第2話 オルスとスリク
ドムンとレナートがオルスに武術を習っている関係で幼馴染グループとしてスリクも一応習っていた。二人が旅立ってしまうとその時間は空いたわけだが、習慣でいつも通りスリクはオルスの所にやってきた。
「こんちわ」
「お、よく来たな。じゃあやるか」
『よく来たな』といわれてようやくスリクは気が付いた。
「あーそうか、今日は一人なんだっけ・・・」
「なんだ、うっかりきちまっただけか。ならやめとくか?」
「いえ、体を動かすのは気持ちいいからお願いします。・・・でも二人がいないうちにコツとか必殺技とか教えて貰えません?」
将来は戦士として身を立てたいと思っているドムンやうんと小さい頃から習っているレナートに比べてスリクの上達具合はいまいちである。そもそもそんなにやる気が無いし、こうしてズルをしようとしてしまう性格も影響している。
「コツ?『強さ』ってのは一朝一夕に身に着くものじゃない。日々の鍛錬がお前を強くするんだ」
「オルスさんもそういう風に習ったんですか?」
ありきたりな言葉ではスリクは納得せず言葉の裏を読んだ。
「・・・ああ、そうだ。親父にな。俺も若い頃はさんざん反発していたもんだが、結局何十年も修行してきたっていう自信が俺をさらに強くした」
理解出来るようになる頃には伸び盛りの時期を過ぎている。
無駄と思っても指導者は皆、そういわざるを得ない。教え子の中のごく一部の愚直な者だけが大成するのだ。
「こころの持ちようってことですか」
スリクの反問にいいや、とオルスは首を振った。
「体も心も両方大事だ。体を鍛える事で心も強くなるし、強い心があれば鍛錬に耐える事も出来る。技術は・・・まぁそのうち身に着くだろ」
「僕としてはちょちょいと学んだら身に着く技術とか教わりたいなあ」
技術に関してはオルスもあまりたいしたことはいえない。
鍛錬で得られた技術以上にどうやっても敵わない天才というものはいた。
「しょうの無い奴だな。んじゃ、俺が学んだ本でも持ってきてやろう」
人には向き不向きがあるし、別のアプローチを試みるのもいいかとオルスは武術書を渡してやった。
「うわ、随分古臭い本ですね」
「俺も知人に貰ったもんだ。もう飽きるほど読んだからお前にくれてやる」
「格闘技の本ですか、これ?」
スリクがさっそく開いてみると剣術書かと思ったら人体の解剖学的な図が載っていた。
「そんなようなもんだ。戦いじゃあなんだかんだいって最後は泥臭い取っ組み合いになることも多いし、どんな武器を扱うにせよ人体の構造がわかってりゃ動きも読みやすく、隙をついて急所を狙いやすくもなる」
「へー」
いくら体を鍛えてもドムンに勝てる気がしなかったスリクは興味を持ってパラパラと本を捲った。
「だが忘れるなよ、スリク。生き残った奴が強いんだ。強い奴が生き残るんじゃない」
「どういうことです?」
スリクには違いがわからなかった。
「訓練じゃ俺より強い騎士なんていくらでもいた。だが、ほとんど死んだ。何故だか分かるか?」
「さあ」
「甘ちゃんだからだよ。殺すのを躊躇うんだ。一瞬の躊躇いが生死を分ける。どれだけ強くなろうが、その強さを行使できなければ意味がない」
「躊躇うってなんでです?敵なんでしょ?」
「お前は初めて兎を殺した時どうだった?何の躊躇いもなく殺せたか?」
もともと遊牧民だった彼らは五歳の頃から『殺し』を体験させられる。
兎や鶏のような小動物から始まって羊、豚、犬、馬に至るまで年々大型化し、親しく知性の高い動物になっていく。
「いや、躊躇いもなくってのはちょっと・・・」
そもそも『敵』と『兎』は違うだろうとスリクは質問の意図を掴みかねた。
「だろう?ご領主様にとっては敵でも俺らみたいな一般市民に敵なんかいない。隣村の人間を殺せとご領主様に命じられたところで簡単に殺せやしない」
