第44話 望郷
オルスが剣闘士として活躍し、次の試合では雑兵としてではなくメインを張る事になりレナートは安心してグランディの侍女としての生活を楽しんでいた。
剣闘大会以外にも各地で陸上大会や演劇祭が開かれており、毎日飽きる事が無い。
喜劇や悲劇、時には卑猥とさえいえる演劇が披露されている。
基本的に主神、創造主のシンボルが男根であり、帝国の守護神が多産の神であるのでそういった営み、駆け引き、万物が生まれていく過程を象徴化した劇は人気である。
ある日、気が抜けたのか夜に母が恋しくなって泣いている所をグランディにみつかってしまいベッドに誘われて一緒に寝ながら彼女にあやされていた。
「どうしたのそんなに泣いて」
「お母さんに会いたいの」
「でもお母さんにはほとんど相手して貰えてないのでしょう?」
「ほとんどっていうか・・・一度も会話したことない」
親子の会話が皆無だったとまでは考えておらず、グランディは絶句した。
「名前を呼んで欲しいの、ボクの目をみてお話して欲しいの」
レナートの瞳にはいっぱいの涙が浮かんでいた。どうしたらいいのかわからずにグランディはレナートを抱きしめた。レナートもひしと抱き返し、嗚咽する。
「一度でいいからこうやって抱いて欲しい」
「まあ・・・かわいそうに」
他人の家庭の事なのであまり深く介入しきれなかったが、こうして寂しさを打ち明けられると哀れでなんとかしてやりたくなる。教育は家庭教師任せな所も多い貴族でも親に抱かれた経験くらいはある。しかし、この子にそんな経験は無かったのだ。
「もし帰りたいのならスタンに遅らせるけど、どうする?」
「お姉ちゃんが一緒の方がいい」
「そういうわけにはいかないわ。わかるでしょう?」
「・・・ごめんなさい。・・・お母さん大丈夫かなあ」
「心配よね」
初対面の頃はそれほど深く考えて無かったが、事情を知るとかなり不可解な状況だった。
「やっぱりレンちゃんだけでも一度帰った方がいいんじゃないかしら」
「・・・う。そうだけど、お父さんも一緒じゃないとやだ」
母に会いたがるわりには臆病なレナートだった。
「どうして?」
「ボクとお母さんだけだと無視されたら、どうしていいかわかんない」
「・・・そう、そうよね。ごめんね。一緒に行ってあげられなくて」
「ううん、我儘言って御免なさい」
レナートが泣きつかれて眠ってからグランディはペレスヴェータに声をかけた。
「います?聞いているんでしょう?出てきてください」
しばらくしてレナートの口を介してペレスヴェータが返事をしてきた。
「あら、また私とお話がしたくなったの?」
「茶化さないで下さい。レンちゃんのお母さんはそんなにきつく当たっていたのですか?」
いない者のように扱われてもレナートは母を気遣い恋しがっているのがグランディにはあまりにも哀れに思えた。
「ええ、3人目の子供を失った時、妹は呆然自失として食事も喉を通らなかった。レナートはまだ赤ちゃんだったけど完全に放っておかれてオルスが仕事で他の村に言っている間に死にかけていたわ」
「なんてこと・・・。あんまりだわ」
「この子は覚えていないから秘密にね」
「勿論。・・・それにしてもいろいろと腑に落ちてきました。何度も子供を失くして不安でしょうに身重の奥様を置いて子供を連れて出てきたオルスさんを不信に思っていましたがそういうわけがあったんですね」
ヴァイスラに任せておくとレナートは再び育児放棄されて死んでしまうかもしれない。
強い子なので自力でなんとかするかもしれないが、それでも心に大きな傷を負っただろう。
「でも今は良くなったんですよね?」
「ええ、子供を失った記憶を私が封印したから」
ヴァイスラが生きる意志を失くしてしまった為、ペレスヴェータは妹を助ける為に子供を失った記憶を封印した。村の人々はヴァイスラを哀れに思って死んだ子供達の事を口に出さなかったし、ヴァイスラの記憶が戻る事もなくある程度日常が戻りレナートとオルスと3人家族をどうにか営めた。
