第3話 温泉地帯
荒野にはいくつか間欠泉が吹き出す所があり、ドムンとレナートは間欠泉や蒸気が噴出する地獄谷を避けてマルーン公の都へと進んだ。
「ドムンのお母さんってどんな人?」
「バントシェンナ男爵とやらの妹らしい」
マルーン公の封臣のうちの一人。さほど有力な貴族ではない。
「敵と味方の関係だったのに駆け落ちしてきたんだっけ」
「親父が死んだらさっさと俺を置いて去っていった。薄情な奴さ」
母は一時の熱情が冷めて、ドムンが邪魔になったと解釈している。
貴族社会に戻るのに平民の連れ子がいては困る。だから彼は捨てられたと思っていた。
「そうかもしれないけどそうじゃないかもしれない。彼らの社会でドムンが育ってたらきっと苦労したと思うよ」
出戻り娘が平民との間に出来た子供を連れてきたとして貴族社会で受け入れられるかどうか、想像するだに辛い人生が待ち受けているとしか思えない。それよりはウカミ村で育った方がマシだとレナートは言った。
「じゃあ、おふくろを許せってのか」
「許すも許さないもないよ。ドムンは強い男なんだったら、一人じゃ生きていけない女の人にきつく当たる必要ないじゃない」
「俺の事なんか忘れちまってるような女だったりしてもか」
「そうだったらドムンも忘れちゃえばいいさ」
◇◆◇
地獄谷を通過してしばらく行ったところに温泉があった。
そこなら間欠泉が吹き出す事もなく、川も近いので温度を調整して適当な温泉を用意できる。アリアケス塩湖の近くなので時折人が使っていたが、その日は誰もいなかった。
「ボクはちょっと温泉入ってくるからドムンは熊とか出てこないか見張ってて」
「この辺にはいないんじゃないか?」
「最近は騎士が出払ってるから魔獣とか猛獣にも気を付けないといけないし」
「まあ、いいけど」
温泉の傍にテントを立ててからドムンは周辺の見回りに出た。
村の狩人達ほど熟練してはいなかったが、もともとは遊牧民の村の子だ。
それなりに動物達の痕跡を探す事には慣れている。
日が暮れる前に安全を確保できて一息ついたところ、他の遊牧民の男達がやってきた。
彼らが周辺の偵察を代わってくれるというのでドムンも服を脱いで温泉に入った。
◇◆◇
「ひゃっ」
「なんだよ。女みたいな悲鳴あげて」
湯気の中から現れたドムンを見て驚くレナートに首を傾げるドムンだった。
さっと体を流してから、湯に入ったドムンはまじまじとレナートを見つめた。
「え?レナート?」
「な、なに?どうかした?」
レナートはしらばっくれたが、ドムンはレナートの胸元に目をやっている。
あまり深い温泉ではないのでどうしても目立つ。
しばらく思考停止してから沈黙に耐え切れず、ドムンは口に出した。
「むねがある」
「胸くらい誰だってあるでしょ」
「俺のはそんなに小鞠みたいにふくらんでない」
「そりゃードムンは男の子だからね」
「おまえはちがう?」
「ボクは女の子だよ?何言ってるの?失礼だから出ていってよね」
んー?とドムンは腕組みをして少し夜空を見上げた。
「いや、お前。昔いっしょに水場に飛び込んで怒られたり、連れションしたりしたろ!お前誰だよ!お前がレナートの筈ないだろ!」
ドムンが怒鳴り声を上げた。
「しょうがないでしょ。こういう体になっちゃったんだから。ボクはずっとボクだよ。これまでだってずっと一緒だったでしょ。誰が意気地なしのドムンをこの旅に連れ出したと思ってるの?見知らぬ女?それとも幼馴染?」
「だ、誰が意気地なしだ!」
「子供の頃からずっとあんな村出てってやるとか言ってたのに結局一人じゃ何処にも行けないくせに。ボクが連れ出さなきゃ他の村にも都会にだって行けなかったでしょ」
彼らが口論してるとなんだなんだぁ?と他の温泉客もやってきた。
温泉はある程度自分で掘って確保する必要があり、きちんとした大きな湯舟があるわけでもなく、彼らは近くを通りがかっただけだがレナートが恥ずかしがって身を隠そうとするのを見てドムンが間に入った。
「おっとお嬢ちゃんがいたのか、こりゃ失礼」
「夫婦にしちゃ若いな。兄妹か?」
男たちは一応紳士的に目を逸らして、近くの適当な穴を広げて温泉に浸かり始めた。
「幼馴染ですよ。ちょっと街まで」
背中を向けているレナートに代わってドムンが答えた。
自分で口に出して気づいたが、やはりレナートはレナートで、自分の幼馴染、弟分であることは間違いない。
「ドムン・・・」
レナートは少し振り返ってドムンの背中を見上げた。
四つ年上ということもあり、随分大きく頼もしくなっている。
「お前らどこの村のもんだ?」
「ウカミ村ですけど」
話を聞くと彼らもやはり同じ元遊牧民で、貴族達が争っている状況を利用して再び独立闘争を起こそうとしていた。
「オヤジさん達によろしくな」
そう言って男たちは去り、近くに建てたテントの周りで酒盛りを始めた。
◇◆◇
「ありがと」
間に入って視線を塞いでくれていたドムンにレナートはいちおう礼を言った。