オルスは同胞の遊牧民達の独立運動に関わる気はない、しかし領主を支持するわけでもない。だが、再び独立運動が本格化すれば領主に徴兵されて同胞と戦う羽目になる。
そんな悩みを内心に抱えつつスリクに教え諭した。
「無害な獣でさえ殺せないのに憎くも無い人間を何の躊躇いも無く殺す事が出来る人間はそう多くない。訓練でどれだけ他人を打ち負かそうが関係ない。仮にお前とドムンが殺し合いになったところで勝つのはどっちか俺にはわからん」
腕力でも技術でもドムンがスリクを圧倒している。しかしオルスは勝敗は分からないという。
「どうしてです?」
「弓や鉄砲でなら人を殺すのは簡単だが、剣で人を殺すのは難しい。明確な殺意が必要だ。お前ら程度の腕の差じゃ技術や腕力なんぞより思い切りの良さで差が出るのさ」
多少剣を速く振れようが、一瞬でも躊躇えば意味がなくなる。当てても振り切れず致命傷を与えられない。切れ味の鈍い剣では猶更だった。
「そんなに差がつきます?」
「虫けらを踏み潰すのとは訳が違うからな」
「じゃ、人間を虫けらのように思える奴が強いとか?」
「そうだ。一部の貴族は平民をそう思ってるから強い。憎い敵は虫けら以下だと思っているから殺意の強い奴は強い。殺し合いになったら躊躇うな。だが、がむしゃらになればいいってもんじゃない。頭のどこかに冷静な部分は残しておけ。わかるか?」
「はい」
村の子供達が家畜の『殺し』を体験させられる時、殺せるものと殺せないものがいるが殺せる子供の中でもやり方に違いが出る。半ば狂乱化してがむしゃらに刺すもの、冷静に教えられた通り急所を刺すもの。狩人として訓練を受ける事が出来る子供をそうやって選抜していく。
「もし勝ち目のなさそうな敵と殺し合いになったら怯えた目でもしてみるといい」
「どうしてです?」
「獣のような奴だったら好機とみて飛びかかってくるだろう。善人なら哀れんで手を緩める。なんにせよ行動が読みやすくなる。なんの感情も動かさないような奴にはどうしようもない。逃げろ」
「強さってそんなものなんですか?武芸者ってなんなんです?」
「冷静に残酷になれる奴が強い。いつでも実力を発揮できるように機械的に心を乱さず訓練して大成した奴が武芸者って顔して商売してるんだ。安定した強さを保つにはやはり訓練あるのみ、だ」
「でも世の中で一番強いのは王様ですよね。そういう武芸者とか兵士をたくさん支配してるんだし」
「王様は自分の手を汚さないからな。何の感情もなく簡単に人の生死を支配出来る。だから強い」
◇◆◇
オルスが村の見回りを終えて戻ってきてもスリクはまだ熱心に本を読んでいた。
オルスはヴァイスラに薬草茶を入れて貰い、スリクに持ってきてやる。
「なあ、うちのおふくろは元気にしてるか?」
「ん、有難うございます。元気ですよ」
以前から母を妹の家、つまりスリクの母の家に時々預かってもらっていたが、オルスにはファノという娘が生まれた事もあり家を改装した際に母に完全に引っ越して貰っていた。
「そっちこそヴァイスラさんとレンはどうなってるんです?」
「あー、駄目だ。ますます酷くなっちまった。あいつは完全にファノにかかりきりになってレンを無視してる。一人じゃ可哀そうだと犬を飼ってみたが、犬も年中ファノにひっついちまってなあ」
女の子が生まれてヴァイスラに心の余裕が出来るかと思えばそうはならなかった。
完全にファノにかかりきりになってしまい、レナートは放置されている。
「レンは大丈夫なんですか?」
「・・・文句も言わずに家事を手伝ってくれてるよ」
複雑な家庭事情だし、自分の祖母でもあるのでオルスの母を迎え入れるのにスリクは何の不満も無かったが、レナートがあまりにも可哀そうじゃないかと思った。
「これからも仲良くしてやってくれ」
「もちろん」
「・・・ほどほどにな」
「?」
なんで妙な釘の刺し方をするのかスリクは首をひねった。