「私の封印も完全では無かったから、時折自分でも原因がわからず悲しんでいたりすることはあったけれどね。レナートがなんで家に住んでいるのか分からずに深夜に連れ出して畑に捨ててしまった事もあった」
「・・・酷すぎる。やはりレンちゃんを家に帰す訳にはいきませんね」
「そこまで理解してくれてるなら嫁に来てくれればいいのに」
「逆にレンちゃんをうちの侍女として欲しいくらいですよ。それよりこの子を男の子に戻す気はないんですか?」
魔術に優れたペレスヴェータなら元に戻す方法を探せるのではないか、と期待した。
「戻す?本人も別に女の子のままでいいと思っているのに?」
「最近はお父さんを見習って戦士になりたいみたいですけど」
「ヴォーリャを見ればわかる通り女でも十分戦士として活躍出来るわよ」
「それはまあ、確かに。ところでヴォーリャさんはオルスさんの愛人とかそういうわけじゃないんですよね?」
身重の奥さんを置いて二人きりで行動しているのだからどうしてもそういう邪推が出てくる。
「ありえないわ。ヴォーリャはあれで一途なのよ。オルスの身に万が一のことがあればヴァイスラも危ういから手伝ってくれているだけ」
「それにしたってかなり不安な思いを抱えているであろうヴァイスラさんを放ってくるなんて・・・」
「ヴォーリャが最も信頼する旦那に任せているのだから大丈夫よ。あと、私が記憶を封印したせいでヴォーリャも妹に違和感を感じているのかもしれない」
「違和感・・・ですか?」
「大事なはずの一人息子を無視している事とかね。家庭内の事だからと踏み込まないようにしてくれてるけど、うちの子じゃないと畑に捨てられたレナートを拾って家に戻してくれたり随分世話になってるわ」
「自分のお子さんが誰だかわからず捨ててしまうくらい酷い状態だったんですか・・・」
さしものヴォーリャも腹を立てて問い詰めたが、ヴァイスラが狂乱状態になって自分にはもう子供なんていないと取り乱し泣き叫んでしまい、ヴォーリャも二度と口にすることは無くなった。
「・・・もし妹さんが生まれた場合、レンちゃんは猶更お母様に無視されてしまうのでは?」
「娘が生まれて妹も生きる意欲を回復すれば過去を思い出しても引きずられる事もないし、記憶については精霊と契約して段階的に解いてもらえるよう頼んである」
「契約、どなたと?」
「記憶に干渉できる精霊達とね」
「精霊って本当に存在するんですか?」
肉体は無く、霊魂のように漂い、魔術師にすら視認することは出来ない存在。
御伽噺では気まぐれに力を授けてくれる、悪戯をしてくると語られるが信憑性が無い。
狂人が精霊に命令されたとかといって犯罪を行う事があるので、余計うさんくさく思われている。
「この私がその精霊なのだけれど」
「幽霊とかではないんですか?」
「まだ私を悪霊か何かだと思っていたの?まだ地獄の門は叩いてないわよ」
「地獄門っていうとアイラカーラやアイラクーンディアを封じた門ですよね。それも実在するんですか?」
「質問の多い子ねえ」
「すみません」
せっかく妙な存在と知己になれたのでこの際だからとグランディは次々と質問した。
「精霊たちは旧都やツェレス島には近づきたがらないからあそこらへんにあるんじゃないかしら。悪霊や亡者が大勢集まっているし」
「行ってみたことは無いんですか?」
優れた魔術師なら好奇心を満たすために確認してみたがるものかと思った。
「貴方なら近寄りたい?神々にも見捨てられた悍ましい魂が集まる場所に。貴女の立場ならそうね・・・、裸で猟奇殺人鬼や強姦魔だらけの最悪のスラムに寄るようなものかしら」
「それは・・・ちょっと無理ですね」
「納得して貰えてよかったわ。じゃあ私も眠るわね。寝相が悪くても私じゃなくてレナートがやったことだから許してね」
「はあ?」
何のことだろうかと思ったが、眠ったはずのレナートが抱きついてきた。
ペレスヴェータの仕業なのか母を恋しがるレナートがやっている事なのか判断がつかず、可哀そうなレナートを邪険にすることも出来なかった。
仕方ないのでレナートをがっちりと抱きしめて眠る事にした。




