第28話 地獄の底で
地獄の底には何も無かった。
強いて言えば祭壇のような物はある。
それは工房のようだった。
燃費が悪いのであまり使われないが簡単な作業が出来る土人形を製造する為の場所だった。イルンスールやエドヴァルド達はアイラクーンディア達を取り囲み問い詰める。
「どういうことだ?神の器とやらは何処にある」
「ここにあったんじゃがのう」
すっとぼけたような態度にレナートが力を強めながら近づいていく。
「どういうこと?」
”時間稼ぎをしたわけか”
罠を仕掛けて殺しに来るわけでもない。
であればここに呼ぶ事自体が目的だった。
「こいつ!」
「好きにすればいいわ。私の目的は既に叶っているから貴方達と敵対する気は最初からないの」
「どういう事なのかさっさと説明してよ」
レナートは縛り上げたメルセデスの縄をさらにきつく締め上げた。
「いくら締めてもアイラほどじゃないのね。優しい子、長年虐めて御免なさいね」
妙な真摯さがあってレナートは驚き、力を緩めてしまう。
いくら問うてもアイラクーンディアもメルセデスも目的を明かさない。
敵意も示さず大人しい。
「ずるいよ、そんなの!説明してよ。酷い事をした悪役なら悪役らしく憎まれてよ!」
「貴女にとって都合のいい悪役なんてこの世に存在しないのよ。私たちはただ愛する者の為にやるべきことをやっただけ。わが子の為に狩りをする母が残酷かしら?わが子に狩りを教える為にわざと獲物をもてあそぶ母が残酷かしら?貴女は都合のいい獲物だった。ただそれだけのこと」
それはレナート達狩人の理だった。
父に、同胞の狩人に習ったようにレナートもカイラス族の子供たち、パーシアが生きていけるように狩りを教え、時には獲物をわざと殺さずに締め方を教えた。
メルセデスにとってレナートは自殺して地獄に来させる必要があったから、嬲り続けドムンとの大切な記憶も奪った。
「許せないなら殺せばいい。殺しても飽き足りないならそこらの地獄に投げ込めばいい。それでも私は愛する者の為に貴女を一秒でも長く引き留める」
地獄がどれほど苦しい世界か知っていてなおもそう言い張った。
殺しても意味はなく、地獄に投げ込んで苦しむ様を眺めて楽しむほど冷酷ではないレナートに無抵抗の人間にはどうしようもなかった。
◇◆◇
「君はどうなんだ、コンスタンツィア。先ほどイルンスールも妙な事を言っていたが君は本当に・・・」
エドヴァルドはコンスタンツィアに罪悪感を感じていてこれまで厳しい態度に出れなかったが、事ここに至りついに疑いの眼差しを向けた。
すると違和感が大きくなる。
「き、君は・・・コンスタンツィアじゃない」
やや視線を下げたコンスタンツィアは否定しなかった。
「君は確かヴァネッサ・・・ヴァネッサ・フィー・ベルチオ」
ヴァネッサは静かに頷いた。
コンスタンツィアの親戚であり、背丈は違うが顔立ちは似ている。
髪を染めると小型版コンスタンツィアといった感じだった。
「私の事なんかよく覚えていましたね」
「君には随分邪魔されたからな」
コンスタンツィアには若干同性愛の傾向があり、妹のようなヴァネッサを随分可愛がっていた。エドヴァルドはコンスタンツィアと二人っきりになろうとするといつも邪魔されてしまっていた。昔のヴァネッサは一生侍女としてついてきかねない様子でコンスタンツィアもそれを許しそうだった。
「コンスタンツィアを故郷に連れ去って妻としていたら君はきっと私の部下達と喧嘩ばかりだったろう」
「そうならなかったのがとても残念です」
ヴァネッサは蒸し暑い南国暮らしに文句だらけだっただろうが、少なくとも地獄に落ちるほどの悲劇にはならなかっただろう。
彼女は心から残念そうに言った。
「で、何故君がここにいる」
「貴方がお姉様を守れなかったから。私は自殺して地獄に落ちてコンスタンツィア様やアイラクーンディア様に救われた」
「それで身代わりを務めていたわけか」
「はい。私とお姉様の姿を知っているのはマヤと貴方だけ」
ヴァネッサの幻術を破れるとしたらマヤだけだったが、ここにはいない。
他の者達はヴァネッサの姿を見ても疑わない。
メルセデスの助けを借りてエドヴァルドだけ騙せばそれで良かった。
「道理でイルンスールに『お義母様』と呼ばせない筈だ」
「はい。実際違いますから」
「で、コンスタンツィアは何処にいる。君に手荒な真似はしたくない」
「お姉様は既に地上に」
「君達のように地獄で受肉した者は地獄門を通れないという話では無かったのか?」
「それはその通りです。お姉様は別の手段を見つけたようですが私には理解できません」
くそっと舌打ちをした。
「何故こんな時間稼ぎをする必要があった!協力するというのは嘘なのか?」
