第1話 終わりの始まり
人は悲劇を好む。
喜怒哀楽。人に備わった感情。
古代において人々は大地の恵みのもと、一年の半分はのんびりとした生活を送っていた。
牧歌的な暮らしである一方、村の周囲には猛獣が生息し、災害は頻繁であり、死の危険は身近であり、助け合わなくては生きていけなかった。
時は流れ、猛獣を駆逐し、河の流れを変え、森を切り開き、環境を作り変え、道を通し、橋を架け、大都市を作り、世界の流通網が発展し、人々は繁栄し、忙しない生活を送るようになると徐々に人の感情が動く機会は減った。
中でも哀しみ、憐れみは特に。
何故、劇作家は、観衆は悲劇を好むのか。
悲劇を好む事は資本主義、拝金主義の社会において忙しく無感動になった人々が自分達がまだ人間であると再確認する作業である。
神は人を憐れむ心のある動物として、助ける為に行動出来る動物として創りたもうた。
しかし、長い時を経て環境と共に人は変質した。
喜びの為であれば人はいくらでも動く事が出来る。
しかし憐れみで同じくらい情熱的に動くことは現代人には出来ない。
創作物である悲劇には憐れむ対象を援助するという工程は不要である。
人はまだ自分が人であると再確認し、感情が動かされるさまを楽しむ為に悲劇を好む。
───マグナウラ院教授エレンガッセン・プエルトナザレス───
元遊牧民達は定住開始からもう十年以上経ち、当初は免除されていた税も年々額が上がって厳しくなっていくことに不満を抱えていた。
選帝選挙で何やらもめて軍備強化の命令が出ているらしいが、彼らにとっては知ったことではない。もともと貢納の習慣が無かった彼らは点在している元遊牧民間で連携を取り始めた。領主は反乱の兆しとみていくつかの村で過激派を逮捕した。
ウカミ村ではまだ余裕があり、有力な戦士長オルスが反乱には断固反対していた為、過激派の活動は無かった。しかし村では民会を開く回数が増えた。
反乱の策謀に加わっていない為、ウカミ村の人々は辺境の中でも特に情報から取り残されていた。選帝選挙を発端とした戦争は激化しているらしいが、フォーンコルヌ皇国は領域全てを険しい山岳に囲まれている為、いまだ攻め込まれてもいない。
戦火が及んだ場合に備えるべきだという声があり、オルスは領主に反乱の兆しと受け取られかねないと消極的に反対し、毎日議論が盛んだった。
「もー、皆家畜の世話も、畑の管理も放り出して何やってるんだか」
レナートは果樹園で熟した実を収穫していた。
妹も付きっ切りで面倒を見ていなくてはならないほどではなくなったし、大人達の仕事を代わっている。
捥いでは背中の籠に放り込んでいっているレナートだったが、他に人影を見かけ立ち止まった。黒髪の見たことのない女の子で、捥いではむしゃむしゃとその場で食べている。
「ちょっと、君。何処の子?」
村の子供は全員知っている。
村唯一の宿屋兼食堂にもよそ者は来ていない。
「む?」
咎めるような声に振り返った女の子はリスのように膨らませた頬をしていた。
「『む』じゃなくて、勝手に食べないでよ」
プランの実は春から秋に熟すさまざまな品種があり、村人が飢えないよう様々な品種を植えていたので真冬以外は常に何処かで実がなっている。
余ったものは干して冬の食料とし、畑の収穫が少ない年では貴重な食料にもなる。
「あの子達だって勝手に食べてるじゃない」
その子が指した方角では鹿が首を伸ばしてやはり実を食べていた。
「鹿を追い払うのは村の狩人達の仕事だよ、ボクには関係ない」
「じゃ、わたしも鹿になろっと」
その子は小鹿に姿を変えて、地面に落ちたプランの実を咥えるとそれを持って駆け出してしまった。レナートはあっけにとられてそれを見送ってしまう。
「えええ?なにあれ」
”妖精?それとも精霊の一種かしら?面白いものみたわね”
よ、世の中広いなあ。と自分の事を棚に上げてレナートは村に帰り木柵を作る事を提案するのだった。
◇◆◇
時折近くの荒野を通りがかる人に尋ねると、どうも世間の状況はどうも深刻らしい。
何十万もの大軍が動員される大戦争が起きていて発端はフォーンコルヌ皇国なのだとか。
長老達は正確な情報を収集する必要があると判断し、大きな都市に人を派遣する事を決定した。レナートもマルーン公の娘と親しい事から話を聞いてくるようオルスに指示された。
「グランディ様なら何かしら教えてくれるだろうし、出来ればフィメロス伯に減税してくれるよう圧力をかけて貰いたいんだ」
フィメロス伯というのはウカミ村の領主である。
このままだとウカミ村も反乱に加わることになりかねず、場合によってはマルーン公とも戦う事になる。
「お姉ちゃんはもう嫁いじゃったんじゃないかな?」
「いや、どうもまだ実家にいるらしいぞ」
「じゃあ、ちょっと行ってくる」
五年振りに会いに行く口実が出来たと世間の深刻さをよそにレナートはうきうきしていた。
「一人じゃ危険だろうからドムンも連れていけ」
「えええ、ドムンも?」
「ドムンの母も貴族だ。再婚してマルーン公の家臣のところにいる」
「会いたければ自分で会いに行くでしょ」
「冷たい事を言うな。幼馴染だろ?」
「でもー」
「でもじゃない、貴族相手に会いに行くなんて勇気がいるんだよ。一人じゃ会いに行きずらかったんだろう。お前が連れて行ってやれ」
ドムンを引き取った親族は関わろうとしないので、貴族相手でも物怖じしないレナートが連れて行くのが最適だとオルスは考えていた。
「喧嘩でもしてるのか?」
「そうじゃないけど」
レナートもドムンもこの五年で大分腕が上がった。しかし年の差があり、体格に恵まれているドムンとは勝負にならない。
「もっとたくさん食べないと大きくなれないぞ」
「フン!」
◇◆◇
「だってさ!ついて来たければついてきてもいいよ」
黙って出ていくわけにもいかないのでいちおうレナートはドムンに声をかけた。
「なんだってんだよ。今さら母親なんか興味ねえし」
「・・・・・・それなら別にそれでもいいけど、これが最後の機会かもしれないよ」
「最後?」
「なんか最近の大人達の雰囲気違うでしょ。貴族の人達と戦争になるかもしれない。お母さんは敵になるのかもしれない。ドムンが僕らを捨てて出ていくのなら関係ないけどさ」
「捨てるって・・・」
「昔、いつか言ってたじゃない。村を出るって」
レナートは村を、親や友人を捨てる気はない。
領主が過酷な搾取を行うようなら父と共に戦うつもりだ。
「いつか出るとしてもお前たちを見捨てて出て行ったりしない。特に俺より弱っちいお前はな」
「む、ちょっと最近デカくなったからって調子に乗らないでよね」
「とにかく世の中そんなに危ないってんならついてってやるよ」
「逆でしょ、ドムンがお母さんの所に会いに行くならついでに連れて行ってあげるだけ」
こうしてレナートは五年振りにグランディに会いに行くことになった。




