第10話 寒村の娘
環状山脈に囲まれた高原地帯は主要交易ルートから外れていき、文明の発展から取り残されていたが政争に巻き込まれる事もなく長い間人々は平和に暮らしていた。
だが、平穏は突如として終わりを告げる。
正確にいえば前兆はあったが、幼い子供にはそれを推し量る事は出来なかった。
子供たちはある日、村の外で遊ぶのを禁じられた。
暗くなるとすぐに明かりを消して寝るように言われた。
そして少しずつ食事が貧しくなっていった。
服に穴が空き、恥ずかしいから新しいのが欲しいといっても、新品の服は無く母が繕ってくれた。いつの頃からか行商人も来なくなっていた。鍋の底に穴が開けば修理する事になり、既に廃業していた鍛冶屋の年寄が再び金槌を振るった。
子供達は一ヵ所に集まって遊ぶように言われ、年長者が年少者の面倒を見るよう言いつけられた。いう事を聞かない跳ねっかえりはいたが、一人で外で遊んでいるところを見つかって村の非常食量倉庫に吊るされて反省するまで出して貰えなかった。人が変わったように出てきたその子を見て、子供達は震えあがり、言いつけを守った。
大きな子供はなにかしら説明を受けていたがようだが、小さなファノには何も教えて貰えず、言われるがままにするしかなかった。
幼児にとって父は熊のように強く、母のいいつけは天の声にも勝って聞こえた。
親は神のように正しく、賢く、間違うことはない、そう信じていた。
◇◆◇
その日、子供達は各自家で勉強に励んだ後、昼食を取りそれからいつものように村の広場に集まった。兄は友人達と稽古に励んでいるのでファノは一人で子犬のジーンと遊ぶことにした。ひとしきり遊んだ後、一度家に帰ろうとしたので兄が声をかけてきたが、一人で帰れるといって帰路についた。
そして大怪我をした村人が二人運び込まれてきた所に遭遇した。怪我をしていた一人は親戚の良く知った人物だった。
「おじさん?ザルリクおじさん、どうしたの?」
「ファノ?下がってなさい!!」
村人たちは担架を作って外れにある薬草師の家に怪我をした村人を運び込んだ。
その担架からは夥しい血が垂れていた。
ぽたり、ぽたりと滴る血の雫の後についていこうとしたが叱られたので、ファノとジーンは引き返し、逆に血の跡をたどっていった。
◇◆◇
ジーンはファノがよっつの誕生日の時に貰われてきた子犬でまだまだ好奇心旺盛だった。
普段はファノと一緒なのだが、匂いをたどるのに夢中になりファノを置いて途中で駆け出して行ってしまった。
「ジーン!ジーン!!どこなの?置いてかないでよ。もう帰るよ!みんなに怒られちゃうんだから!!ごはん抜きなんだからね!」
ファノが大声を出してもジーンの返答は無く、木枯らしが木々の間を吹き抜ける音が聞こえるのみ。心細くなって周囲を見渡したファノはいつの間にか村が遠くなっていることに気が付いた。村の周囲は山々に囲まれて、古代は巡礼者が踏み慣らした道も今では獣道になっている。
「ねえ、ジーン。ジーン?」
ファノは心細くなって早く家に帰りたくなったものの、自分より小さな子犬を置いていくわけにはいかないという年長者の責任感に駆られて歩みを進めた。
茂みの向こうからきゅーんきゅーん、という子犬の助けを求める声が聞こえ、あたりをつけて茂みをかき分けて近づいて行った。
しかし、かき分けた茂みの先にいたのは子犬ではなかった。
毛むくじゃらの大きな『何か』だった。
何処か怪我をしているのか横に倒れていて、大きくお腹が上下していた。
四足獣のようだったが、大きな頭の横に穴の開いた瘤がありそこから子犬のような鳴き声が漏れていた。
「なに・・・なんなの?これ」
大きな獣の真っ黒なお腹の中にジーンはいた。
腹が大きく上下する度にジーンはお腹の奥へ奥へと引き込まれていく。
妙な触手に首が絞められていてジーンは声を発することが出来なかった。
しかしまだ息はあり、ファノに助けを求めるような視線を向けた。
「ジーン!!」
ファノは咄嗟に駆け寄ってジーンの体を絞めている触手を掴んで離そうとしたが、その時を待っていたかのようにお腹がぱっくり開き、ジーンは一気に奥に引き込まれファノも触手に囚われて引きずり込まれてしまった。
(え・・・)
気が付けばファノの視界は真っ暗で、獣の生暖かい体の中におり、咄嗟に伸ばした足首だけが腹の外に出ている状態だった。
ああ、これは罠だったんだ。
腸のような触手に体を縛られて必死にもがきながらファノは状況を理解した。
あの瘤も、いつでも呑み込めたのに露出させていたジーンも、より大きな獲物を誘う為の罠だったんだ。
でも何故こんな大きな獣が自分たちみたいな小さな獲物にこんな罠を?




