第38話 ケイナン教授
ケイナンは遊牧民出身でありながら、帝都の賢者の学院出身の導師に師事して学問を身に着け神学、草地学などで認められ王立学院に招かれた。
平民では珍しいことに知識と魔術の神であるウィッデンプーセの信徒でもある。
彼の担当する神農土木学はあまり生徒に人気は無かったが帝国人にとっては必須の学問でもある。
帝国は古代において圧倒的な人口と卓越した土木工学、治水、農業生産力によって他国を圧倒し世界を征服した。これは帝国の守護神が大地の神々であった事に起因する。
東西南北の大陸守護神達も風神、火神、鉱物神、水神などがあったが時には災厄を招くことも多く総合力では大地の神々が勝った。
彼は生徒達にその地力の強さを強調する。
「このように帝国では地震が多いのが難点だが、それも土木工学の発展によって解消されていった。農業は経済の基本であり土木は都市計画、軍事分野においても非常に重要である。将来、官僚や軍人の道に進む諸君にとって重要な学問であることをよく認識して貰いたい」
ケイナンは二年生を担当しており、生徒達が社会に出る日も近いことを意識するよう強調した。生徒の一人はケイナンに対して小ばかにしたような態度で混ぜっ返す。
「軍人も?そりゃまたなんで?」
「『何故ですか?』と言え、アルメシオン」
「せんせーは平民じゃんよ。何でこの俺が敬語を使わなきゃならないんだ?」
平民が貴族にモノを教えていると時折こういう跳ねっかえりが出てくる。
ケイナンは大きなため息をついて言葉を返した。
「ここでは貴族も平民も皆が平等だ。教える者と教わる者しかいない。不満があるなら退学してもらって結構。君はよくその態度で進級できたものだな」
「平等?ここには皇家のアルキビアデス様もいるが、もう一度同じ言葉を殿下にも言えるか?」
「無論言えるとも。『殿下、ここでは生徒は皆が平等で貴方も私に敬意を払わなくてはなりません』ほら、言ったぞ。どうかね。まだ不満が?」
ぐ、とアルメシオンは唸ってそれ以上何も言えなかった。やり込められた姿に日頃から不満を持っていた平民は小さく笑って睨まれた。
彼らの様子にケイナンは満足して矛先をアルキビアデスに向けた。
「殿下にも私に対して不満があれば教えて頂きたい」
「俺は何も言っていない。些細な誤解から帝都の学院からこちらに移ったが帝都では平民の教師や芸術家はもっと大勢いる。俺は彼らに敬意を失ったことは無い」
「さすがは殿下、ご立派です」
レナートの件はあったが、それが理由でアルメシオンをやり込める意図はなくケイナンはいつも通りであった。
「さて、授業を再開しよう。アルメシオン君のような疑問を持っている他の生徒もいるかもしれないので話しておくが近代の戦争においても1445年のグランドーンの戦いにおいては森林地帯を切り開いて野戦陣地を構築した工兵の活躍があった。無駄に魔力を込めた拳を振るっているだけでは新人工兵にも劣る」
今度は少々あてつけがましかったようで平民生徒の中から失笑が漏れた。
平民に投げ飛ばされたアルメシオンの事は大勢に知れ渡っている。
羞恥心と怒りで湯気が立ち上りそうなアルメシオンを尻目にケイナンは講義を続けた。
「他にも1412年から続くフランデアン率いる連合軍とスパーニアの対立では六年間もの間、連合軍は塹壕にこもり10倍のスパーニア軍相手に五分の勝負を続けていた。湖沼地帯に敵を引きずり込み、時にはわざと塹壕を明け渡しておいてから水を流し込み大軍を壊滅させている。第三次フォル・サベル攻囲戦においては水攻めによって何万ものスパーニア軍がなすすべなく壊滅した。これらの戦いは実働部隊の工兵の働きはもちろん事前の作戦計画、資材の調達に司令部が何年、何ヶ月も時間をかけた上での事だ。工兵たちに何が出来るか、実現可能な計画なのか、兵站を支える交通網の専有と経済は両立できるのか。指揮官にもある程度の知識が必要だ」