「私達はそのつもりです。でもお姉様は違う」
「コンスタンツィアは何がしたい?」
「地上の生物を全て殺すおつもりです。人間以外もすべて」
「何故だ?」
「お分かりでしょう?復讐です。エーヴェリーン様を汚された恨みです」
「それは・・・わかるが、しかし皆殺しだと?彼女が?」
エドヴァルドも何もかもが憎くなった瞬間があったが、報復の対象がはっきりしていたので軍を起こし、帝国を滅亡に追い込んだ。
一度も抱くことが出来なかった娘の名を、地獄の書で見てしまったコンスタンツィアは地上で何が起きたのかを知った。
「ある日、地獄に落ちるべき者の名にエーヴェリーン様の名前が罪状と共に浮かび上がりました。何をしたのか、どの地獄に落ちるか、どれほどの長い時間、罰を受けなければならないかも。アリシア様よりも長く、苦しい地獄の運命が待ち受けていました」
「だが、君達なら助けられるのでは?」
「助けられるのは中央大陸、帝国の守護神であるシレッジェンカーマとノリッティンジェンシェーレの保護下にあるものだけ」
水の女神を信仰しているもののアリシアは帝国人である。エーヴェリーンは東方文化圏で育ち、守護神も違う。
「メルセデス様はもともとご自分のお母様を救うために地獄にやっていらっしゃいました。私達は誰も刑を宣告などしたくありません。思いつめたコンスタンツィア様は決断なさいました。エーヴェリーン様が地獄に落ちる前にこの世界を終わらせると」
娘に刑を宣告するくらいなら地獄の存在そのものを無くす。その為にモレスを上回る力が必要なら手に入れる。その障害となる者を全て殺す。彼女は決断した。
「彼女は優れた魔術師だった。しかし人間が創造主を殺すなどできるとは思えん。どうやるというのだ」
「人間だけでなくありとあらゆるものに再生力、復元力というものがあるそうです。原初の巨人ウートゥにも。それを防ぐ為に各地に守護神がいて別の方向へと力が働いて調和が取れていました。信仰を失った神々が消滅し、世界の調和が崩れていくのを観測したコンスタンツィア様は人工的にウートゥの復元力を取り戻させて復活させることが出来ると確信なさいました」
「それで彼女の思い通りになるのか?観測というがエーヴェリーンの事があってからこれまでにそんな研究や準備をしている暇があったのか?」
コンスタンツィアがいくら天才的な魔術師だとしても、歴史上の大魔術師も研究し成果を得る頃には老齢になっている。
「研究者だった亡者の協力もありましたから。これまでに観測された事のない力を持つ未知の神がいるとすれば原初の神に他なりません」
レナートはその研究者の名に心当たりがあるような気がした。
「様々な神の力が収束しつつあるのを確認し、それに体を与え弱いうちに乗っ取る事に成功しました。ここにはウートゥの体の残骸が山ほどありますから素体を作るのは苦労しませんでした」
「原初の神まで成功したのか」
「はい。コンスタンツィア様の新たな仮初の体を中心に収束し、ウートゥの力が宿りました」
レナートは自分にグラキエースの力が宿るようなものかな、と解釈した。
「コンスタンツィアはどこまでやるつもりなんだ?本気であらゆる生命を殺す気なのか?必要なら我々も?」
「はい。少なくともエーヴェリーン様を地獄に落とさずに済む力を得るまであらゆる生命を殺して回収するつもりです。私達も一度死んだ身ですから捧げても構わなかったのですが、貴方達を引き付けておく方が助けになりますのでこういう経緯になりました」
「では、我々を殺す気までは無いということか」
それにはほっとした。他に方法が無くならない限りは敵対せずに済むかと。
「あの戦いで死んだ者達はコンスタンツィア様が回収された筈です。死者は多ければ多いほどいいので。貴方達は全滅寸前だったでしょう?」
たまたま生き残っただけで殺す気が無かったわけではない、とヴァネッサは言った。
「・・・・・・」
「特に貴方に対しては大変なお怒りです」
理由は既にコンスタンツィアに扮したヴァネッサが語っている。
「彼女の怒りは正当だ。しかし殺される訳にはいかない。協力するわけにはいかなったのか?」
「死んで魂を捧げて頂くのが何よりの協力です」
”生者から見れば邪神そのものだな”
黙っていろとばかりにエドヴァルドはアルコフリバスを睨みつけた。
「お話は分かりました。とりあえず地上に戻りましょう。共闘は出来なくてももともとモレスとは敵対しているのですし」
ここでこれ以上話を聞いていても仕方ない、とイルンスールは地上への帰還を提案した。
だが、彼らが帰途について地上が近づいてきた時、その道が塞がれている事を知るのだった。