「おう、それよりその体はいったいどういうことなんだ?」
「どうって言われても神様に祈ったらこんな感じになっちゃったんだよ」
レナートは昔グランディ達に語ったのと同じことをドムンにも伝えた。
「確かにお前のおふくろさんは昔お前の事いないように振舞ってた感じだけど、もともとは男だろ」
家にお呼ばれされた時も何故か息子のレナートの料理だけ出てこない事があった。
レナートは自分で準備して食卓についていたがドムンとスリクはその微妙な空気に面食らっていたものだった。
「元って何。ボクには元がなんだかよくわからない」
物心ついてから女性であった時期の方が長くなってしまっている。
「一応、月に二、三日は男になっている時があるけど」
「そか、家族はもう知ってるんだよな」
「妹以外はね」
出来るだけ隠そうとはしてみたが、さすがにオルスに気づかれないのは無理だった。
「にしても結構あるな?俺達にもよく隠せたな。それ・・・」
「みるなっての」
レナートはお湯をドムンの顔に叩きつけた。
「普段はずっと硬い革鎧着てたからね」
戦士の子として修行を受けていたレナートが革鎧を付けていても村人は皆気にしなかった。
「で、どうする。ドムンは皆にこの体の事言い触らす?」
「バカいえ、俺がそんな事して何の得になるってんだ」
「じゃ、これまで通り?」
「ああ、勿論だ」
ドムンはそう請け合ってから先に上がった。
その後ろでごちゃごちゃと独り言が聞こえてきたが、振り返らず先にテントに戻った。
◇◆◇
「まったくもう。ヴェータがお風呂に入りたいとかいいだすから!」
”貴方も反対しなかったじゃない”
「ヴェータは平気かもしれないけど、ボクには体があるんだから他人に変な目で見られるのはイヤなの」
”この状態も常に素っ裸みたいなものよ。私の場合は生まれつきね”
ペレスヴェータはレナートの体に憑依してその体を操った時に生まれて初めて肉眼の視覚を得た。服を着ていても彼女にとっては意味がなかった。
「ごめん・・・」
”それにしてもお年頃ねぇ”
「何が?」
”ドムン君の事意識しちゃってるってことでしょ?”
「はぁ!?ボクが?」
心外だとレナートは声を荒げたが、ペレスヴェータは無視してからかい続ける。
”いい男は早めに唾つけておいた方がいいわよ。特にあの子は村を出ていっちゃうかもしれないし”
「ボクは男色趣味とかないから!女の子好きだから」
”もったいない。両方好きになればいいじゃない。せっかく便利な体持ってるんだし”
「便利って・・・そんな風には思えないよ」
”今を楽しみなさいよ。前にヴォーリャも言っていたけれど周囲が不気味に思うのは仕方ないわ。でも貴方は自分で選んだ事なのだから、現状を受け入れるしかないのよ”
ペレスヴェータのいう通り、他人に責任転嫁できる問題でもなく、村を出てきた以上人目を気にする必要もなくなった。
”心の目で人を愛しなさいな”
「男女問わず五百人も愛人がいた人はいう事が違うね。でも心で人を愛するなら愛人なんか作らなくても良かったんじゃない?」
”私も肉体的な接触なんて馬鹿にしてたんだけど、やってみると悪くないものよ。幸せな日々だったわ”
何度も強姦未遂にあってきたのでペレスヴェータは性的な接触というものを軽蔑していたのだが、精神的に愛し、愛された人に求められるまま応えてみたらこれまでにない充実感を得られた。
「ボクには性欲なんてないよ」
”嘘でしょ?お年頃なのに。まだ早いのかしら?”
「自分が男なのか女なのかも分からないのに、そんな事に興味湧かないって」
”そう思いたいだけでしょ。試しに愛し合ってみればいいのに”
「誰とさ。ボクがよくても相手はボクの事不気味に思ってその気になんかならないよ。そんな気になるのは性欲しかない奴でしょ。昔、ペレスヴェータを襲った人みたいに。そんな人と愛し合えるわけないじゃない」
”そうかもしれないけど、他人に怯えてる内は永遠に理解者なんか現れないわよ”
◇◆◇
テントに戻ってきたレナートにドムンが赤らめた顔を背けた。
狭いテントに敷き布と毛皮がひとつしかない。
「いちいち意識しないでよ。今までだってずっと隣で寝てたのに」
「そりゃまあそうなんだが、お前昔から女顔だとは思っていたけどあくまでも男だって思ってたからなあ」
「もし襲ってきたら、凍らせて、へし折って、もぎ取って、豚の餌にするから」
「何をだよ!」
「いま、想像したもの」
「お、幼馴染を許可なく襲ったりするわけないだろ」
「許可あったら襲ってくるの?」
「いや、言葉のあやだって」
そう返答してきたドムンにレナートの視線が冷たくなる。
「帰りは別にテント買って帰るから」
翌日以降レナートは無理に男らしく振舞うのを止めてぼさぼさ頭の髪も梳かすようになった。ペレスヴェータが同居していることもあり、皇都時代に仕込まれた振る舞いもあってますます女性らしくなりドムンを困惑させることになった。