ケイナンの見る所、貴族の少年らは世の中を舐めている。
フォーンコルヌ皇国は総督達のパワーバランスが保たれており大きな戦を経験していない。
「諸君の為に言っておくがたとえ皇帝の息子だろうと軍に入れば階級が絶対だ。帝国本国はともかく我が国のマクダフ将軍にしろフランデアンのブリュッヘル将軍にしろ彼らは平民だ。参謀達もそうだが、地道な作戦を計画し遂行するのは傲慢なものでは務まらない。頭の出来は貴族だろうと平民だろうと同じであり、出世したければ地道に努力するしかない。今のうちによくよく将来を考えておくように」
多くの生徒は真剣な面持ちで頷いたがアルメシオンは相変わらずの態度で舌打ちしている。
「まだ、何かあるかね?」
「いやね。理屈をどうこねても最後にものをいうのは力でしょ?先生は理屈で俺を言い負かせるかもしれないが、俺がその気になったら頭が吹っ飛ぶ。そうなったら何も言えやしない」
「ふむ、確かに。君にそんな度胸が無いことを考慮に入れなければ、の話だが」
「なんだと!?」
「やってみるかね?闇討ちでもなければ不可能かな?それとも幼児を虐める事くらいしかできないか」
クラスのあちこちで失笑が漏れた。
「舐めやがって、後悔するぞ。てめえがやれって言ったんだからな」
「おお、おお。逮捕された時の言い訳か。幼児を相手にした時もぴーぴーと小鳥のように随分泣き言を言って言い逃れしていたようだが、君は本当に情けない性格をしているな」
ケイナンはこのアルメシオンが進級できた事を不思議に思っていたが、そういえばアルメシオンの父といえば『空っぽ頭のレア』の騎士アイガイオン。
太后の影響力の賜物か、と貴族社会に呆れた。
壇上に向かってくるアルメシオンを見やり、ケイナンは油断なく護身具を教卓から取って後ろ手に構えた。彼も何の準備もなく貴族相手の授業に臨んでいるわけではない。
突発的な殺人事件でも裁判では魔力の暴発、不慮の事故で済まされるケースも多い。
裁判で勝ちたければ客観的な証人、証拠だけでは不十分で言い逃れようとする相手を追い詰めて裁判官に対して十分に説得力ある理論を構築できる弁護士も必要だ。
しかし、結局世の中は金とコネ。
法律家も霞を食べて生きているわけではない。正義とは金で買えるものだ、というのがケイナンの持論だった。
「ま、ここを生き延びなくては意味は無いが」
学問に生きてきたといってもケイナンも遊牧民の出身で、部族に反発して出ていったオルスの憧れの先輩でもある。これまでにも殺し合いのひとつやふたつは経験してきた。
アルメシオンの一撃は宣言通り頭を狙ってきたのでゆうゆうと躱し、左手に隠し持っていた呪符を腕に巻きつけて魔力の壁を一時的に無効にし、右手に持った拳銃を顎の下に突きつけた。
「狂人が。頭が吹っ飛ぶのは君だったようだ」
「なっ!」
ただの学者だと思って侮っていたアルメシオンの思惑は外れた。
自分を守る鎧であった魔力も雲散霧消してしまい、無防備となった。
ケイナンが引き金を引けばアルメシオンは死ぬ。
腕も固められて動かせない。
「そこまで。ケイナン先生、その辺で勘弁してやって貰えますか」
ようやくアルキビアデスが仲裁し、ケイナンは銃を下した。
どうなることかと見守っていた生徒達もほっと一息つく。
「声をかけるならもっと早くして貰いたいものだね?」
「先生が余裕そうだったからな。声をかける機会が無かった」
「フン。殿下が言うならこの辺にしておいてもいいが、このバカ者は退学だ。構わんね」
「理事会がどう判断するかは知らないが、俺も母上も決定に関与することはないと約束しよう」
アルキビアデスの命令でアルメシオンはこの場から出ていき、二度と戻る事は無かった。
平民生徒達はケイナンを讃え、貴族の生徒らも「あの馬鹿が」「恥さらしが」と言うだけで誰も同情しなかった。




