。14,5歳で見合いをして結婚するのが普通だが、彼の家の特殊事情でお相手が決まっていない。
大人達が慌ただしくしている昨今では子供達を一ヵ所に集めて面倒見るよう言われていたので、ファノを見失った事に責任を感じている。
「家に帰るっていったのにどこかにいっちゃったファノが悪いんだからドムンは気にしなくていいよ」
「ファノの事がなくてもお前は俺があの女に会うのに付き合ってくれたからな。ヴァイスラさんがお前に向き合える日が来るまでお前を死なせるわけにはいかない」
そういってドムンはレナートより前に出て歩き始めた。
レナートより四つ上の男はすっかり大人びて、その背中は大きくがっしりと頼りがいがあるものに成長していた。
「ドムン兄ちゃん・・・。あ、やだ」
「ん?どうかしたか?」
ドムンが振り返るとレナートの顔が真っ赤になっていた。
「ああ、何でも無い。何でも無い」
「は?」
「いや、いいから。気にしないで前見てて」
(ヴェータ、ヴェータ!)
もともとペレスヴェータは妹の為に故郷を離れてついてきているので、常にレナートの傍にいるわけでもない。しかし呼ばれてすぐにやってきた。
”なに?”
(ファノを探して)
”すぐそこよ。何かおおきなモノの傍にいる”
精霊には現象界の距離感が通じないので実際にはもう少し歩く必要があったが、確かにファノはそこにいた。
妹は既に食われていた。
魔獣の腹と思わしき所に裂け目があり、妹の足だけがはみ出ている。
「助けておにーちゃん。おにーちゃん・・・」
魔獣から妹の声が聞こえる。
飛び出している足はぴーんと伸びて、魔獣の体の周囲には血だまりがあった。
「レン・・・」
あの獣も怪我しているみたいだぞ、とドムンが小さく声をかけた。
「静かに」
”慎重に近づきなさい”
魔獣の体は大きく上下している。その度に血だまりが広がっていくが、ファノの体もより奥へと引きずりこまれてしまう。急がねばならない。
レナートは近づいて途中で拾った木の枝で妹の足をつんつんと突いてみた。
すると反応があって妹の足は再びぴーんと伸びた。
どうやら生きているようだが、近づきすぎると妹のように引きずり込まれてしまうだろう。
そこらの木のつるで足を引っかけて引きずりだすべきか、魔獣の頭を叩き潰してとどめを刺すべきか、大人を呼ぶべきか、レナートは迷った。
レナートは迷ってるうちにふと思った。
あれ、どうやって妹は自分が近づいて来たことを察知したのだろうと。
魔獣には突然変異した特異な個体とある程度似通った個性を持つ『種族』と呼んでも差支えのないものがある。
村の長老が話してくれた昔の物語で騎士と魔獣の戦いがあった。
その中に助けを求めるフリをして獲物を呼び寄せる魔獣がいる。
「ファノ!生きているならもうちょっと我慢してろ!!」
レナートの声に応えてファノの足首が二度三度ぱたぱたと上下するが、声は聞こえなかった。レナートは担げる限り大きな石を肩に担ぎ、思い切りそれを魔獣の頭に叩きつけようとした時、魔獣は起き上がり足首だけ出ていたファノを完全にその腹に収めた。
「くそ。やっぱりまだ動けるじゃないか」
レナートは石を魔獣に投げつけて、それが頭に当たって割れたのを確認したがその一撃では魔獣は倒れなかった。この獣が弱っているのは確かなようで、レナートのような子供でも警戒されている。
その瞳は狩人に射貫かれて両目ともに潰れていた。
しかし、レナートは自分が獣に見つめられているような気がした。
レナートの僅かな動きに対応して殺気の焦点も彼に向く。
レナートは拾った枝を構え、果敢に何度か打ちかかったが、大した打撃にはならずそれで魔獣に警戒するような相手ではないと悟られてしまう。
ドムンも矢を放ったがあまり効果がない。
「ファノに当たっちゃうだろ!」
「他にどうしろってんだよ!」
彼らの持つ短剣ではリーチが足りない。
よそ見をした瞬間に尻尾の一撃で吹っ飛ばされたレナートは宙を飛んで大きな木に叩きつけられた。ペレスヴェータが魔術で守ったので怪我は酷くないが衝撃でしばらくレナートは動けなかった。
腹の中の妹が重いのか、魔獣はのっそりと動いてレナートに近づいて行った。
意識朦朧としながられレナートは「ああ、やっぱり大人を呼ぶべきだったんだろうな」という後悔があった。ぼんやりとした視界にドムンが立ちふさがり短剣を抜いて魔獣に切りかかるのが見える。
「ドムン兄ちゃん、逃げて」
「ばかやろう、弟分を置いて逃げられるか!」
しかし触手がドムンに群がり、必死に切り裂くも捕えられてしまった。
(ヴェータ、助けて)
普段の訓練ではペレスヴェータに頼ったことは無いが、もうなりふり構ってはいられない。
”役立たずの精霊達からヴァイスラの記憶の封印に割いた力を取り戻さないと、でも・・・そうね。もう少し耐えられる?”
ペレスヴェータは可能な限りレナートの体を癒し、気力を注ぎ込んだ。
「やってみる」
レナートはどうにか起き上がり、自分も短剣を抜いてドムンを捕えた触手を切り解放した。
「助かった」
「こちらこそ」
(行って、ヴェータ)
”最悪の時はファノを見捨てなさい。・・・といっても無理よね”
(うん)
精霊は現象界を移動するのにたいして時間はかからない。すぐに戻る筈だ。
レナートとドムンはしばらく防戦に努めた。




