第47話 落着
何百匹、何千匹という蟲が現れ瞬く間にモレスの体を浸食していく。毒素が体中に周り、腐臭を発し始めた。レナートの力で限界までモレスを止めてから解放する。
気が付いた時には排除する速度より増殖速度の方が上回っていた。
深部にまで到達しているので一部を切り離しても無駄だが、ミミズのようなものが体から飛び出してくるのを見ると切り離さざるを得ない。それを繰り返すうちに体がどんどん小さくなっていった。
モレスは地に落ちて、下で待っていたアンチョクスに飛び掛かられる。
何万年もの恨みを晴らす時が来たとばかりに地獄の鬼達も群がっていった。
「コンスタンツィアさん。もういいんじゃないかな」
モレスが絶叫する思念波は近くにいるだけでも精神を苛む。
「わたくしにはまだ難しいわ。蟲達が吸い取ったものを回収するだけ」
しばらくどうしようもなく見守っていたが、月の舟から雷撃が迸ってアンチョクスの蟲を殲滅した。見るに見かねてイルンスールが止めに入ったのだ。
鬼達も神気に気遅れして後ずさり、引いていく。
”君は私を恨んでいないのか”
”恩はあっても恨みなどありませんよ。受け入れがたいかもしれませんがもうお休みください”
汚染された部分を取り除いたモレスはイルンスールの膝の上に収まるほど小さくなっていた。それを抱え込み、なだめる様にさすりながら言葉を続ける。
”何もかもが理想通りにいかなかったからといってモレス様のせいではありません。最初の一回目でうまくいくようなことなんて普通はありません。世界創造なんて難しいことなら猶更です。モレス様は世界を創り直すことで是正したいのでしょうけど、皆はこの世界でまだ生きたいんです”
”だが、この世界の歪みはもう治せない。君が犠牲になったとしても”
”それでも延命は出来るでしょう”
”しかしいずれ破綻が来る。人間は失敗する。犠牲はさらに大きく、長くなる”
”その時の人間に任せます”
”君も人間の事を信用していないのに残酷だな”
モレスの言葉にイルンスールは反論しなかった。彼女も自分が自分勝手なのはよくわかっている。
「お姉様に月の女神の力を返して頂きます」
主神にして月の女神アナヴィスィーケの力はモレスが持っていた。
まだコンスタンツィアには制御できない為、月の女神の娘であるエイダーナがそれを回収した。太陽神の力はイルンスールが回収していく。
「モレス様、長い間お疲れ様でした。後はわたし達にお任せ下さい」
モレスが消え去る時、少しだけレナートは暖かい光を感じた。
◇◆◇
「えーと、これで終わり?一件落着でいいの?地獄はどうなるの?」
コンスタンツィアが力を回収できず、さして変わったようには見えない事にレナートは疑問を口にした。
「地獄自体を無くす事は出来ませんが、世界が崩壊するような事態はわたしが止められます」
「君が?」
「ええ。夫には怒られそうですけどね」
戦いが終わり、月の舟に乗船していた人々も集まってからイルンスールは説明した。
「モレス様が語っていた内容でおおよそを察している方はいるかもしれませんが、わたしの体には次代の世界樹が埋め込まれています。本来の役割を果たせるようになれば理不尽に地獄に落して無理やりマナを抽出する必要は無くなります」
「でもそれじゃ君はどうなるの?」
「しばらく眠るだけです。ごめんねアルベルド、黙ってて」
戦闘中も何もいわず黙って聞いていたアルベルドはようやく疑問を口にする。
「もし、お前がその道を選ばなければどうなるんだ?」
「選択肢は無いの」
「母上が完全に新しい世界を作る事になるんだな?」
「・・・まあ、そうなるね。要するにわたしやお姉様達もレンさんも死ぬ事になる。今の世界を延命させるか、どちらかの二択だけどもうそんな事する気はお義母様にはないから意味は無いの」
「だが、お前は永遠に一人ぼっちだ」
「気にしないで。段々人としての感性が失われていってるって自覚があるから」
妹を大事にしていた森の女神の長女が止めなかったのも、妹から人間性も神性も失われ別のものに変貌しようとしているのを察していたからである。
「俺はお前にそんな道を許したくない。母上、どうにかならないんですか?」
コンスタンツィアは首を横に振る。
「彼女とはもう話し合ったの。御免なさい」
「じゃあ、俺は結局妻を失うのか。何もできないのか」
落ち込むアルベルドの頬にイルンスールは両手を添えて慰める。
「幸せをくれたよ。人並の幸せなんて随分昔に諦めてたのに」
部外者なのでしばらく黙って聞いていたレナートはそんな成り行きは許せなかった。
「そんなの駄目だよ。これからお母さんになるんでしょ?ちゃんと一緒にいてあげなきゃ」
「信頼できる旦那様がいるから大丈夫。地獄の人達には悪いけれどまだ何年かは過ごせると思うし」
「数年じゃ駄目だよ。もっと大きくなるまで一緒にいてあげないと」
「そうだね。頑張ってみる」
イルンスールは寂しそうに微笑んだ。
「嘘をつくな」
アルベルドはそんな妻が許せなかった。
「お前はそんなつもりないだろう。人として生きている時間、地獄で理不尽な苦しみに耐える人々はそのままだ。そんな状態でお前が自分の為に生き続ける事を幸福に思う筈が無い」
「・・・・・・」
図星だったようだ。
「どうにもならないとしてもお前が不幸な顔をしたままでいて欲しくない。なぁレンとか言ったっけ」
「ボク?」
「お前の力で地獄を全面的に凍結出来ないか?天神がほぼ全滅した以上、当分は地獄を機能させる必要は無い筈だ」
「そうだね。やってみよう」
◇◆◇
コンスタンツィアはこの後、ウートゥの泥を使って取り込んだ人形を作り大神の力を移して休眠状態にさせた。火神や月の女神などがいる森の女神達は神としての己の力を放棄する前に最後の仕事としてその人形制作に強力した。
世界を安定する為に、調和させる為に大神を各地に配置する必要があった。
これは偶像ではなく文字通りの神像として世界各地に置かれることになる。
地獄を出たがっていた怪物達は南方圏に誘導した。南方圏人類を全滅させた蟲達は既に共食いで数を減らしており開拓が可能な状態で、溶岩が各地に噴き出ている為、地獄の環境に近かった。
「神々の力を持つのはわたくしと氷神だけになる。地獄が不要になればいずれ貴女にも放棄して貰うけど構わないかしら?」
「ええ、勿論」
レナートにはもともと不要な力だ。
「世界を再構築するのは諦めたけど、地獄を凍結させる為に氷神だけが突出した力を持つ事になる。生物が絶滅するのは避けられるけれど、貴女の力で間接的に多くの人が死に、数千年はあまり生物は繁殖できない。それでもいい?」
「よくはないけど受け入れます。獣人さん達みたいに王様達が国や都市を維持するのを諦めれば十分生きていける環境ですから」
獣人達が主張していた大都市の放棄をせざるを得なくなる環境になった。
力を持つ獣人達が人間が増えて再び繁栄を築く事を恐れる必要はなくなった
念のため、大精霊やマヤも呼んでレナートは彼らに釘を刺す。
「まだ人間に恨みを持ってる獣人も多いだろうけど、もし人間達を組織的に虐殺したりしようとすれば相手になるよ」
「わかっておる。十分に注意させよう」
大量絶滅はぎりぎりで止まった。
レナートは地獄を凍結させきれない部分を管理する為に地獄の神の代理となって統治することになった。統治について困ったときは時々地上に出てきて政治家としてエンマの知恵を借りた。




